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2010年03月22日20:25

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斎藤貴男『機会不平等』;第五章 不平等を正当化する人々

233ページ
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第五章 不平等を正当化する人々

「全てを市場に委ねよ」声高にこう主張しながら、90年代の日本の政策転換を図った一群の「改革」経済学者たち。彼らの思想はどのように形成されてきたのだろうか。「規制緩和」政策の理論的支柱となった中谷巌氏には塩路天皇支配下「日産」での強烈な体験があった。
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242〜243ページ;金持ちを優遇しろ
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雇用を生み出してくれる金持ちを大事にしよう。貧乏人は身の程を知れ。富裕層に迷惑をかけるな――。

ここ数年の審議会答申や財界提言の数々が、手を変え品を変えて日本人に刷り込んできた思考パターンだ。「日経ビジネス」の2000年7月10日号は、ズバリ「金持ちはニッポンを救えるか」の特集を組んでいる。

経済戦略会議の有力委員だった竹中教授は、ここでも“容認派”の右代表として、次のようなコメントを寄せていた。

〈「経済格差を認めるか認めないか、現実の問題としてはもう我々に選択肢はないのだと思っています。みんなで平等に貧しくなるか、頑張れる人に引っ張ってもらって少しでも底上げを狙うか、道は後者しかないのです。

米国では、一部の成功者が全体を引っ張ることによって、全体がかさ上げされて、人々は満足しているわけです。実質賃金はあまり伸びないけれども、それなりに満足しているのです」〉
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はあ…、「底上げ」されているのか?証拠を見せてくれよ。

続けて引用する。

243ページ;金持ちを優遇しろ
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竹中教授は、それでも学者だから、この程度の表現にとどめた。彼らに励まされるようにして、財界内部では、よりストレートな主張が罷り通るようになっている。

「貧富の差を広げたらどうでしょうか」

経団連が97年2月に開いた「企業人政治フォーラム」で、前田又兵衛・前田建設工業会長が講師の鷲尾悦也・連合事務局長(当時、現・会長)に向かってこう質したという。同年8月の財界セミナーでも、福岡道生・日経連専務理事が同様の発言をしている(「週刊文春」97年10月23日号)。

趣旨は竹中教授と大差がないようだが、ここまでくると、経済がどうこうという前に、自らは他社の上位にある階級なのだという支配者意識、差別意識が剥き出しになってくる。
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「支配者意識」「差別意識」ね。恐ろしいなぁ。他者への優しさを忘れないでもらいたいものだ。


以降、中条潮教授、竹中平蔵教授、中谷巌教授の人物ルポが記述されている。それぞれの副題を引用しておく。

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中条潮教授――学者一家のお坊ちゃま

理想郷としてのアメリカ――竹中平蔵教授

「馬でもわかる」経済書――中谷巌教授
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中谷氏の書いた『入門マクロ経済学』は、「馬でもわかる」と銘打たれたそうだ。

261〜262ページ;「馬でもわかる」経済書――中谷巌教授
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中谷教授は、その後もベストセラー作家であり続けている。(中略)2000年には『eエコノミーの衝撃』が、いずれも爆発的に売れた。

(中略)

『eエコノミーの衝撃』については、痛烈な批判がある。野村総合研究所に在籍する評論家・山形浩生氏が書いていた。

〈ゴミクズ以下の本で、バカにするため以外の目的でこの本を読むのは積極的に恥ずかしいことだ。本屋で手に取るのも、バカがうつるので手袋をしたほうがいい。今回ぼくが言いたいことはこれだけだ。〉(「サイゾー」2000年7月号)
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「バカがうつるので手袋をしたほうがいい」とは痛烈だな。

ところで、山形浩生氏は野村総合研究所に在籍しているのか。


268〜269ページ;日産で見た悪夢
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わが国経済学会の重鎮である正村公宏・専修大学教授は、「平岩レポート」当時の中谷氏がテレビ出演し、規制緩和と価値破壊が行われれば何もかもがうまくいくとの趣旨の発言をしていた場面を、鮮明に記憶している。

「おいおい、ちょっと待ってくれよ、と思わず口にしていました。そんなことしてる間に中小企業は倒産するし、世の中がおかしくなっちまう。彼のような真面目な学者が、本気でそんなふうに考えるなんて信じられない。あれはきっと、思惑通りに事が運ばない現実への焦りが言わせた言葉だったのだろうと思いましたね」

