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2009年07月21日20:39

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遺構としてのマンガ

歴史に残るマンガとはいかなるものかを考えるには、すでにマンガという文化が終焉している地平から眺めなければならないだろう。
廃墟・遺構としてマンガを眺めることによって、初めて歴史的なマンガが何かを計れる。
その意味で、この自分の好きなマンガを羅列しただけの同時代性に根ざしたランキングには何の意味もないことは明らかだ。
マンガ文化が続く限り、その時々にまったく違った「後世に残すべきマンガ」があげられるだろうからだ。

後世に伝えたい漫画、1位は『SLAM DUNK』
http://life-cdn.oricon.co.jp/news/67730.html#rk


しかし、どうやらマンガ文化は衰退期にあって、終焉の姿もそれなりに想像できるようになった。そろそろ歴史化されたマンガを語れるようになったと言えるかもしれない。
「後世に残したい」だとか、国が金を出してマンガの施設を作ろうなんて言い出すのは、いわば死亡宣告のようなものと言える。


マンガはこの後、動きを持ったアニメやインタラクティブなゲームに吸収されて消えていくのだろう。印刷物からウェブ上での発表形態になったとき、現在のような表現形式を維持し続けるとは思えない。
あるいは図説として細々と残る部分もあるだろうが、何といっても技術進歩によって動的に生成される表現手段に席巻されて、いわゆるスタティックな表現手法としてのマンガは時代遅れとなるのは想像に難くない。

能や歌舞伎のような感じで伝統芸能として残る可能性はないとも言えないが、そのためにはむしろドラスティックな文化の変換が起きることが必要だろう。
西欧文化が明治の日本を飲み込んで、それまでの文化が相対化されてしまい「伝統」に押し込まれてしまったようなドラスティックな文化の交替が。

漸次的に変容していく限り、陳腐化によって乗り越えられていくそれは、別格としてとらえられるべき伝統芸能とは認知されづらい。

その意味では浮世絵のようなニュアンスとも違う道をたどるのではないだろうか。
浮世絵は漸次的な変容をせず、写真と西洋絵画によってほぼ抹殺された。新版画運動などに受け継がれた部分はあるが、それすらすぐに立ち消えた。
マンガによってそのエッセンスは再評価されたのだが、それは再発見であって漸次的変容ではなかった。
今日受け入れらている浮世絵は西欧化された視点によって再評価されたものであり、その意味で断絶がある。その断絶は他者の視点による評価という点で歌舞伎などの伝統芸能とは違う決定的な断絶だ。
今日われわれが評価する浮世絵は、江戸庶民が愉しんだそれとは全く違う芸術としてのそれだ。かつてのそれは、奇しくも全く経路の違うところから生まれたマンガが同相を演じることになる下世話で猥雑なものだったのだ。


現代の情報化社会にあって、マンガは浮世絵のような断絶的な終わり方をすることはないだろう。
徐々に静かに表舞台から降りていくに違いない。退場したことすら顧みられないような仕草で。

その様相は、正確とはいえないが、例えば都都逸や浪曲文化みたいな感じで消えていくのではないだろうかと想像する。


さて、そうして終焉を迎えるだろうマンガを振り返るに、何が歴史的な意味を持つ作品となるだろうか。
それを考えるとき重要な視点は、その後釜となるアニメやゲームとの関係性であり、それとの近似性を高く評価するか低く評価するかだと思う。
たとえば『サザエさん』を考えるとき、それはマンガとして優れていたのか、アニメとして評価されていたのか、あるいはアニメへの橋渡しとして評価されるべきなのかといった視点だ。
マンガ独自の作品性を考えるなら、数多ある新聞コママンガの中で『サザエさん』は歴史的な価値を持つとも思えない。しかしアニメとなって国民全体に偶像化されるに至った経緯を見れば、これを評価することにやぶさかではない。そうしたメディアミックスの広がりを作品の可能性として内包していたとみるべきだからだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B6%E3%82%A8%E3%81%95%E3%82%93

その評価法に従うなら『鉄腕アトム』『ルパン三世』『ドラえもん』も同列に扱われなければならないだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E8%85%95%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%A0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3%E4%B8%89%E4%B8%96
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93
しかし『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』『新世紀エヴァンゲリオン』『ポケットモンスター』のようなアニメ先行作品は加えるべきではないのは当然だ。

とは言え、松本零士作品の一つくらいはラインナップしたい気はする。『銀河鉄道999』が適当だろうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E6%B2%B3%E9%89%84%E9%81%93999
実写ではあるが映像化されて大ヒットした石森章太郎の『仮面ライダー』も変身ものの嚆矢として外せない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%AE%E9%9D%A2%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC
その後の展開を考えれば騎乗式巨大ロボの先駆である『マジンガーZ』も同様だ。(『鉄人28号』や『ジャイアントロボ』を先行作と見ることもできるが・・・)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BCZ
舞台化もされて偶像化されたという点で『ベルサイユのばら』も同列にできるだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%A6%E3%81%AE%E3%81%B0%E3%82%89
マンガ黎明期から現在に至るまで、時代に合わせて換骨奪胎されてきた稀有な作品として『ゲゲゲの鬼太郎』も当然入る。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%81%AE%E9%AC%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E
戦前から戦中にかけて国民全体に偶像化されたという点では『のらくろ』も忘れるわけにはいかないだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AE%E3%82%89%E3%81%8F%E3%82%8D

