小林秀雄とベルクソン 小林秀雄をWikiでググると、最初にこのような文章に当たります ↓ 「近代日本の文芸評論の確立者であり、晩年は保守文化人の代表者であった。アルチュール・ランボー、シャルル・ボードレールなどフランス象徴派の詩人たち、ドストエ
「地おこし」の観念 「本主(ほんしゅ)」観念にもとづく質流れ地・売却地とりもどしを、さらに社会の基層において支持するいわば宗教的ともいえる観念に、「地おこし」があります。それは「地興」「地発」「地起」などと書き、室町時代の畿内、とくに大和地方
地方行政は奈良時代から、朝廷が派遣した役人である国司によって治められてきました。しかし院政期に入ると、国司の任命権を持つ「知行国司」が現れます。平家は一族の人間がこの知行国司になることで、多くの人間の生殺与奪の権を握ったのです。 そして平
1473年(文明5年3月18日)、守護大名、応仁の乱での西軍の総大将、山名宗全が70歳で病死。諱(いみな)は持豊で、宗全は出家後の法名。寛正6年(1465年)に男子を出産した足利義政正室の日野富子は、実子の足利義尚の将軍職を望み宗全に接近。文正元年(1466年
1452年、イタリアの芸術家、レオナルド・ダ・ヴィンチが生まれました。フルネームはレオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ。音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学な
69年、自らローマ皇帝に即位したオトが、四皇帝の年であるこの年に自死。802年(延暦21年)、蝦夷の頭領・阿弖流爲(あてるい)が征夷大将軍・坂上田村麻呂に降伏。9月に河内国杜山で斬刑。(新暦5月19日)905年(延喜5年)、醍醐天皇の命により紀貫之らが『続万葉集