正村教授は、もともとマルクス経済学の研究者だった。しかし日本経済の高度成長はマル経だけでは分析できないと考え、近代経済学を学び直した過去を持つ。歴史や哲学に深く学ぼうとする彼の研究姿勢からは、“改革”の不完全さを正当化するために使われているような近年の経済学が歯がゆくてならないのだという。

「マクロ経済学は本来、どのような社会の仕組みが合理的で公平か、資源を無駄なく使って人々の生活の安定を図るにはどうしたらよいかを考えるための学問です。政治学や社会学、文化人類学など他の学問領域と切り離すことなどできるはずもなく、人間のライフスタイルのイメージが前提にならなければならないのに、現状は、まるでミクロ経済の主体である企業の利益のための学問になってしまっています。

マルクスの理論のほうが正しいとは思わない。でも、マル経が地に落ちてからというもの、経済学者が社会全体を考える習慣を失ってしまったのは残念なことです」
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正村教授のような人もいると知ると安心する。だが、劣勢なのだろうか。


270ページ;弱者への視点の決定的欠如
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あらゆる人々の生活に影響をおよぼす以上、その実行に当たっては十二分な配慮がなされなければならない。“短期的な痛み”が不可避ならば、それが社会的弱者に押しつけられるような事態だけは避ける必要がある。たとえば政治経済の歪みの元凶になってしまっている公共事業のあり方にメスを入れるのが先決で、絶対的な肉体的弱者である子供や病人への優しいまなざしは最後まで尊重されるべきだと私は考えるが、現実はまるで逆である。
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どうしてこうなった…。


271ページ;弱者への視点の決定的欠如
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ケンブリッジ学派の創始者として知られるアルフレッド・マーシャル(1842〜1924)が、経済学者に必要な条件は、“Cool Head, but Warm Heart.”であると語ったことがある。現代日本の“改革派”たちは、温かい心はもちろん、冷静な頭脳も失ってしまっているではないか。
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全くそうだな。


272〜273ページ;「都会に住むお坊ちゃまの理屈」に翻弄される日本人
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経済思想のバックグラウンドが問われない中で、より過激な新自由主義経済学者が登場し、とんでもない独善と無責任をまき散らし始めている。東京大学経済学部の三輪芳郎教授(52歳)は、97年に出版した『規制緩和は悪夢ですか』で、規制緩和に対して生存権を主張する者を罵倒してのけた。合意形成など必要なし、先々の心配などしていたら“改革”などできやしない、とする趣旨に続けて、

〈「明確な将来ビジョンを示せ」という台詞も危険です。市場を信頼して、ヴァイタリティとアイデアに富んだ人達・企業に活躍の場を与える邪魔をしないように注意しなければなりません。邪魔をすることのツケは消費者が支払わされます。この台詞を声高に叫ぶ人達は、一体、誰に何を求めているのでしょう? そんなことまで決めて欲しいのでしょうか? 「うるさい。放っておいてよ!」という台詞に頷き、「ごちゃごちゃ言わないで、放っておこう」と言いましょう。〉(155ページ)
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恐ろしい学者だな。気が狂っているんじゃないのか?こういう馬鹿な奴等が戦争とかを引き起こすんじゃないのだろうか?


274〜275ページ;「都会に住むお坊ちゃまの理屈」に翻弄される日本人
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規制緩和は独占や寡占を招く。(中略)新規参入の圧力さえあれば、安易な値上げ等はできないのだから、寡占はかえって消費者の利益だというのである。

だが、一度寡占状態を手に入れた企業は、その状態を維持するための戦略的な行動をとるものだという子供にもわかる常識を、この“理論”は完全に無視している。大企業に奉仕する“経済学”の典型として、近年は本場アメリカでも、さすがに問題視され始めた(例えばP・S・デンプシー&A・R・ゲーツ著、吉田邦郎ほか訳『規制緩和の神話』、長谷川通『エアライン・エコノミクス』など)。

「彼らの経済学は、経済効率でしか物事を考えようとしていない。普通の人間がどれほど酷い目に遭おうが結構、という前提条件を最初にはっきりさせた上で主張してもらわないと。少なくとも現在の規制緩和論は、都会に住む苦労知らずのお坊ちゃまの理屈でしかありません」

これが持論の石黒一憲・東大法学部教授(国際私法)が、三輪教授に質した。通産省に設置されている「日米紛争研究会」の席上だった。

「これじゃあ学問として酷すぎる。問題点をきちんと整理すべきではないですか」

「興味ありませんね」

三輪教授はニベもなく応えたという。

(省略)

