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子どもの真実コミュの☆子育ての質問どうぞ〜☆

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子育ての質問どうぞ〜わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

子どもを育てるということは、
昔から「苦の種」といいまして、
どのご家庭でもたいへんなことなのです。

いいえ、うちの子育ては順調ですというお宅は、
素晴らしい親子の関係ができているのですよ。

そんななか、「だれにそうだんしようなか?」って、
思ってるママがいましたら、
どうぞこのトピに書き込みしてくださいませ。

ちょっとしたアドバイスや励ましがあれば、
大きく変化・好転するのが子育ての特徴でもありますからね。

したがって、ここでの回答には過度な期待はしないで、
「ちょっとたずねてみようかな〜目がハートわーい(嬉しい顔)」ぐらいのお気持ちで、
ママのゆる〜い気分でご質問ください。

だいたい、ひとくちに子どもといっても、0才〜18才ぐらいまでが子どもですから、
ご質問の内容も、悩みの深さも、非常に広い範囲にわたるものと思いますから、
管理人には分からないことも多いと思いますが、
そのあたりはご了解の上で、お願いしたいと思います。

なお、このトピは、より多くの方に子育ての正しい方向性を示すことを目的として開設します。
ですから、特定の疾患をお持ちの子どもさんの場合や、
特殊な生育暦をお持ちの子どもさんの場合には、
ここでのQ&Aがご自分の子どもさんのケースには当てはまらないことも予想されますが、
あらかじめこの点はご考慮に入れてお読みくださいませ。

そしてハート

コミュとして当然のことですが、
回答を管理人一人に任せるようなことはしないでふらふらわーい(嬉しい顔)
たくさんのママからのカキコミをお待ちしています。

ママであるということは、そのまま自立した女性であることを意味しますが、
こうした場所に意見を持ち込んで参加できるということも、
子育てには大切な要素であるのです。

つまり、ママの社会性を向上させるということですね目がハート目がハート
子育ては、間接的であるほどに高い質をもつといのは、こういうことですね。
ママの社会参加が、子どもの自立、成長をうながすのですよ〜。

どうぞ、ご理解・ご協力のほど、よろしくね。 [三ツ橋]


コメント(259)

>>[219]

大変そうですね〜。
うちも来年一年生(しかも引っ越し予定)なので、少々ナーバスになっています。

ちょっと質問なんですが、息子さん自身は
A君に対してなんて言っているんでしょうか?

好きなんだけど、ついエスカレートしちゃうのか
本当に嫌なのかで
対応も変わるのかな?と思いますが。。。
(遊ぶ時もあるみたいなので、ついエスカレートのほうかな?)

親にとって、悪い子、に見える子に惹かれることって
あるのかな?とは思いますが。。。
(女性にとってのちょい悪の魅力みたいな感じ、かな?)
苺さんにとってA君はあまり仲良くしてほしくない子、なのかな?と文章読んでちょっと思いました。
ま、子どもは聞き出さないとわざわざおうちに報告しなかったりしますね〜。

そういえば、自分自身が小学生くらいの頃は、近所のおうちでよくおやつもらったな〜。あとで誰に?・・・名前わかんない・・・昭和の時代は平和だった・・・。

見守りながら、神経質にならない、というのは特に男の子には必要なんだろうな、と思いますがなかなか難しいよなあ、と思います。
何かでエネルギーを発散させてやらないといけないんですよね〜。

・・・なんかあまりいい意見じゃないですね〜。
ほかの先輩ママさんの意見を聞いてみたいですね〜。
>>[220]

お返事ありがとうございます!
midokoさんの息子くんもいよいよ来年一年生になるんですね(@@)
お互い様ですが早い〜って思ってしまいます(笑)

息子はAくんに対しては、嫌よ嫌よも好きのうち…と言いますか…。
一緒に遊ぶのは楽しいけど、暴力的なのはイヤだと思っていると思われます。
息子は基本的には平和主義で、戦いごっこよりは戦わせごっこが好きで(仮面ライダーよりポケモン派)話をする子は皆友達だと思っているようなタイプです。
普段、学校で遊んでいる友達はおとなしいタイプの子たちだと思います。

友達が来た時におやつを出す行為は普通だと思いますし、親がお礼を言うのが当たり前ではないと思っていますが、夏休みの初めは毎日…時には昼もずっと…であまりに放置過ぎてイライラしていたので書き方に悪意があったかもしれません(^^;)
A君は、小さい子に対してはとても優しいですし純粋で素直で可愛いのですが息子と二人になると喧嘩が絶えなくて、手足だけならまだしも石を投げることがよくあったので困っていました。

担任の先生にも相談して、周りの高学年の子たちや同じ方向に行き帰りする同級生から話を聞いたりしてしっかり行動を把握していただいていたりはするのですが、喧嘩が収まるのをただ待つ方が良いのか自分に出来ることはないのか何となく落ち着かずにいます。
息子の家での行動は、宿題・次の日の学校の準備がスムーズに出来るようになって妹にも優しいしよく喋って…落ち着いてはいるのですが。

明日、個別懇談があるので担任の先生とよーーーく話し合ってきます!
ありがとうございますと申し訳ありませんという話ばかりで…(;;)
あれから…私自身も悩んでいるような悩んでもいないような状況でした。

昨日より小学校も始まりました。
早速、昨日はA君と遊ぶ約束をしていたり(結果的には用事があって遊べませんでしたが)やはりお互い仲良くしたい気持ちはあるようです。
性格も似ているから挑発し合ってケンカになるようですし、危険なことをしないように多くの目で見守っていくことが大事なんだと思います。

これを機会に先生とお話しする機会が増えたり、周りのママとも連携が取れてきたことはプラスになりました。

話は変わって…
お正月休みに息子と同い年の姪で遊ぶ機会がありました。
年に2,3回遊んでたいていお互いに遊びたいことが違ってケンカをするのですが、今回は言い争いになることなく楽しそうに遊んでいました!
二人を観察すると、相手が嫌がることをしない、嫌がったら違うことに目を向けさせるなど次第に出来るようになっていたのです。

小学生になり心配事が増えたのも事実ですが、その心配事からどんどん成長してっているのも事実なのだと思います。

今回、書き込むことで問題も明確化したので良かったです^^
悩みとは言えない悩みだったり、深刻な悩みだったりまた気付いたことは書き込めるようにしていきたいと思います。
>>[223]
>>すべてのみなさん

まむむさんからご質問を頂きました。
ご自身の子育ての様子も含めて、とても意味のあるご質問を頂きました。
こういう内容のあるお話が聞けるというのは、とてもありがたいことです。

ご質問のポイントを上げてみますと、下記のようですね。

>(子どもが)頑張ったら金品を買ってもらうのと、頑張ったら親から褒めてもらったり愛情の言葉をかけてもらうのと、どこが違うの?っていう書き込みを見ました。

さて、どこが違うのでしょう?

みなさんの中で、お感じになることがありましたら、ちょっと勇気を出してご感想や意見を出していただけませんか?
いつもボクは言うのですが、こういう場でママが自分を表現することも子どもの社会性を伸ばすという意味ではたいへん大切なことなのです。
いつでも、子育ては、間接的であるほどに質が高いとは、こうした場面でも有効であるのですよ。

回答例1 金品も、愛情も、子どもに与えるのことに意味があるのだから、どちらも同じです。
回答例2 子どもには金品の価値をはっきりと示して褒めることに意味があります。
回答例3 褒めるというのは親の愛情でしょ。金品は関係ないのでは?

あれれ〜?
どう考えましょうか?

