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2015年07月05日22:06

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今日の「花燃ゆ」

とうとう久坂玄瑞が逝ってしまいました。
そして長州は朝敵となります。
このわずか三年半後に形成は真逆に逆転して長州は官軍となり、この禁門の戦いのときに近衛中将として帝の近辺にて帝をお守り申し上げた松平容保の会津藩が朝敵になってしまうのですから、先のことは本当に分からないものです。

この後長州は試練の時を迎えます。
藩主はおそらく萩に戻るでしょう。
周布さんや高杉ら松陰門下を中心にした勢力が実権を握っていた時は山口に、椋梨らの反対勢力が盛り返したら萩に戻るというのが藩主の行動でしたから。
どうもこのドラマでは高杉らを「正義派」、椋梨らを「俗論派」といったその呼称は使わないみたいですね。

さて、粂次郎が一つ覚えのように暗唱を繰り返している『孟子』の文章は、このドラマの最初の方にも出てきました。
第1回目放送のレビューに、引用と現代語訳を載せていますが、もう一度転記しておきます。

「庠序(しょうじょ)、学校を設け為(な)して以て之を教ふ。庠は養なり、校は教えなり、序は射なり。殷に序と曰い、周に庠と曰い、学は則ち三代これを共にする。皆人倫を明らかにする所以(ゆえん)なり。」(『孟子』巻五、「滕章公章句 上」)

【現代語訳】
「「庠(しょう)・序・学校などを作って人民を教育せねばなりません。庠とは養の意味で、老人を敬い養うということであり、校とは教の意味で、子弟を教え導くところということであり、序とは射の意味で、射礼を習わせるところということであります。そして夏(か)の時代には校といい、殷の時代には序といい、周の時代には序といい、それぞれ名前は違いますがそこで学ぶ学問の内容は夏・殷・周の三代にわたって共通であって、みな人間の道を教えるところです。」

英語のSchoolの訳語が「学校」とされたのは、この『孟子』の章句によるのではないでしょうか。
まあ、その前にも「足利学校」などというのもありましたけど。
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