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ピークオイルコミュのもう一つの悲観と楽観

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某○谷先生訳デス

http://www.postcarbon.org/beyond_hope_and_doom_time_peak_oil_pep_talk_0
Beyond hope and doom: Time for a peak oil pep talk
Richard Heinberg Feb.29

絶望と最後の審判:ピークオイルを鼓舞するための小閑

 ピークオイル、気候変動、世界経済の崩壊、表土の流出、生物多様性の崩壊とまぁ、新しい世紀と共におびただしいほどの脅威が降り掛かっているけれど、これってひどい精神的な重荷なわけで、ほとんどの人々は心理的な防衛策として拒絶するとか寒々とした現実に意識を向けないように気晴らしする、そんな具合に対処しようとする重苦しい代物だわね。
 Peak Everythingの第7章「ピークオイルと気候変動の心理」に述べたんだけれど、恐ろしいことを知ってしまったことに対する健全な応答というのは、実践的で建設的な何かをすること、より望ましくは誰かさんと協力しながらそうすることじゃないかな。というのは、最悪の事態はまだ避けられるかもしれないし、行動することで気分もよくなるからね。
 地球規模での脅威に気づいている人々は、たとえ一縷の望みだとしても、ポジティブな未来に向けて奮起するものです。他方、知ったかぶりの人ほどこういう振る舞いに苛立たされ、最悪の事態の予想を引き延ばそうとするものです。インターネット上の議論には、こういう分裂状態が終末論者とアンチ終末論者の間の中傷合戦に散見されますね。
 極論を避けませんか。私には、脅威に気づくことが、最悪のシナリオが実現してしまうリスクを軽減する有効な行動を導くかどうかが問題だと思われるのです。
 けれども、現実には、実践的な活動に参加している人々でさえも時と共に、恐怖と悲観の泥沼に陥ってしまうか、あるいは徒労感に苛まれているのです。そんなわけで、元気が出るような話が救いになるのでは・・・

コメント(26)

ぬりさん

ピークオイルにおいて、「悲観論者」といえば、通常、早期のピークを想定している人を指し、「楽観論者」といえば、その逆を指すわけです。

おそらくぬりさんが問題にしたい悲観 / 楽観は、単にピークの早期 / 後期の問題ではなく、ピークオイルがもたらすであろう事態について、各人が想定する深刻さの度合いの程度を問題にしているものと察します。

さらに、私は考えます。
? ピークオイルがもたらすであろう事態そのものに関する懸念、と、
? その結果、自分や自分の家族が、さらには同胞がどうなってしまうか、という懸念
この二つの峻別が肝要ではないかと。

よく観察してみると、? にはなんだか楽観的だけど ? に悲観的、あるいはその逆のパターンというのが、人によってあるように見受けられます。

私を例にとれば、石油減耗時代、大変そうだけど自分はなんとかなる ( する ) と、特に何の根拠もないのですが、? の方には、妙な自信があったりします ( そう、私は楽観的 )。

想定すべき事態に関する議論 ( ? ) については、そもそも楽観 / 悲観とレッテル付けする対象ではなく、地に足をつけて、検討するべきものだと思います。

楽観 / 悲観を尺度に、“ それは極端だ “ と決め付けて議論から排除しようとすることは危険だと思います。
ポストピーク時代、どんな “ 極端 “ なことでも実現するか否か、誰も知らないのですから。
? その事態を自分や自分の家族が、さらには同胞が、なんとか切り抜けられるかどうか、に関する懸念

と修正します。
Dr. Kさん

タイトルを「もう一つの悲観と楽観」としました。

O谷先生の提案でも、ケチ付けられてしまいましたか。ははは。

あり得る想定や、認めなくない事実を、排除したいというつもりはありません。
ただ、心配するあまり、話が枝葉末節に行き過ぎて、本来の問題は何だったのかがわからなくなってしまうことを恐れています。


