ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

多言語学習者!コミュのバイリンガル、話す言語により性格変えている可能性=米研究

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「バイリンガルは話す言語によって性格を変えている」、という記事を読んで、当コミュの皆さんの体験をお伺いしたくなりました。

皆さん、やはり話す言語により「性格を変えている」、或いは、「性格が勝手に変わる」ということがありますか?

もしあるならば、どの言語ではどういう性格が顕著に表れますか?

多重人格みたいで面白いですね。

さくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼさくらんぼ


バイリンガル、話す言語により性格変えている可能性=米研究
(ロイター - 06月25日 19:03)

 6月24日、米国の研究者はバイリンガルが話す言語により性格変えている可能性を明らかに。写真はスペイン語で書かれたメッセージを掲げるグアテマラからの移民女性。ロサンゼルスで昨年2月撮影(2008年 ロイター/Mario Anzuoni)
 [ニューヨーク 24日 ロイター] 2つの文化に順応し2つの言語を話す人たちは、話す言葉によって無意識に性格も変えているという研究結果を、米国の研究者が明らかにした。

 同研究は、ニューヨーク市立大学バルーク校とウィスコンシン大学ミルウォーキー校のチームが、バイリンガルのヒスパニック系女性グループを対象に実施。結果を専門誌「ジャーナル・オブ・コンシューマー・リサーチ」で発表した。

 それによると、被験者の女性たちは英語を話すときよりもスペイン語で話すときに、自分がより積極的に自己主張すると答えた。また、この変化はバイリンガルでも1つの文化のみに適応する人たちよりも、バイリンガルで2つの文化に順応する人々の間でより顕著だったという。

コメント(18)

 私自身の例をいうと、確かに日本語より中国語のほうが、自己主張が激しく、声も大きくなります。
 私が中国系企業に勤めていたときのこと、小学校6年生まで中国で育ち、日本に帰化した女性の同僚がいたのですが、、、。本人は意識してないようでしたが、それこそ二重人格?と思うほど、日本語を話すときと中国語を話すとき、表情・意見が食い違ってました。

 ちょっと話は変わりますが、人の考えって、言語によって限界点が定まってしまうような気がします。民族によって、考え方の方向性が違って、それが考えに影響するのかなぁ、、、などと思うことがあります。(全くの素人意見でお恥ずかしいのですが・・・)
Mooさん、

とても興味深いレス、ありがとうございます!
中国語を話されるなんて素敵ですね。私も中国語は大学で4年間も勉強したのに、本当に中国語が向いてなかったらしく、コンニチハとサヨナラが言えるだけです。涙。Mooさんが羨ましいです。

中国語の方が自己主張が激しく、声が大きくなるとは面白いですね。他の中国語を話す日本人の方もそういう傾向があるのか気になります。

>二重人格?と思うほど、日本語を話すときと中国語を話すとき、表情・意見が食い違ってました。

大変、興味深いですね。表情ぐらいならわかりますが、意見まで違ってくるなんてこともあるんですね。

>人の考えって、言語によって限界点が定まってしまうような気がします。

なるほど。私もそれはある気がします。その言語を主に話す民族の思想に影響され、自分の思想も自然とそちら寄りになる、ということですよね。その民族の多数派に合わせようという無意識の作業、ということもあるのでしょうかね。

決して、中国語という言語自体、フランス語という言語自体が人の思考や行動を操作したり、影響を与えたりする訳ではないと思うんです。その言語の背景にある文化や伝統に基づいたその言語の話者の「思想・行動パターン」が話者の思想や行動に影響を与えると思うんですよね。おもしろいですね。

Mooさん、貴重なご意見ありがとうございました!