難しく考えないで、ほんの思いつきで結構ですから、みなさんのご感想をお待ちします(^O^)/

>>[223]

初めまして。
拙い文章ですが思ったことを…。

金品でのやりとりは子どもも納得するし、結果は出易いし、自分(親)も楽だから、が
大前提にあるような気がします。

自分の子どもを誉めると云うことは子どもをよく見ていないとできない事ですし、
金品でご褒美を与える親は手っ取り早く結果を求めているように思います。
(勿論、それが良い悪いの話ではなく)

しかしこれは『過程』を認めて成長を喜ぶことを無視した形になるので
まむむさんの子育ての方法は、子ども自身が親に見てもらえてかつ
認めてもらえているということが直に伝わるのでとても良い親子の関係に思います。

>子供(小学校二年生)が、百点取れなかったら、
家に帰って大泣きしたり、百点以外のテストは隠してしまう

これはもう既に追い詰められていますよね。

「〜しなかったから〜ないよ!」のような言葉をよく耳にしますし、
私もつい使ってしまいます。
でもまむむさんのご質問を読み、考え方を改めないとと勉強になりました。
子どもをよく見て子どもの成長過程を一緒に喜びあえるような親子関係を
築いていくのが素敵だなと思えたからです。
ありがとうございます。
>>[223]
考えさせられる問題ですね。
娘も二年生なので、そういう話をチラチラ耳にします。

私も、まむむさんに共感します。
努力する過程を認めて褒めることで、ママが見守ることに繋がると思います。

勉強は解けない問題が解けた時の嬉しさや、考えることの大切さを学ぶものだと思います。

100点を取ることを私は重要視していません。
テストは通過点であり、理解できたかを確認するものだと思います。どこが理解不十分かがわかるので、一緒に見直しし、似たような練習問題を私が作ったり、漢字を練習したりしてます。たまにプチテストのように、間違えた問題を書いて置いておくと、わかるようになったことが実感できたようです。娘は間違えても練習し勉強すればわかるから努力するようになりました。努力で身につけた物は、自分自身だけのものだ、とわかってるような気がします。

褒美につられて勉強をしてみたら、学習する事の楽しさに気がつくかもしれません。
きっかけ作りにはありかもしれません。
幼稚園最後の夏休み、満喫してます〜。

私もまむむさんに共感します。
うまく行かなかったら励ましたり、うまく行ったら一緒に喜んだり、結果がダメでもでも頑張ったね、と認めたりが大事なのかなあと思います。

でも「褒める」というのも難しいですよね。
「結果に対してだけ」褒めるとそれは言葉でも金品でも同じじゃないのか、というのは分かる気もします。

「褒められる」「買ってもらえる」という目的のために行動するようになってしまったら同じこと、というか。


子供がヴァイオリンを始めたのですが、先生がうまく弾けると「100点」「すごいねえ!」「弾けたねえ」と褒めてくださいます。(うまく行かないときも嫌味などは一切ありませんし、どうすればうまくいくのか教えてくださいますが)

すると家でも「何点?」と聞いてくるんです。
「点数をつけていいのは先生だけ。ママはママだからつけないよ」というのですが、子供はそういうところがあるんだろうなあ、と気をつけるようにしています。
先生には結果を褒められて嬉しい!というので上手くなるのもアリだなあと思うのでそれはそれでいいのですが。

と書きつつも、頑張ったからこれ買ってもいいよ、なーんてやってしまっていることもあるような^^;;
保育園児の6歳3歳1歳の娘がいます。

最近同じ様なことを考えることがありました。
勉強や習い事、進んで自ら頑張ってくれれば問題ないけど、何かにつまずいてスランプになったり、マンネリ気味でやる気が出ない時目標を決めてそのご褒美として何かを与えることは時にはいいのかなぁと思います。
もちろん頑張った過程を認めて褒めてあげるのを前提にしてですが。
金品、特にお金は違うかな。目的が何か分からなくなってしまいますし、お金に対する価値観も歪んでしまいそう。
ご褒美の対象としていいのではと思うのは目に見えないことや、その場で消えて無くなるもの。例えば皆で食事に出かけるとか、遊びに連れて行くとか。今後の活力にもなりそうなので。

物を与えてしまうと、子どもはすごく喜びますが勉強が物をもらう手段になるのは良くないと思います。それより、勉強したらこんな事もわかるようになるとか、もっと色んな事が出来るようになるとかいうメリットを親も知恵を絞って教えていってあげる努力も必要なのかなぁと最近思います。過程を楽しめればそんなに物で釣ったりしなくても済みそうですですしね。

思うままに書いてしまったので回答になっていないかも⁈失礼しました。
幼稚園年少四才の娘と一才5ヶ月の息子がいます。

私は、結婚前まで幼稚園教諭をしていました。教諭時代に様々な研修で学んだことを思い返しながら育児をしていますが、、言い過ぎたーと反省の毎日を送っています。

ご褒美。
私もまむむさんと同じ考えです。
報酬の為に頑張るって、目的が変わっていくと思います。
娘の習い事で、レッスンが終わるたびに、アイスやジュースを買ってもらっている子どもが沢山います。私は、娘が欲しがっても買いません。おやつのためにレッスンを受けるなら、受けなくてよいと思うからです。

教諭時代の講習会で、一度ものでつるとずっと釣り続けきゃいけなくなると聞きました。育児ってその場しのぎではないものだと思います。過程を認めること、大事ですよね。

娘が幼稚園に入園して、益々様々な育児の考え方をおもちな方々と関わりますが、十人十色と思っています。そして勉強になります!

マスターのコメント、楽しみにしています!

みなさん、こんばんは。
はい、はい、マスターですよ( ´ ▽ ` )ノ

は? マスター?

コマイヌちゃんに呼び出されて、飛び出して来ましたが、ボクは管理人じゃなかったかな(^o^)/

さて、この問題の回答は、当コミュのメンバーで熱心にChapterをお読みの方には、そんなに難しい内容ではありませんよ。

しかしながら、この問題は、教育学や現代心理学そして発達心理学などさまざまな科学の視点から考察できる深い内容をもつことも事実です。

つまり、金品か?褒めるか?という育児の方法には、私たちの生き方にもつながりそうな大きな問題が含まれていると考えられるのです。

明日の夜にも、時間を見つけて、ボクの回答を書かせていただきますので*\(^o^)/*ああー、私も考えてたのにー、ということがないように*\(^o^)/* 思い残すことなく〜

2014年
真夏の子育て問題に、
挑戦してほしいなーー\(^o^)/ ヤンヤン♫

>>[223]
こんばんは!
少し違うかもしれませんが、思い出したことを書かせていただきます〜。
子供にお片づけができた際のご褒美を提示するのと提示しないのとで実験したところ、ふしぎなことに、ご褒美を提示されたほうが片づけられないんですって^^;
ご褒美というのと、片付けという目的は、まったく別のものとして認識されるようです。
もう少しわかりやすく言いますと、
頑張る過程→片付け達成→ご褒美
という段階に分かれており、ご褒美が提示されてしまいますと、片付けの達成が目的ではなく中間地点的なものになってしまい、頑張る過程がおろそかになってしまうようです。

でも私が思うに、これって大人にも言えませんか?
働くのって、お金を稼ぐ目的もあるけれど、それだけになってしまうとやる気が起きなかったりするのではないでしょうか。
お客さんからありがとうと言われたり、時には関係のない世間話を繰り広げたり…。誰かと一緒に喜ぶ、気持ちを共有する。こういう「非効率」な事って、金品だけが目的だと、煩わしいものになってしまうと思うのです。
お金のために効率を求めてどんどん事務的で機械的に処理するだけになると、いよいよお仕事がつまらなくなってきます。
いわゆる、「やりがい」というのは、金品とは離れたところにあるものかなと。混同できない何かがあると思うのです。