例えば、原発に関して

原発の問題点は多様かつ深刻で、まったく無視出来ないと思います。
廃棄物を未来に残すべきでないとか、ウラン資源も限界があるとか、保安システムが限界だとか、色んなことあると思いますが、そもそも必要なのかどうか、無い道を選ぶとしたら何が起こるのか、代替案は考える必要があるのかないのか。必要だとすれば、問題解決はどれくらい可能なのか、何をすればよいのか。

ピークオイルを前にして、何を失わなくてはならなくて、何を守ることはできるのか。


私が悲観と呼んでいるのは、将来訪れそうな危機ばかりに注目しすぎて、絶望や逃避(それこそ海外逃亡とか・・・)、その事柄に対する対策や考察がストップしてしまうことを指しています。
行動を促すには、それ以上の何かが必要ではないでしょうか。

うまく表現出来ませんが。
とりあえず、その辺りはおいておいて。

同胞が切り抜けられると楽観的に自信を持たれる理由はどのあたりから来ているのでしょうか。
ぬりさん

Heinberg の提案に、いささかもケチをつけるものではありません。
そして、ぬりさんが「もう一つの‥‥」というのにも、それを私はこう受け止めましたよと、冒頭、わざわざ注釈までしたつもりです。

「ケチ付けられた」と思われたとすれば、それは、ぬりさんの中で、?と?が、峻別されずに混然一体となっていはしないかという懸念かもしれませんね。

> 同胞が切り抜けられると楽観的に自信を持たれる理由はどのあたりから来ているのでしょうか。

" すべての " 同胞が切り抜けられる、とは、残念ながら考えていません。
自信があるのは、最低限、私と私の家族までです。
あとは " There is no Plan-B " であることに、気付きを得られた同胞でしょうか。もっとも、これは間違っているかも知れません。

> 行動を促すには、それ以上の何かが必要ではないでしょうか。

「何か」の前に " どんな"「行動」が「必要」だとお考えなのでしょうか ?

たぶんこの辺に、ぬりさんと私の違いがありそうな気がします。
私が極端な悲観を排除しようとしていると誤解されているのかと思いました。


私はその二つの峻別の重要性はまだよくわかりませんが、二つともに悲観的です。
だからこそ、自分がどうしたらよいのかを考えています。



以前同胞を同朋と間違えて変換し、失礼をしてしまったわけですが…。その限定だと同朋でも間違いでもない気が…。気付かない人も含めるからこその同胞(はらから)ではありませんか?


行動?
まずご飯食ですよ。
あとは、若い人がそういう問題意識と気概をもって職業選択することです。
ぬりさん

不特定多数の " はらから " をも対象に、警報を発したいと考え、自らのブログや、こうして細々とながら実践しているつもりです。
どう頑張っても限定的でしょうがね ‥‥。

「まずご飯食です」、か。

" これまで通り工業や金融で稼ぎ、食糧は海外から買えばいい " かと誤解してました。
 ○谷先生、翻訳をありがとうございます。やっぱ翻訳の出来で差がつくなあ。
 ローマクラブレポートのデニス・メドウズの講演の中では、グローバルな問題(温暖化など)と普遍的な問題(エネルギー危機)、という二つの分け方で対応策に違いがある、という主張をしていました。
参考になるかもしれません。

エネルギーチャレンジの講演録
http://change-agent.jp/news/000126.html
の中に講演録があります。

 まとまった論考にしてブログアップしたいのだけど時間が取れないので、覚書のつもりでここに書かせてもらいます。前の流れは無視、ご容赦。

 温暖化対策に取り組む立場からすると、カーボンピークが発生する必要がある。ガスはちょっとややこしいので脇において、カーボンピークはオイルピークとコールピークの両方を意味するのは当然。
 オイルピークは「起きる」か「起こす」のいずれかでなければならない。そして、オイルピークが発生した場合には、社会経済をそれに適応させる対策が必要。

 「オイルピーク論者」はオイルピークが「起きる」と主張している。もしオイルピークが起きた場合、対策を立てる必要がある(このコミュでも散々議論されているように)。
 しかし温暖化対策に関わるものとしては、オイルピークが絶対に「起きる」という確信がもてない限り、起きなかったときの対策も立てなければならない。つまりピークオイルを「起こす」方策を進める必要がある。

