たまに「自分は主権者としてどのように判断しているのだろう?」と考えながら、自分の意見をまとめてます。
さて、「東アジア共同体」構想そのものは理解できなくもありません。将来の労働力不足や財政破綻への対策としてはそれなりに有効であることや、東アジアの巨大な市場が魅力的であることなども理解しています。そして同時に、大量の移民によって国内の民族対立が激化すること、食糧や工業製品の安全が保障されないこと、中国元の無計画な印刷を日本円で保証しなければならないことなども理解しています。もしかしたら100年後の未来から見れば「大東亜共栄圏」も「東アジア共同体」も似たようなものかも知れません(ただし、前者は日本主導で後者は中国主導になってるでしょうけど)。
このように得られるメリットよりも被るデメリットの方がずっと多大であると理解しているので、この「東アジア共同体」構想には反対しています。現在の東アジアの情勢は、かつての「大東亜共栄圏」構想の時代とはずいぶん違っているのです。辛い選択になりますが、私たちは他の方法を選ぶべきです。
ヒトやカネやモノなど経済的な共同体は、まずは情報や文化などの相互理解の上で構築すべきものです(一方的な博愛のもとに自由や平等を求めることは、博愛なく求めることよりもずっとずっとマイナスになりえます)。そして残念ながら、その相互理解の形成を私たちの世代でなすのはほぼ不可能だと思ってます。< それでも将来の世代のために、少しずつ情報や文化のやりとりを図っていくべきですけどね。
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