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PAPA流フリーハンドイラスト塾コミュの自由質問箱

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■塾長の、トピック立てのペースがチンタラしてるために...
■塾長のテリトリー外であるために...
■その他諸々の理由で...

カバー出来てない、
塾生の皆さんが今まさに抱えてる悩み、
質問等、自由にやり取りできる場所をこさえて置こうと思って、
トピ立てました。

私に答えられないところも、
(たとえばCGや油絵に関する事とか)
お互いのノウハウで伝えあえるメンバーが揃ってると思うから、
質疑応答と云わず「自由質問箱」と仮称しました。

画材の事、営業の事、経験談、
何でもお気軽にぶつけてみて下さい。

コメント(30)

私はアプリケーションに通じては居ないほうなので、
非常にローテクな使い方をしてます、
...と最初にお断りして置きます。

先ず環境としましてはMac OS9.2.2 G4/400
今回使いましたのはPainter7です。
「平筆質感」というブラシが、色の引きずり加減とか、
ガッシュっぽくて好きだからです。

・アウトラインは「パステル/ワックス調」でしたか、
拾った色より濃くつくので、カフェオレくらいの明るいブラウンで描いてます。
(描くとほぼ焦げ茶になります)

1)A4サイズ200dpi、クリーム色っぽいキャンバスを開く。
2)レイヤーを作ってそこに上記のアウトラインを描きます。
3)後は、「平筆質感」でキャンバスに色塗りする。
※色数が増えるので、「red」「blue」と名前を付けたレイヤーをふやしながらひたすら彩色。

数字の設定も何もわからないので買った時のまま、

と言う程度です。

済みません、何も参考にならなかったかもしれませんね。
チーチさん

お粗末なお答えで申し訳ないです。

経過が分るというほどではないんですが、
以下の日記に途中の絵があります。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=62735031&owner_id=127930

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=66562212&owner_id=127930
質問
「クロッキーなどを描くとき、描く被写体を 紙の上に
 イメージしながらペンを走らせるのだと思いますけど、
 その時、視線はどこに置きながら描いていますか?」


初心者の自分が絵を描くときは、描く被写体を何とか
紙の上にイメージして、いざ描こうとした時に、

「ペン先に視線を置くと、イメージが崩れてしまい上手く描けない」
「イメージを保ちつつ紙の真ん中に集中していると、線が変になる」

となってしまい、全然上手く描けません。
上手く描ける人の「視線」を見習って練習できれば
上達が少し早くなると思うので、良かったら教えてください!
正しくは、対象でもなく紙でもなく、
心の中の感光板とかホログラムに意識は置かれてあるべきだと思います。

実は私のクロッキーやデッサン体験は一般の方と同様、
中学までの義務教育の範疇止まりなので、
依り細かくは、TETSUさんあたりに助言を仰がねばなりませんね。

私は腕が結構大振りで、絵もデカクなり勝ちなので、
何時も全身が収まらず何時もハミ出し勝ちです。
それは、写真資料の必要な仕事出の「形の飲み込み」のためのスケッチでの話なんですが、
まあ、それはそれで、知りたいところのクローズアップが学べるので、
自分では良しとしています。
気にせずそのまんま描いてます。
それを縮小したものを元に全身再度描いたりもしますよ。

そう言う訳で、先ず紙の上には理性的な(直感的に対してこの言葉を使ってます)目で、
大まかな位置取りをササッと薄く下描きしてから、
一呼吸あって、
自分の位置取りを心の原版にドッカリ据えてから始められるべきじゃないでしょうか?
インプットも心の原版(ホログラム)へ、
アウトプットも心の原板(ホログラム)から、
何時も自分は真ん中で、目線も手先もそこから等距離です。

間隔の事なので多分に抽象的な表現ですがご容赦下さい。
そう言う「つもりで」と言う事です。
補足

↑の終わりの方の「間隔の事なので」と言う一文は
「感覚の事なので」の間違いです。失敬

見て描くのは、対象直ではなく、
一旦感光させた心の原版を見て描くのです。
対象と紙を往復する様な心ではありません。

「見て」「描く」は、意識(目線)が「紙」←→「対象物」の往復と思われがちですが、
行程としては実は
「対象物」←→「心の原版」←→「紙」なんです。
補足2

クロッキーの目的が
そのクロッキー作品を、良く仕上げる事に留まるわけではなく、
自分の画力を作る事にもう一つの主眼があると思うのです。
これに関しては皆さん異存ないと思います。

