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2015年12月11日20:51

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「わかる」を「できる」に変える

 「わかる」を「できる」に変える……これは茂木健一郎さんの『脳を活かす仕事術』(PHP)のサブタイトルです。

 「わかっちゃいるけど止められない」とか「わかってるんだけど、思うようにからだが動いてくれない」「伝えたいことがたくさんあるのに、思うように書けない、描けない、なかなかうまく表現できない……」などなど、こうしたジレンマというのはよくあることです。ひとはアイデアにいくら溢れていても、それを実現できなければ、そのギャップに反って苦しむことになってしまいます。

 実は、これらはみな学習というプロセスに関わる脳の構造や機能やサーキットなどと深い関係にあることのようなのです。
 
 茂木さんはこう言います……

 「その後の研究や勉強で脳のことについてだんだんわかってくると、なぜ“いいもの”がわかっているのに、“実現できない”のかという謎が解けてきました。もっと簡単にいえば、“わかっちゃいるけど、できない時、どうすればよいのか”がわかってきたのです。それは脳の『感覚系学習の回路』と『運動系学習の回路』に秘密が隠されていました」

 なるほど……感覚系学習の回路というのは、見たり、聴いたり、感じたり、味わったりなどなど、諸感覚を通じてインプットされてくる情報を司る領域であり、もう一方の運動系学習の回路というのは、実際に口や手足を動かして情報をアウトプットしてゆく領域……だとしたら、これらがうまく交流して噛み合えば速やかに学習が進んでゆくということらしいです。

 で「何がいいものか」がわかっているというのは感覚系の回路が発達しているということになるのですが、「実現できない」というのは、その発達した感覚系に運動系が十分についてこれていない状態、つまり運動系の方の発達が感覚系に比べて遅れているということを意味します。

 茂木さんいわく……

 「ごく簡単にいうと、脳は主に感覚系で情報を“入力”し、運動系を使って“出力”しています。ここでいう“入力”とはすなわち“理解する”ということであり、“出力”は“実践する”といういうことです。

 感覚系のほうは、美術館に行ってすばらしい絵画を見たり、一流の音楽家の演奏を聴いたり、よい映画を観て感動した時に、飛躍的に成長する可能性を秘めています。
 
 感覚系を鍛えるためには、音楽でもスポーツでも生で聴き、観ることが大切なのです。『何がよいもので、どれがダメなものか』を判断する時に、この感覚系の学習回路が重要な鍵を握ります。ここが十分に鍛えられていないと、いわゆる“本物”を見抜くことができません」


 骨董品や美術品の鑑別眼を育てるには、まず何よりも一流の作品に目を慣らし続けることが肝心だということを聴いたことがありますが、それはただものに限らず、プロフェッショナルなレベルにおいて一流の人物に接し続けることの大切さはいうまでもないことだと思います。こればかりは仮想ではなく、リアルな生に触れない限り、なかなか身につけることがむつかしい領域でしょうね。


 茂木さん続けていわく……

「一方、“運動系学習”は、身体を使って情報を出力する時に重要な働きをします。手を動かして絵を描く、声を出して歌を歌う。思ったことを文章にして表すなど、能動的な運動を通して表現する場合、アウトプットの精度は、運動系学習の回路がどれだけ鍛えられているかに依存するのです。感覚系学習がちょっとしたきっかけで飛躍的に発達するのに対し、運動系学習は反復でしか鍛えることができません」


 何らかのきっかけで閉ざしていたこころの窓を開くときには……それまで目に入らなかったたくさんの情報がきらきらと輝いて滝のように押し寄せてくることがあります……そして、そうした瞬間によって人生が大転換を起こすこともよくあるのですが、そうした体験が即出力系、運動系の回路の飛躍的発達を保障してくれるものでないことは、みなさんもしみじみ味わっておられることと思います。

 そうしためくるめくような体験を消化吸収して、オリジナルな仕方でアウトプットし、新しい仕方で世界と関わってゆけるようになるためには、どうしても運動系/出力系回路を、先行する感覚系回路に釣り合うよう地道な方法によって鍛え続けてゆくより他に道はないようです……そしてそれは他者との触れ合いの場をゆっくりと開いてゆくことにも通じます。

 脳内では感覚系、情報インプット系の脳のエリアと、運動系、情報アウトプット系の脳のエリアとは直接つながっていないそうです。なので入ってきた情報を消化吸収したあと、いったん運動系の回路をつかってアウトプットし、それを再び感覚系から入力するという牛の反芻のようなかたちでサーキットをまわさない限り、いつまでたっても二つの回路は出会えず、回路が半身で未完結のまま放置されることになります……。

 それからもうひとつ大切なことがあるのですが、それは情報を出力してゆくときに、その情報のクオリティを厳しくチェックしてゆく鏡のようなメタレベルでの観察機能が必要だということ……これは他者からその出力がどう見られているかということではなく、自分自身が自分自身の出力をチェックしてゆくということです。このチェック機能がうまく働かないと、どうしても出力される作品のレベルが曖昧になり、研ぎ澄まされてゆかない。

 ともかく脳の入力系感覚系と出力系運動系のバランスをとる工夫を重ねることの大切さを知るにつけ、完成度が低くてこれじゃ外に出せないと抑制して内部に自閉してしまうより、とりあえず未熟であっても今現在の出力レベルで表現して、それを自他の目にさらしながら感覚系を通して再入力し、しだいに表現力の腕を磨いてゆくことの方がよほど理にかなっているし、脳のためにもよいようです……

 

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