どう違うのか?と言うと難しいですが、「やりがい」は心と心の精神的やりとり、金品の報酬は物質的やりとり、というイメージでしょうか。
私は、宝くじが当たって人生が破滅してしまった、なんて話をよく知っています。親族で取り合いになったりして家庭が崩壊してしまうのだそうです。
人は、金品がどんなに豊かでも幸せにはなれないのでしょう。
心は無限だから共有できる、物質は限りがあるので分け合う。のではないでしょうか?(*^◯^*)
私は、まむむさんがお子さんの頑張りの過程に注目されてコミュニケーションをとっていることは、お子さんの幸せの価値観に良い影響を与えるものと信じてますよ!
少々(と言うかかなり)話が飛んでしまってるかもしれませんが、何かお考えになる材料になれば幸いです(;^_^A

ちなみに私自身はと言いますと、子供の頃お手伝い表というのがあり、お風呂掃除と食器洗いが30円で正の字付けてました^^;
しかも貯めたお金でお家を建てる、なーんて考えてましたが…まだ建ってません(ノw`*)笑
Juneさま、すみません!

カフェな気分で、マスターと呼んでしまいました。。
大変失礼しました。

みなさん、こんばんは。
管理人のJuneです。

最初に元気よくコメントしてくださったあやさん、素晴らしいです!
この元気と思い切りがあれば、子育ても女性としても大丈夫、魅力的だと思いました(^○^)

うさにゃんさん、子育ての実践に裏付けられた、思慮深いご意見ありがとうございます。
mioさん、柔軟な思考が感じられるコメントをいただきました。
MOON☆LOVEさん、実体験に基づいた子育ての重みを伝えていただきました。

りこさん、とても健康的な発想とお考えだと思いました。正論ですね〜。
コマイヌさん、正直で真面目なお考えですよね〜。これも正論です。
うめぼしさんのご意見は、なんだかワクワク(^O^)/つぎのステップを予兆させる内容になっています。

みなさん、それぞれに、お考えをめぐらせてコメントをいただきました。あらためて感謝です。
こうしたママの気持ちの一つひとつが、子育てにつながってゆくものであることを考えますと、なんだかボクまでとてもうれしくなってきます。同時に、このコミュニティーに参加されているみなさんの子育てひいては人間性の気高さのようなものまで感じてしまいます。

ここからは、ボクなりの回答を書かせていただきます。
今夜一晩では、書き切れないと思いますので、キリのよいところで区切って二回ぐらいに分けて書かせてくださいませ(^O^)/よろしくお願いします。

子育て、教育の話題には、右か?左か? それとも、上か?下か? スパルタか?ゆとりか?
…という対立軸をめぐる二分割された論争が、これまでも多いのです。

また、教育論争は、その他の科学(たとえば経済、法律、工学、物理学、医学など)に比べて、非常に激しく闘われると言われています。教育論争は、ひとたび火が付くとたいへん激しい論戦になるのです。

今回のまむむさんからご提案のあった子育てをめぐる疑問についても、掘り下げて考えてゆきますとまだまだたくさんのご意見やお考えが出てくるものと予想されます。

では、なぜ、子育てや教育をめぐる論争は、激しくなるのでしょうか?

これは、教育哲学からの考察なのですが、教育の活動はその本質において、二つの両極端な要素をつなぎ合せようとする作用があるからなのです。たとえば、「教育とは未来社会をめざして行うべきである」という考え方があるとします。これに対して「教育とは現実社会に生きる力を培うものである」と反論があったとします。

この二つの考えを軸に論戦を行うと、教育のその本質的な作用がはたらいて容易に決着が付かないばかりか、混沌とした世界へ突入することが分かっています。この両極端な要素をつなごうとする教育作用を「教育のアンタゴニズム」といいます。教育哲学の言葉です。

要は、教育の営みには二つの極端に異質な要素をつなごうとする作用があるのです。

↓つづく

↑つづき


ここからが、いよいよ、本題です。

子育てには、金品を与えるのがよいか?褒めるのがよいか?
回答は、両方とも正しいといえます。どちらにも、一定の教育効果が認められます。

しかし、金品を与えたときと褒めたときでは、その効果が違うのです。
ここが、今回の重要なポイントになります。

Chapterでは、くり返して申し上げているように、子育ての方法は年齢によって変化させないことを良いとします。子どもの年齢とともに変化する子育ての方法は、質(クオリティー)として低いと申し上げることができます。

洗濯物をたたんだら子どもに50円というお金による教育は、労働と報酬という社会ルールを教えるにはよいように思えますが、この方法が幼児期から成人までほんとうに意味のある子育てとして有効にはたらくのでしょうか?

一つの時期、一つの場面として、子どもにお金の意味や価値を考えさせるには、きっと良いのでしょうが、子どもの成長の長い時期を見通して一貫した子育てと考えるには無理があるのではないでしょうか?

これに対して、親から子どもへ褒めるという精神的な子育ての要素は、年齢に関係なく子どもに作用します。洗濯物をたたんでくれた子どもに「よかったわ。ありがとうね」と親から感謝と喜びを伝えることは幼児期から成人に至るどの年齢の子どもにも有効にはたらくことが考えられるのです。

そして、ここが2つ目のポイントになるのですが、金品を与えられた子どもの喜びは永続性がなく、いっときの喜びとしてすぐにも消えてゆくことが考えられるのです。このことは、子どもの年齢とともに大きな金額でなければ喜びとして実感できなくなることからも想像できるところです。

これに対して、精神的な親子関係にはたらきかける「褒める」という親の行為は、子どもにとって永続的であることが分かっており、場合によっては数年間あるいは数十年にもおよぶ長期間子どもの心を励まし続けることもあるのです。

というわけで、金品あるいは褒めるのどちらの方法にも、程度の差はあっても、子育ての成果は認められるのですが、そこには自ずから教育効果の大小が認められるのでした。「労多くして効少なし」とは子育ての方法にも存在するのですが、親の骨折り損はともかくとして、子どもに回り道をさせる子育てほどつまらないものはないと考えます。

このお話は、まだしばらく続きますので、今夜は、ここでひとまず<おしまい>としましょう(^O^)
このつづきは、近いうちに書かせていただきます。

ここまでの内容に関して、ご感想がありましたら、遠慮なくカキコミをお願いいたします。
2014・真夏の子育ての課題、第1回の修了です。


>>[236]
まむむさんは大先輩ですので、正直コメントするのは勇気がいりました。(;^_^A
でも、厚かましいついでに、Juneさんのコメントを読んで思うことがありましたのでもう少しだけ書かせてください。(*^◯^*)笑

以前私のマイミクさんがこんな事を書いていました。
“神が人間に贈った最大の贈り物は自由意志だ。しかし、人間が他の人間に贈りうる最大の物がある。

人間が人間に贈りうる最大の贈り物は、よい思い出だ。

いろいろなものは消えてしまう。人間が人間に与えるすべてのものは消えてしまう。しかし、よい思い出は消えない。”

Juneさんの言うように、金品には即効性があると思います。けれどそれらはすぐに消えてしまう。我々が子供たちに残せるものは、一体何でしょうか?
美味しいご飯も、新しいおもちゃも、流行りのスニーカーも、あっという間になくなってしまうのです。
でも、、家族で一緒に食卓を囲んだ記憶、一緒に遊んだ記憶、一緒にお出かけした記憶は、ひょっとしたら、数十年後、ふと思い出すことがあるかも?
私は、子供が生まれてから、自分が子供の頃お父さんお母さんにしてもらったことを沢山思い出しました。目の前のことで一杯一杯で忘れていましたし、その時は自分が愛されてるなんてまるで思ってなかったんですけど(;^_^A、実は愛されてたんですね。
お恥ずかしいお話しでした(^◇^;)笑