 オイルピークを「起こす」方策は、石油需要を減らす、脱石油経済を構築するという方策とほぼ一致するため、もしオイルピークが「起き」たら、それに社会を適応させる対策として役立つ。
 もしオイルピークが「起き」なかったら、それを「起こ」すことで温暖化防止に貢献する。

 ゆえに、ピークオイル論者が温暖化対策を批判するのは不毛。

 また、「みんなで力を合わせて、楽しい脱石油社会を、速やかに構築(オイルを速やかにピークアウトさせ)ましょう」というのが温暖化対策なわけですから、私たちにはピークオイルについて悲観も楽観もない。(温暖化が進んだ地球は悲観しますが)

 といったところです。

 次に、観念的な悲観論(エネルギーがまったく使えなくなるみたいな)が世間でも、このコミュでも散見されるけれど、仕事をしている人間としてちょっと悲しいので反論します。

 一言で言えば、数字を参照してください、ということになります。難しい数学や深い統計でなくても、倍半分といった大雑把でいいから、数字を。

 1995年のアースデイのときに「back to the future 1967」という企画に関わりました。「エネルギー消費量を80%減らす必要がある」、「現在(当時)の消費量の20%だったのは1967年だ」ということから、67年のエネルギー消費量でどういう暮らしが可能かを描いた企画です。ちなみに、67年は私が小学校に入学した年あり、父が飛行機に乗ってルーマニアの化学プラント建設現場に赴任した年でもあります。
 加えて言うと、この量でよければ国産再生可能エネルギーで100%まかなえます(ジェット燃料は別)。

 あと2つ、以前このトピで紹介した
  ・市民エネルギー調査会報告
http://www.isep.or.jp/shimin-enecho/index.html
  ・2050年自然エネルギービジョン(中間報告)
http://www.isep.or.jp/event/080221sympo2050.html
はネットでご覧いただけます。

 別に私の仕事を見ることを強要するつもりはありません。ただ、多くの人が一生懸命数字で描こうとしているのに、それをぜんぜん参照せずに、ああなる、こうなる、と決めてかかる人を見ると悲しくなります。
 もちろん、このコミュの議論の大部分はしっかりした根拠に基づいており、私の知らなかった情報がどんどん紹介されるので、とても居心地よく感じています。
 ただ、ちょっとね、という書き込みが散見されたので、覚書ついでに苦言をば。
daiさんの覚書について。

 オイルピーク論者としては、オイルピーク論そのものが早期警報システム(EWS)となることで、ピーク前(もう遅い可能性が高いですが)の大規模動員を進めるために議論しているつもりでありんす。

 ハインバーグも以前どこかで書いてましたが、ピークオイルパニックの発生により国際社会が崩壊したなら、「敵」との協調はありえなくて国際協調の下の温暖化対策が不可能になることが、温暖化についての危機感です。

Dr.Kさん


そのblogを見た人が一念発起して、気付かない人も引っくるめて守る為に動き出すことを期待しましょうか。


残念ながら、工業と金融には引き続き頑張って頂きます。
世界のGDPの減少のタイミングやスピードからあまり乖離しないことが国際政治的に肝要ではと考えています。



daiさん


なるほど。解りやすい解説ですね。

ピークオイル論者からみればカーボンピークを仮定しない悲観シナリオに対する無意味な対策をしようとしたり、温暖化さえ起きなければその対策によって他に何が起きるかには注意をあまり払わない(やみくもにピークを歓迎するなど)温暖化論者には批判する余地があるとおもいます。


「もう一つ」とは、ピークオイルの到来や社会的なインパクトの大きさを前提にしたうえでの、その心構えや対策の悲観や楽観のことです。
あれもこれもダメ。とにかく政治家が悪い。自給自足以外に解決方法はなく、畑を持てなかった人はサヨウナラ。何か違う気がするんですよね。
未来の社会を作るのは自分たちです。


