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日記一覧

非十二子篇第六 今の時代に、邪説を弄し姦言を飾り立てて天下をかき乱し、人を欺く誇大な言や理解し難いこまごまとした邪な言を為し、天下を混乱させて事の是非や治乱の原因がどこにあるか分からないようにさせる者がいる。意の向くままに勝手気ままな行いを

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                  34弟子の子張が仕えて俸禄を求めるにはどうしたらよいかを尋ねた。孔子は言った、「多くの事を聞いて、その中から疑わしいものを取り除き、その残りの確かな事を慎重に述べるようにすれば、人から咎められることは少ない

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                 第三章武侯は尋ねた、「私は、敵の外見を観察して敵の内情を判断し、進軍してくる敵を観察してその先敵がどのような所で止まるかを推測して、勝敗を決したいと思っているのだが、それについて聞くことができるだろうか。」

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非相篇第五 人相を見るということは、古の聖人の為さない事であり、学問に携わる者は口にしない事であった。昔、趙襄子を相したと言われる姑布子卿という者がいたが、今の世は梁に唐舉と言う者が居り、人

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32孔子言う。聖人の道から外れた学問を学ぶことは、学問の目的である人物修養に害を及ぼすだけであり、戒めるべきことである。子曰、攻乎異端、斯害也已。子曰く、「異端を攻むるは、斯れ害あるのみ

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                  第二章呉子は言った、「およそ敵情をはかり考えるうえに於いて、卜筮に頼らずに敵と戦ってよい場合が八つある。第一は、疾風厳寒のときに早く起きて目覚めとともに移動して、冰を砕いて川を渡り、部下の困難をかえりみな

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                   榮辱篇第四傲慢は人にとって禍を招くものであるが、恭倹は五つの武器をも斥ける。戈矛には鋭いほこさきがあるが、恭倹の鋭さには及ばない。だから人に善言を与えることは、衣服で身を覆うより暖かく、人を傷つける言葉

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                   29子貢が君子とはどういう人かと尋ねた。孔子は答えた、「言わんとすることを先づ行うことだ。然る後に言うのが君子である。」子貢問君子。子曰、先行其言、而後從之。子貢、君子を問う。子曰く、「先づ其の言を行いて

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                   第一章魏の武侯は呉起に言った、「今、秦はわが国の西方を脅かしており、楚はわが国の南部と国境を接しており、趙は我が北方をつこうとしており、斉はわが東方をうかがっており、燕はわが後方を遮っており、韓はわが前

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                 第一章魏の武侯は呉起に言った、「今、秦はわが国の西方を脅かしており、楚はわが国の南部と国境を接しており、趙は我が北方をつこうとしており、斉はわが東方をうかがっており、燕はわが後方を遮っており、韓はわが前方に

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不苟篇第三君子は困難に立ち向かうことを尊ばず、弁舌が明察であることを尊ばず、名声が広く伝わることを尊ばない。ただ礼儀に適っていることを尊ぶのである。だから懐に石を抱いて黄河に身を投ずるのは、為し難い行いであり、殷末の申徒狄は紂王の暴虐に抗議

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                   26孔子言う、人の善悪を知るには、その人の行為をよく視て、その行為の動機を観察して、その動機に安んじて楽しんでいるか否かを考察すれば、人はどうして己の善悪を隠すことが出来ようか、隠すことが出来ようか。子曰

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                  第六章魏の武侯は尋ねた、「陣営を構えれば必ず安定し、守れば必ず固く、戦えば必ず勝つ方法を聞かせてもらいたい。」呉子は答えた、「ただお聞かせするだけではありません、それは今すぐにでもお見せすることができます

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                 修身篇第二善を見れば、修然(楊注:「修然」は、整飭の貌。身をととのえること)として必ず以て自ら存(かえりみる、王念孫は「存」を「省」、「察」の意に解す)み、不善を見れば、愀然(シュウ・ゼン、楊注:「愀然」は

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                   23弟子の子游が孝について尋ねた。孔子は答えた、「このごろの孝はよく両親を養うことだと思われているようだ。それでは犬や馬でもよく養っているのだから、敬う心を以て親を養わなければ、どのようにして犬や馬と区別

