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史跡コミュの茂木城跡

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 栃木県芳賀郡茂木(モテギ)町小井戸461−1

 昭和52年06月18日、茂木町が史跡に指定。

 建久3(1192)年、常陸守護八田知家の三男知基が築城した山城。茂木氏を称した知基の子孫が代々城主を務めた。
 南北朝次代に本格的な城砦となり、戦国時代の城域は東西約440m、南北約420mで蝶型をしており、西南部に本丸が設けられた。本丸北側に堀を挟んで二の丸があり、北部に三の丸、その南部に千人溜と呼ばれる大広場があった。東側出丸の周りには馬場が設けられた。
 本丸北方に鏡池と呼ばれる湧水池があり、その流路が本丸下に水濠を形成していた。
 豊臣政権下では、茂木氏は佐竹氏の家臣と位置付けられ、文禄3(1594)年に佐竹義重の命で茂木氏は常陸国小川城に移され、代わって茂木城には須田盛秀が入った。
 佐竹義宣は関が原の合戦で西軍に同調したため、慶長7(1602)年に出羽国秋田へ転封され、須田氏・茂木氏も共に秋田に移った。
 その後暫くの間、茂木は幕府直轄領とされたが、慶長15(1610)年に至り、豊前小倉藩主細川忠興の弟である興元が10054石で茂木城に入り、茂木藩が成立した。この際、城の麓に御殿等が築かれたようである。
 元和2(1616)年、興元は大坂夏の陣における軍功により常陸国筑波郡谷田部6200石を加増され、藩庁を谷田部(ヤタベ)に移したため茂木城は廃城となった。
 現在、城跡は公園として整備され、東側出丸に「姫の望楼」と命名された物見櫓が復元されている。

*城下町茂木
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=48986844&comment_count=0&comm_id=194642

コメント(5)

19日に行って来ました。

左;城の外堀の役割を果たした逆川。
中;外郭土塁下の石積
右;外郭土塁
左;出丸空堀
中;姫の望楼
右;姫の望楼からの眺望

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