おぐおぐさん


さすが先生、名訳ですね。
パニックになって協調下の温暖化対策が出来なくても、すでにピークを過ぎてるならよいのでは?
ぬりさん

 「論者」という言葉は慎重に扱った方がいいと考えています。
 「ピークオイル論者」については、以前おぐおぐさんが ist を巡って論考されていたこともあるし皆さん使っているので、まあいいかなと考えましたが、温暖化については対策をどうするかという議論をしている状況であって、「温暖化論」を主張しているわけではない。もちろん IPCC の結論を疑うという意味での「温暖化論」はあるわけだけれど、IPCC が正しかったことが実証されたらその時点ですでに手遅れであることは明らかなので、正しいこととして具体的政策論を進めようと判断した人が多数派、というのが現状なわけです。
 というわけで、自分自身については「温暖化対策に取り組む立場」と表現してみたもの。

> カーボンピークを仮定しない悲観シナリオに対する無意味な対策

 具体的に何を指しているのか、教えていただけますか。

> 温暖化さえ起きなければその対策によって他に何が起きるかには注意をあまり払わない(やみくもにピークを歓迎するなど)温暖化論者

 現状がいつまでも続くことを夢見て「他の何か」を過剰に怖れる団体=「経済団体」を自称して日本経済の未来を潰そうとする某団体にさんざん攻撃されている立場からすると、「他に何が起きるかには注意をあまり払わない」などという夢みたいな立場に一度くらい立ってみてもバチは当たらないだろう、という気分です。
 具体的に、どういう「論者」を指しているのでしょうか。

> 「もう一つ」とは、ピークオイルの到来や社会的なインパクトの大きさを前提にしたうえでの、その心構えや対策の悲観や楽観のことです。

 1967年の生活を知っている私としては、生活は別にそうなったらなったで何とでもなるかな、と考えています。
 重要なのは企業行動でしょう。

 企業家が新しい発想で創業して大成功した企業があり、安定志向で就職した人が経営者になり、そういう企業が集まって「経済団体」なるものを動かしている。当然新しいことはしたくないし、新興勢力は潰そうとする。ホリエモンの行なったこと自体について私は批判的ですが、あれを潰そうとした「保守的な企業家」は害悪だとも考えています。
 大胆な社会転換には企業の大胆な投資行動が不可欠であるにもかかわらず、経済産業省は投資行動にあまり目を向けず、「保守的な企業家」の利害調整に汲々としている。

 こういう状況を放置しておいたら「ピークオイルの到来や社会的なインパクトの大きさ」が限りなく大きくなってしまうと考えるので、とにかく強力な温暖化対策、「保守的な企業家」から「他に何が起きるかには注意をあまり払わない」と批判されるような対策を日々主張しているところです(まあ、蟷螂の斧ではありますが)。

 「他に何が起きるかには注意をあまり払わない」と批判されるくらいでないとピークオイルに対応できないのではありませんか?
とりかへばやものがたり
 環境省と経産省が5年交代で環境政策と経済政策を担ったら、既得権の縛りから自由になっておもしろかろう、と考えました。

 よくよく考えたら、アメリカの政治任命制というのが、まさにそういう話ですね。政権交代+政治任命が必要だと、あらためて考えた次第。
 多分日本はそうなりそうにないので、だったら別な政治システムをどのように構築するか?
 ともかく政権交代が必要、と考えてきたのだけれど、ガソリンの25円で大騒ぎする民主党じゃあ、政権交代という言葉を出す元気がわかない。どうしよう?
daiさん


確かに。温暖化論者という書き方は現状ではカチンとくる方もいるかと…。失礼しました。
なんといいますか、私はあらゆる政治的な対策よりも、自然な供給制約によるカーボンピークが結果的に(残念ながら?)1番効果があるだろうと考えているので、人為的な対策が有効という点にはまだ懐疑的です。それでつい論者をつけてしまいました。
まあこれは直感ですので、根拠はありません。単なる政治不信?



