mixiユーザー(id:809122)

2009年08月31日09:46

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権利と責任

「責任の伴わない権利はない」
とよく言われるが、実は選挙権には責任がないと憲法に明記されている。

憲法15条:選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。


投票して当選した人間がとんでもない政策をしようと、犯罪者になろうと、その人に投票した選挙人は何の責任も問われない。
任命権はあっても任命責任はないのだ。


しかし、実際には国民全体に希釈されて一人一人に責任が負わされているともいえる。
その人に投票したのでなくても、均しく責任はかぶせられてしまうのだが。


よく、投票しないで政治に文句をつける権利はないというような紋切り型の言説を聞くが、そこには義務を果たさないで権利を主張するなという基本理念があるのだろう。
しかし、そもそも憲法がその相関関係を断ち切っているわけで、結局国民には結果がどうあろうと何も言う権利はなく、同時に何でも言う権利があるし、その結果に責任なんてないと言い張ることもできるし、そんなことを言ったところで強制的に責任を負わされるのが現実なのだ。


今回の総選挙の投票率は思いのほか伸びず、70%を切ったようだが、それでも時代の風は思いっきり民主党に吹いて、小泉選挙以上の偏った結果をもたらした。
小泉選挙で誰も責任をとらなかったように、今度も選挙人はこの結果に誰一人責任を負うことはないだろう。
と同時に、自民党に投票した人間も投票しなかった人間も、民主党に投票した人間と同じように責任を負わされる。

あるいは70%を切ったということが、かろうじて日本の民度を表したと言えるのかもしれない。
これが90%以上だったりしたらそれこそ北朝鮮やフセイン政権下のイラクみたいではないか。
実際、付和雷同でマスコミに影響されやすい日本人のこと、投票率が高ければ高いほど一方的な結果になるのは目に見えている。


民主主義はアウトサイダーが補完すると言えるかもしれない。
Aと言われたらBを選ぶもの。AかBを選べと言われたらCを採るもの。あるいは選ばないもの。
そういう天の邪鬼がありうべき可能性を広げていき、民主主義が合理性に結びついて陥ってしまうファシズムの危険を回避させる。
いや、回避させるほどの力はないのだが、ガス検知のカナリアくらいの役にたつ。
そのカナリアが死んだら、アウトサイダーが排斥されたら、民主主義は危ない領域にあるとわかるのだ。

そのカナリアの存在を示すバロメーターが30%の非投票率と言えるかもしれない。
これが減れば減るほどに、投票しないちゃらんぽらんな奴が居心地悪くなる空気が漂うほどに、日本の民主主義は危機にあると言えるのだろう。
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