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だれでも使える応急手当コミュの社会の一員として、家族の一員として

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家族・仲間を助けたい!!町で倒れた人を助けたい!!どちらも助けることには違いないが人である以上気合の入れ方が変わると思う。人間であれば当然のことだと思う。

アメリカで受講したファーストエイドの講習会の後に行われたアンケートで、誰を助けることができますか?という質問があり、項目には家族・友人・隣人・同僚・見知らぬ人などの項目があり5段階で自己採点をさせられた・・・

家族・友人のポイントは高く、次に友人・隣人、最後に見知らぬ人ほとんどの人はそう答えていた。全部に5をつけた人は一人もいなかった。

なんでこのようなアンケートをするのですか?日本だったら見知らぬ他人が傷病者だとしてもこれで助けられますねと聞きますよ?

指導されていた教官は、逆に私に本当にそう思いますか?
と質問してから、そのあと、だから市民がCPRをしないんじゃないかな〜

対象者によって自分が助けたいという気持ちも変わるのが当たり前。一番助けたいと思っていない見知らぬ他人の救助について勉強して、記憶力が持続することも少ないし、実際に交通事故の現場などで自分が動けなかったことに罪悪感や挫折感を感じ救助に対する壁を作るんだよ。

次に、あなたはその壁を取り去る方法は訓練だと思いますか?レサシアンでの訓練よりもっと重要なことは、日々シュミレーションをすることだよといわれました。

確かに、私はレサシアンでの人工呼吸や胸部圧迫の練習では、この年になるとさすがに失敗もしないし緊張もしない。今では一日に一度倒れた方がいたら、人を呼ぶ・AEDを準備する・反応確認・呼気道確保・呼吸確認普通じゃなければとにかく吹き込んで胸を押すなんて考える時間を取るようにしています。

少なくとも家族や仲間には、できるだけの度合いを上げたいし、見知らぬ人でもできるだけ動きたいなんて考えていますが、皆さんはどんなふうに考えるのでしょうか?

コメント(8)

例えば、自分の親が倒れたら医者に行けばいいや。
それがかなりヤバい倒れ方をしたら救急車を呼べばいいや。
などと、以前は普通に考えてました。

救命の連鎖の中で傷病者の身近にいる我々にしかできないBLSが関与する割合はダントツに大きい・・・と最近わかって、「ふーん、そうなんだー」では済まされなくなりました。

生命保険や健康診断は普通に皆、利用してますよね。
BLSも死にたくない、死なせたくない、何かあった時のためにってことで、皆さん当たり前のようにやるという意識が芽生えるといいですけどね〜。
はじめまして。

今日このコミュに入らさせていただきました。なぜ入ったかというと、つい2時間前に駅の中で一人の中年のおじさんの方が倒れていて、最初見た時から顔や手、足などが青ざめていました。
すぐに痙攣が始まり、その後には呼吸がとまってしまいました。

友達となんだろうおじさん大丈夫かなと話しているうちに呼吸をしなくなり、警備員さんが来たけれど何もしていなく、ただ側にいるだけでした。
その後は救急の方がきて心臓マッサージなど行っていました。


私達はどうしようとただ見ているだけになってしまい、何もしてあげられませんでした。
応急処置の仕方は一度しか習っていなく、やり方はあまり覚えていなくあいまいです。

何もできなくて、もし自分がやり方をきちんと知っていればと…

私は将来保育士になるため勉強中です。
救急時に子どもが倒れたらまた誰かが倒れたらと考えるだけで、今の状態ではダメだと思いました。

助けたいのに動けなかった自分が嫌でした。
また、このようなことがあったから習いに行かなきゃと思う自分も情けないです。

でも今からでも習いに行って、これから先何かあった時に手伝えられたらいいと思います。
私が救急救命をためらってしまった、中途半端だったかもしれないと後悔したケースについて3件、恥ずかしながら延べます。