他の人から指摘されたことがあまりないので、分かりませんが、自分の中の意識では、「性格を変える」というよりは、話す言語の文化背景・思想・行動パターンによって、アプローチの仕方を変えているという感じです。英語で自己主張をする仕方と、日本語で自己主張をするときとでは、日本語の方が間接的に言ったり話す相手によってタイミングや内容などを気にします。だからといって、英語ではそうしていないかと言うとそうではなくて、違うアプローチの仕方をするという感じです。英語はあくまで第二言語なので、日本語よりも誤解のないように気をつけていますが、最近は日本語でも同じように気をつけるようになった気がします・・・。

英語を話すようになって、それが日本語でも影響を与えるようになったのは、これは「日本語」というべきなのか分からないけれど、笑い声。確実に大きくなったと思います。日本に一時帰国していたときにテレビや映画を見ていて、笑い声が大きすぎて家族に注意されたこともあります・・。ああ、日本では大きい声で笑ってはいけないんだった、と思いなおして気をつけるようにしても、つい出てしまいます。
Titoさん、丁度、面白い記事だなと思ったので、トピをたてていただけて嬉しいです。

私自身の経験から言うと・・性格はあんまり変わっていないような気がします。ただ、言語によって表現しやすい場面と、しにくい場面って言うのがありますよね。

例えば、英語だと素直に褒めやすいし、また褒められたら喜びを表現しやすいと思いませんか?

あと思いつく例としては、タイ人の留学生に、
「日本人の先生の娘さんが、交通事故に遭って瀕死の状態らしく、お悔やみの言葉を言いたいけどなんていったらいいですか?」

と言われて、うーん・・と困った経験があります。
タイ人はこういう場合、素直に「娘さんが可哀そう」とか慰められるそうですが、日本語では普通、学生の立場で先生に慰めの言葉をかけること自体あまりしないような気がします。

でももしかして、自分が「バイリンガル」と呼べるほど英語が上手くないことも関係しているのかもしれません。

ウタダヒカルは、「英語を使うともっと挑戦的に、自由になれる自分がいる」と言っていました。彼女ぐらいのバイリンガルになると、やはり感覚まで使い分けているのか・・・とも思います。

表情や声の質ですが、これは明らかに変わるとおもいます。演歌のコブシでジャズを歌うとヘンになるのと同じように、その言語のリズムにのろうとすれば、日本語調ではどうしても違和感を感じると思います。
その記事って言語学の「サピア・フォーフの仮説」と関係ありそうですね。
人の思考は使用する言語によって規定される、という説です。

とりあえず、私の場合ですが、日本語よりも、英語とか北京語を話しているときの方が比較的直接的な言い方をしたり、自己主張が強いかもしれません。
知り合いの多言語使用者を見ても、こういうことはある程度あてはまる気がします。
個人差が大きいでしょうが。

Kfreireさん、
>話す言語の文化背景・思想・行動パターンによって、アプローチの仕方を変えている

なるほど。アプローチの仕方を変えているのですね。
日本語では間接的になるのですね。私自身もそうだと思います。
あと、外国語だと、誤解を招かないように気をつけるということも、
私も同じです。いつでも誤解される可能性を危惧して、慎重に
なっていると思います。

日本語圏では女性は大声で話したり笑ったりしない、というのも
ありましたね。笑 女性は女性らしく、ということでしょうか。笑
難しいですねぇ。笑

Kfreireさん、興味深いご意見ありがとうございました!
gongkeさん、

勝手にトピを立ててたので、ちょっとよかったのか心配していましたが、安心しました。

タイ人の方のエピソード、gongkeさんがおっしゃる通りですよね。日本人はこういう場合、よほど近い関係でないと、黙ってそっとしておく感じですかね。文化の違いですね。

>英語だと素直に褒めやすいし、また褒められたら喜びを表現しやすい

そうですね。よくそう思います。
これに関するお話。私が英語やその他の言語を学ぶずっと以前からいいと思ったらさっと褒めてしまう子供だったんですよ、勿論、日本語で。そして、褒められる相手は同じく日本人で、褒められ慣れていない。だから、何度か褒めた相手から変なリアクションをされた経験があります。日本人はあまり直接的に褒めたり、褒められたりすることが無い為、たまに褒められると不必要に構えてしまい、相手に下心があるんじゃないかとか勘繰ってしまうんでしょうね。