上記の「対象物」←→「心の原版」←→「紙」の行程の内
「心の原版」←→「紙」の往復の時に、
依り「絵が育っている」のじゃないかと思います。

こう言う作業の時、たまにこの「心の原版」←→「紙」の間だけの往復時間が長くなって、
対象物への目線が「瞬時の(原版の)確認」だけになっている事があると思います。
この時に私達の「絵」が練られて居る様に思います。
森のくじらさん

書き込み有り難うございます。
そうですね...私達は、最初は立つ、歩くも中々ママならない子供の時代
(つまりこれはインプットに多くの時間をとられてる期間)を経て、
今では色んな作業がオートマティックになって、早くなって、

このインプット、アウトプットの2行程の時間が非常に短縮されているために、
普段殆ど1行程見たいな感覚になって、忘れてるだけなんですね。

ただ、私達は大きくなってからこの難物の「絵」に取り組んで居る訳で、
ここでは一度自分のプロセスを端折らないで意識し直してみるのは、
当然必要なのかもしれません。
見る>貯める>描く。の繰り返しですねぇ。
どれぐらい貯めるか。どのように貯めるか。何を貯めるか。
技術以外のそういった部分で、個性は大きく左右されるのでしょうね。
たくさん意識して見ることで貯まるものと。たくさん描くことで貯まるもの。
両方を、欲張りに蓄積して行きたいであります!
はまちゃん

はまちゃんの言葉であらためて思いましたが、
上記の2行程は、見る>貯める>だけでも単独で
生活中でやって行けるんですよね。

はまちゃんって、言葉がイイ。
それは絵にとってもプラスする資質じゃないでしょうかね。

上記2行程のどちらでもない、「真ん中に留まってる」時間と言うのもあるからです。
イイコトバの人は、きっと真ん中を利用しやすく「練る」力も出来てくるはずです。

※はまちゃん、似顔絵のTOMOKOさんとこで見かけましたよ。
マイミクさんだったんですね。
更に雑記として

「対象物」←→「心の原版」←→「紙」の、
「対象物」←→「心の原版」で、対象物とこころ、
「心の原版」←→「紙」で、こころと紙、或いは筆を含め、
その2者が渾然と一つになって不可分になってる状態が、
人にはあります。

その状態を「没頭」とか「没入」とか言うんですが、

何時も、その「一体になり得る」のは心、真ん中、私、を通してなんですね。
塾長〜、キョーシュクであります。
TOMOKOさんは、マイミクではないのですが覗きに行ったのであります。
最近、似顔絵を練習しております。
塾長の達人ぶりに、またまた恐れ入る次第なのでしたぁ。
おおおおお
丁寧かつ内容の濃い回答ありがとうございます!
森のくじらさん、はまちゃんさんもありがとうございます!
おぼろげながら解りそうです。

とりあえず、自分の「心の原版」の場所を探して意識し、
より鮮明に、より大きく、より長時間、描きたい物を
映して(うつして)おけるように頑張る感じですね!

やってみます!
今のこの質問ページを保存して 毎日読みながら、
しばらくの間「心の原版」を意識する事に励んでみます。
質問して良かった! どうもありがとうございました。

たぶん自分の「原版」はまだ「洗面器に張った水」と同じくらいで、
人間の顔くらいの面積の絵を映し、すぐ揺らいで消えてしまう
のだと思います。 どこまで育てられるか勝負! ですね。
報告:
とりあえず、昨日より格段に描きやすくなりました!
昨日は「心」を通さず、いきなり紙を意識して「描こう、描こう」
としていたため何も描けず愕然だったのですが、だいぶマシに!

ヘタですが、ヘタだからこそ、頑張ります!
クロッキーって測って描く(プリントアウト)以上に考えた事が無いですね。測距(三角測量してるのかな??)自然、測距点を増やせば上手くなるのかな〜と漠然と考えてしまっています。

脳の中の測距儀と露出計の制度を高めてる感覚ですかね。

視線はどうだろ?全体を漫然と見ている目と今描いてる部分を(ストローク分)割と強めに見ている気がする(自分の中では、立合いで相手と対峙した時に似ている)。

ワンストローク分の記憶量は昔も今も変わりませんが、ストローク始まって終わるまでの測距点の数が、昔と今ではべらぼうに違います。

私が学生の頃、土木を専攻してさんざん測量をやったからそんな風に考えてるのかも知れません。ついでに写真も好きなのでそちらの用語を使ってしまってます。余り参考にならなくて申し訳ないです。

サヴァン症の人たちのような無制限の記憶容量が欲しいです。私の場合記憶出来るストロークの長さは変わりませんね。スピードアップにも繋がるし、これを伸ばす方法は無いんでしょうかね??




