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2015年03月28日21:28

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渡辺省亭

 日本の美術(アート)と言うのは西洋文明が流入した明治時代に始まるもので、それ以前は画工や彫刻師も、刀鍛冶や大工のような職工の一分野として位置づけられていました。今では同じ美術史の流れの中で語られる、狩野永徳や葛飾北斎や尾形光琳といった江戸時代以前の画工と、青木繁や横山大観、岡本太郎といった明治以降の画家のやっていることは、実はまったく違う分野の仕事なのです。
 日本における美術(アート)は明治時代、アーネスト・フェノロサと岡倉天心によって形成されたと言っていいでしょう。その時、彼らによってそれまであった絵画や彫刻の技巧的側面は、美術とは違う工芸的なものとして蔑ろにされてしまいました。巧緻なだけで芸術的感興を呼び起こさないものとみなされたのです。
 今回取り上げた渡辺省亭(せいてい)は、まさしくこの時、美術史から取りこぼされてしまった作家と言えます。省亭は明治から大正にかけて活躍した画家で、写実を極める円山四条派の流れにあって、花鳥画に秀で、日本の画家として初めてパリに留学した人物でもあります。その職人的技術の高さは眼を見張るものがあります。ですが、時代の主役がそれまでの伝統的装飾絵画から新興のアートへ移行する過渡期にあって、どちらともとれる、あるいはどちらつかずの作風が災いして、すっかり日本の美術史から忘れ去られてしまったのです。
 先日、美術品を鑑定する某バラエティ番組で省亭の掛け軸が出品されていましたが、真筆にも関わらず無名ということで、3枚でわずか30万円と評価されていました(これが横山大観であれば桁が二つ上がるでしょう)。しかし、実はアートの本拠地である西洋では、自分たちの後追いをしている日本の新興アートより、人間業を超越するような巧みな職人芸に裏打ちされた作品をこそ注目しており、省亭は一流美術館に収蔵されるなど高い評価を受けているのです。
 省亭の技術の高さは、自らたのむところも厚く、竹内栖鳳、横山大観、川合玉堂といった、現在では技巧派の大家と呼ばれる作家の作品をして「技術的に不勉強」と一蹴するほどでした。確かにその絵を見れば、線の繊細さ、構図の的確さ、色彩の発色、質感の表出と、どれをとっても切れるように冴え渡っています。日本美術史上でも屈指の手練れと言ってもいいでしょう。
 近年日本でも、こうした高度な技術をもった工芸的作品や作家を再評価する機運が高まっています。油彩画の川村清雄や人形師の松本喜三郎が展覧会で取り上げられるなか、渡辺省亭の名も必ずや高まって行くことでしょう。

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