本を読んでいたころこれだ!というものを見つけたとき電流が走る思いだった。ひるがえって、自分で文章を書くことは山を登るようなものだと思った。いっぽいっぽ足元を確かめていく。近道を欲しがるエゴをおさえて今日もゆく。
ぼーっと過ごしているリキ入れれば書けるってもんでもない緩急が大切だ文章で名をなそうというか文章でご飯たべていきたいというのがあるまあ現状からみれば夢物語なのだけれどもただなんとなくただなんとなく自分には書けるかなと思ったからだ。
結論が簡単にでてくるわけがない今までは思考のショートカットをしていた自分で考えることをしてこなかっただから、あらためていま文章を書くことで答えを出す練習をしている。すごく気の長い作業だと思うしめんどくさい作業だだけれども、僕にとってそれは必
悩んでいるときとかその時間は無意味なのだろうか?意味があるのだろうか?ぼーっとする時間も必要だろうとは思う。書くことにつながるかを焦り過ぎてもいけないだろう。天の時を待つのみ。
書くことをするうえで必要なのが読むということだ。小説家になりたいなら小説を読む。量もあわせて重ねながら。押せ押せではいけないこともある。
なにをしようかなにもできないのに背伸びをする。なにもできないのに。なにかをしようとする。なにもできないのに。これが生きる証だと言えるものを探してるなにもできないままで。
書くことで自己実現がしたかったうまくはいかない書く内容がまずない。なにかをしなければいけないけれどなにもできずにいるそんなうろんなやつではいけないなにかをしなければならないしなければならない。
できることできないことその境目をみきわめること自分にできることできないことその境目でもがくことやってみなくちゃわからないが、やってみるまでもないことがほとんど。そういうことだ。
自分の能力を過大評価している。書けないことのほうがだんぜん多いしストーリー性も少ないでも書くことを諦めなければなんとかなると思っている。道は開けてくるだろうと。
衝動的に書きたくなる中身はぜんぜんないがおれを救ってほしい正直にゆうとなぜか苦しい生きているのがそれが本音だ。
本には他人の意見がかかれているそれに追従するのが正義だと思ってきた。しかし、ここ数年そうじゃない自分の意見を持つほうがよいとわかってきたでも、長い間答えを他人にもとめてきたから自分の答えを出すのが難しくなっている。それでミク日記で更新乱発し
この痛みは必要だったのだこの憧れは必要だったのだいまではもう古びてしまって新鮮さはないけれどもこの教えは大切なものだったこの学びは思い出深いものだった。
かいても無意味だと思っても書くかいてみないとわからない具体的な内容を書くのは難しい今まで結論ばかり読んできたからなにができるだろう僕になにができるだろう世界へなにができるだろう私に。
幸せになりたいと思う今が不幸せというわけでないが。ただマンネリのようなものを抱えている。幸せになるにはどうすればいいんだまず自分を見つめることまず自分の好みを把握することまず、まず、まず。
遠回りをしている。なにかかけるはずだったが、実際には箸にも棒にもかからないものしか書けない。難しい問題だ。どうすれば書けるようになるか。自分の好みを吐露するだけでいいのか難しい問題だ。