ボードゲーマーの間では、慣習的に「ルール使用料は用具代に含まれている」と考えられており、(伝統ゲームなどを除けば)用具を自作してプレイすることはあまり推奨されていません。ましてや、他者が考案した作品の為の用具を製造して販売することは批判の対象になります。
これは、ボードゲーマーの間では「ルールは著作物である。著作者の経済的利益を保護することで文化的な発展が望める」と考えられていることによります(なお、法解釈においては「ゲームのルールそのものは著作権の保護対象にあたらず、用具のデザインやルールブックの文章は保護対象にあたる」とされています)。
ルールの考案がビジネスとして確立したが故に数多の作品が考案され続け、結果的にそのいずれの種目も文化として定着することなく消費され続ける現状は、ちょっとしたパラドックスです。果たして、ここ30年以内の種目で伝統ゲームの仲間入りできるものはどれだけあるものやら。それとも、映画や小説のように作品が創作され続けることを文化の発展と呼ぶべきか…
「ボードゲームの文化的発展は、スポーツ(種目)のようにあるべきか、それとも映画や小説やマンガなど(作品)のようにあるべきか?」は非常に重要な問題です。ボードゲーマーの多く(鑑賞を重視している人たちや業者側の人たち)は後者を望んでいるみたいですが、競技や交流を重視している私は前者を望みます。そして恐らくは、非ボードゲーマーの多くも前者を望むだろうと思います。
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# なんか「陸ボドゲ」向けの神学論争だなぁ(笑)。転載するかも?
・「陸ボードゲーマーの集い」コミュ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1530634
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