ウタダヒカルの言葉、印象的ですね。自由になれる、というのはわかる気がしますよね。どの言語でもあるとは思いますが、特に日本語圏では年下だから、女性だから、部下だから、等色々な理由で「言えること」や「言い方」にかなり制限がかかりますよね。だから、自己主張をできない、相手が間違っていても間違っていると指摘できない、などの状況が多々発生するんですよね。そういう文化と比較すると、英語圏では言える範囲が大分広がり、自由を感じるということなんですかね。

話す言語によって声の質が変るというお話ですが、身近な英語話者に聞いてみると、私の場合は外国語である英語で話す時と比較して、母語である日本語で話す時には力強く自信があると言われました。外国語だとどうしても自信が無くなるのでしょうね。笑 声の質とはちょっと違う話ですかね。gongkeさんご自身の体験では似たようなことがありますか?声が低くなる、とか高くなるとか?口調が早くなるとか遅くなるとか?

gongkeさん、貴重なご意見ありがとうございました。


Nacht さん、

>その記事って言語学の「サピア・フォーフの仮説」と関係ありそうですね。

そうですね。きっと関係がありますね。
考えてみると、イギリス人とアメリカ人は同じ英語を使用しますが、
思考パターンは必ずしも同じとは限りませんね。
私の印象では、アメリカ人はより直接的で、イギリス人は間接的。
よく、イギリス人は日本人と似ているなぁと思うことがあるのですが、
同じ英語を話すアメリカ人は全然違っていたりするんですよね。
似たようなケースで、日本語を話す日本人でも、
北海道、東京、京都、大阪、沖縄、海外等別々の場所で生まれ育つと
思考は大分変ってくるはずですよね。
一体、人の思考のどれだけが言語に規定・影響されるのでしょうね。
大変興味深いですね。

Nachtさんの場合は、日本語よりも、英語とか北京語を話しているときの方が直接的な言い方をしたり、自己主張が強かったりするのですね。(3ヶ国語を操れるなんてかっこいいですね!憧れます!)

>知り合いの多言語使用者を見ても、こういうことはある程度あてはまる気がします。

なるほど。やはり日本語は控え目な言語なのですかね。そして、英語や北京語はより直接的な言語なんでしょうかね。私は英語しかできませんが、英語で話す時には私も直接的な表現をしてもいいんだ、という考えは念頭にありますね。というか、むしろ英語圏では直接的に言わなければ伝わらない、ということもありますよね。逆に、日本語話者の間では、直接的に言うと相手が不快感を覚えたり、生意気だという印象を与えたり、主張が強過ぎる、みたいに思われてしまいますよね。だから、日本語を話す時には直接的な表現というチョイスは無いようなものな気さえします。
でも、そういうのもこういうのも、Nachtさんのおっしゃる通りで、個人差はきっと大きいのでしょうね。

Nachtさんのご意見、大変勉強になりました。ありがとうございました!
話せる言語は母語の日本語と第二ヶ国語の英語だけです。

日本語で話す時はやはり母語なので、自信を持って堂々と話せますよね。勿論T.P.O.に適した話し方、話題、表現、トーンやスピードも正確に選べます。地元が沖縄ですが、東京にも長く住んでいたので、話し相手やシチュエーションによっては標準語と沖縄訛りの入った日本語の両方を使い分けます。

一方、英語だと、外国語なので、常に自信を持って堂々と話すことはできません。日常会話なら大丈夫ですが、不慣れなシチュエーションだったり、慣れないトピックになると、やはり言葉がもたつくのが、自分でもよくわかります。実際のところ、どれだけTPOに適した話し方をできているか謎です。日本語とは違って、自分の話す英語は米国英語の傾向はあると思いますが、米国内の訛りを自在に聞き分けたり、使い分けたりという自由は無いですね。これらが原因で、英語を話す時は「内気」とか、「控え目」とか「自信が無い」等という性格にとられている可能性もなくもないでしょうね。


日本語を話す時でも主張は強い方ですし、積極的な方でもあるとは思います。でも、日本人社会ではなるべく控え目にしているつもりです。笑 それは、日本語を話しているからそうなるのではなく、日本人が全ての人にそれを求めているからだと思います。