画像は、知らずにGペンの裏で描いてしまったクロッキー。いつも慣れてる額の部分から描いてしまうので、たまにつま先や、逆さま向きに描いたりしてます(修行中)。
>...以上に考えた事が無いですね。

考える回路には任せない部分が多いのですよね。
しかし、考える以外の回路に自動的に任せている作業もあって、
決して端折っている訳ではないのですよね。

>測距点を増やせば上手くなるのかな〜と漠然と考えてしまっています。

それは、塾長の持論を書かせていただいた際の「絵の線にも、字画のようなものがある」と言う事だと思います。

実戦では適切なところで臨機応変に切る事が多いのですが、
全て繋げて書く余力がありながら、適所で切るのは、
余力がなく切れるのとでは違うのです。

字画と言いましたが、それが、筆で書く仮名文字の文と言い換えても同じです。

このラインは「やまじきて なにやらゆかし すみれそう」という文章だ、
と言う風にシミュレーションが出来て紙に臨む時、
「やまじきて」の上句5文字分で筆をあげて次に移るのは、
次なる7文字の緩急に期待する積極的なクリエイティブと言えます。

そう言う文章として、ひとつの意味ある文字の字画として、
あるラインのシミュレート、見切り(記憶量といってらっしゃいますが)が出来ながら紙に臨むのは理想的です。

繋げる余力無きがために、字画の途中で切れてしまうこと、
上の句の途中で継いでしまうことが、
最後までラインが導くリズムに乗れない要因なのです。

小雷さん
何であれシッカリ取り組んだものというのは、
必ず応用が利くものなんですね。
素晴らしいと思います。
がんばります!
ありがとうございます!
おお、気がつくと、実に興味深い内容が。

はまさんが言い換えられた、
見る>貯める>描く
わかりやすいです。

塾長、名前だしていただいて恐縮です。

18〜24才までの7年間、自分の受験の2年と
受験生の高校生、浪人生を教えていた4年の
計6年間、毎年数百枚のデッサン/色面構成を
描きながら、年間数千枚以上のデッサンを
指導する立場で過ごした経験があります。

上手いコほどパッと描き出さないのです。
ジーと見てる時間の長いコほど伸びる。

試験時も同様で、試験官だった同僚がいうには
「用意、はじめ!」でパッと描きだしたコの
9割は落ちるのだそうです。
通るコは3時間の試験時間の30分くらい見てる。

つまり、貯めているのですね。

そんな経験があって、
頭を通す事がつまり「描く」ということ
という認識を徹底させられた何年かでした。

大学の授業の中で、「手」それ自体が
外部の脳髄であるというようなことを
書物で読んだりもしたのですが、

プロとして10年程度描く経験を経た現在
意識の中で、手自体にハードディスクがついていて
だんだんそっちにも情報がたまっていくような感覚
(実際は脳のはたらきなんだと思いますが)
があって、はじめて描ける、
手のハードディスクの情報の集積が勝手に
手癖というかフィルターのような働きをかける、
そして極上のそれこそが、人間の眼に気持ちがいい、
なんて事を感じてもいます。

そういうことがわかりつつも、
新しい記憶力はどんどん落ちてくるし、
さほど上手くならない自分がいて
悶々とする訳ですが…。

ここで塾長の様々な視点のお話など聞くと
もっと上手くなりたいという気持ちが
わいてくるので、とても刺激になります。
おはよーございます。
TETSUさんの書いてる内容、よーくわかるです。共感するです。
自分のことを引き合いに出すのはキョーシュクなんだけど。
自分のばやい、以前よりもモチーフを見ている時間が増えてます。
それも描く前に見ている時間がとても長い(全体に占める比率として)。
もちろん、見た瞬間に描き出さなくては消えてしまったり、変化してしまうモチーフもあるんですけどね。

だから、感覚としては「観察」は描く前にほとんど終えていて、手を動かして描きながらモチーフを見るのは「確認」に近いような気がしてます。

と同時に、わたしの場合以前から動いている人間を描くのが好きで。最近はドッグカフェでお客さんが連れてきた犬が遊びまわっているのをスケッチしたりするのですが。これなんぞは頭の中にイメージを叩き込んで貯めないとその時に描くだけの情報が集まらないんですよね。じっとしててくれないし。自然と「見る>貯める」のサイクルに集中できるのかも?