第4次報告書の殆どのシナリオはカーボンピークを仮定していなかったと記憶しています。したがって殆ど起こり得ないシナリオをも想定した対策を考えていることになるきがします。

無意味なというのは私の使った文脈とはズレますが、再生紙やペットボトルリサイクルの問題や、無駄としか思えないようなロハスグッズ、問題を自己満足によって見えなくしてしまうエコバッグなどです。



だいたいdaiさんのおっしゃりたいことも解ります。温暖化対策を真剣に真っ当にやっていらっしゃる方々を批判するつもりは毛頭ありません。


そうですね、例えば、ISEPさんの自然エネルギーの研究などに対して「そもそも需要をみたそうと努力すること自体が間違いだ」と主張する人の事を想定しています。成長が善だとは思いませんが、成長を望む想いは健全だと思うので。


人間はご飯だけ食べていればよいのなら文化など無い方がよいですしね。


政権交代を望むと必然的に民主党支持みたいになってしまう。悩みところです。
とりあえず、ピークオイルに理解ある(はずの)自民党副幹事長岩永センセにお頼みしますか。
コミュに参集する人数の増加が鈍っていることを懸念するむきに、このコミュにおける声なき声の一例を紹介しておくことは無意味ではないかも知れない。

「この人たち、何が面白くてこんな議論しているの ?」

このコミュを、ぜひ読んでみろと紹介すると、こんな反応が返ってきたりする。
「この人たち」のうちの一人である私は、
「いや、そんなことはない。議論することも大切だよ」、と、多少ムキになって反論する。
しかしそういいながらも、そんな彼女の感想に一理あると感じたりする

石油減耗時代に適応すべく、自己変容に着手した先見的 (?) ピーキストにしてみれば、ピークオイル説はホントか? といった次元の議論や、ましてピークオイルの社会政策的な解決策を探ろうとする試みは、まるで地に足がついていない、との感触を持たれてしまうのでしょう。おまけに、自らの関心の赴くままを書き込めば、どうせ「レッツ、農業」と揶揄されたりするだけだと思えば、冷淡になってしまうのも、無理はないのかもしれない。
ごめん、タイトルの訳は訂正させて。beyond hopeで「絶望的」ということなので、「絶望」と訳したけれど、このエッセイは過度の楽観論者と悲観論者を諫めるためにHeinbergが書いた内容であり、beyondはhopeとdoom両方にかかっているなぁ、と。

日本語的には「喧嘩両成敗」みたいなことを言いたいわけで、皆さんも…
Dr.Kさん


よくそういう評価を頂きますが、まったく健全な反応だと思います。今の日本であまり多くの人がこのコミュに関心があったら気持ち悪いです。

たいした社会的影響力のない我々庶民のネット議論など、自己満足以上の意味など皆無だと思います。楽しんで読んでる方も多少いらっしゃるようですが。
ただ、対話の中に登場するデータやニュース、考え方などをROMの人に提供出来ることに、多少の集客効果はある気がします。



人数はどうでもよいですが。

ピークオイルってイメージや数字だけでは本来わからないものだと思うので、あまり決め付けたような対話になるのは避けたいですね。


私は世間の人がピークオイルに関心を持った時に、参考になる賛否の議論のデータベースを提供出来ればそれでよいと思います。


その意味で世論や様々な業界の専門家の意見とのバランスには気を配りたいですね。
同じ意見をもつ仲良し集団にはしたくないので。


犬谷先生


あーたしかに。
両成敗…、ぐわっ。
ぬりさん

「極論を避けませんか」と提案する Heinberg 自身、「安価な石油がないと 20億人分くらいしか食糧供給ができない」としています。これは人口予測としてみると、かなり悲観的な “ 極論 “ の部類に入ると思います。これには膨大な数の非自然死を織り込んでいるといわざるを得ません。
餓死や暴力による死と言えば、これ以上悲観的なものは想定できない、究極の事態なのですが、Heinberg もそれを議論の俎上に載せるなと言っているわけではないと思います。
事実は冷静に、虚心に見つめる他ないのだと思います。