ためらってしまったケース
その1
バイク事故で、私が通りかかったときにはすでにひとが集まっていた
→傷病者は意識不明のように見えた。人が集まってはいたが、実際にCPRをしているひとはおらず、救急車待ちのようだった。
気道確保だけでもしたいと直感的に思ったが、事故に立ち会っていたわけではなく、あとから場を仕切るような気がしてそのままなにもせず会社へ向かった。

その2
ご高齢の知人をその方の家(独り住まい)へ迎えにいったら、いくら呼び鈴を鳴らしても出て来ずドアの鍵が開いていたので不審に思い中に入ったところ、ご本人がベッド脇に頭からはまって意識不明になっていた
→後ろに長くのびた手を触って「ああ、もう亡くなっている」と直感した。また、乱雑な室内と臭気に気押されてCPRをしなかった。死亡の判断は私がするべきではなく、ベッド上に体を起こしてCPRをするのがセオリーだろう。
すぐに呼んだ救急車で来た隊員の方から数時間前に亡くなっているようだ、ときいて安堵したつらい体験。突然死だった。

中途半端だったかもしれないと思われるケース
夜、帰宅途中で電信柱脇に自転車ごと転んで動かない高齢男性に遭遇
→近寄ってみると頭部から血が豆腐状にでていた。はじめ脳みそかと思って驚愕した。気道確保だけは行ったが頸部の損傷がまったく見当がつかず、CPRはできなかった。救急はやはり頸部の固定をする担架を利用して搬送していった。その後の生死は不明だが、これもなにかもっとできなかったかと思う。

以上のようなケースで思うのは、複雑な体位の傷病者を発見したときにはCPRのような理想的体位にするだけでもためらう。
それから、血、臭気、現場のムードなど、実際には複合的な要因がCPRをためらわせると思いました。しかし、たしかに傷病者が自分の身内だったり、小さな子だったら、もう一歩踏み込めるかもしれない。しかし、自分の場合はわからないです。

CPRをためらう諸要因の実際の例としてご参考になれば幸いです。
123さん

恥ずかしいことありませんよ。書くことで辛い体験をまた思い出してしまうのに、くわしい説明ありがとうございます。状況がイメージできそうなくらいです。

いつも、「勇気を持ってCPRを」などと言って講習をやってますが、「本当にできるのか?」といった話題になったときに、実例として、紹介させていただこうと思います。

ありがとうございます。
 ずれてたらごめんなさい・・・
 たとえば、講習をするなかで時としてこんなことを言うこともあります。
 受講生から質問がある場合とかですけど。

 「みなさん、ご自身の配偶者やお子さんであればCPRがマスク無しでできますか?ご両親ならどうですか?
 友人なら、隣近所の人ならどうですか?
 見知らぬ他人だったらどうですか?」

 難しいことですよね・・・
 一歩踏み出して手を差し伸べるというのは。

 私は、使い捨てマスクを一個携帯ストラップとして、一個は個人情報のタグと一緒に首に下げるようにしています。
 手袋も2双手放さないようにしています。

 これで何かできるとは信じてはいませんがまあお守りみたいなものですかね。

 「一切れのパン」みたいな。
>Aris1さん

私は、相手が誰であろうとマスクを使うのを基本として区別はしていません。マスクがない状態では、おそらくやれないと思います。だからいつでも身近に置くようにしています。

Qマスク(キーホルダケースつき)に手袋を入れて持ち歩いています。会社へ持っていくかばん、各種ボランティア活動に持ち出すデイパックやトートバッグにもぶら下げています。頻繁に使うバッグには一個ずつつけっ放しにしてあります。(付け替えるのが面倒なので)

勤務先オフィスの自席にも置いてあります。
(職場防災隊の救護班メンバーということもありますが)

ぴこ♪
>ぴこ♪さん

 確かにそうですね☆
 そんなときこの場合はこうとかやってる場合ではないだろうと思うし、すぐ手の届くところに必要なものを置いておく習慣が大事なんですねきっと。

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