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2009年06月05日15:38

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浮世絵的国際戦略

「“アニメの殿堂”必要」――里中満智子さんら、「原画やゲーム基板の保存場所を」と訴え
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=858579&media_id=32

検討会主査が、あの浜野保樹東京大学大学院教授というところで「なんだかなぁ」感があふれてくるわけだが(骨王さんの日記参照http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1181467591&owner_id=153833)、他のメンツを見てもなんだかパッとしない。
言ってることも子供騙しのレベルだ。


根本的な勘違いは、本来アーカイブされるべきものは、既に価値を与えられているものであって、保存することが先に来たら、権威主義によって逆に価値が疎外されてしまうという現実をわかっていないということだ。

日本のアニメやマンガを、かつての浮世絵のような大衆文化から生まれた「アート」と位置づけたいのだろうが、だとしたらなおのこと、まず他者の目によって見いだされなければならない。
浮世絵をアートにしたのは日本人じゃない。フランス人とフランスに憧れていたアメリカ人だ。(だいたい「アート」は欧米の発明品だ)

>海外の収集家に買われて流出していることも多い。このままでは100年後に漫画の資料が残らない。

という里中満智子の発言は全く的外れだ。

浮世絵の場合、海外に流れたからこそ残ったのだ。それに価値を見いだす者が茶箱の包装紙に刷られた浮世絵を集め、捨てられる運命にあった版木を蒐集した。
そうして集めたものを愛でる思いが、それらに「残すべきもの」としての価値を与えたのだ。しかもそれをした者が世界の文化の権威者だったからこそ、世界的に認められるものになった。


里中の言っていることは、単に制作者が自分のやったことを残しておきたいというレベルの話に過ぎない。個人の日記と同じで、当人が死んだらせいぜい身内にしか価値のないようなものだ。

そういう自己保存願望はどんな仕事人にもあるだろう。NHKの『プロジェクトX』はそんな思いを掘り起こしてヒットした。
しかし、すべての制作物を残しておかなければならないとしたら、世界は誰も訪れない墓場に埋め尽くされる事になる。


100年後に、聞いたこともない漫画家の原稿を見たいと思う奇特な人間がいると思う、その楽観はどこから来るのだろう。原稿や基盤に資料性があると思う根拠は何なのか。
例えば日本各地にある民俗資料館を訪れる者がどれだけいるというのか。しかも、それらは決まって自治体のお荷物になっているではないか。

後世の歴史家のために、莫大な金を使って整備された全ての事績のアーカイブを作るべきだと言うことか。歴史家は掘り起こすのが愉しみでやっているので、そんなお節介は嬉しくないと思うぞ。

むしろ、歴史家によって掘り起こされた(価値を与えられた)ものを集めて、その時アーカイブを作ればいいのだ。浮世絵のように。

>置き場がなく、どんどん捨てられて
それでもどうにか残ったものを集めるだけでも、充分膨大な資料になるだろう。
そういう「時の篩」を経る事で、文化はようやく「価値」が見えてくるものだ。


浮世絵は欧米人が見いだした価値だ。
だからこそボストン美術館やフーリア美術館などでアーカイブされるべきものなのだ。今も日本にそれらのような本格的な浮世絵美術館はないが、それは正しい。

他方、日本には中国本国にはない中国美術が豊富に所蔵されている。南宋画や墨跡の名品が日本に多く残ったのは、それが日本人によって見いだされたからだ。(というか中国人に見捨てられたのだが)
台湾や北京の故宮博物館には後世のコピーが大量に保管されているのみだ。(しかし、それはそれでいいのだ。中国人の文化はオリジナリティに過剰な価値を見いださないのだから)

発信する者、発掘する者。文化とはそうした相互関与の中で醸成されていくものだ。
今発信している最中の文化を、自らアーカイブすることにはほとんど意味はない。


金があるんだったらいっそ、日本に一大中国文化アーカイブを作ったらどうだろう。
欧米文化に席巻される以前、日本は中国文化を手本としてきた。その歴史を展望する施設が、今現在ないことの方が不思議なくらいだ。
共産党の一党独裁によって多角的な文化のとらえ方が出来ない本国に代わって、豊穣な中国文化を掘り起こすのに日本ほどの適任もないのではないだろうか。

第一、中国を学ぶことは未来志向でもあるだろう。
世界が中国に注目している。中国文化のアーカイブがあったら、世界中から見に来るんじゃないか。中国人自身も。

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「このままでは、漫画やアニメ、ゲームの資料を後世に残せない」――「国立メディア芸術総合センター(仮称)」設立に批判が集まっている件で、漫画家の里中満智子さんらが6月4日、都内で記者懇親会を開き、施設の必要性を訴えた。


 国立メディア芸術総合センターは、漫画やアニメ、ゲームなどを展示・収蔵する国の施設として2009年度補正予算に117億円の建設費が盛り込まれている、いわゆる“アニメの殿堂”だ。

 文化庁傘下の「メディア芸術の国際的な拠点の整備に関する検討会」が昨年7月から設立を検討してきたもので、検討会の報告書によると、都内に地上4〜5階の施設を建設。運営は民間に委託し、年間60万人の来場者を目標としている。

 同施設については、民主党の鳩山由紀夫代表などが国会で、「“国営マンガ喫茶”は不要。税金の無駄遣いだ」などと痛烈に批判。先行きが不透明になっていた。

 そんな中、施設が必要と考える有識者が「計画が流れてしまわないか不安」(里中さん)に思い、「国立メディア芸術総合センターを考える会」を発足。記者懇親会を開いて必要性を訴えかけた。

 懇親会には里中さんのほか、検討会主査の浜野保樹 東京大学大学院教授、アートユニット・明和電機の土佐信道さん、東京都現代美術館学芸員の森山朋絵さんが参加。「漫画の原画やアニメのセル画、ゲーム基板などを収集し、メディアアートを発信する拠点として、施設は不可欠」と訴えた。

 里中さんは、「漫画の原画は作者が個別に管理しているので、捨てられたり、なくなったり、海外の収集家に買われて流出していることも多い。このままでは100年後に漫画の資料が残らない。ハコモノ行政という批判もあるが、漫画の原画を保存するにはハコモノが必要」と話した。

 浜野教授も、ゲームの基板やアニメのセル画、アニメ制作に必要な機器などを保存・展示する拠点が必要と主張。「古い名作ゲームを基盤ごと保存しておくにはスペースが必要だが、置き場がなく、どんどん捨てられているのが現状」と訴えた。

 土佐さんは、自らが手掛けるメディアアート発信の拠点が日本にはないことが問題と指摘。森山さんは「日本のメディアアートは世界的に評価されているのに、総合的な施設がない」とし、発信拠点としての必要性を訴えかけた。

 予算があるなら、ハコモノではなく、苦しい生活の中で創作活動を行っている現役の漫画家やアニメーター支援に使うべきという意見もある。里中さんは「漫画家の生活は確かに厳しく、見返りは必要」としながらも、「労働と文化は問題が異なる」と反論。漫画家やアニメーターの生活は、社会保障で解決すべき問題とした。

 懇親会には「機動戦士ガンダム」の監督として知られる富野由悠季さんも参加予定だったが、多忙のため欠席した。

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