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ルービン・ハリケーン・カーター

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詳細 2024年3月31日 22:51更新

元ボクサーだった、ルービン・ハリケーン・カーターという人物を知っていますか?

ルービン・カーターは1937年5月6日、黒人差別の激しいニュージャージー州のクリフトンに生まれた。
彼はいたずら好きで、白人の街に堂々と出向いてはさまざまな悪戯をした。
彼が11歳のとき、友達と遊んでいる時に、近寄ってきた白人男性を警戒し、暴行した。
彼は逃げたがつかまってしまい、その白人男性は強盗として最終的にカーターを州の少年院に収容させるに至った。
その当時の担当刑事はデラ・ペスカだった。
差別主義者の彼は被害者の偽証をさらに大袈裟にしてルービンの刑罰は重たくなったといわれる。
そこで8年経ったが、彼は脱走してすぐ軍隊に入隊「他人を倒す」という志からボクシングを習い、この才能はこの時代に驚異的に開花し、ライト・ウェルター級チャンピオンに上り詰めた。
それからボクシングのリングネームを『ハリケーン』と名づけ。ルービン・ハリケーン・カーターを名乗るようになった、根拠はハリケーンのごとく現われ、世界チャンピオンを次から次へと倒し、観客がハリケーンのように熱狂し、また本人がハリケーンが美しいという思いからつけられたといわれる。
その後、彼は除隊しプロボクサーになる決意をしたが、警察に見つかり、少年院の残りの刑期(約10ヵ月間)を務めあげることになるが、出所後、彼は世界チャンピオンにまでになった。
メイ・リンというバーであった女性と結婚もしていた。(世界チャンピオンになるには大変な努力がいったという、なぜならK・O勝ち以外の判定はほとんど白人あるいは彼の対戦相手に差別的な判定が下ったからである、ジョーイ・ジオデロがいい例である)
そんなある日、バーで女性1人(タニス)、男性3人(オリバー・ウィリアム・ナーヤクス)が撃たれるという事件が発生した、近くで家に帰ろうとしたルービン・カーターと彼のファンであるジョン・アーティスは仮釈放中の目撃者ベローらの偽証・偏見と、差別感情・観念を持っていた12人の白人陪審員により、最終的に終身刑を宣告された。
事実このベローの偽証はデラ・ペスカの誘導証言によるもので、目撃者による関わりたくない人の代理人として上司のサインを彼が偽造した事実も後に発覚する。
その際黒人街では大規模なデモが起き、モハメド・アリなど数々の有名人などが参加した。
しかし、デモもむなしく、黒人による逮捕者が増えるだけであった。
ルービンは終身刑を宣告されたあと、刑務所で早速刑務官に歯向かった。
彼はやっていないのになぜ囚人服を着用しなければならないのかという反発を貫き、2ヶ月間地下の独房にぶち込まれた。
風呂も入らず、暗闇の牢屋で彼は三重人格障害に陥ったという。
独房を出た彼は、刑務官の説得により、囚人病院で着用する白いパジャマを着ることを条件に普通の牢屋で過ごし、自ら昼夜を逆転し、ジョン以外とは口を聞くことはなかった。
また、労働も拒否し、肉体改造に励み、刑務官に暴行を加えたこともあり、早朝堂々大声で叫び『俺をここから早くだせ』などと叫ぶこともあったという。
ようやく落ち着いたころに、彼は『The 16th Round(第16ラウンドという意味。当時、世界戦は15ラウンドだったので、試合後のラウンドという意味になる)』を著し、偶然その本はカナダに流れ、その本を読んだ黒人レズラ・マーティンと、その扶養者の3人は深く感銘を受け、ルービンの釈放運動を始めた。
(レズラが買った当時はアメリカドルで25セントだったという)
レズラの扶養者は3人ともカナダの白人で(リサ・テリー・サム)、ルービンのためにアメリカに移住するにまで至った。
ルービンの弁護士はマイロン・ベルドックとレオン・フリードマンで20年以上の弁護に勤め上げた。
弁護料の請求もせず、援助による資金で弁護活動をしていた。
彼らは10tの資料をレズラたちに渡し、そこには驚愕の事実が隠されていた(後に彼らはハリケーンの弁護を勤めたことにより、有名になり、黒人の多くから礼金を受け取った)
本来、アメリカの制度では陪審裁判有罪になり、新たな証拠が見つかった場合、州裁判所で審議をし、再審の安否を決めるのだが、ルービンは却下されると予想し、連邦裁判所に持ち込むことを決意した。
(連邦裁判所では新しい証拠を提出することは認められておらず、発覚した場合抹消されることになっている)
1985年11月8日、ニュージャージ連邦裁判所において、州裁判所に提出していない新しい証拠を持ち出すという法律に則り、検察側が却下されるという予想したために裁判の準備が不十分だったという状態で、裁判長であるサロキン判事はルービンの熱意のある言葉に心動かされ、証拠を見直し、人種偏見の上に立った裁判で下された有罪判決は合衆国憲法違反として、釈放・無罪判決を言い渡した。
無罪釈放の決め手となったのはやはり、ルービンの裁定に入る前の言葉だったのかもしれない。

1.ルービンの主張(あらすじ) 子供のころからのデラ・ペスカによる差別違法逮捕。
私はリングでは人を殺したり、倒したりはしたが、それ以外の場所では殺したことはない。
差別により人間以下の扱いを20年以上受けています。

正義に従い生きてきたが正しい裁きを下してほしい。
サロキン判事の良心や崇高な道徳・法律に従って新しい証拠を見直してください。
2.弁護士 ・デラ・ペスカの偽造工作 ・目撃者の偽証 ・ルービンの車の違い
3.検察官 ・ルービンは前科がある ・州最高裁も有罪判決を下した。 ・脱走した

検察は準備を改めて整え、連邦最高裁判所で控訴したが、1987年11月に控訴審は棄却され、裁判長のサロキン判事の判決を支持し、ルービンは無罪釈放となったのだった。
裁判後の1994年、ルービン・ハリケーン・カーターは世界ボクシング評議会より、世界ミドル級チャンピオンベルトを授与された。
現役選手以外に授与されたのは前代未聞であり、世界で初めてだったという。

その後アーティスも釈放。
カーターはカナダのトロントに自宅を構え、冤罪救済活動団体の責任者となった。
またアーティスは少年犯罪の相談者となった。レズラは大学を卒業後、修士号を得て弁護士になった。


ちなみに、このストーリーを元にした「ザ・ハリケーン」という映画も制作されました。
http://www.the-hurricane.com/
カーター氏の役はオスカー俳優デンゼル・ワシントン

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2005年10月19日

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