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お城めぐりしよう!コミュの堀(濠)部_過去ログ2

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堀(濠)部長の鮎です。

おかげさまで、初代「堀(濠)部」の投稿が溢れんばかりになって参りましたので、晴れて「二代目」の堀(濠)部を立ち上げさせて頂きました。

初代堀(濠)部トピはこちらです。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2879082&comm_id=22348

写真は、彦根城(滋賀県)、名古屋城(愛知県)、小机城(神奈川県)です。

堀にまつわるお話であれば、写真がなくても構いません。
城郭に関わる堀であれば、水堀、空堀、堀切など、その形状を問いません。
天下の名城の巨大な堀を投稿されるもよし、名もなき山城のわずかな窪地を投稿されるもよし、です。
皆様の書き込みには極力部長からのレスを心がけますが、もちろん、どしどし横レスをつけて下さって結構です。

引き続き、皆様の投稿によりこの場が盛り上がることを期待しております。

コメント(400)


小田原城の本丸東堀です。
今回、ゆっくり回れましたが、こんな堀が整備されていたり、
天守とウメ子以外にも、沢山の見所があったんだなと、
改めて、小田原城を見直した日でした。
各部に続いてこちらにも(^^;

伊予松山の旅の途上にて訪れたお城から掲載させていただきます。
松山城では坊ちゃん列車に気を取られ(笑)お濠の写真を撮り忘れましたが(^^;代わりに旧伊予守護の居城、湯築城の濠を撮ってみました。
資料館の閉館時間ギリギリに訪れたので、あまり時間が取れなかったのですが冷や汗松山市内の、それも一大観光地・道後温泉のすぐ間近にこれだけしっかりとお濠が残されているってことにいたく感動いたしました目がハート

帰路に訪れた今治・丸亀城の両城にても、幅の広い立派な濠に出会えました。
海水濠には「萌え〜ハート達(複数ハート)」でした(笑)


左:湯築城の内濠です。
中:今治城の内濠です。高虎さんの原点?を身をもって感じました(^^)
右:丸亀城の内濠です。(って、三つ全部内濠やがなw)
迷路のような空堀といわている、小幡城(茨城県茨城町)の空堀です。
堀底が道となっているのですが、本当に方向感覚が狂ってしまったのではないかと惑わされました。

噂にたがわぬ、凄い城です。
ごめんなさい!コメントすべき投稿がたまってしまいました!
まとめレスにて失礼致します。

◇(有)やまひろ部長さん
椿井というと、大塚山古墳の銅鏡が先に浮かんでしまうのですが、確かにここには立派なお城がありましたね。島氏といえばご指摘の通り大和国内の地侍で、かの島左近の出自にあたる氏族だと認識しています。

◇NACKさん
会津若松城は復元天守の周辺もさることながら、こうした堀回りがきっちり保存されているのがよいですよね〜。それにしてもこれほどの大城郭を打ち捨てて、神指に新規築城を始めた上杉氏の意図は何だったのか・・と、これは以前にもどこかで書きましたが。

◇☆kazu☆さん
白河小峰城と会津若松城は、確かに石垣も立派ですよね。城郭の周囲が比較的旧態を保っている点も共通です。本当に素晴らしいお城だと思います。

◇お奉行さん
土気城は「堀」としての評価もさることながら、房総地域の城郭を特徴づける「切岸」の存在にももっと注目してよいんですよね。ここまで切り取らなくてもよいだろう、というくらい、垂直にすぱっと切った崖が随所に見られるのは圧巻です。

◇うほっちゃさん
真篠砦の存在は、恥ずかしながらこの投稿で初めて知りました。が、この地域にこれほどの畝状空堀を持つ城が存在していたことに、まずもって驚きました。これも見てみたいお城ですね〜。

◇ででぶとらさん
小田原城の本丸東堀は、確か関東大震災で埋もれてしまったのではなかったかと(違うかもしれませんが)。それ以来、写真の通りの「微妙な低地」として存在し続けていて、お城好きでない方は堀ともなんとも思わず通り過ぎているんですよね(泣)

◇はやまさん
四国旅行、お疲れ様でした〜。
湯築城は、よくぞ100名城に選んでくださったという感じですね。湯築城を含め、四国のお城は内堀がよく残されています。宇和島城と大洲城は埋められてしまいましたが・・