批判には耳を貸さず、自らの学問の形成史さえ明らかにしない。そんな人々が、大学教授の権威を背景に、他人の生活を土足で踏みにじろうとしている。
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はあ…。溜め息が出るな。


280〜281ページ;「理論大臣」竹中平蔵は誰の味方か
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竹中が経済学に目覚めたのは、この桐蔭高校で倫理・社会を担当していた社会科教師の影響だったと、彼自身がインタビューなどでしばしば語っている。当の北内齊(桐蔭高校校長を経て現在は県同和委員会委員)に聞いた。

「経済という言葉は“経国済民”から来ているんだ、なんて話をしました。竹中君は今、まさにその仕事に携わっているんですね。教師冥利に尽きる。嬉しいことです。

竹中君は大臣就任の記者会見で、モットーは英国の経済学者マーシャルの“Cool Head, but Warm Heart.”だと言ったそうですが、これは私が教えたかもしれない。マーシャルはロンドンの貧民街に学生たちを連れていき、『この人たちを救うことが経済学の目標だ』と説いた人。私の専門は哲学ですが、この言葉は好きなもので。切れ過ぎる包丁と一緒で、切れる頭だけでは危ないのですね」
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“Cool Head, but Warm Heart.”を忘れないでもらいたいんだけど、…。


290〜291ページ;「理論大臣」竹中平蔵は誰の味方か
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竹中が日本マクドナルド株の譲渡を受けたことは、なるほど違法ではない。だが彼が進めようとしている構造改革は、いわゆるグローバリゼーション、すなわち社会のアメリカ化を図るものである。マクドナルドはそのアメリカの、かつてのコカ・コーラに代わる象徴的な企業なのだ。とすれば構造改革を進める竹中の行動は、短期的な株価の浮き沈みのレベルを超え、結果的にマクドナルドの株価が上昇するしかない社会構造を作り出す、いわば“究極のインサイダー取引”になってしまわないか。

なお本家のアメリカでは、この世界最大のファストフード・チェーンの行動原理が社会の隅々にまで浸透していく恐怖(McDonaldization)も強く指摘されている。代表的な論客であるメリーランド大学の社会学者、ジョージ・リッツアによれば、マクドナルドは消費者と従業員および店長に効率性、計算可能性、予測可能性、そして制御を提供できるために成功した。このうち「制御」について、リッツアはこう述べている。

〈従業員を管理することで、人間によらない技術体系は、最終的な生産物だけでなく、労働過程に対する管理を強化することができる。従業員がロボットのような人間によらない技術体系に取って代わられるとき、制御は最終段階に到達する。また、人間によらない技術体系は客が引き起こす不確実性を制御するためにも用いられる。その目的は、客をマクドナルド化された過程への従順な参加者に仕立てあげることなのである。〉(正岡寛司監訳『マクドナルド化する社会』193〜194ページ)
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マクドナルド化の恐怖を感じるな。生きることや働くことは効率が良ければ良いってもんではない筈だ。無駄なことに生きている喜びを感じることもあるのだ。


291〜292ページ;「理論大臣」竹中平蔵は誰の味方か
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自民党政治が歓迎した竹中経済学の“わかりやすさ”には、同時に複雑な人間社会の単純化にも通じる欠陥がつきまとう。和歌山桐蔭高校時代の恩師・北内齊は、2001年4月、NHK総合テレビの『課外授業ようこそ先輩』に出演している竹中を見た直後、彼に短い手紙と前一橋大学学長・阿部謹也(西洋社会史)が2000年秋に和歌山県同和運動推進大会で行った記念講演録を郵送した。

「経済を論じる竹中君は“自己責任”といった言葉を強調している。けれどそれは、たとえばお金をある銀行に預けたら安全だとか、この証券会社だと有利に運用してくれるといった程度の問題ではないのだろうか、と。ところが阿部先生は、似た問題を扱いながらも、中世ヨーロッパの社会にまで遡って思索し基本的人権の命題に行き当たって、“尊厳なる個人”ということを語っています。だいぶ違うのですよね。

とにかく当面の経済を立て直さなければ、という現在の段階では、それどころではないのはわかります。だから返事もいらない。でも、いつか少しでも時間ができたら、そこまで考えてみてほしい。そんなことを、私は竹中君への手紙に書いておきました」

竹中はどんな思いで恩師の手紙を読んだのだろう。“Cool Head, but Warm Heart.”彼が初心を取り戻す日が来ることを願ってやまない。
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ほんと、どんな思いで恩師の手紙を読んだのだろうか?
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コメント

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