日本語を話す時には、自分の感情を素直に表現することは少ないですね。もともとストレートに「好き」とか「嫌い」とかを「言葉にする」ことの少ない文化背景を持つ言語が日本語だからではないでしょうか。例えば、親(勿論日本人です。笑)とメールをする時、英語でメールする時などは[I love you, mom!]等と書くこともありますが、日本語でメールする時には決して「愛しているわ、お母さん」なんて書くことはありません。笑 面白いですよね。

英語だと、あれもこれも結構はっきり言いますね。もともとそっちの方が自分の地の性格に合っているということもありますし、英語圏ではそれが求められていると思うので。

あ、今ふと気がついたのは、多分ですが、英語だと冗談を言う率がかなり高い気がします。日本語でも下らない冗談を言う方だとは思いますが、英語で話している時程、冗談ばかりは言っていないと思います。笑 これも、英語話者が冗談好きで、相手に期待されていると思ってそうしているのですかね?笑 

gongkeさんが言及していた表情やジェスチャーについてですが、英語だと絶対的に表情やジェスチャーが大きくなりますね。英語を習得する時に自然とそういうのもセットで学んだんでしょうね。同じような大げさな表情やジェスチャーを日本語の時にしたら、ただの変人ですよね。笑 
長々と失礼致しました。


今のところ、皆さんの体験談では日本語、英語と北京語とタイ語が登場しましたね。日本語が控え目で、英語、北京語が直接的で主張が強くなるというのが皆さんの共通の体験のようですね。タイ語も似たような感じということでしょうか。他言語話者の性格の特徴なども教えて頂けたら有難いです。楽しみにしています!
ちなみに北京語は少し話せるだけです。
読み書きはダメです。

サピア・フォーフの仮説?は個人差がかなり大きいと思います。
何語で話しても自己主張強い人もいますし、その逆もいますし。

一つ思ったのは、英語は褒める形容詞が日本語より多い気がします。
good,amazing, fantasitic, great, excellent etc...
北京語も日本語よりは多いかもしれないです。
很好,太好了,太棒了,好歴害 等等

でも、北京語には謙遜の表現もあったりします。
哪里哪里,還差得遠呢(いえいえ、まだまだです)
這是一点儿小意思(これはほんの気持ちです)←ものを渡すときに
Titoさん、

>話す言語によって声の質が変るというお話ですが、身近な英語話者に聞いてみると、私の場合は外国語である英語で話す時と比較して、母語である日本語で話す時には力強く自信があると言われました。外国語だとどうしても自信が無くなるのでしょうね。笑 声の質とはちょっと違う話ですかね。gongkeさんご自身の体験では似たようなことがありますか?

私の場合は、
英語  →声が低くなる、ゆっくり喋る
中国語 →声が低く、大きくなる
タイ語 →声が鼻にかかる、子供っぽい口調になる

何故か上のようになります。
自信の有無、というよりは、その言語をなるべく明確に発音しようとすると、こうなります。今思ったんですが、他の人から見れば、性格が変わったように見えるかもしれません。

どの言語もそこまで流暢には喋れるわけではないのですが 泣
Nachtさん、

少し話せるだけとおっしゃっても、それでも羨ましいですよ。
私も第二外国語で日常的なコミュニケーションが図れる程度に
なりたいです。

>北京語には謙遜の表現もあったりします。

日本語を母語とする私は謙遜の表現が沢山あって、実際に人々がそれを使うっていう文化、なんか好きです。いきすぎる場合も時々あるとは思いますが、心から「いえいえ、大したことありません。」とか、「いえいえ、私なんてまだまだ」なんて思っているのって謙虚でいいなぁと思います。
gongkeさん、