もうこれだけで10作品。

近作でも『ドラゴンボール』は十分それらに比肩しうる作品なのだが、未だ相対化された歴史的評価は難しい位置にある。
残念ながらマンガ文化の衰退期に生まれた後発の作品が、今後かつての名作ほどに後進に影響を与えることは予想しづらいし、何よりアニメ先行作品のように、後釜となるべきゲームの方から多くの影響を受けている点で、その分を差し引いて評価すべきだろう。
その意味で、同様に今後どれだけヒットしようと『NARUTO』や『ONE PIECE』もランクインされることはないだろう。



次にマンガ表現としての独立した評価法で選ぶ場合だが、欧米の物まねで始まった戯画、ポンチ絵の初期作品に、後世に残すべき業績は発見できない。
漫画が日本独自の発展を遂げ高度な文化として誇れるようになったのは、手塚治虫に負うところが大きいというのは衆目の一致するところだろうから、歴史的作品を見るとき手塚以降がキータームとなるだろう。

日本のマンガの歴史についてはウィキペディアに詳しいが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%BC%AB%E7%94%BB%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
ここでは現象として表面上に現れたメジャーなものばかりが述べられており、例えば貸本時代の言及やガロや成人コミックなどのアングラ系が抜け落ちている。
売れたマンガが必ずしもマンガの歴史上エポックメイキングな意味をもったものと言えるわけではない。


マンガ表現を切り拓いた価値を見るとき、作品よりまず作家で見た方が絞りやすいかも知れない。
手塚治虫に始まり石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄といったときわ荘の大御所。水木しげる、白土三平、つげ義春といった貸本・ガロ系作家。美内すずえ、萩尾望都、竹宮惠子、山岸凉子、吉田秋生といった少女漫画家。そして上村一夫、石井隆、大友克洋、吾妻ひでおといった成人ジャンルからマンガ表現の幅を広げた作家も忘れてはならない。また、原作者としてマンガ界に多大な影響を与えた梶原一騎、小池一夫などの功績も無視することはできない。
この他にも、さいとうたかお、横山光輝、永井豪、楳図かずお、ちばてつや、ジョージ秋山、諸星大二郎、星野之宣など重要な作家は多くいる。

しかしそれらの名前だけで軽く10人を超える。作品ごとに見ていけばさらに増えるだろう。たとえば手塚治虫なら表現的実験を繰り返した『火の鳥』と、読み切り連載の昇華とも言える『ブラックジャック』は共に挙げたいし、白土三平なら壮大な時代絵巻としての『カムイ伝』と、アイデアの限りを尽くしたと言える『カムイ外伝』『サスケ』などは別に評価したい。



あえて10作に絞るなら、いくらか独断による決め付けが必要にならざるをえない。
自分が100年後に生きていて、全くマンガに接したことがない学生相手に、とりあえず知る上でこれだけは読んでおけとレコメンドするとしたら、相互補完を考えて以下の作品を順不同として挙げるんではないだろうか。


『ブラックジャック』一話完結によるマンガの本来的な面白さを極めた手塚作品の円熟
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF
『サイボーグ009』ヒーローものの初期にして完璧な造形
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%B0009
『天才バカボン』ギャグマンガの頂点であり実験性の高さから
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%83%90%E3%82%AB%E3%83%9C%E3%83%B3
『カムイ外伝』マンガ表現のアイデアのカタログ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%82%A4%E5%A4%96%E4%BC%9D
『ねじ式』マンガの芸術への昇華
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AD%E3%81%98%E5%BC%8F
『ゴルゴ13』プロジェクト制による完成度と大人向け社会マンガの開拓者として
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%82%B413
『巨人の星』スポ根マンガの典型であり至高
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A8%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%98%9F
『風と木の詩』文学性と女性嗜好の表現の端緒であり一つの極点
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E3%81%A8%E6%9C%A8%E3%81%AE%E8%A9%A9
『AKIRA』アクション劇画表現と描画の完成形
http://ja.wikipedia.org/wiki/AKIRA
『ドラえもん』夢と希望を与えるこどもマンガの代表
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93
(次点:『三国志』翻訳マンガの金字塔)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97_(%E6%A8%AA%E5%B1%B1%E5%85%89%E8%BC%9D)


それでもあえて、客観的に控え目に評価の既に定まったものを取り上げた。
『巨人の星』を『あしたのジョー』にしたり『風と木の詩』を『ポーの一族』や『日出処の天子』に置き換えることも可能だろう。
しかしとりあえずこれだけで、おそらくあと2〜30年で消えゆくだろうマンガという廃墟の全体像を、ざっくりとは掴めるんではないだろうか。
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