※アントニーン・ミハエルとは・・・?
【Ebbersbach, Antonín Michael of】(?-1593?):エッバースバハ(オベルバハ)のアントン・ミハエル。アントニーン・ミハエル。アントニウスとも。カバラ主義者。魔術師。錬金術師。「Aurum potabile」なる不老長生の霊薬(若返りの薬ともいわれる)を1592年にロジュンベルク侯ヴィレーム及びその夫人、ポリクセーナ(Pernštejn , Polyxena of)に献上したという記録が残されている。しかしヴィレーム亡き後、アントンは多額の借金に首が回らず、罪を得てロジュンベルク侯ペテル・ヴォクによって、チェスキー・クルムロフ城内に投獄されている。1593年にチェスキー・クルムロフ城内の獄中で死亡か。彼がヴィレームから借りた借金の総額は、4.680.000ラップ(グロシュ)にのぼるとされる。チェスキー・クルムロフに残る伝説によれば、彼は「不死の霊薬の調合」「ドゥカート金貨増殖法」などの術に長けていたといわれており、彼が金貨を地面に蒔き、秘薬をその上にかけると、金のなる木が生えたという。彼の墓石は、チェスキー・クルムロフの「キリスト聖体節と嘆きの聖母マリア修道院教会」の回廊にある。
参考文献:ヴァーツラフ・ブジェザン著『ŽIVOTY POSLEDNÍCH ROŽMBERKŮ』/ロバート・J・W・エヴァンズ著、中野春夫訳『魔術の帝国』他