実際に描く前のわたしの頭の中の動きは

「ん?面白そうだな。でも、描くほどじゃないかな?
いや、でも気になるでしょ。
あそこが、じゃまくさいんだよな。
なんであれとあれが揃ってるんだ少しずらしたいよなぁ。
あそこ細かいけど、細かく描いたって印象が薄くなるよなぁ。
面倒臭いし(笑)。
あの木は、もっとガッチリさせたいじゃん。
でも、難しそうだからやっぱり描くのやめようかなぁ(笑)」

などというのが頭の中をかけめぐりつつ、モチーフをながめているわけです。まぁ、その様子はまわりの一般人から見たら、チョットあぶない人っぽいんじゃないかと思いますが。

三十分ぐらいじーっと観察して、そのあとはモチーフをいっさい見ずに描く実験とかもしてみたいですね。
TETSUさん、
呼応頂いてたすかります。
細部に行き届くカバーをして頂きました。

>意識の中で、手自体にハードディスクがついていて
>だんだんそっちにも情報がたまっていくような感覚

これはつまり、自転車に乗れる様になる感じや、
水に浮く様になるのと共通する事で、

心臓や胃腸のような不随意筋をつかさどるのと同じ無意識層に、
一旦感得した物から順次渡してしまって、
殆ど自動航行に移行する部分があるんですね。

絵を描く回路の一部は無意識層を通過していて、
そちらに「条件反射の集積」がされていくために、
描き手の意識は常に新しい事態の「感光」と初めての「反射行動の試み」に向けて居られる訳なのでしょうね。

そして今一度思い起こして欲しいのですが、
先の自転車、一輪車でもいい。
泳げるようになる事、スケート。
いずれの場合も必ず「重心に体重を投げ出」してしまった時、
無意識層の回路がONになって、
TETSUさんのいうハードディスクが働いて、
と言う事が起こります。

言い換えると、「自分の重心」の辺りを起点にしかニューロンみたいなものが伸びない。
伸びるスイッチが「ON」にならない。

確かに絵の向上というものには、
TETSUさんのおっしゃった「ハードディスクの集積」とか
「ニューロンの伸展」みたいな言い方になってしまう要素があるみたいですね。

それが、クロッキーの時の気持ちの置き方な訳で、
この、良く分らないものを「ON」の状態で描くのが、
何となく良い様な気がするのでしょう。
「歩くように描けない」
「歩くように描きたい」

日ごろからそう思いながら四苦八苦していますけど、
つまりはそういう事なんでしょうね〜。
ハードディスク情報とグラフィックボードの
強化をしたいです。あとケーブルも…。
見落としてました、お返事遅くなりました。
こみゅは 動いてますよ。
ただ最近トピ立てが滞っております。
ここまで塾長一人のトピ立てに依存しすぎたせいか
私が忙しさに追われるとこの様に沈黙気味になってしまいました。
ご心配かけて済みませんね。
水の揺れによる一瞬一瞬は一期一会なので
「うまく」描く手法はありません。
遠慮なく先ず写真を撮るべきでしょう。
写真を見てよく学び、描くべきです。

何がどうなっているかについては、永遠に謙虚であるしか出来ず
虎の巻がありません。
私たちに出来る事は、これさえあればと言う傲慢なテンプレートの一切を外して
チリ一つ付かない胸の感光板を用意して物事に望む事だけです。

と、そう言ってしまって終わりではみもふたもないので
ご質問とは焦点がずれるかもしれませんが、
「水面」にフォーカスしたいのか「水底」にフォーカスしたいのかが
ご質問から見えにくいところではあります。
おそらく絵のネックになるのは
水面の反射は及び腰にならず、「近景」らしく「スパッとエッジのたった」光で
波の角、折れ目をはっきり描くべきだろうと思います。
それが生む水底との距離感が、水面も水底も生かすもう一つの描写だと思います。

前後してしまいましたが
素敵な画業ですよね。
ようこそおこしを、ありがとうございます。
今締め切りに追われているところなのでまた追記があれば後日、と言う事で。

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