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ジャズ喫茶のことなら何でも・・コミュの蝶類図鑑

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京都市中京区河原町蛸薬師にあったお店。昭和47年に開店して、いつのまにか閉店になってしまったようだ。

私自身は入ったことはないが、この店のおどろおどろしい逸話をいくつも耳にしてきた。小さな窓があるだけで照明もほとんどなく、壁一面に蝶の標本がほわーんと浮かび上がるといった風情だったようだ。

もちろん私語は厳禁。とりわけミンガスがかかっているときに口を開いて叩き出されたなんてエピソードを聞いたこともある。

店内では口を開いてはいけないお店・・・信じられないかもしれないが、当時は結構ありましたよ。

コメント(17)

自己レスです。

ジャズ喫茶のマナーについて書いてあるサイト発見。
http://www.jazzsoda.com/forword.htm

おしゃべり厳禁の店も一覧表からわかる・・・
mr.Xさん、はじめまして・・・

情報ありがとうございました。ジャズ喫茶に限らず、昔は喫茶店というのはムーディーなものでしたね。レンガに蔦がからまってたりして・・・。

またいろいろカキコくださいね。
>スマイルさん

>紫のブラウス着た女性が、暗い部屋の中にブルー系のスポットに浮かび上がった彼女の下着だけが、、

はじめまして、スマイルさん。
「ジャズ喫茶のことなら何でも」のコミュを忘れて思わず
妄想が脳裏をかすめました、と言うよりそれだけかも、、
変なジジイになった自分を再確認しました。
その様な想い出の詰まったお店がどんどん閉店してしまい
残念ですネ。
他に姫路にお勧めの所がおありでしたら教えて下さいね。
「蝶類図鑑」は出来た当初行った事あります。
そうですか・・・暗かったですか。
当初は真っ白の壁に標本のガラスケースがピカピカ光って、
全体にアメリカンポップアートって雰囲気でしたね〜
あれから くら〜く変遷していってたんですねぇ(笑)。
当時の京都のジャズ喫茶は密度も高く全盛期でした。
ZABO YAMATOYA MANHALL BlueNote 玄泉館 Impulse
フリージャズを聴くならここ、コルトレーン、マイルス、ガレスピーならここって、店ごとにはっきり特徴がありました。そうそう、ベッシースミスばかりかけている店もありましたっけ。シアンクレールはサロン風で、高野悦子詣での客が多かったような(笑)。
ZABOのアルテック7で聴く、アルバートアイラーはすごかったです。マスターがファンでアルバムすべて揃えてるという話でした。

姫路の「Taro」!懐かしいです。
「混沌」それから古二階町の千成の近くに、もう一軒ありましたっけ。そこでマーサ三宅、日野テルマサのライブを聴いた記憶が。
タローはスイングジャーナルで紹介された新譜が必ずあるって風なまじめなラインナップでしたよ〜(笑)
ところで、途中で引越ししたのですか?
確か地下ではなく、2階でした。
御幸通りから角を曲がって大陸?思い出?かの喫茶店の前。
 姫路の情報にお詳しい方もいらっしゃると思います。また補足していただきたいのですが、私の聞いたところ、あちこち閉店をして、元気なのは「ライラ」ぐらいじゃないかということです。
 http://www.kisweb.ne.jp/personal/A_CE-train/layla.htm

石橋敬一(b)さんがやられていた"Wish"なんて素敵なお店もいまはないもんなぁ。
関西の方が多いようなので、便乗質問お許しください。

70年代中期、神戸三ノ宮のはずれにあった「クル・セ・ママ」という店はどうなりましたか?
 元町駅の南側にあったフリージャズ専門のクルセママでしょうか。未確認ですが、かなり前に閉店になったように聞いていますが・・・

#7あたりから阪神方面ネタになってきました(って自分でもそれに寄与しています)が、適当なところで別トピにしましょうか・・・
無理矢理、話題を「蝶類図鑑」に戻します。(笑)

ジャズ日本列島を片手に初めて入ったのは1976年。
さすがにあのストイックさにはついて行けず、
ZABOのほうによく行ってました。

1980年代の中頃、京都で
麗しき女性イラストレーターさんと仕事をしている時
ジャズが話題になり、
「昔仲間たちと、『蝶類図鑑』というジャズ喫茶を作ったのよ。」
という話が出てきてびっくり。

若い友達連中が集まって金を出し合いお店を作ったそうです。
さすがに蝶類図鑑となると、カキコが多いですね。私もよく行きました。でも昼なので、上の窓から自然光が入って、そんなに暗いという印象はなかったように思います。ただ、トイレの照明が自動式になっていて、ドアを開けると自動的に、明かりがつくのです。これには、一瞬ギョッとなりました。
マスターが自分で改造したと聞きました。

この間、蝶類図鑑に一年ほどバイトをしていたという女性がうちの店に来ました。京都は狭いですね。というか、ジャズの世界が狭いのでしょうか。
蝶類図鑑へは1977〜80年頃にかけて、本当によく行っていました。
コーヒー一杯でそれこそ何時間もねばったもんです。
かかるレコードは新しいものでも60年代のモダンやフリージャズ迄。当時流行のクロスオーバーやフュージョンなど絶対にかからない、硬派な選曲が大好きでした。
トイレの落書きもこれまたなかなか硬派で面白かったなぁ。「世界同時革命」「反帝反スタ」などなど過激な文字に混じって失恋の詩が書かれていたり。

蝶類図鑑懐かしいです。私もたった一度だけ、
1981年頃、京都へ旅した時探し当てて入りました。
暗くて閉鎖的な四角の狭い空間でした。
ミンガスのクンビア&ジャズフュージョンがかかっていて、
ジャングルに蝶が舞っているような幻想を懐きました。
学生時代常連でした。餃子の王将に行くとおもいきや裏にまわって階段あがって ドアあけると右手にいきなりスピーカーがある。席は全てスピーカーに向いてますから話なんかしようがない。ギャレーは奥に隠れてますからどうなってるかは知らない。昔の小学校の椅子みたいな椅子で小さなテーブル 漆喰の壁 右手に蝶の標本箱がずらり 左手には20センチ四方くらいの明り取りが数個 スピーカーはJBL C−36バロンにD123+LE175DLH+N2400だったはず。推してるアンプはマッキンのMC2105だったと記憶してますが。喋るな・・というより 喋れない店でした。最初はコーヒーでしたがやがてビールにかわって(未成年ですが)ほっとする空間でした。当時ここか四条のマンホールにいたので思い出深い。できたのは74年ですか・・いい時代にに行ってたと思います。随分後で行ったら影も形も無くてがっかりした覚えがあります。マンホールもビッグボーイもしあんくれーるも今は無い。いい時代でした。仕事で東京に出てから吉祥寺のFamilyの常連でしたがそこもJASRACに潰されて今は無い。
>>[15]
初めまして。私も一度だけですが「蝶類圖鑑」に行ったことがあります。とにかく真っ暗でしたね(笑)。あの店のスピーカーですが、『ジャズ日本列島昭和51年版』のデータ欄には「JBLアポロorエンクロージャー+S7ユニット」と記載されています。この欄は店主かスタッフが書くことになっていましたが、書く人もハッキリわからないので「or」と書いたのだと思います。純正のアポロかもしくは箱はアポロでユニットはJBLのS7システム(LE15A、LE85+HL91の2Way)ということなのだと思います。いまのところ、これ以外で「蝶類圖鑑」のスピーカーについて店関係者が書いたものを見たことはありません。ところで、吉祥寺の「Family」は私も大好きで週に何度か通ってました。

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