また、テストって、学習って、学びって一体なんなのか?ということに着目して考えるのも面白いかもしれないなあと思いました。
そもそもなんで勉強しなくちゃいけないんだ〜なんで99点じゃダメなんだ〜っていうことを、金品などのご褒美で誤魔化してちゃ、いくら100点でも寂しいものですよね。
子供だけじゃなくて、お父さんお母さん、問題を作る先生方だって、一緒になって100点を目指して頑張るのですよね。
ご褒美はわかりやすく花を添えるかもしれませんが、達成感を共有することには敵わないかな、なんて思いました(*^◯^*)

ではでは、Juneさんの講義第二回を心待ちにしております〜!
私も、幼稚園生活がスタートして、モヤモヤしたり、スッキリしたりの毎日だったので、まむむさんのコメントから、皆様のそしてjuneさまの講義まで聞けて、勉強でき、しあわせを感じています!
ありがとうございます!

すみませんが、今日の私のモヤモヤを聞いて頂けたら幸いです。

今日、家族四人でプールに行きました。3時間半が経ち、パパがもう帰ろーといいはじめたら、泳いでいた娘は、ヤダーーまだまだ泳ぐ!遊ぶ!といい始めました。そしてパパが、また来ようねとか言っても、納得しない娘。
私も、横からいろいろ提案してみていた矢先、、パパが、張り切って
「アイスたべよか!」 と。

娘は、即座に、うん!!と、張り切ってプールをあとにしました。。。

パパにダメ出ししまくったコマイヌであります。。
もう少し、頑張ろうよって。

仕事疲れもわかりますが、、、ズッコケました。私。。

なんだかなぁ、、、
>>[240]

その状況よーく分かります!
うちの娘も遊んで帰るころは大体そうなり大泣きするパターンです^^;

アイスいいじゃないですか⁉︎
パパがいるとうちもそうなりますが
切り替えですよ。切り替え。
気持ち良く帰るには時にはありです😁
アイスじゃなくても他にすぐ出来る楽しいことがあれば気持ちはそっちにいくだろうし。

逆にまだ遊ぶ‼︎とギャンギャン泣いてもこっちも一歩も譲らない時もあります。泣き疲れてきたら遊ぶ‼︎から抱っこ‼︎に変わり抱っこすると落ち着くパターンが多いです。その後はけろっとしてます^^;
でも小学生とか大きくなるとまた違った反応になるのかな⁇
>>[241]

ありがとうございます!

アリですかね(笑)

4才になって1ヶ月が過ぎようとしている娘。

イヤイヤ、いつ終わるのかしらな姿。

chapterを読み、今一度自分を振り返ろうと思っています。

真面目過ぎる自分に疲れています。。
>コミュのみなさま

こんばんは。
暑い毎日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?

まむむさんから頂いた質問に対する第2回の管理人からの夜噺(よばなし)です。
夏の夜の、子育ての語らいを、今夜も始めたいと思います。

まむむさんのカキコミから、次の文章を取り上げます。

>今回の書き込みのきっかけは
>小学校二年生というまだまだ天真爛漫に過ごしていいような世代の子が
>テストを隠してしまうという点でした。
>そこに私は痛々しさしか感じられませんでした。

なぜ、小学校二年生の子どもが、このような態度を取るのでしょうか?
答えは非常にシンプルです。親がテストの点数でしか子どもを認めないからです。
テストの点数がよいという部分でしか、子どもの存在を認めないからです。

念のため申し上げますが、これは子育てでも、教育でもありません。
母親の勉強や学校に対するコンプレックスを子どもに押し付けているだけです。

この母親の主張をじっとガマンして、子どもが百点を取り続けるとして、
いったい何年生まで百点を取り続けるのでしょうか?
もう、5年生ぐらいになってくると、くたくたに疲れて、親に反抗もしたくなりますよね。

ほんとうの子育てとは、子どもが勉強も、遊びも、スポーツも、
子ども自身がやる気になってもらわないと始まらないのです。
しかも、そのやる気が、幼稚園より小学校に入ってからぐんぐん伸びるものであってほしいですね。

さらに、子どものやる気、つまり生きる意欲が、小学校より中学校へ入ってから伸びてほしいですよね。
そして、中学より高校に入ってからの方がやる気の子どもに育てたいと思いませんか?

え? そんなこと考えたことなかったって?

あのね、ボクがいつも考えることは、ほんとうは、高校生より大学生になってやる気を出してほしいし、
もっと言えば、社会人になってから生きる意欲が全開の成人に育てたいですよね〜(^○^)

そのためにこそ、私たちが心得ることは、次のようです!

子育ては、親の同じ態度で、同じ方法で、行うことを良いとします。
また、子どもに対してパーフェクトな親であることを下等とします。

上質な子育てのためには、「ほどほどのママ」でなければなりません。
成長する子どもの後ろから、よろよろと付いて行くママであることが求められます。
すなわち、Good Enough Mother(グッド・イナフ・マザー)ですね。

ここまで到達したら、つまり百点取れたら、褒めてあげましょう。
という、上から目線の子育ては、やがて親も子も疲れ果てて、
それこそ、受験競争の犠牲となって、心身共に朽ちてゆくことになるでしょう。

くりかえしますが、子育てとは、親子の人間関係をつくることにあります。
親子の人間関係の根本は、夫婦の二人の人間関係にあります。
だからこそ、ママはパパの気持ちに向き合って生活をすることが求められるのです。
そして、そのかたわらに、子どものお世話をすることです。

また、夏休みのように、子どもの時間がたくさんあるときは、
ご実家に子どもさんを預けたり、長期キャンプなどに参加をさせて、
子どもとママとの関係を見つめなおすことも、非常に大切なことなのですよ。

要は、子どもは、たくさんの人たちの中で成長するものですから、
できる範囲で、ママの元から子どもを離して、たくさんの人たちに育ててもらうことも意識しましょう。

え? 子どもが家からしばらくいなくなったらどうするって?
それは、きまってるじゃないですか!
ご夫婦お二人で、デートにお出かけください。
二人で「うちメシ」でもいいですよ。

子育ての根本は、夫婦の関係ですからね。
ここは、大切なのですよ。

そして。

子どもたちが二十歳になったとき、どんな親子でいるでしょうか?
そのことをいつもイメージしながら、ママはご主人の気持ちに向き合うことですね。
子どもの姿にも、その奥にご主人の生命を見つめながら、
子育てにお励みいただきたいと願うものです。

すなわち、ママは子どもたちに毎日つぶやきます。
「パパって、素敵〜ハート

今夜はここまで、ですよ(^O^)/
子育ての基本に立ち返った噺になりましたが、いかがだったでしょうか?
お気づきの点や、ご感想がありましたら、ほんのつぶやきも含めて、カキコミをしてくださいませ。


>コミュのみなさま

こんばんは。
九州から近畿地方は、大型の台風が接近、
そして上陸というたいへんな1週間でした。

みなさんのところは、被害がありませんでしたでしょうか?
まだ、この台風は日本海を北上中ということですから、くれぐれもお気を付ください。

さて、まむむさんからご質問をいただいて、第3回目の今夜は、
この質問の本質に迫って解説をさせていただきます。

「子育てには、金品を与えるのがよいか?褒めるのがよいか?」

この回答は、どちらにも子育ての成果はあります。
しかし、そこには、子育ての質の高低が見られまして、
金品を与えるより褒める方が、質の高い子育てをすることになります。