◇お奉行さん
出ましたね。関東屈指の土の名城、小幡城。
このお城については今さら語るまでもないでしょう。でも堀底道の迷路っぷりは、ちょっとやりすぎですよね。防御性が高すぎて、さぞ使い勝手も悪かったのではないかと思います(笑)。
岩国城の空堀です。
こんな山頂にある何って思っていませんでした^^;
5月以来の遠征で、再び東北へ(笑)。kazuさんも行かれた白河小峰城と忍城の堀です。小峰城の外堀は中々見ごたえがあって、堅固さを窺い知る事が出来ますね。

写真左から、小峰城・清水門跡付近の堀、外堀、忍城・水堀です。
函館空港すぐ近くの志苔館の堀です。
二重堀は一見の価値ありです。
昨日、訪れた城より、明石城の薬研堀を投稿します。明石城はこれで4度目の訪城ですが、東の丸にまで足を伸ばしたのは初めてで、薬研堀も初めて拝みました。さながら池のような佇まいでした。
篠山城(兵庫県)外堀です。家康命令の天下普請、藤堂方虎縄張りだけあって水濠が広大でした。
ごめんなさい。長らく放ったらかしにしてしまいました(;_;)

◇PINKGINさん
岩国城の堀には崩された石垣が散らばっていて、荒涼とした感じになっていますよね。近世城郭として作られながら、いったん廃城(破城)の運命を辿っているからこその風景で、これはこれで貴重な遺構だと思っています。

◇えどっちさん
白河小峰城の外堀は、駅前なのによくぞ・・・と思うくらいに手付かずですよね。よい遺構だと思います。忍城は、後世に相当手を加えているのではありますが、それでも現在に伝わる城域を大事にしようとする地元の方の姿勢には感謝です。

◇NACKさん
志苔館はこんなに綺麗な遺構があるんですね。思わず航空写真で見とれてしまいました。函館空港に近いというより隣ですし(^^)
ずっと以前に函館まで社内旅行で行った際には、志苔館の存在すら知りませんでした(鮎さんのゴリ押しで五稜郭には行ったのですが 笑)

◇todoさん
明石城の堀は確かに堀というより池ですよね。そのあたりの地形をうまいこと織り込んでいるあたりに城地選定のセンスを感じるお城だと思います(^^)

◇ウォッカマティーニさん
藤堂高虎が関わった城は、確かに総じて堀が広いですね。城攻めの道具が槍・弓から鉄砲、更に大砲へと変化する過程での産物で、二次元的な防御施設の最終形とも言えるのではないかと思います。
静岡県の駿東地方の城に行ってまいりました!その中から…

左:千福城・畝状竪堀(竪堀の間の凸部分メインになってしまってますがあせあせ(飛び散る汗)
中:葛山城主郭部の、「西」側にある二重堀切
右:葛山城主郭部の、「東」側にある二重堀切
一昨日の姫路城訪城から、勢隠濠です。草に覆われた石垣と絶妙なマッチングです♪。
先日訪れた高松城です。

周辺は埋め立てられ、かつて海城だった面影はありませんが、海水を使用した濠からは磯の香りがするので往時を偲ばせてくれます。

佐倉城のお堀、
城南堤より望んでみました。
福島県白河小峰城に行ってきました。
関東とみちのくの境界線にあるお城ですね。
結構石垣など立派でした。
2枚は外堀
1枚内部空掘
本日訪れた一乗谷の朝倉氏館跡の濠です。前面は濠、背後は山城で防御されていました。普段、近世の城郭ばかり見ているので、中世の土塁と濠の組み合わせは新鮮でした。
日曜日にかながわ考古学財団主催による小田原城西曲輪西堀の発掘調査現地説明会に行ってきました。 調査が終了して小田原高校の敷地内でもあるため、まもなく埋め戻すことになるとの事で最後の説明会だったため200名くらいの方が来ていました。 この堀は小田原城のほりの中でも最大級のものだそうで、幅23メートル、深さ7メートル以上に達し、障子堀り(堀底を掘り出し、障壁を設けた堀)が確認されました。障子掘って堀の中を自由に歩けないようにするためのもので、高さは170センチにもなる壁を堀の中に作られていました。圧巻です。
宮崎県飫肥城の大手門脇の空堀です。
 松倉氏10000石の居城だった大和国二見城堀跡です。1616年に松倉重政が肥前に転封されて廃城になりました。昭和50年代まで堀が残っていたそうですが、今は埋め立てられて資材置場になってしまいました。奥に見えるのは今年行われた松倉重政二見入城400年祭で使われたらしい「天守閣」です。
 右は二見城の天然の堀だった吉野川(紀ノ川上流)です。
久しぶりに滝山城に行ってきました。
以前来た時には見ていなかった、三の丸から馬出し辺りを歩きました。
6歳の娘を連れての城攻めだったのですが、
土の遺構とはいえ、この規模でこれくらいはっきり残っていれば、熊本城とかと同じお城なんだと分かったようです。
しかし、土の城は、尾根筋を堀で切ったり、谷を掘り下げたり、土塁を作って池にしたり、張り出した尾根を堀で囲んで出丸や馬出しにしたり、緩斜面に段々に腰曲輪を構築したりと、自然地形をいかにうまく防御構造に仕立てるかといった工夫の様子がよく分かって面白いですね。
伊賀上野城のお堀です。