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                  第五章魏の武侯は尋ねた、「どうか軍を整え治め、兵士たちの才能を見極め、国家の守りを固くする方法を聞かせてもらいたい。」呉子は答えた、「昔の賢明な王は君臣の礼を大切にし、身分の威儀を整え飾り、役人と庶民とを

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『荀子』の口語訳を始めることにしました。今の時代、漢文の書き下し文で内容を理解できる人が少なくなりました。更に書き下し文を読んでいるとなんとなく分かったようの気がするが、その実単語一つ一つの正確な意味を理解しきれておらず、あいまいな理解に終

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                   20孔子言う。私は十五歳にして五経の学問に志し、三十歳にして五経全てを学び終え、四十歳になって事理に通じて迷わなくなり、五十歳にして天の命ずる所を知り、その本源を理解できるようになり、六十歳にして知識も博

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                 第四章呉子は言う。およそ戦争が引き起こされる原因は五つある。第一は天下の王者・覇者になろうとして名声を争う場合、第二は他国に侵略して利益を得ようとして争う場合、第三は両国がお互いに憎しみを積み重ねて争う場合

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                  17孔子言う。徳によって政治を行うのは、譬えて言えば北極星が中心に有って、多くの星がそれに引き寄せられて周囲を巡っているようなもので、徳こそ社会の中心であって、有徳の人が治めていれば自然と天下はその人を中心

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                  第三章呉子は言う。およそ国を治め軍を統御するためには、必ず人々を礼儀により教化し、正義の行いをもって励まして、正義から外れることに対して恥を知る心を持たせることである。そもそも人に正義に悖る行いに対して恥

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                   13有子は言う。約束事は事の宜しきに適っておれば、言葉通りに実行してもよい。恭敬が礼の節度に適っていれば、人から恥辱を受けることはない。人との交際で、本当に親しむべき人を見失わなずに得ることができたなら、

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                  第二章呉子は言う。道とは事物のあるべき筋道で人が拠り所とする所のものであり、その根本をふりかえり、その始めとなる所を行うことによって天理に近づくことである。義とは心の制約に基づいて行うべきことは行い、行う

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10子禽が兄弟子の子貢に尋ねた、「孔先生は、どこの国へ行かれても、その国の政治について相談をうけられます。これは先生から求めたのでしょうか、それともその国の君主たちが求めたのでしょうか。

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『史記』衛将軍驃騎列伝
2020年04月05日12:01

大將軍衛青は、平陽の人なり。其の父鄭季は吏と為りて、平陽侯の家に給事し、侯の妾衛媼と通じて、青を生む。青の同母兄は衛長子、而して姊の衛子夫は平陽公主の家自り幸を天子に得たり。故に姓を冒して衛氏と為す。字は仲卿なり。長子、字を長君に更む

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                 第一章呉子は言う。昔の国家を治める者は先ず民に教育を施して民と親しみ団結した。その大事な団結を乱す不和には四つある。国内の君臣上下が不和であれば軍を出してはいけない。軍の内部の将軍・官吏・士卒が不和であれば

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                              7弟子の子夏が言う、賢者を敬い女色を軽んじ、父母につかえては全力で孝養の道を守り、君主につかえては忠義の道を守り、朋友との交際には必ず信義を重んじる人ならば、その人が自ら学問をした

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『呉子』圖國第一 序章
2020年02月06日12:59

                              圖國第一                               序章呉子は儒者の服装で兵法の極意を以て魏の文侯に見えた。文侯は、「自分は戦争の事は好まない。」と言ったので、呉

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『史記』匈奴列伝
2020年01月24日12:34

匈奴は、其の先祖夏后氏の苗裔なり、淳維と曰う(集解:漢書音義曰く、匈奴の始祖の名。索隠:張晏曰く、淳維、殷の時を以て北邊に奔る)。唐・虞以上は山戎・獫狁(ケン・イン)・葷粥(クン・イク)有り、北蠻に居り、畜牧に随いて轉移す。其の

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                            4弟子の曾子が言う、私は毎日次の三つのことで自分の行いを反省している。人から相談を受けた時、心を尽くして対応しただろうか。友達との交際に於いては信義に欠けることはなかっただろうか。先生

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