今回の本題は、ここからです(^○^)

人間には苦痛を避けて楽をしたいという動物的な欲求があります。
安心の気持ちや睡眠や食事の欲求がこれに当たります。
これらの欲求は比較的簡単に満たされますが、しばらくするとまた欲しくなります。
こういう肉体感覚や日常生活にまつわる欲求を「低次の欲求」といいます。

子どもに金品を与えることは、この低次の欲求を満たすことにあります。
ここには、人間の心よりも物質的要素が強く存在します。

これに対して、人間には精神的に成長したいという欲求があります。
自分の存在が認められるとか、友だちが出来てうれしいとか、
楽器が演奏できるようになったとか、鉄棒の技ができるようになった…
これらの達成感や心の充実感を「高次の欲求」といいます。

子どもを褒めたり、認めたりすることは、この高次の欲求を満たすことにあります。
ここには、物質的な要素よりも親子の精神的な要素が強く存在します。
この精神的な子どもの要素にはたらきかける子育てが、上質な子育てといえるのです。

ここで、大切なことは、子どもの心を共感する人の存在です。
子どもの楽しさや喜びに加えて、これを共感してくれる人がいることが大切なのです。

毎日の子育ての場面では、当然のように、子どもの「低次の欲求」と「高次の欲求」に対応する母親の姿が見られるものです。どちらの欲求にも子どもの必然性があるのですから、親としては対応が求められます。

今回のポイントはここですexclamation ×2
子どもの「低次の欲求」は満たさないと、死んでしまうこともあります。
しかし、子どもの「高次の欲求」は満たさなくても、それなりに成長します。

上質な子育てとは、「高次の欲求」を満たすための子育てであるといえます。
「高次の欲求」を満たさない場合、その子育ては精神要素の欠乏した、物質要素の強い、
親子関係の希薄なものになってしまいます。

ここまでをまとめますね蟹座

子育ての本質は、子どもの心の欲求に目を向けることにあります。
精神的に成長したいという子どもの欲求に親が少しばかりでも対応できれば、
そこには素晴らしい結果が期待できるのです。

では、どのような対応ができるのでしょうか?
実に、簡単ですハート

子どもは自分の存在が親から認められることに非常に敏感な反応をします。
ここに「褒める」という親から子どもへのはたらきかけの重要な意味があります。
では、どんなときに、親が子どもを「褒め」ればよいのでしょうか?

上質な子育ての例を取り上げてみましょう。
ハート達(複数ハート)ここが重要ですハート達(複数ハート)

・「笑顔がかわいいね」と言って褒める。
・「生まれて来てくれてありがとう」と感謝の言葉を口にする。
・母親が笑顔で、ただ抱きしめる。
・「やっぱり私の子どもだわ」と笑顔で言う。

これらの親から子どもへの安心と称賛と承認(あなたを私の子どもとして認めます)の気持ちを、
毎日、毎日、示すことが、すなわち上質な子育てであるのです。

なぜなら、この単純で、当たり前そうな親子の姿に、
親と子どもの心のつながりをつくるすべてがあるのですからexclamation

つまり親と子どもの心のつながりは、子どもが親を信頼する心をつくるのです。
子どもが母親を信頼するということは、子どもが自分自身を信頼するという心につながります。

子どもが母親を信頼できるということは、とても素晴らしいことなのです。
なぜなら、母親から、安心と励ましと賞賛の心をもらった子どもの心は、
自分の心に自己信頼の気持ちを育てることになるからです。

最近の学校での調査によりますと、自分のことをネガティブに考える子どもが非常に多いようですが、
この傾向の根本には、親子関係の良し悪しがあるのです。

結論めいたことを言うのは、まだ早いかもしれませんが、
子どもの存在を、無条件で「褒める」ことができる母親は、実に、賢明な女性であると言えるのです。

今夜は、ここまでです(^O^)/
ひきつづき、どなたも、ご感想をどうぞ〜



>>[244]

ヤンチャすぎる息子に最近褒めたか?考えてみました

…?あれ?ないかも。困った、これではいかん!


毎日、怒ると言うより注意ばかり口にしている私。もちろん、単純に怒ることもしばしば

どこへ出掛けても、自由な息子は(決して悪気はないのですが)、すぐ他人の顔色を不愉快な表情に変えてしまいます
親として「スミマセン」と言うことが毎日のようにあります

癖になってしまい、息子がまた悪さしないようにと私が先に前を行くようなことばかり口うるさくなっています


そんなんだから、褒めることなど毎日あるわけがありませんよねあせあせ
そんなお母さんを信頼してるのか?といえば、きっと違うのかな?
それもまた私自身が息子を信頼してないからです


今一度、深呼吸して子供たちの良いところを見つける心がけをしたいと思いますわーい(嬉しい顔)


毎日褒められるように

まむむさんからのご質問の第四回目の夜咄、これが最終回です。
「子育てには、金品を与えるのがよいか?褒めるのがよいか?」

真夏の夜咄として始めたのに、ボクがふらふらしている間に、もう秋になってしまいました。
よかったら、今回も、どうぞお付き合いくださいませ。

今回は、子育てのお話、「金品なのか褒めるのか?」を少し発展させて私たちの幸福についてまでを考えます。

最初にテレビの話題を。

みなさんは、テレビコマーシャルがお好きですか?私事でたいへん恐縮ですが、ボクはテレビCMが大好きで、いつもCMだけは熱心に見ていますよ\(^o^)/

たとえば、バナナマンの日村さんが浦島太郎で登場するオールフリーのCMは大のお気に入りですし、ビール事業部長の遠藤憲一さんが「なにーい!」と叫ぶチュウハイ事業部の謀反、キリンのチュウハイCMも好きです。

それから、缶コーヒー、ジョージアのシャキーン!も好きです。「外回り行ってきます!!」は最高だわ。宮崎あおいちゃんが何気に一人で登場するearth&music ecologyのCMもほのぼの感がイイな!( ´ ▽ ` )ノ

これら、テレビCMは、商品を購入すれば、みなさんは幸福になれますよ。いや、すぐに幸福というわけではないけれど、少なくとも幸福に一歩ずつ近づけますよ。という情報を発信していますね。

今話題の松岡修造さんがパパ役のファブリーズのCMでは、この商品を使えば清潔な生活ができますよ、というだけでなくて、年ごろの子どもがいるかなり危うそうな家族でさえも、みんな仲よくできますよと、謳ってしまうのです〜(*☻-☻*)

↑ちょっと怪しいですよね。商品を買えば家族まで仲よくなれる?CMは所詮、ヴァーチャルな世界だなぁと分かっていても、ファブリーズという商品の価値はなんだか高そうに思えてくるから不思議です。買ってみようかな、なんてね(^O^)

さて、みなさんに質問です。
YesまたはNoでお答えください。

テレビCMで見た商品を購入した消費者は、幸福になるでしょうか?それとも、別に、買っても買わなくても幸福とは関係ないでしょうか?

幸福になる、または少しは幸福になるとお考えの方はYes!
幸福にはならない、または商品購入と幸福は関係ないとお考えの方はNo!

みなさんは、どう思われますか?

やはりね、よい商品を手に入れたら少しは幸わせになりますよね。今日もね、ボクの店でTシャツをまとめ買いしていった女性が「うわーうれしぃ!」って言ってましたよ\(^o^)/

この質問に、人間主義心理学者のF・ハーズバーグは、毅然と答えます。彼の答えはNo!です。

なんでやろ(*☻-☻*)?