> 今の日本であまり多くの人がこのコミュに関心があったら気持ち悪いです。

コミュへの関心とイコールではないにせよ、ピークオイルという問題の存在は広く同胞に伝えてあげなければと思いますが。

すでに走り出している先駆的 ( おっちょこちょい ?) ピーキストらにも、門戸を広げてみてはどうでしょう。
Dr. Kさん

うーむ。なんといいますか。Heinberg氏の主張の正しさを検証していくことがどれだけ有益なのかわかりかねますが。

事実とおっしゃいますけど、たとえば、「避けがたい」石油減退がもう「既に」始まっているということは、反論している人が結構な数いる限り、否定しがたい事実とは私にはまだ思えないのですが。


皆が社会の問題に強い関心をもって生きているわけではないのだなと思います。
私の友人の数学者や一部の芸術家、生活でいっぱいいっぱいの人、いろんな人がいます。
温暖化に関心のある人は、6割くらいはいるそうですが、行動に移せるひとはごくわずかです。収入との相関も強い。

うまいプロモーションの方法があれば、教えて頂きたいほどですが、押し付けがましく宣伝したところで、余計に印象を悪くするだろうと思いますので、現在の関心度の高さが今の日本の現状なのだと、謙虚に受け止めたいと、私は思っています。

いつか、関心が高まってきたときに備えて、受け皿を用意しているつもりです。


おっちょこちょい?ピーキストなんて、日本にそんなにいるんですか?むしろ、悲観的な部類の人たちに対して、十分に門戸を開いているつもりでしたが・・・。
むしろ、これまで「ピークオイル論」を馬鹿にしてきた人たちを、いかに取り込めるかが勝負かなとずっとおもってやってきました。


daiさん

O先生より。
「急進的な温暖化対策は、経済を壊します。」
だそうです。
話の流れで、簡単な検証をしてみましょう。

・安価な石油がないと 20億人分くらいしか食糧供給ができない。
・2050年、「安価な石油」がこの地球上に存在しているか?
・2015年頃、世界人口は70億人でピークに到達する。

上の 3命題、個別にはどうでしょう。
数字に若干の異論が個別にはあるかも知れませんが、概ねコンセンサスが得られる結論が導かれそうです。

それらから導かれる、検討すべき次なる命題は、
・35年間で 50億人という人口減少は、平和裏に進みうるか?

ということになります。
これもさしたる異論を挟む余地のない結論が、そこにあるように思われます。

こうして見ると、" ピークは 2006年だった " とか、" いや、2015年頃だろう " という議論は、なんだか意味が乏しい感じになってきます。
Dr.Kさん



いやはや、おっしゃる通り、いつかについての議論に我々がエネルギーを注ぐのはあまり意味がありません。


20億というのは実際は少な過ぎる(非現実的な仮定の元の参考値)のではないかと想像しますが。どうやって計算したのかな。


ただ、数字はどうあれ、平和的な社会システムの移行は困難であることは、明白な気がします。


では、どうしたらよいですか?
誰が何を?


例えば原発は、あった方がより減少スピードを鈍化出来る可能性がある気がしますが、平和には貢献しませんか?
ぬりさん

17.3億人 ( Thiring, 2050 )、10億人 ( McCluney, Hayden, Thomson etc. ) という、さらに下方の予測もあります。

・2050年、ウランがこの地球上に存在しているか?

という問題が出てきます。

人口減少率が大きいほど、その時代は " 過酷さ " も大きいと言えそうです。
早く減り始めたほうが、痛みの総和も小さいかも。


" 人類 " スケールの話題から大きく一転、日本に住む小人の私としては、この国の経済が凋落局面に突入するのはいつか、については、半年単位くらいの精確さで予測が欲しいというのが正直なところです。

なぜかって ?

