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2011年10月31日19:58

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映画 『ベニスに死す』 の言語学的解説。

  









湯のみ 日本人は、洋画を字幕で見てしまう。そのため、

   登場人物が、何語で、何をしゃべっているか

について、まったく意識していないことが多い。しかし、これが重要な意味を持っていることは少なくない。

   …………………………

湯のみ 小説、あるいは、映画には、

   「気がつかないふりをして見てほしい」 という言語学的ウソ

が設定されていることが多い。何のことか? 単純である。

   ハリウッド映画において、クレオパトラもシーザーも英語を話す

というタグイの 「無いことになっているウソ」 である。

湯のみ 実は、こういうウソは根深い。たとえば、

   ロシア文学において、ロシア貴族は、とうとうとロシア語を話す

のであるが、これはウソである。

   革命前夜まで、ロシア貴族の日常語は 「フランス語」 であった

のだ。ロシア貴族の子女は、フランス人の家庭教師について正しいフランス語を学び、そののち、フランス語を介して、使用人と話すためのロシア語を学んだのである。

   …………………………

湯のみ トーマス・マンの 『ベニスに死す』 は、ほぼ、すべてがドイツ語である。フォン・アッシェンバッハは、ベニスにおいて、ドイツ語で押し通し、

   無免許のゴンドラ漕ぎのじいさん
   ベニスの理髪店の主人

湯のみ こういった人々まで、ドイツ語で話している。

湯のみ ヴェネツィア (ベニスのイタリア語名) は、18世紀末から、19世紀なかば (1866年) までオーストリア領であった。その期間の公用語はドイツ語であろう。また、ヴェネツィアには、多くのオーストリア貴族がやって来たにちがいない。

湯のみ 1866年に、ヴェネツィアは 「統一イタリア」 に組み込まれる。


湯のみ 映画の舞台は、グスタフ・フォン・アッシェンバッハ Gustav von Aschenbach のモデルとされるグスタフ・マーラー Gustav Mahler の歿した 1911年である。

湯のみ つまり、ヴェネツィアが、オーストリア領から、イタリア領に移って、まだ、45年しか経っていない。観光客を相手にするホテルで、ドイツ語が通用しても不思議ではない。

湯のみ しかし、ゴンドラ漕ぎのじいさんや、理髪店の店主までが、流暢なドイツ語を話す、というのはどうだろう。どうも、ありえないこと、と考えてしまう。

   …………………………

湯のみ 映画の中には、

   英語、イタリア語、ポーランド語、ロシア語、ドイツ語、フランス語

などが飛び交う。原作には、ドイツ語と、じゃっかんのフランス語、そして、ポーランド語の固有名詞しか出てこない。つまり、

   イタリア語、ポーランド語、ロシア語

などは、監督のルキーノ・ヴィスコンティが、1911年当時のヴェネツィアを想像して、そこに飛び交う言語を設定してみせたものだ。

   イタリア語は、ホテルの従業員などが話すものであり、
   ポーランド語は、“タッジオ” の一家が話すもの、
   そして、ロシア語を話す貴族の一家も2度ほど登場している

という寸法である。これは、当時のヴェネツィアのようすを再現しようとする 「リアリズム」 である。

湯のみ ややこしいのは、ここからだ。

   アッシェンバッハや、それに対応するホテルの支配人・従業員、
   ゴンドラ漕ぎのじいさん、理髪店の店主、銀行の頭取 etc...
   そして、何より、アッシェンバッハと議論する友人のアルフリート


   英語を話すのは 「便宜上のウソ」

なのだ。これが日本人には理解しにくい。

   こうしたダイアローグは、本来、すべてドイツ語である

と考えるとよい。

   ゴンドラ漕ぎのじいさんがドイツ語を話すのは、不自然だが、
   「英語を話すのは、歴史的事実として、ゼッタイにありえない」

と心得るべきである。

   …………………………

湯のみ なぜ、こんなことになったか、というと、『ベニスに死す』 は低予算の映画でありながら、

   ヴィスコンティが資金繰りに困っていた

からなのだ。そこに助け船を出したのが、

   ワーナーブラザーズ

だった。ニュープリントの映画でも、その冒頭には、

   WB のシンボルマークが、まず、燦然と登場する

のだ。ワーナーブラザーズが配給元であるからして、

   ドイツ語の原作に基づくイタリア映画 『ベニスに死す』 は、
   英語の映画でなければならなかった

のである。だから、

   ドイツ語の部分が、そっくり、英語に置き換わっている

のだ。


湯のみ ラテン語なきあとの、大陸ヨーロッパの共通語として君臨していたのはフランス語であった。1911年当時、英語などというのは、「文化の花咲くヨーロッパの外の言語」 だったのである。

