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Boys'Alchymist Club in Bohemiaコミュの☆【錬金術的】史跡旅行【クルムロフ編】

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☆【錬金術的】史跡旅行【クルムロフ編】
 少しずつ同好の士が集まりつつありますので、トピックも少しずつ立てていきたく存じます。
 「世界遺産、チェスキー・クルムロフで、錬金術的(魔術的)史跡巡りを楽しもう!」という設定のもと、散策コースの青写真を描いてみましょう。
 急ぐことはございません。
 趣味や興味の違いもあろうかと思いますし。
 少しずつみなさまと、あれやこれやと話し合いながら、「錬金術的チェスキー・クルムロフ」を完成させていきたく存じます。
 こんな所に行きたい!、あそこは必見!などの情報、お待ちしております。
 情報が固まり次第、散策コースを試作していこうと思っております。

コメント(1)

 僭越ながら、管理人の私が、まずは錬金術師の屋敷跡とされる場所を少しずつご紹介していきたいと思います。


 左の写真は、調和広場からもほど近い、シロカー通りに残る、ロジュンベルク侯ヴィレームが雇っていた錬金術師、アントニーン・ミハエルの「No.77屋敷」。
 ルドルフィン・ルネサンス時代の、薔薇紋章が描かれた古い玄関が見所です。

 右の写真は、クルムロフの「キリスト聖体節と嘆きの聖母マリア修道院教会」。アントニーン・ミハエルの墓石があります。


※アントニーン・ミハエルとは・・・?
【Ebbersbach, Antonín Michael of】(?-1593?):エッバースバハ(オベルバハ)のアントン・ミハエル。アントニーン・ミハエル。アントニウスとも。カバラ主義者。魔術師。錬金術師。「Aurum potabile」なる不老長生の霊薬(若返りの薬ともいわれる)を1592年にロジュンベルク侯ヴィレーム及びその夫人、ポリクセーナ(Pernštejn , Polyxena of)に献上したという記録が残されている。しかしヴィレーム亡き後、アントンは多額の借金に首が回らず、罪を得てロジュンベルク侯ペテル・ヴォクによって、チェスキー・クルムロフ城内に投獄されている。1593年にチェスキー・クルムロフ城内の獄中で死亡か。彼がヴィレームから借りた借金の総額は、4.680.000ラップ(グロシュ)にのぼるとされる。チェスキー・クルムロフに残る伝説によれば、彼は「不死の霊薬の調合」「ドゥカート金貨増殖法」などの術に長けていたといわれており、彼が金貨を地面に蒔き、秘薬をその上にかけると、金のなる木が生えたという。彼の墓石は、チェスキー・クルムロフの「キリスト聖体節と嘆きの聖母マリア修道院教会」の回廊にある。
 参考文献:ヴァーツラフ・ブジェザン著『ŽIVOTY POSLEDNÍCH ROŽMBERKŮ』/ロバート・J・W・エヴァンズ著、中野春夫訳『魔術の帝国』他

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