上から覗くのが怖いくらいの高さですげっそり
長らく放置してしまってごめんなさい。イベントも終わりましたので、やっと堀部にも目が届きました。

◇ハッセーさん
先日はお目にかかれて光栄です。
千福城の畝状竪堀は、この地域(静岡県東部)では最も明瞭な遺構だと思います。近隣の葛山城にもあることはあるのですけれども。撮りにくい被写体を見事に押さえていらっしゃいますね。

◇えどっちさん
姫路城の勢隠堀と、桜門のあたりの堀でしょうか。桜門前のところは規模も大きくて立派ですよね。

◇ウォッカマティーニさん
高松城の海水濠の海水は健在ですよね。と言っても、鮎さんはかれこれ20年余りも訪ねていませんので、天守台の上には未だに神社がある姿しか浮かんでこないのですが・・

◇ででぶとらさん
佐倉城の西側の堀は見事ですよね。ふたつの突き出し部(馬出し)が綺麗に残っていて、堀も実にいい感じのカーブを描いています。

◇相州乱波かすこばさん
龍岡城とか龍岡五稜郭とか言わず、田野口陣屋と書くあたりがニクイです。それにしてもこのお城はコンパクトで可愛いですよね。この堀じゃ、下手すれば長槍で届いちゃうのではないでしょうか。

◇N文吉さん
白河小峰城の堀はほぼ手付かずの部分があって、鮎さんも大好きなお城の一つです。石垣も含め、見どころ満載ですよね。駅前なので訪問しやすいですし。

◇ウォッカマティーニさん
一乗谷の朝倉氏館はどこまでが現存でどこまでが復元なのかというのが、鮎さん自身のかねてからの懸案事項ですが、水堀まであるんですね。これはいよいよこの目で確かめないといけないなあ・・・

◇N文吉さん
これはまた貴重な写真をありがとうございます。学校敷地内とのことで復元は難しいのだろうと思いますが、昨今の文化行政充実の折、城内にある公共施設を郊外に移転し、なるべく城郭の復元を優先する動きが広がってきていますから、将来的にはここもどうなるかわかりませんよね。

◇モンブラン侯爵さん
石垣ナイト、お疲れ様でした。飫肥城の大手前堀については石垣ナイトの二次会でもお話ししましたが、どこまで辿れるのかよくわからないんですよね。そもそもどこまでがお城なのかもよくわからないお城ですから。この城を100名城に選考した関係者の慧眼に感服です。

◇大審問官さん
これは初めて知りました。松倉氏は島原の前は大和だったんですね。しかもここでも地味に400年祭が開催されてますし。

◇作戦参謀さん
お子様連れでも滝山城ならば、山あり谷ありの起伏に飛んだ地形を見て、結構楽しめるのではないでしょうか。それにしても大きな土塁と堀ですね。

◇よしくんさん
伊賀上野城の堀を見下ろすアングルは、過去に鮎さんも実施したことがありますが、かなり怖かったのも覚えています。よくぞ撮影されました。でもくれぐれもお気をつけて。

◇すっぴーさん
造海城の名は頭に入っていなかったので、あらためて調べさせて頂きました。岩盤をかち割った堀が特徴なのですね。写真は上手く写っていますが、藪がひどかったとなると、探索もさぞ大変だったことだろうと思います。お疲れ様でした。

