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2014年02月18日22:54

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2-16 豪雪ツボ足メモリアル 鍋割峠撤退

2月16日(日)
寄→寄沢(雨山峠コース)→寄コシバ沢→寄コシバ沢右岸尾根(エアリア破線ルート)、稜線に乗れず、撤退。


2月8日(土)に続き、翌週の14日(金)も記録的大雪。

丹沢は今季最深の、いや、近年に例の無い積雪になってるに違いない。

夜は家庭教師の仕事があるが、こんな素晴らしき雪山日和に登らないなんてどうかしてるぜ!と張りきって繰り出した。

仕事先に近い池袋駅のコインロッカーには前夜のうちに着替えや教材を入れてあるので、仕事の時間に合わせて山から帰って来れば良い。

新松田駅から寄行きの始発バスに乗り込んだ登山者は自分含め僅かに5人。

多くのハイカーは大倉からの超A級登山道を塔ノ岳や鍋割山目指してワイワイ楽勝ムードで登るのだろう。
アリの行列のごとく群れを成した人々がコンニチハを連呼する一般道。

だがオレは違う。人生裏道ケモノ道。静かに己を見つめてただ黙々と、己の進む道は己の力で切り拓くまでよ!

と言っても比較的マイナーな一般道やネットで調べたバリエーションルートを好んで歩いてるという程度だが。

バスの車窓からは、青空を背景に山々の稜線が雪で白く輝いているのが見える。
乗客3人はシダンゴ山の入口で降りた。

終点の寄で降りたのは単独行のオジサンと、まだ自分をオジサンと認めたくないオレの二人だけ。30代はまだお兄さんだと思いたい微妙なお年頃。

準備運動をして、寄大橋に向かって歩き出す。
今日もこちらに向かうのは自分だけ。それが何より嬉しい。

前方に目を向けると雨山、檜岳山稜の稜線も白く輝いている。間違いない、今季最深の積雪だ。

やがて寄大橋に到着。
ゲートを抜けると一人ぶんの足跡がある。
辿ってみると、後沢右岸尾根へと続いていた。
詳細図にも記載が無いが立派なバリエーションルートで、鍋割山南稜の標高1000m地点に合流できる素敵な道だ。

自分は雨山峠コースに向かう。
狙い通り、トレース皆無のまっさらな雪面だ。

さあ今日もやります必殺ツボ足戦法!
しかし早速、表面は固くて中は軟らかいモナカ雪で膝に強い負担がかかる。
潜らずに雪面に乗れたかなと思った瞬間、無情にもズボッと膝上まで沈んで衝撃が走る。

雨山峠に向かうこの道は、もう何度も歩いている。

昭和20年代後半に玄倉林道が開通するまでは、丹沢深奥部への憧憬を懐いた幾多の先人たちがこの道を歩み、西丹沢の秘境を目指した。
まさに筋金入りのクラシカルルートである。

トレースが無いこんな雪道も、先人たちは熱い思いを胸に力強く越えて行ったに違いない。

やがて、寄沢の広大なガレ場に辿りついて息を呑む。

膨大なガレのほとんど全てが雪に埋もれ、雪原と化しているのだ。

大きな石も雪に包みこまれ、風紋が描いた作品のように白く波打っている。

鍋割山西稜を越えて吹き下りた北風が雪原を静かに渡り、紅潮したオレの頬を優しく撫でる。

天を仰ぎ見れば、遥かなる蒼穹が目に眩しい。

これだ!この景色に会う為に、この感覚を味わう為に、オレはここに来た。

しかし高揚する心とは裏腹に、足はズボズボと深く沈む。

何度かガレ場を横切りながら遡行し、沢からいったん離れて左岸の斜面に取り付く寸前に、とうとう股下まで雪に嵌まった。

なんという積雪だ!
「ウォリャーッ」と叫びながらストックで雪を激しく漕いで進んだ。
どんなにツボ足が続こうが、体力とスタミナだけは自信がある。
根拠の無い自信が…。

ようやく左岸の斜面取り付きに成功する。
一息ついて、苦労して辿ってきた足跡を眺めるべく後ろを振り返ると、雪原をミミズが這ったようなトレースの向こうに、動くものが見えた。

あれは…
人間だ!心に鋭い緊張が走る。
なんという事だ。独り旅だと思っていたのに、いつの間に後ろに…。

先を急ごうと猛然と登りに突入したが、とにかく雪が深い。
ツボ足どころか、ツボ股のレベルだ。

追いつかれてはならぬ、というただその一念で雪を漕いだが、間もなく停止。
夏道はすべて雪に埋め尽くされ、影も形も無い。
岩が露出した部分を偶然見つけ、ひとまず腰を下ろす。

暑い。丹沢では冬でも暖かい。歩き出しから上半身のウェアは春秋仕様だ。

後続者の姿がまだ見えない。
気が狂ったようにストックを雪面に突き立てて雄叫びを上げている先行者の後ろ姿を見て、恐れをなして逃げ帰ったのだろうか。

クックック、ここはオレの気合い勝ちか。

鍋割山の西側斜面を見上げて視線を元に戻すと、もうすぐそこまで人間が接近していた。

な、何ぃ!
速い!
挨拶するよりも先に、相手の足元に目を凝らすと……ワカンだ!

古来からの知恵を凝縮した究極の雪上兵器。

顔面に愛想笑いを貼りつけながら油断なく相手を見ると、そこにはとびっきりの優しい笑顔があった。
何の邪気も無い、無邪気そのものの笑顔である。

オレは瞬時に警戒を解いた。

単独行者には、良い人間と悪い人間がいる。
すれ違ってもこちらの挨拶を平然と無視する非常識な悪い人間。
オレの統計によると彼らは大抵、眼鏡をかけていて色が白い。体格はひょろっとしている。彼らは挨拶を返さないどころか、視線すら合わさない。中高年が多いが若者もいる。
山は好きだが社会は嫌い、だから社会に適応できなくて山に逃げてきた、そういう地味で暗い顔つきをしている。

しかし目の前のこの単独行者はどうだろう。
どちらかと言えば丸い顔立ちからたっぷりと溢れる柔和な笑みにはゴーグル焼けが刻まれている。

彼は、「いやあ、凄い雪ですね。ここまでツボ足なんて体力ありますね。僕は体力無いんでワカン使わないと無理ですよ。」と汗を拭った。

いくつか言葉を交わし、何となく成り行き上、ここから一緒に行く事になった。

人とコラボするのは初めてだ。

彼がワカンで先陣を切ってくれるという。
ルート選択はオレの担当になった。

後ろから見ていると、やはりワカンはあまり雪に沈まない。

彼の足跡を登山靴で辿るが、やはりワカンによって少し雪が押し固められており、先程よりは沈む深さが浅く、回数も減った。

雪上兵器の威力を文字通り、目の当たりにして感心する。


さて、釜場平に着く手前には急斜面があり、ふだんは木の桟道が斜面をトラバースする形で架かっているのだが、すっかり雪に覆われていた。
ここで、最初の吹き溜まり地獄に嵌まる。

腹まで埋まり、130cmまで伸ばしてあるダブルストックも地面に届かない。周囲に掴まる木も手がかりも無い。

若干沈みながらも先にワカンで登りきった彼がオレの姿を見て「うわぁ!すごい光景だ!」と驚きの声を上げる。

後で思ったのだが、あの場面を写真に撮ってくれて「丹沢の低山で雪に溺れる初心者ハイカー」とでも題してヤマレコに載せてくれたら、オレは一躍スターになれたに違いない。

ここは気合いと身体のバネで何とか這い上がった。

釜場平のベンチは雪の下に消え、道標の頭だけがかろうじて見えている。


ようやく寄コシバ沢に降り立った時には、既に正午を過ぎていた。
無雪期の3倍以上の時間がかかっている。

仰ぎ見ると空は青く美しく澄みわたり、今日は丹沢で望める最上級の好天だ。

今頃は尾根伝いにサクサク移動した賢いアリたちが山頂でこの世の春とばかりに大展望を謳歌している事だろう。

一方で、ひねくれ者のアリは吹き溜まりの軟雪で造られたアリジゴクの罠に嵌まってその餌食になりかけている。

しかしこの寄コシバ沢のガレ場を遡行して右岸に乗れば、すぐに鍋割峠に到達できる。
あとひと踏ん張りだ。

だがここからは更に厳しかった。この一帯はこれまでで最悪の吹き溜まりで、ワカンの彼もズボズボと沈んで息を切らしている。

オレはもう足が底につかないプールを泳いでいるようなものだ。
この際、雪面を平泳ぎでもしてやろうかと思ったが、水泳が苦手な事を思い出した。

ここさえ越えれば、ここさえ凌げば、というその一心で這い登り、ゆっくりと標高を稼ぐが、沢から斜面にどうしても這い上がりきれない。
沢から脱する取り付きは緩斜面を選んだのだが、木々の枝から振り落とされた軟雪で斜面はいっそう雪深さを増し、踏ん張る足がかりが無い。

ワカンの彼には、先に行ってもらった。
彼にも予定の時間というものがあり、単独行者はすべてが自己責任だ。
後ろの人間を待つ必要は無いし、深雪を歩く道具を持って来なかった自分が悪い。

時折休んでるふりをしながら心配そうにオレを振り返る彼の優しさが心にしみたが、この際、見捨ててもらったほうが両者の為である。
人に会えて良かった、一緒に歩いてくれて心強いです、と言ってくれた彼だが、無事に右岸尾根に乗ったのであとは鍋割峠までひと登り、鍋割山頂は指呼の距離だ。難なく登頂できるだろう。

オレはそれでもまだ上を目指そうと懸命に足掻き、雪を切り崩したが、ただ大きな雪穴が完成しただけだった。
昼を迎えて気温が上がり、雪質も変化してさらに軟らかく重くなっている。

樹間の彼方から、声が谷底に響いて谺した。
「どうですか?やっぱり無理そうですか?」
見上げたが彼の姿は確認できない。

「もう登らずにトレースを辿って引き返します!ありがとうございました!」とエールを込めて叫び返す。

すると、
「わかりました!ありがとうございました!お気をつけて!」
と返ってきた。
それが彼との最後の会話となった。


ありがとうございましただと?何を言ってるんだ。
世話になったのはオレのほうじゃないか。

確かに、林業関係者がつけた植林の赤テープにつられてルートを誤りそうになる彼の行き先をオレが正した事は何度かあった。
しかしそれとて全てが正しかったわけじゃない。後で振り返れば自分の誤りで彼に余計な手間をかけさせてしまった事が何度かあった。

このコースで雨山峠に何度か行き、寄コシバ沢右岸尾根も一度登った事があるという彼だが、それよりもちょっと通った回数が多いだけの自分が役に立った場面はそれほど多くない。

しかし彼は、息を切らしながら「自分が先に行きます!ルート指示をお願いします。」と常に先陣を切ってくれたのだ。

感謝の言葉を述べるべきは、オレのほうだ。
しかし、彼は行ってしまった。

まさに一期一会の縁。

その場で一息つき、時間を計算する。
夜には、高校受験を1週間後に控えた女の子の最後の家庭教師の仕事がある。

こうなったら寄沢のガレ場でドデカい雪だるまでも作ってやろうかと思っていたが、その時間は無さそうだ。

鍋割峠のコルをしばし眺め、リベンジを誓って踵を返し、ワカンの彼と辿った道を、苦労を思い出しながら戻る。
厄介な斜面は尻セードで滑り下りて爽快な気分になる。

時々立ち止まると鳥の囀りだけが聴こえ、登れなかった悔しさよりも、眼前に広がる空の青さと雪の白さの鮮やかなコントラストに心弾み、誰にも邪魔されずに自然の中に心身を浸す喜びを実感する。

帰りも相変わらずズボズボと嵌まり、しまいには滑って雪の上に仰向けにひっくり返ってしまった。

上等だコノヤロウ!
この体勢で春になるまで待ってやろうか!?
ひっくり返ったまま青空を眺める。

今頃彼は稜線に乗って、大展望を満喫している事だろう。
できれば一緒に登りきって、乾杯でもして互いの労をねぎらい丁重に礼を述べて、「いつかまたどこかでお会いしましょう」と爽やかにお別れしたかったが…。

再び立ち上がり、帰路を急ぐ。

山から下りて稲郷の集落を歩いていると、午後4時を告げる音楽が辺りに響いた。

こんな早い時間に下山したのは初めてで新鮮だった。
ツボ足は通用せず撤退を余儀なくされたが、とても良い経験をした。

早速、ワカンを装備に加えよう。
週末は再び、丹沢に繰り出そう!

画像は
朝の檜岳山稜、埋もれかけた雨山峠コースの道標、届かなかった鍋割峠を望む
、の三枚
(完)

追記。
ヤマレコに彼の記録があった。
オレの事も書いてくれていた。
大展望の写真があり、無事に二俣経由で大倉に下山したとの事。
良かった。本当にありがとう。

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副管理人 S∞MЯK

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