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2015年06月14日07:29

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幕末の絵師

大好きな幕末の絵師、河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい)と弟子のジョサイア・コンドルの展覧会が催される。

http://mimt.jp/kyosai/

北斎や広重ほど国内では知られていないが、海外では河鍋暁斎は有名なのだ。

7歳で歌川国芳の画塾に入門。
10歳で狩野派の前村洞和愛徳(まえむらとうわあいとく)、11歳で駿河台狩野派 洞白陳信(とうはくのりのぶ)に師事する。

明治になり幕府お抱えの狩野派の絵師達は仕事が無くなって困窮するが、暁斎だけは様々な仕事を引き受けて人気絵師となる。

弟子には鹿鳴館やニコライ堂を設計したコンドルがいる。
鹿鳴館を設計した時、コンドルは和洋折衷の建物を図面に起こした。

しかし依頼者の外務卿、井上馨(いのうえかおる)がこれを撥ね付ける。
江戸時代に結ばれた不平等条約を改正するための外交の場として、純西洋風の社交場を必要としていたからだ。

結局井上馨の意に添って設計し直され、鹿鳴館が造られる。
毎晩の様に舞踏会が開かれた。
日本は西洋に負けない文明国であると背伸びをして見せたのだろうが、猿が西洋の衣装を着て、西洋風の社交場で、西洋風のダンスを踊っていると笑われていた。

コンドルは子供の頃から日本美術に興味を持ち、お雇い外国人建築家として日本に来てから河鍋暁斎に弟子入りして日本画を習う他、華道、落語等も楽しみ、日本の衣装、庭園の研究をし、日本舞踊の師匠くめと結婚した。

日本文化の良き理解者だったから、日本建築の良さも生かした和洋折衷の建物にしたかったのだと思う。

暁斎は長年絵日記をつけており、その中にコンドルとの交友の様子も描かれているが、二人は絵の師弟関係というだけでなく、仲の良い遊び友達であり、尊敬し合っている関係だったと思われる。

コンドルが西欧に暁斎を紹介してくれたおかげで暁斎は北斎、広重同様に知られる存在となった。

建築をやっている人は建物の写生をするから絵は書き慣れている。
コンドルは水彩画も描いていたから日本画もみるみる上達していって、英国の暁斎の意の「暁英」の雅号を授けられ、他の弟子達とともに第二回内国絵画共進会に出品するまでになる。

暁斎は晩年胃がんを煩い、1889年に59歳で亡くなるのだが、コンドルは病床の暁斎の最後を看取っている。

今回展覧会が開かれる丸の内の三菱1号館はジョサイア・コンドルが設計したもので、当時の建物は解体されたがレプリカが2009年に再建された。

河鍋暁斎のひ孫にあたる河鍋楠美(かわなべくすみ)さんが埼玉県蕨市にある「河鍋暁斎記念美術館」の館長をされている。

http://kyosai-museum.jp/hp/top_page.htm

楠美さんのお婆さんの「河鍋とよ」は暁斎の弟子でもあり、暁翠(きょうすい)という雅号の日本画家だ。
この人も才能豊かな人で色々な展覧会で賞をもらい、東京女子美術学校(現・女子美術大学)で初の女性教授になった人だ。

しかしこんな人でも父親の画業を超えることは絶体に不可能と思い知り、楠美さんの母親に「絵描きにはなるな」と言明し、そのため楠美さんも家訓を守って絵描きにはならず医者になる。

しかし血というものは怖ろしいもので、子供の頃から白い壁や紙を見ると自然に腕が動き出しそうになるという。
お顔を拝見するに、あごや口元が暁斎にそっくりだ。

https://www.google.co.jp/search?q=%E6%B2%B3%E9%8D%8B%E6%9A%81%E6%96%8E+%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB&biw=1920&bih=923&tbm=isch&imgil=h1ErphA9H62iZM%253A%253BQqgDGCQzFX5x_M%253Bhttp%25253A%25252F%25252Fblog.goo.ne.jp%25252Fteinengoseikatukyoto%25252Fe%25252Fc96f13da35d378ef59911daf0eba8038&source=iu&pf=m&fir=h1ErphA9H62iZM%253A%252CQqgDGCQzFX5x_M%252C_&usg=__3W-JRDSEZvoNA0ZqwDWrqlnzkYc%3D&ved=0CEwQyjdqFQoTCPf53trMi8YCFQtQvAodSfwAmg&ei=L5J7VbemCIug8QXJ-IPQCQ#imgrc=_

暁斎は人を描くときに骨格や裸体を描いてから肉や衣装を纏わせる。
完成した絵は売れて手元を離れてゆくが、下絵が残る。
その下絵や画稿が河鍋家には3000点余残されていたらしい。
それらが「河鍋暁斎記念美術館」には所蔵されているらしく、いつか機会があれば行ってみたい。

その暁斎の最初の師匠の歌川国芳に関してこんな記事があった。

http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65669753.html

本当にスカイツリーが時空を越えて見えたで良いんでない?

誰かののSFで、太陽が燃え尽きて巨大化し、地球の海が干上がってしまう遥か未来、人類が余所の星に移住する。
その人類の生き残りが宇宙船に乗って、地球の上空から海が干上がって火星のように荒廃した地上を覗き込む。

まだ地球に海があった頃の浜辺で、男が太陽がぎらつく空を見上げる。
遥か上空に見たことも無い形の船が船底を見せながら通ってゆく。
そしてその船から誰かがこちらを見つめているのを感じる。

女が傍らにやってきて

「何か見えるの?」

と聞く。

男は

「いや、何も。」

と答え、あれは幻だったのだと思う。

という様なショートショートがあったように思うが、国芳にもそんな事があって今の東京が一瞬見えたのかも、、、。



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