ハーズバーグによると、消費者がどのような商品を手に入れてもその人の幸福には関係しないと述べています。ここで消費者が満足するのは、不満が解消されるための充足感であって、幸わせとは無関係だといいます。商品の購入は消費者の幸福とは無関係である。←うわっ(>_<)ここが第一のポイントです!

すなわち、ハーズバーグは人間の欲求を二つに区別して考えているのです。一つは不満の解消であり、二つ目は幸福へ至る道です。

この二つはつながっているのではなく、不満は不満として存在し、幸福は幸福として、はっきり区別されているというものです。これをハーズバーグ理論といいまして、心理学から導かれたたいへん有名な理論であるのです。

この理論によりますと、人間は幸福感を味わうと仕事や勉強のやる気が出てくるといいます。これに対して、私たちの不満が解消されるとき、いっときの喜びはあるのですが長続きすることはないのです。また、不満の解消は、仕事のやる気にはつながらないということです。←うわっ(*_*)ここ二つ目のポイントです!

人が仕事(子どもが勉強)をやる気になるためには、何が必要でしょうか?

ご主人の給料が五万円上がったからといって、ご主人の仕事へのやる気が上がることはありませんm(._.)mもしも、やる気が出ても、すぐ元に戻りますから…(-_-;)

給料が上がってうれしいことと仕事へのやる気は別なのです。

ご主人の会社の設備が新しくなって、照明やエアコンが最新のものに取り替えられたからといって、ご主人が仕事に夢中になることもありません。

たしかに、新しい設備になって気持ちよく仕事ができることは素敵なことですが、仕事へのやる気にはつながらないと考えられています。

じゃあ、どうすれば、ご主人は仕事に熱中するの?
(ついでながら、じゃあ、どうすれば、子どもは勉強に熱中するの?(>_<))



↓つづく目がハート
↑つづき目がハート


それでは、仕事に、勉強に、やる気になるための条件とは?
ここからの内容は、決定的に重要ですハート

第一に、その人を取り巻く人間関係が良好であることです。
職場の上司とご主人の関係は、決定的に重要です。
次いで、ご主人と同僚との関係が大切です。
子どもの場合は、母親との関係が決定的に重要です。
そして、学校の先生と子どもの関係も重要です。
次いで、子どもどうしの関係が大切になります。
ここでの環境とは、その人(その子)のことを認めてくれて、立場を尊重してくれる周囲の人たちを指します。こうした人たちが周囲にいると、仕事(勉強)のやる気が出てくるのです。

第二に、ご主人の気持ちや仕事を共感して、反応してくれるスタッフが必要です。
子どもの場合、母親や先生が子どもの気持ちになって話をよく聞くことや励ましが求められます。
これを共感的理解、応答的な環境といいまして、気迷いが合ったり、つぶやいたことにだれかが肯定的に反応してくれる人間環境が大切であるのです。これは、大人にも、子どもにも必要であるのです。

第三に、ご主人には能力がある、仕事をしっかりやっているという承認と称賛が必要です。
職場では、その人に一定の仕事が任せられるとか、ご主人が昇級するといったことが行われます。この場合も、仕事への意欲は長期にわたって上昇します。

このような人的な環境が整いますと、ご主人の仕事へのやる気は俄然出てくるのです。すなわち、仕事そのものが楽しくなってくるのです。これが四番目の要素です。子どもの場合ですと、勉強が楽しくなってくるのです。

お分かりになりましたか?
仕事(勉強)に、やる気の出る方法とは、人的、精神的な環境の整備にあったのです。これらの条件が整いますと、永続的に、やる気がある人間としての活躍が大いに期待できます。仕事のできる人間としてだれからも認められるでしょう。勉強のできる子どもとしてみんなから認められるでしょう。

この結果こそが、すなわち幸福であるのです。
「人が幸福であるための条件」と「仕事や勉強をやる気になるための条件」は、実は、同じものであったのです。

人間主義心理学によりますと…

人が幸福であるためには、人と人との関係において良好であることと自分の仕事に夢中になれることを条件として上げています。ここには、幸か不幸か、お金や宝石や温泉旅行といった現実的なことは出てきませんね〜(>_<)

人間の幸福と人間のやる気は、非常に密接な関係にあるということです。
私たちは、家族の幸福を考えるための一つの手がかりとしてもよりよい子育てについて、しっかりと考えることが大切なのだと思うのです〜(^O^)/

まむむさんからのご質問に対するボクからの夜咄は、これでひとまず終了とさせていただきます。

このひと夏、お付き合いいただきまして、たいへんありがとうございました。
また、いつものようにご感想をカキコミしていただけるとたいへんうれしく思います。



今回もとても勉強になりました。
自分の居場所が学校でも家庭でもあり、それが居心地のよいものであることが大切だと思いました。

私は勉強が苦手でした。
でも、働きたい仕事の資格をとるときに必死に勉強しました。
その時に勉強の楽しさを知り、一緒に目標に向かう仲間にも恵まれました。
娘にも学ぶ楽しさを知ってもらいたいと思っていました。

長女は2年生で学校が大好きです。
勉強も大好きです。
習い事には本気です。
休みの日も学校が待ち遠しいくらいです。
朝起きると机に向かいます。
問題集を解いたり、本を読んだりしてます。
時にはぼーっとしてゆっくり朝を過ごすときもあります。
私は、勉強しなさいなど一切言いません。
私が勉強が苦手だったので、娘が勉強が好きで進んで取り組むことを不思議に思ってました。
娘に聞くと、楽しいからしてるだけだよと言われ驚きました。
娘の話を聞くと、学校で先生から褒められたり、友達から認められたりすることがとても居心地がいいように思います。
家庭では次女に泣かされてばかりですが、話をゆっくりと聞く時間は毎日作るように心がけています。
このまま勉強が好きでいて欲しいと思ってます。

次女は、お腹すいたー!と起きてきて朝ごはんをモリモリ食べます。
幼稚園バスまだ?と制服に着替えると待ち遠しくてはしゃいでいます。
次女も幼稚園に居場所があるようでホッとしています。

>>[247]
私は、転校を1度だけ経験したことがあります。
中学一年生の3学期でした。
それまでの中学生活は、小学校から仲の良かった子達と別々になってしまい、新しいクラスでは今までの仲良し組が出来上がっていたので中に入れず、孤立していました。林の生い茂る、湿っぽい雰囲気の学校でした。
その代わり、先生との関係性によって学校に居場所を見出そうとしていました。そのおかげか、積極的に勉強に取り組み、成績も安定していました。

それが転校してから、一変しました。日当たりがよくとても開放的な雰囲気の学校で、誰とも同じように話しかけられるようになり、学校自体は毎日通うのも楽しかったです。
ですが、先生に対する不満は大きくなりました。勉強にやる気が起きなくなってしまい、友達と一緒に絵を描いて遊んで過ごすようになり…どんどん成績が下がって行きました。

自分の経験からすると、やはりお友達との関係よりも、先生との関係の方が成績には重要だと思います。しかし、転校する前の2月期間はかなり孤独で苦しいものがありました…。

幸福とやる気、二つとも人間関係によって左右されるんですね。幸福は縦横の人間関係のバランスが大切に思いますが、やる気はより縦方向の人間関係が重要なのかな、というのが個人的な感想です。

その時母親はどうだったか?と言いますと、子供四人を養うために働いて、毎日疲れてたりイライラしているのが記憶にあります。お弁当も作ってもらえなかった寂しい記憶…(;^_^A