◇N文吉さん
廊下橋(でしたっけ?)のところの堀は、会津若松城の名物のひとつですね。深さの違う堀を繋ぐため、橋が「堤防」のような役割を果たしています。
◇ひさちょんさん
柳川は今年のはじめに私も訪ねました。思ったよりも堀が美しく、街と調和しているという印象を持ちましたが、汚染は進んでいるのですね(;;)
11月3日に大分県 日出町の日出城跡にいきました。
本丸の空堀です。 元々 水堀だったらしいですが…

 伊賀国名張城(名張陣屋)です。

左・中
 松倉氏名張城(1585〜1617)の堀跡です。昭和62(1987)年〜平成3(1991)年に行われた発掘調査時の写真の写真ですが、今は埋め戻されています。ちなみに藤堂高虎の養子高吉が築いた前期名張陣屋(1636〜1710)は、名張城跡に建てられましたが、堀の埋め立てが不十分だったため床が傾く被害が出ていたそうです。築城の名手と言われた養父と違って高吉にはその方面の才は無かったようで…。

右;堀代わりだった城下川に架かる大手橋

 名張城(陣屋)に関しては、こちらを参照して下さい。
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=30319248&comment_count=6&comm_id=398257
わあ。すっかり埋もれてしまいました。堀だけに(汗)
書き込み頂いた皆様、ありがとうございます&申し訳ありません。

◇ストフリさん
日出城は、バスで近くを通ったことはあるんですが、立ち寄って見たことがありません。遺構もしっかりしているようですし、ぜひ一度立ち寄ってみたいとは思っているのですが。。。

◇大審問官さん
名張陣屋の貴重な情報、誠にありがとうございます。藤堂家と丹羽家のちょっと複雑な人間関係も垣間見ることができ、大変参考になりました。

◇うほっちゃさん
変わった構造ですよねえ。この堀の図が意味するところをあれこれ考えているうちに、すっかりレスが遅くなってしまいました(単なるイイワケです。ごめんなさい><)
で、未だにこの構造の意味がわからないままです。堀内に「塹壕」のようなものを作ったと考えるのが妥当な気はするんですが、実効性がほとんどないような気がするんですよね。ということで、やっぱり未だにわかりません。
飛騨国下呂森城跡の掘切です。下呂市指定史跡です。
◇すっぴーさん
切り通しも堀としての機能が認められればOKですよ。
武州松山城なら、ほぼ間違いなく竪堀の機能を持った切り通しでしょう。

◇大審問官さん
下呂市の森城跡ってうろ覚えですが、「あの」森氏と関係があるんでしたっけ?
以前下呂温泉に行こうと計画した際に、近隣の城を一度調べたことがあったのですが、もう忘れてしまいまして><
鮎様
 森和泉守が何者なのか全く不明ですが、美濃国に隣接した地域ですので、美濃の森氏と関係がある可能性は高いですね。
 ただ、この城は北飛騨方面への見晴らしはあまり良くなく、美濃方面への見晴らしが良い地点にあるので、美濃方面への押さえとして築城されたと見るしかなく、美濃勢が築いたと考えるのは不自然なんです。
先日所沢市の滝の城へ行ってきました。
二度目でしたが、初めて訪れたときより綺麗になって遺構が見やすくなっていました。
タイミングが良かったのかも知れませんが・・・
◇大審問官さん
あ、そうですね!下呂は飛騨ですが、森氏は美濃でした。
飛騨と美濃の国境線はかなり明確だったはずですから、確かに立地とその目的を考えると飛騨側のお城なのでしょうね。このあたり、まだまだ勉強不足です。

◇T・ランタさん
滝の城は所沢の隠れた名所ですよね。
かつて所沢市民だったこともありますので、このお城は結構気になっていました。枯葉が積もると、堀の形がより明確になるんですね。
◇かず@川崎さん
小田城の見学会に行かれたんですか。投稿ありがとうございます♪
このお城から障子堀が出るということは、少なくとも障子堀が後北条氏の専売特許ではなかったことの証明になりますし、後北条氏が小田原近辺の城郭に畝堀と障子堀を多用するよりも前の段階から、関東に障子堀による防御技術が存在したことになります。貴重な遺構ですよね。
さて、本書き込みにより書き込み数が400に達しましたので、慣習に従い、「三代目」トピに以降させて頂きます♪

以後の「堀(濠)部」への投稿は、こちら↓に書き込み下さい。
よろしくお願い申し上げます。

三代目堀(濠)部
http://mixi.jp/edit_bbs.pl?id=37827861&comm_id=22348

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