湯のみ 実際、映画の中に登場するリド Lido の観光ホテルの名は、

   Grand Hôtel des Bains 「グラントテル・デ・バン」

である。これはフランス語だ。ヴェネツィアのホテルなのに、名前がフランス語なのは、

   広くヨーロッパの貴族たちを顧客としているので、
   その名称も、共通語であるフランス語、と言うわけ

なのだ。このホテルの名称は、トーマス・マンが、当時、実際に宿泊したホテルのもの ── すなわち、実名である。

湯のみ フランス語の bain 「バン」 は “風呂、入浴、海水浴” の義であるが、 les bains と複数形をとると、「入浴施設、海水浴施設、海水浴場」 の意味になる。つまり、

   “海水浴グランドホテル”

だ。当時の海水浴は、泳ぐのではなく、「海水につかるという、一種の健康法」 である。

   …………………………

湯のみ 1911年 (明治44年) というのは、実に複雑な時代だ。

   ロシアでは、6年後に革命が起こる

のである。それなのに、ロシア貴族は、ヴェネツィアで酒を飲み、歌を歌っている。

湯のみ ポーランド貴族の場合は、もっと、事情が複雑である。

   18世紀後半から末にかけて、ポーランドという国は消滅した

のだ。ロシア、プロイセン、オーストリアという周囲の三強によって、分割されてしまったのである。ポーランド貴族の多くはパリに亡命した。

湯のみ ポーランドが復活するには、第一次世界大戦の勃発 (1914〜1918) とロシア革命 (1917) を待たねばならなかった。周囲のドイツ、オーストリア、ロシアが凋落したのである。

湯のみ 米国大統領ウッドロー・ウィルソンの提唱する 「民族自決権」 によって、

   第一次大戦後、東欧・中欧には、多数の民族国家が誕生した

のである。ポーランドも、この期に乗じて復活を果たしたが、このあたりからは、現代日本人でもご存知のように、ポーランドはソ連邦の衛星国家と化し、

   もはや、ポーランド貴族の帰る場所はなかった

のである。亡命ポーランド政府は帰国せずに英国にとどまった。

湯のみ 1911年当時、ヴェネツィアに観光に来ていたポーランド貴族の一家があったとしたら、それは、おそらく、フランスから来たもの、と思ってよいだろう。彼らの故国は、当時、地図上に存在しないのである。

   …………………………

湯のみ ところで、『ベニスに死す』 を日本語に翻訳した独文学者も、じゃっかんのとまどいを感じている一件がある。

   “タッジオ”

という名前の一件である。アッシェンバッハが魅入られてしまう美少年の名であるネ。

湯のみ 実は、この名前については、原文にキチンと説明がある。

――――――――――――――――――――――――――――――
Und mit Hilfe einiger polnischer Erinnerungen stellte er fest, daß »Tadzio« gemeint sein müsse, die Abkürzung von »Tadeusz« und im Anrufe »Tadziu« lautend.

彼 (アッシェンバッハ) は、幾ばくかのポーランド語の記憶をたどり、「タッジオ」 は 「タデウシュ」 の略で、呼びかけでは 「タッジュー」 と発音されるものにちがいない、と断じた。
――――――――――――――――――――――――――――――

湯のみ トーマス・マンは、ポーランド語に関するひととおりの知識を持っていたもの、と思われる。この短い一文は、ポーランド語の事実に即していて、まったく誤認がない。

湯のみ ただ、小説であるから、「文法的な説明」 のようには書いていない。そのため、

   ポーランド語の知識がない翻訳者には、とまどう箇所

と言える。

   …………………………

湯のみ 言語というのは、驚くほど 「落とし穴」 が多い学問である。他の科学のように、たとえば、数学のように、基本を覚えておけば、すべてに応用が利く、というシロモノではない。

