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PAPA流フリーハンドイラスト塾コミュの定規で描く遠近法が絶対では無い

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先にも一度触れた事がありますが、
漫画やアニメで、定規で描かれた和室に、何か広過ぎる様な違和感を覚えた事がないか?
と言う話、覚えて居られるでしょうか?

皆さんが漫画なんかで背景を描く時には、学校で教わったように、
一方向だけに収束する遠近法を使って描くでしょう。
しかし、そうやって描かれた景色には何か違和感がある。
今日はその話です。

今描き留めたメモ画像を見て頂けますか。
これはものすごい広角のカメラというか、引きの絵ですね。
こんな風に一地点に立つ眼から見ると四方にも天地にも収束点があります。
全方位に遠い所は遠い。
けれど、何もこんな引きの絵で無くてすら、
さっき言った和室一間の数メートルの範囲ですら何か居心地悪い、自然じゃない感じが伴うと...
まあその原因は、実際の私達の目には、世界はこの添付画像の様な見え方をしているからだと言う訳です。
もっと厳密に言えばここに地球の円さとか円い眼球二個と言う要素とかも加味されて
実際の私達の周囲の景色は視えている、そのこととの差なんですね。

しかしそんなヤヤコシイ条件総てを盛り込んだ複雑な遠近法で描けなんて、
私は皆さんに云いたくありません。
ただ、この「遠近法」すらも黄金じゃないと知っておいて頂ければ充分だと思っています。

走ってれば前傾に決まってる、
景色は遠近法に決まってる、
そうやって無数に積み上げたテンプレートから一度奇麗サッパリ自由にならなければ
絵の上達はあり得ないと思われるのです。
積み重ねたテンプレートや眼の覆いの落ちた裸眼にならねば
先ず実際の世界が見れども見えないのですから絵の上達も何も始る事すら無いと
私は思うのです。

NET上でも散策すれば山程「画力向上」とか「絵の上達」とか書かれたコンテンツがありますが、
上記の一点に気付いて先ず「裸眼に還る」事をえねば、
本当の座標のxyz(0,0,0)に立たねば、そこからどう伸びるかのベクトルも無いと思うのです。

多くの場合の「上達」法が、
結局人の顔とは「へのへのもへ」と言う描き方にあるのであって
その応用編で、「へ」「の」「へ」「の」「も」「へ」の細分応用パーツを一個でも多く仕込んで行く事を絵が上手くなる事と勘違いしたまま進められています。

本当に絵が好きな皆さん、絵を描きたいと志された皆さん、
「何か」を絵に描き出す事の素晴らしさに引かれた皆さんは、
裸眼で、埃の付かないまっ皿なレンズと胸の感光板でこの世界に立つ事から出発して頂きたい。

抽象的な話に聴こえるかも知れませんが、今日はそう言う「第一歩」にして「一番肝心」な話でした。
よろしくお願いします。

コメント(3)

日本画を見ていると、絶対にパースでは間違いなのに、なんでこんなに違和感ないんだろうと思う絵ばかりです。いや、計算づくなんだと後からいろいろ分析する意見もあると思いますが、そればっかりじゃない、何かを感じます。

この目で見た感じ、大事にしたいです。
建てるのは定規でも見える、描くは必ずしもそうじゃないですね。
四畳半なら気付かないかも知れませんが、講道館みたいな広い道場の奥を正面に立って写真取ってみて下さい。右端左端だって遠いからすぼまってる筈です。
でも漫画なんかでは奥の壁を定規で長方形に描こうとするんですよ。殆どの人が。
奥行きにしたって自分の足許を境に後方にも遠くなってる。
自分の後方は永遠に近景として拡がる前提で描かれた遠近法はおかしいでしょう?
詰り「直定規で描ける遠近法の景色は無い」と言うのが本当なのです。

講道館とはいわぬまでも、八畳間、十畳間ですら感じるでしょう。
のび太の勉強部屋、チビ丸子、磯野家の居間、皆そうです。
時代物の武家屋敷も、映画と漫画の違和感の差はそう言うことです。
ダ・ビンチの最後の晩餐の部屋なんかもそうか...
ダ・ビンチともあろうものが定規の遠近方で四角四面にかいてるのは何か意図があっての事なのかしらね。

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