エストニアのことっていうのは調べづらいですよ。ロシア語からも切り離されてしまったし。
Kaido Höövelson 「カイド・ヘーヴェルソン」
ね。この姓は、どう見ても、エストニア語じゃない。
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Kaido という名前は、エストニア人にも起源がよくわからないらしい。この名前の日は、11月3日。大陸ヨーロッパには 「名前の日」 というのがあって、誕生日なみに祝う国もあるので、おろそかにはできません。
フランスは、名前が自由化されて、だいぶ 「いいかげん」 にはなったんですが、それでも、毎日のTVで、天気予報とともに、
「明日の聖人」
の予告があります。
かつては、誕生日と聖人の記念日というのは一致することが多かったんですが、最近は、そうでもない。
把瑠都の場合は、ビミョウです。つまり、誕生日は 11月5日とされているのに、11月3日の名前がついている。何か理由があるのかもしれません。
11月3日の名前には、おそらく、同源と見える6つの名前が並んでいます。
Kaido, Kaidu, Kaimar, Kaimo, Kairo, Kaivo
現在、滅び行く言語となっている隣人のリヴォニア語からの借用かもしれない、とも言います。兄弟民族のフィンランド語には、これに類する名前がまったく見られません。
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エストニアは、最後のソ連に至るまで、代々、周辺の勢力に支配されてきました。最初に支配したのは、バルト海沿岸に入植を始めたドイツ騎士団とデンマーク王国でした。そのため、エストニア国民には、ドイツ語風、スカンジナヴィア風、ロシア語風など、さまざまな姓を持つ人たちがいるわけです。
Höövelson 「ヘーヴェルソン」 は、ずばり言って、デンマーク人もしくはノルウェー人です。ただし、現代のデンマーク、ノルウェーには、この姓がほとんど見られません。
デンマーク王国の外交文書に、現在のドイツのシュトラールズント Stralsund の人物として、
Symon Høuelson 「シモン・ヘーヴェルソン」
という名前が記されています。1368年の日付。外交文書なので、ラテン語で書かれています。デンマーク語に直せば
Simon Høvelson
でしょう。 ø という文字を用いるのは、デンマーク語とノルウェー語だけです。
この人物は、シュトラールズンドに住んでいましたが、ここは、当時、デンマーク王国領でした。デンマーク王国というのは羽振りがよかったんですよ。ずっとのちに、スウェーデンが横取りしますが、はるか下って17世紀です。
このシュトラールズンドは、ハンザ同盟に加盟しており、また、タリンもハンザ同盟に加盟していました。ハンザ同盟というのは、低地ドイツ語を公用語とした、一種の国家のような様相を呈していました。
こうしたなかで、シュトラールズントの 「ヘーヴェルソン」 なる人物がタリンへと移住する可能性はじゅうぶんにあります。
なぜ、このように考えるかというと、それは、先ほども申し上げたように、
現代のデンマーク、ノルウェーを始め、スウェーデン、ドイツにも
Høvel(s)son, Hövel(s)son, Høvel(s)sen, Hövel(s)sen という姓が見えない
からです。もともと、珍しい姓だった、ということになります。
そのいっぽうで、Google Eesti (Google エストニア) で検索すると、
Höövelson −"kaido" …… 7,090件
であり、この姓の一族が、エストニアでのみ繁栄したことがわかります。
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ところで、 høvel とはナンゾヤ、ということですが、これがチョッとオモシロイ。
høvel …… 鉋 (かんな) デンマーク語、ノルウェー語
なんですね。ドイツ語では、 Hobel 「ホーベル」 なので、関係がないのがわかります。ドイツには Hobel 「カンナ」 という稀姓はありますが、これから派生した姓はないようです。
Hobelssohn 「ホーベルスゾーン」 はないのか、なんて言っちゃいけません。ドイツ人は 〜sohn なんて姓をつくりません。スカンジナヴィアの姓か、アイスランドの父称になります。メンデルスゾーンというのは、イディッシュの姓です。ドイツ語ではありません。
で、 Høvelson ってナンだろうって考えてみてくださいよ。「カンナ」 の息子。
やはり、これは “大工” のことじゃないか
って思うんすよね。
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