湯のみ 言語学の恐ろしいところは、

   「言語の新しい事実を前にしたら、どんな大学者も、一介の学生も、ただの初心者」

なのだ。英語の発音・文法・歴史、あらゆる面について碩学であろうと、アラビア語を前にしたら、「アラビア語を話す幼児に劣る」 のだ。

湯のみ トーマス・マンが、

   im Anrufe »Tadziu« lautend
   「呼びかけでは、“タッジュー” のように響く」

と書いていることを、文法的に説明すると、

   ポーランド語には 「呼格」 という格があって、
   呼びかけの際には、この変化形を用いるので、
   主格とは異なる語形になる


ということだ。

湯のみ 実は、同じスラヴ語で、きわめて響きが似ているロシア語では、「呼格」 が消失している。だから、

   英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語を学んだことがある

という博学の人であっても、

   「まさか、呼格などという変化形があるとは思いもよらない」

ということになる。

湯のみ 具体的にいうと、ポーランド語では、

   Anna 「アンナ」 という女性を呼ぶとき、 Anno! 「アンノー!」 と言う

のである。女性の場合は、 -o があらわれる。

湯のみ いっぽう、男性の場合は、 -u があらわれる。つまり、

   Andrzej 「アンジェイ」 という男性を呼ぶときは、
        Andrzeju! 「アンジェユー!」 と言う

という寸法だ。

湯のみ こうした格変化は、愛称・略称でも起こる。

   Tadeusz [taˈdeuʂ] [ タˈデウし ] “タデウシュ”
    ↓
   Tadzio [ˈtadʑo] [ ˈタヂョ ] “タジョ” 略称・愛称
    ↓
   Tadziu [ˈtadʑu] [ ˈタヂュ ] “タジュ” その呼格形

湯のみ ポーランド語の男子名 Tadeusz 「タデウシュ」 というのは、

   Thaddeus 「サディアス」 英語  ※略は Tad
   Taddeo 「タッデオ」 イタリア語
   Tadeo 「タデオ」 スペイン語

などにあたる。

湯のみ この名前には、主に、3つの愛称がある。

   Tadek [ ˈタデク ] “タデク”
   Tadzio [ ˈタヂョ ] “タジョ”
   Tadzik [ ˈタヂク ] “タジク”

湯のみ 綴りからみると、 Tadeusz の d に対して dz という複雑な子音があらわれているように見えるが、これは、 dzi で1子音であり、 d の硬口蓋化音をあらわす。難しい言い方をしたが、これは、日本人にとって、きわめて単純なハナシであり、

   「デ」 の [d] に対して、「ヂ」 に [dʑ] があらわれている

のにすぎない。つまり、日本語とまったく同じ口蓋化を起こしているのである。

湯のみ 発音記号で

   [ dʑ ]

などと書くと複雑なようだが、これは、まったく、日本人が 「ジメン」 などと言うときの 「ジ」 の子音である。少しも違わない。

   …………………………

湯のみ で、ここで、ささいなことではあるが、

   トーマス・マンの日本語訳 『ベニスに死す』 の問題

が指摘できる。つまり、独文学者は、みな、そろって、

   Tadzio “タッジオ”
   Tadziu “タッジュー”

としているのだが、これは、誤りである。ポーランド人が dzi という子音を発音するとき、そこには、まったく 「重子音性」 はない。つまり、“つまる音” はあらわれないのだ。綴りがモノモノシイので、ウッカリと 「タッジオ」 と書きたくなるが、これは、よろしくない。

   Tadzio “タジョ”
   Tadziu “タジュ”

である。ただ、呼格形の名詞は、呼びかけに使われた場合、やはり、最後の母音が伸びるので、ダイアローグでは 「タジュー!」 でいいだろう。ただ、ポーランド語のアクセントは、つねに、後ろから2番目の音節にあるので、母音が伸びるだけで、アクセントは、いずれも 「タ」 にある。

湯のみ ポーランド語は、ロシア語と違って、アクセントが固定になってしまい、また、

   ロシア語ほど、強烈な強さアクセントを置いて発音しないし、
   また、アクセントのある音節を、ロシア語のように伸ばさない

という傾向がある。だから、「タ」 にアクセントがあるとは言え、

   Tadzio “タージョ”

とはならない。
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