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2015年09月27日21:33

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今日の「花燃ゆ」

毛利敬親が亡くなりました。
このドラマではすごく名君に描かれましたね。
前にも書いたけど「花神」での敬親ははなんだか愚鈍で、「そうせい」も責任丸投げって感じのめんど臭そうな「そうせい」でしたけど、このドラマでは「そうせい」の重みが違った。
版籍奉還の時のダブル「そうせい」が最後かと思っていたら、最後の最後の「そうせい」は美和に向けてでした。

そして廃藩置県で消えていく長州藩。
長州は勝った側なのにまるで敗者のような消えていき方。
薩摩や肥後、土佐も然りでしょう。
だから、これから始まる不平士族の反乱も維新の原動力となった西南雄藩に集中しているのもうなずけます。
負けた側の奥羽越列藩の方には、不平士族の反乱はほとんどなかったのですからね。

奥御殿の人びとも大変だったでしょう。
美和のように帰る家がある人はいいです。
帰る所もない人は路頭に迷うしかなかったでしょうね。

明治維新によって、人口における割合は少ないにせよ武士たちが一斉に失業したわけです。
警官や教師、鉄道員、役人などになれた人はまだいい方。
商売を始めても武家の商法で失敗したり、今日の楫取のように農業を始めてもなかなかうまくいかない。
現代でも脱サラして農業を始めたけれど食っていけずにひいひい言っていた人が現実に私の友人にいます。

ただ、常々思っていたのですが、江戸時代までは「武士道」というのは人口のほんの3%の武士たちの間だけにおける倫理で、人口の97%を占めていた百姓や町人には全く関係のない理念だったはず。
ところが明治維新で武士階級が消滅し、いわば日本に武士がいなくなったのと同時に、逆に「武士道」がそれまで関係のなかった農民や町人にまで浸透し、結果として武士階級は消滅したのに日本国民全員が武士化したともいえるでしょう。
これは国民皆兵とかそういうことをいっているのではなく、あくまで精神面に関してのことです。
今では誰しもが、例えば「武士の情け」などという言葉を発しますが、それを言っている人の先祖は武士ではなかった場合が多いのでは?

企業もそうですね。
元をただせば民間企業というのは江戸時代でいうなら最下層の商人階級、だから民間企業のサラリーマンというのは江戸時代でいうなら「あきんど」なのですが、明治維新によって日本国民総武士化した結果、企業がまるで武士にとっての「お家」のようになり、働く人はあきんどというより「戦士」に近い状態ですね。
日本企業が世界に対して強いのは、こういうこともあるのではないでしょうか。

この国民的ドラマともいえる大河ドラマも、これは別の日記でかつて書きましたが、歴代大河ドラマの主人公がみんな武士なんですよね。
主人公が武士ではなかったのは54作中以下のたった4本だけです。
○「黄金の日日」の呂宋助左衛門(商人)、
○「春の波濤」の川上貞奴(本人は商家の出で夫の音二郎も平民)、
○「琉球の風」の啓泰(渡来人の賢人の末裔)、
○「いのち」の岩田未希(士族か平民かの設定はなし。だが、地主階級の先祖は豪農と思われるので農民か?)。

それ以外はみんな武士かあるいは武家の女が主人公です。まぎらわしいのを解説しておきますと、「花の乱」の日野富子は公家の出だけれど武家の足利家の妻なので一応武家。「山河燃ゆ」の天羽賢治のモデルの伊丹明は鹿児島県士族。多くのドラマで主役の豊臣秀吉も出自は農民ですが武将として活躍したので武士の中に入るでしょう。(秀吉の時代は武士と農民の区別があいまいだった)。「新撰組!」の近藤勇も 出自は農民ですが、武士の近藤家の養子となり、武士として活躍しますから武士です。

人口の3%しかいなかった武士だけが主人公の大河ドラマ(来年も再来年もそうですね)がもてはやされるというのも、国民総武士化の一つでしょうか?

今日は話がずいぶんそれましたが、 来週はいよいよ不平士族の反乱の萌芽が出ますね、きっと。
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