どうして英語と中国語では声が低くなるんでしょうね。
不思議ですね。
タイ語だと子供っぽい口調になるっておっしゃっていますが、
時々私も英語を話していると子供っぽい口調やキャラになってしまっている
自分に気付きます。
どうしてでしょう。時々自分で気持ち悪いです。笑
 外国語だとキャラが変わるというお話について、、、。
 私は2年間、韓国系企業で働いていたのですが、日本語を操る韓国人男性は、例外なく、ちょっと女性っぽい話し方。声が高くて可愛いんです(笑)
 いつも日本語で話をしていて、ある日、韓国語の彼らを見ると、、、まぁ、男らしいムードと感じたことが何度もあります。
 ご本人に聞いてみると、皆様、日本語の先生が女性だったから、、、。と仰ってました。
 翻って私ですが、確かに中国語になるとキャラが変わります。性格きつく、言い方はストレートに、声も大きく、、。そうなるのは、?そうでないと通じないから ?中国人の言い方を真似てる ?遠まわしで言うほどの語彙力がない ?大声で主張しないと誰も聞いてくれない、、、。改めて意識してみたら、こんな理由があるのかもと思いました。
 
Mooさん、

>日本語を操る韓国人男性は、例外なく、ちょっと女性っぽい話し方。

面白いですね。笑 そういえば、日本に住んでいる外国人男性って、多くが女性っぽい話し方ですよね。やっぱり、先生に女性が多いっていうのと、男性だから自然と付き合う相手が女性になってしまい、女性のイントネーションや語彙がうつっちゃうんでしょうね。

逆に、女性が男性言葉を使うっていうケース、どの言語でももしかして少ないのではないでしょうか。もしそれが本当なら、どうしてでしょうね。

Mooさんの場合は、中国語になると性格がきつく、ストレートに、声も大きくなるんですね。その理由が色々あるというのが面白いですね。
日本で大声で主張すると、ただの迷惑な煩い人になりますが、あれだけ人がいる中国では大声で主張しないと、誰も聞いてくれないんですね。なるほど。

逆に、中国人でも長く日本に住んでいると(或いは日本語で話す時は)、声が小さくなったり、表現が間接的になったりするのでしょうかね。興味深々です・・・。
こないだ、留学生日本語スピーチ大会を聞きに行ったんですけど、韓国人の女の子が、「ドラマのごくせんの見すぎで、日本語が男コトバになってしまいました」とか言ってました。

あ、中国語で声が大きく聞こえるのには言語学的理由もあります。
北京語は日本語より音声学的に息を吐くのです。
有気音、無気音という区別があったりします。(p,bとかd,tとかを息の量で区別します。朝鮮語もこの点似てます)
ずれますが・・・
Nachtさん、中国語には有気音と無気音の区別があるのですね。息の量で区別するなんて、どうやるのだろう・・。
それで、中国語話者が日本語を勉強しているとき「た」と「だ」がごっちゃになったりするのですね。朝鮮語(韓国語)もp,bとかd,tが微妙に違いがあるみたいですよね。日本語では例えば「テグ」と聞こえてるのが、英語のスペリングだとDaeguになるのもそのためでしょうか。
と、めちゃくちゃ脱線してすみません。

日本語を勉強している人が女っぽい日本語になることになるというのは、日本人を母親に持つ(父親は非日本人)人にもよくあると聞きました。母親から日本語を聞いて育つのでそうなるそうです(まさに母語・・・)。
Nachtさん、

なるほど。ドラマの観過ぎで男言葉がうつることってあるんですね。

私も周囲の英語話者に聞いてみたら、女性の私が男性言葉を使用したり、男っぽいトーンになったりということは無いと言われ、安心しました。笑 こういうのって、自分が気付かないうちになっているということが多いと思うんですよね。

中国語が大きく聞こえる理由、納得です!勉強になりました。



Kfreireさん、

きっと、Kfreireさんがおっしゃっている通りなんでしょうね。
大変興味深いです!

女言葉の話ですが、やはり母親の子供の言語獲得に与える影響って他の何よりも大きいですよね。

ただ、私の場合、母語の日本語は、口の悪い父の影響もかなりあって困っています。笑  

言葉ってすぐうつってしまうから、自分がこう話したいと思う人と一緒にいるようにしなくちゃいけませんね。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

多言語学習者! 更新情報

多言語学習者!のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング