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昨日、札幌を出発して1時間、北広島市でカプチ号の走行距離が20万kmを超えた。
大昔、幌のジムニーに乗っていたことがあり、年に何日かしかオープンカーにするチャンスはないものの、オープンカーの爽快さは元々知っていた。
沖縄勤務中、冬になると観光客がオープンカーのレンタカーに乗って、気持ち良さそうにシーサイドドライビングしているのをよく見掛けた。
それを見るにつけ、「沖縄の冬はやっぱオープンカーだよな」と思ってしまった。
(冬以外は日差しが強すぎて開けられない)
ほかにもう1台あるのに、「とりあえず、沖縄にいる間だけでも、ジムニーかビートかカプチーノ、とにかく維持費負担の軽い軽四輪のオープンカーが欲しいな」と思い始め、冬のボーナスで3年落ちで68000kmも走行している中古のカプチーノを69万円で買ったのが、平成8年の冬。
最初は、オープンカーと言うだけで、荷物は積めないは、乗り降りしにくいは、後輪駆動でお尻はすぐに滑るはで、使いづらいクルマだと感じていて、特に愛着もなかった。
その後、沖縄から転勤したが、刺激的な3年1ヵ月の沖縄生活の思い出もあって、沖縄ナンバーを手放したくなくなった。
もう沖縄に住民登録してないから、沖縄ナンバーに乗るには、このまま乗り続けるしかなくなり、廃車にできなくなってしまった。
だんだん古くなって走行距離も嵩んできて、バックギアに入らなくなったトランスミッションのオーバーホールや、へたってカーブで踏ん張りが効かなくなったショックアブソーバー、腐って穴の開いたマフラーの交換など、次々と費用が10万円単位で掛かる修理が必要になった。
しかし、FRの小さなオープンカーの新型車がなく、買いたいクルマも現れず、そのまま乗っているうちにだんだん愛着が湧いてきてしまった。
そうこうするうち、年数が経って、カプチーノもだんだん廃車になったのか、街でなかなか見掛けなくなり、希少車とか旧車とか言われるようになってきた。
最初の頃はホンダの「ビート」と間違えられることも多かったが、近年はようやく「カプチーノ」と認知してもらえるようにもなりつつある。
那覇→名古屋→東京→新潟→釧路と転勤を重ねる度、沖縄ではできなかった「遠距離のクルマの旅」も回を重ね、旅の思い出も積み上がり、もう直せなくなるまで乗り続けようと思っている。
沖縄本島から出られない那覇時代はともかく、東京勤務まではほとんど乗る機会がなく、走行距離も年間数千kmだった。
燃費がいいこともあって、長距離乗る機会が増えた新潟勤務以降はオンオフ共に主力車として使っており、年間走行距離も飛躍的に伸びた。
そして、初度登録から16年目、ついに20万kmを超えるに至った。
ボクが買ってからでも13年目で132000kmを超えた。
かなり老朽化が進み、あちこち錆が発生したり故障もあったが、エンジンだけは1度も替えずに大きなトラブルもなく動いている。
軽自動車の、しかもターボ付きのエンジンで20万km持つとは、スズキもなかなかやるモノである。
あと何年乗れるか分からないが、25万km目指して、2回目のタイミングベルト交換を今年してやろうと思う。
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