長々と書いてしまいましたが、辛い過去の経験はこれから自分の子育ての糧にしたいと思ってます!
Juneさん、詳しい内容ありがとうございました。
こんにちは。
以前2年生の時の娘の相談させて貰いましたが、5年生になった今学校生活は充実しているようです
相変わらず算数につまずいて頭かかえてますがわーい(嬉しい顔)


ここへきて、ひとつ気になることが起きてます
2学期が始まって運動会を翌日に控えた金曜日
下校して鍵がなくて家に入れなかったのですが、その日のうちに担任に探して貰いましたが見つからず、翌日に運動会の日に朝一緒探したけどやはり見つからなかった
この時、娘が鍵を入れているランドセルのファスナー付ポケットの口をいつも開けっ放しにしていたので、それを注意し持ち物を必ず学校で確認してから帰るよう習慣にしようと話し合いました。
登下校で落としたかもしれないので交番に届け出ましたが未だに見つかってはいません

それから、二日後の代休。
ドリルと百字帳がありませんでした
気づいたのは、それまで娘が宿題をしなかったので遅くなりましたが金曜日からないのかもしれません。

翌日、連絡帳に書いて鍵と一緒に無くしてしまい家庭でも探してみますが…と先生とやり取りしました


そして、鍵を作り以前と同じ首にかけるストラップを買い与えました
それを初めて持っていった日にまた無くして帰ってきました
今回は違いました
その日、警報で登校が私が出勤したあとだったので戸締まりしてその手でポケットへ入れちゃんとファスナーの口を閉めたとのこと。
学校でそのポケット開けることはありません。
帰るまで。
なのに、ポケットの口は開いていたとお友だちが言います(娘が家の前で鍵を取ってと頼んだ)

10日間のうちに、鍵を2回も無くして、ドリルとノートが見つからない。
そんな9月末〜10月の第一週

つい3日前、また借りていた先生のドリルと新しいノート、算数の教科書がランドセルからないと言うふらふら
うっかりな娘に私は、どこからないのかを知りたくて慎重に話を聞いて、私が判断したのは今回に関しては家ではなく学校内で確実無い!と分かったので。そのことを学校へ

担任が帰宅したので、学年主任の先生が家まで来てくださり初めから起きた事の内容から丁寧に話を伝え、心配そうに深刻に考えて下さいました

翌日、担任からの連絡で今日は無くなった教科書などが皆の所へ間違っていっていないか探して欲しいと言うことに始まり、今一度、道具箱やロッカーに必要なものだけあるか、また要らないものは持ち帰るよう整理整頓したそうです
家に帰ってもしも◯◯さんのがでてきたら正直に先生の所へ持ってきて下さい。
など、先生の言葉で犯人探しとかではなく、こういうことが続いているけど皆で解決していけるし、勇気をもって出てきてくれたなら皆で支えていけるクラスにしていこう。というニュアンスで話してくれたそうです
学校側が出来ることは想像がついていたので、私の方からは先生の意識を今までより目を向けてもらえたらと思うだけです

(私の小学校時代は先生は威厳がありましたからこのように物がなくなってもすぐにポロっと出てきたような記憶がありますあせあせ)

娘は、こんなことがあっても友達関係は今まで何も変わりません。クラスも協調性があり何でも力を入れて取り組む子たちばかりです。私は、娘の表情や学校での話を彼女からしてくれるのですが本当に充実してるように感じいます
娘がいつもと変わらないでいてくれてることに有り難くて、安心している反面。もしも、万が一今までの鍵の件からずっと隠れて取っている子が存在するならば、大人や子供たちの間でも気づけないその子の存在が心配でなりません

また、いつも娘に言うのですが物がなくなるのは貴女が確認をするという約束を守らなかった事にも繋がる。いつ、どこで無くなったか判断できず問題は繰り返すよ。これから、一人で出かけるようになることも増えるから、お友だちの家に忘れて無くなっていても仕方ありません。その場所を出る前に確認するよう話しました
他にも色々話し合い、できる範囲でどうするか決めましたが、私自身は、まだ問題が解決していないのでモヤモヤした感じですあせあせ

この事を皆さんはどう感じになられますか?
また、私の娘への対応はこれで良かったのでしょうか?

>>[251]

お疲れ様です。働かれながらの子育て、なんでしょうか?大変ですよね。
時間できたら、と思っているとなかなか書けないのでクイックレスで失礼いたします。

娘さんについては、できることをやったし、これ以上できない、気をつけつつも、気にやまないようにするしかないのかな?と思いますよ。
子どもに鍵を持たせて仕事などに行っている先輩ママさんに聞くと
「鍵?何回かなくすよ。もう仕方ない」ものなのだそうです。
(そのお子さんはかなりしっかりしているんですけどね)
ランドセルにつけていたそうですが、遊びに行く時に付け替えて落とすとか
あるようです。

あとは、学校を信頼してお任せするしかないですよね。

うちは小学校一年生になる息子がいます。
一学期はよく忘れ物も、なくし物もして、先生と何回かやりとりしました。
一週間くらい探した結果、うちの場合は家から出てきました・・・(汗)

2学期からは落ち着いていますが、先日の連絡帳で、明日持ってくる物に
赤字で「ふでばこ」
・・・お前、今日一日どうやって生活を。。。(泣)
しかも私も連絡帳見るまで気がついていなかった。。。

因みに私は同じ日に電車で出かけていて、
電車の中に図書館の本を忘れていて、図書館から始発駅に取りに来てください、と言われた直後だったので
・・・怒れないなあ、血は争えないなあ、という感じです。
(夫の方がしっかりしているので、夫に似てほしかったです(汗)

人生平均年齢の半分過ぎましたけど、うっかりは直らないですよね。
大学の時も、よく定期を届けてもらってました。

子ども産んでから、早くものを出さないといけなくなったので
鍵や定期などをカバンの定位置に入れるようになって
やっと落としたり忘れたりが減った(ないと断言できない・・・)ので
長い目でみてやらないといけないなあ、と思います。。。
なかなか難しいですよね。

まとまりませんが、見つかるといいですね。
>>[252]

早々にコメントありがとうございます。

鍵の件は娘の管理がファスナー開けっ放しのまま下校してくる。なので、学校なのか道で落としたのかも分かりません。常日頃、散々閉めるんよ!と言っていてもです
ですから、本人はよく分かってました

学校の中で、鍵があるか確認してから下校する!
をお互いに話し合って改善策を出したのに、2回目もまた家の前で無いことに気づくのでした。本人はファスナーを閉めたと断言するものの、絶対はないのよぷっくっくな顔とついきつく言ってしまいました

それからの、先日の教科書などの紛失は、鍵の件はさておいても…、取られたと断言できるもので涙(そんな風には言いたくはないのですが)
もしかすると、悪気の無い思ってもみない事が起きたのかも知れませんよねほっとした顔


とにかく、私も主人も注意して確認を怠らない。としか対策はないかなあと話しました

習慣づけれるようになれば、これから親の目の届かないところへと成長していくのですから、彼女にとってこの出来事はポジティブに受け止めてます
本人もよく実感できてるようですね
ただ、なかなか習慣づけられるのは難しいのでmidokoさんの言うように繰り返してようやく身に付くことを願って、長い目で見守っていきます!!