キャリアチェンジのタイミングを見計らうために。せこい話ですが ‥‥。
Dr. Kさん

いやいや、どんな風な仮定で計算してるのかなってことですよ。
「安い石油が無い」って、どんな状況になるのか(石油以外はどうなってるのか)、正確にはわからないと思うので、なんらかの仮定をおかざるを得ないと思うんです。「〜に使われる石油は無くなる」とか。
ありえませんが、仮に世の中の活動を純粋に必要な最小限の食糧生産だけに限定してしまえば、かなり少ないエネルギーで済む気がしますが。
多分、他のエネルギー消費をセーブすれば、かなりの食糧は確保できるような気がします。エンゲル係数は上がるでしょうけど。問題は別のところではないでしょうか。


ウランが2050年に(無事)なくなっていれば、もう奪い合うことはなくなるので出来ればそう願いたいです。
しかし、多分そんなことは残念ながらないだろうと思います。現在の利用形態は終了しているかもしれませんが、原子力には利用可能な次の手がいくつもあるからです。MOXの利用が進めばウラン使用量は4割ほどは抑えられますし、ウランの数倍は存在するトリウム燃料の利用が進むかもしれません。さらに、高速増殖炉(FBR)を無理矢理にでも駆動させることが出来れば現在核廃棄物と呼ばれるものも含めて活用でき、数千年は燃料には困らないといわれていますし、それが技術的に不可能でも、かなり実現出来そうな加速器駆動未臨海炉(ADSR)が駆動すれば、核廃棄物の燃焼が大幅に進みFBR同様の効果が得られる可能性もあります。判断によっては、大量にある核兵器を解体し(ロシアは既にやってますが)燃料にまわすかもしれません。

日本がどうするかは知りませんが、世界は既にそのような原子力利用に向けて方向転換が加速しています。人類は、エネルギー源がなくなるまで、エネルギー源の希求を諦めないのではないでしょうか。

そのような状況のなかで、日本がどのような判断を下すべきかを、国民がどう考えるかなのだと思います。


資源の問題は、既にその資源を発見してしまっていることから始まっているので、使い切るまでは問題は終わらないと思います。いくら節約協定を結んでも、構造上抜け駆けが出来るので、ESS(Evolutionarily Stable Strategy :進化的安定戦略)になりえず、不安定性が消えることはありません。



人口を早く減らしたほうが未来の為に良いという意見に、どれだけの国や地域が同意してくれるでしょうか。必然的な減少以外、難しいと普通は思います。それに、代替エネルギーの利用で、人口減退を少しでも緩和できるのならば、その方がベターだと思いませんか?


半年単位での経済予測が、我々庶民の情報力で可能ならば、誰も苦労しないですよね・・・。半年先の総理大臣も予測不能な国なので。
気持ちはわかりますけどね。私なら空売りかましますよ。
私は、もう暫くはアップダウンが出来るwレベルだと思ってます。ターニングポイントは過ぎている気がしますが。
ぬりんさん

> いやいや、どんな風な仮定で計算してるのかなってことですよ。

結論だけの、孫引きです。

Heinberg は、化学肥料、農薬の価格が高騰し、石油文明以前のレベルより少ない人口レベルの食糧供給しかできない、

Thiring は、「恒常的な停電」発生により世界人口の 75% が減少する、
というもののようです。

Richard Heinberg
Attarian,J., "The jig is up: Supplies of oil and gas are running out." The Social Contract, Fall, 67-74., 2003,72

Hans Thirring
Thering,H. Energy for Man: From windmills to nuclear power,New York:Harper & Row.,1956,1958,reprint

「ぬりんさん」はじめ、ミスタッチ多発。シツレイ。
ぬりんです


情報提供どうもありがとうございましたm(__)m。


石油文明以前…なるほど。
しかし化学肥料のほとんどは石油以外から作られてると思いますが…。農薬と合わせてもそれらは農業生産に必要なコストの極僅かです。農家のみなさんは苦労することになるでしょうが現実にはなかなかゼロまではいかないと思います。


Thiring氏の主張は、それが発表されてから50年間、幸いにして?大幅な人口減少を伴うような停電はまだ起きてないので、今の所外れてる?ことになりますが、電力システムの複雑さがもう少し増すと起こりうるという事でしょうか。



私には両者とも、未来予測というより、いかに人類がエネルギー消費に依存しているかを示すための、警告・教訓的な試算のように思われます。

そこから何を学ぶかということですよね。


食糧生産システム部をちゃんと考えなければいけない、電力の急激な継続的途絶は危険、ということかなあ。

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