また、物が出てきたらこちらで報告させていただきますねわーい(嬉しい顔)

先日も相談させていただきましたが、昨日、また鍵が無くなりました

実は、この1ヶ月前にクラブ中に算数の教科書と百字帳と漢字ドリルが盗まれた時には、先生が確実に誰かの仕業ではないかということになり、学年で警戒していた所でした

担任が妊婦ということで、先週月曜から体調を壊し今学期の復帰は難しいのでその代わりの担任が着いてからは、昨日を入れて三回鍵を持たせ筆箱へ入れてました。(これまで、担任に預けていました)

そして、昨日。詳しく聞くと限られた短い時間に取られていたようです
すぐに、クラスで荷物や服のポケットなどの検査をしましたが見つかりませんでした


物がなくなるのは他には一つもないようで、娘だけを狙っている様子。
ただ、クラスでの様子、友達関係に気になることは何一つなくて、娘自身学校生活を毎日楽しんでおります

目には見えない何かが原因を作り、このような許されない行動にかられる子がクラスにいるのかと思うと毎日心配せずにはいられません。
こなにも毎月物を盗られているのにも関わらず、幸い、娘は普段と変わらない様子です



先生とも話し合いましたが、解決方法が見当たりません
防止策として、鍵は毎回預けることになりました
三学期は新しい先生が担任につきます。娘のクラスは、夏休み直前から担任が体調不良で休み夏休みに突入〜二学期も時々休みや早退などもあり、頑張って復帰してくださいましたが、先週から長期の休みに入りました

このような事も関係してくるものでしょうか?

五年生って、多感な時期だと思います
娘もそうですが、盗る行動をしてまうその子も心配です
ケアできるものならしてあげたいものですが今は何もしてあげれません
気づいてほしいのか?何かを伝えたいのか?ただ、娘の物を欲しいだけなのか?

犯人探しをしても仕方ないですし、どうしてよいものか?

私は、先生にどこまで求めてよいものか?



とりあえず、家のドア鍵は替えることにしましたが(ーー;)


皆さんの考えを聞かせてください
>>[254]

本当に悩みますねぇ。
私も娘にクラスで同じような事はないか聞いてみたら(2回もきいたらしく呆れられました)ないとの事でした。

5年生といえば女子は派閥ができてきて、プチ反抗期ですね〜。
Juneさんに聞いたら、ようやく客観的に物事が少しだけ見えてきて、少しずつ相手の立場に立てるようになるそうです。


でもゆき様のお嬢様は特に友達関係でも悩んでいなさそうですしねぇ。


鍵を先生に預ける、今の方法がいいのではないでしょうか?
教科書とかはコピーすれば問題ないでしょうし。←学校側ではあまりオススメしないでしょうけど。


ひとまず、先生も一生懸命対応してくれているようですので、学校の事はお任せして冬休みを楽しくお過ごし下さいませ〜。


あんまりいろいろ心配しちゃうと、いつもその話題でお嬢様も心痛くなってしまうでしょうしね。


こちらの学童保育はおかげさまで6年生までみてくれるので、鍵っ子にしなくてもいいので本当に有難いです。
娘は文句ばっかりだけど、自分の思うようにいかない環境でやっていくのも経験なので、適当になだめております(笑)


全くアドバイスになって降りませんが冬休みで親子共々リフレッシュして下さいねうれしい顔
>>[255]

毎回、励ましのコメントありがとうございます
また、娘さんにも聞いてくださり本当に有り難いです
五年生って難しい時期にきちゃいましたね

鍵に関しては、三学期も引き続き先生(新しい担任)に預けて、新学期六年生に上がっても同じ対応でお願いすることになりました

このようなことは、繰り返されないようこちら側が、心得、防止策を作ることにつきますね


気づくとまたこの件のことを思い出したりしてしまいます
気持ちは下がるばかりで、どうしたものか?と悩んでは答えは出ないままなのです

ですから、みわきちさんの言うように冬休みをリフレッシュせねば!と思えましたよ
娘も、私からの質問によく何度も返してくれたものです
(悪いことしたなあ)
この休みに氏神さまにお参りもして気持ちよく一年の始まりを迎えたいと思いますわーい(嬉しい顔)


ありがとうございますぴかぴか(新しい)


>>[254]
こんばんは(o^^o)
娘さん心配ですね。
私は長女が2年生なので5年生のことはよくわかりませんが、書き込みから思ったことを書いてみたいと思います。
私が娘ちゃんだったらと想像してみました。
学校で物がなくなることはショックだと思います。
自分が置き忘れなど心当たりがある場合は違いますが、誰かが自分の物を隠したと疑いたくなる状況てあれば、
娘ちゃんにとってクラスは居心地がよくないと思います。普段と変わらないようにみえても、大きな悩みをかかえていると思います。

1年生のときに、長女のクラスで1人の女の子の通学帽がなくなりました。もちろん先生が誰か持ってませんかと聞き、ロッカーや1人1人名前も確認しましたが出てきませんでした。後ででもわかる人は先生に教えてくださいと声をかけ、数日後見つかりました。帽子がなくなった子のお母さんは、どこにありましたかと担任に聞いたところ、なんと座布団として使う防災頭巾の中にありました。明らかに故意に隠されたものなので、クラスで話し合って欲しいと話したそうです。口喧嘩から始まった些細なことからとっさに隠してしまったようです。その時長女は、なんでなくなったんだろう?かわいそうなんだよととても心配していました。一年生でもこんなことがあるとは驚きました。隠された子のお母さんは、色々なお母さんにそのことを話し、あっと言う間に隠した子の名前が広がりました。物を隠す子というレッテルがはられてしまいました。子供同士のことであり、隠されたことは酷いことだと思いますが、お母さんの行動はまちがっていたと思いました。

一年生だから、先生や親に相談しやすく解決できその後は問題が起きませんでした。
5年生だと、隠す方はもっと悪知恵が働くと思います。
先生も把握できない部分が増えてくると思います。
親からも少しずつはなれ、子供の人間関係も見えにくくなると思います。

冬休みということで、親子の時間が増えると思います。
私なら、娘ちゃんとゆっくり話す時間を作ります。
いつでも話を聞くし、ママは娘ちゃんの味方だよと。
電話で相談できる子供相談があると思うので、机にその番号を置いておく。親にも先生にも言いにくいときの相談場所の提案として。
パパと娘ちゃん2人の時間を作ってみる。
Juneさんから私がよく言われています。
育児には母性だけでなく父性も大切です。

まとまらない文章になってしまい申し訳ありません。
娘ちゃんが居心地がいいクラスで学校生活が送れるよう応援しています。

Juneさんからアドバイスいただけるといいですね。
Juneさんお願いします!!
>>[257]

子供のしたこととは言え、切実な悩みでしたのでうさにゃんさんの丁寧なお答えがとても有り難いです

ありがとうございます


私も子供の頃はクラスでこのような話し合いはありましたが私自身他人事のようにおもっていたので、うさにゃんさんのお嬢さんのお気持ちが純粋に優しいなあと思いました
また、その時は私のクラスにも出てきたのですよ

なので、はじめはすぐに解決するだろう…と、のんきな母親ですよ
それが、二個目、三個目と続く間に教科書もドリルも〜

全く、心当たりのない娘も少しばかりのんきに構えていましたが、さすがに傷ついたようです
それでも、仲の良い友達が沢山いてくれて学校の登校にも差し支えなく終業式を迎えられました
休みに入っても家にお友達が遊びに来てくれて宿題を済ませたりと充実してます

このまま、年越しも迎え新たに三学期も防止策を念入りに、先生の協力のもと新六年生に迎えたらいいなあと思います


Juneさんのアドバイス。私も待ち遠しいのです!
聞けたらいいですわ


うさにゃんさん、良いお年をわーい(嬉しい顔)手(パー)
ご無沙汰してます。
このコメントどなたか拝見しましたら、アドバイスをお願いします。

小6の息子に、学校に持参する、朝読書用の本を探してます。
親子で本を読まないので、是非良い一冊があればお願いします。
ちなみに、本は集中して読めない息子です(^_^;)

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