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ダ・ヴィンチ・コード、ほんと?コミュのイエスに子供があろうとなかろうと問題ないはず

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映画の主題が、イエスの子供とその血脈にあるとありますが、そんなことは、本当は重要でないのではないでしょうか。神は、全能だから人になれるし、人になって死ぬこともできる。子供だってつくれる。神が、人間になっているあいだに人間らしいことをしたところで、その神性が崩れるわけではないし、むしろ復活がなかったという方が、キリスト教にとっては、ショッキングだと思う。イエスの復活を扱わないかぎり、それほど騒がれる必要はないはずです。神自身を問題とするとき、ダヴィンチコードは、取るに足らないお話ではないでしょうか。なお、イエスの子供が本当にいたとしても、もちろん人間の子供で、何の神性もないただの人でしかない。重要なのは人になった神イエスと神自身であると思う。そのあとのお話がどうなろうと、とるにたらないと思います。

コメント(26)

そうですね。キリスト教はそもそも実証を本来的に問題にしません。この辺りは神学者ブルトマン辺りに登場願うのがいいんでしょうが、聖書は神話・・つまり歴史事実を記した物語ではないが、しかしその物語を「信じる」ことに於いて重要なのだと。つまり2000年間、その「伝承」を信じて来た人々がいる歴史の重さに着目するというか。それは例えば日本における「古事記」と「日本書紀」のようにあきらかに伝承と判りつつ大切にするようなものに通じると思います。

ですので実のところ「復活は物理的にはなかった」と言われてもわたくしはショックではないです。「復活」をいう概念が産み出した多くの伝承や文化、或いは復活を取巻く神学の美しさ故にそれを「信じる」と受けとめております。

当然、イエスに子供がいても、奥さんがいてもショックではないです。そもそも神学的にはイエス・キリストは「全き人、全き神」としてあるわけですし、こちらはあまり問題ではないと思います。
そうですね。キリスト教において、血脈はその後の教会においてはなんの意味もありません。教義として日本的な「血縁」というものへの神秘性というものはないでしょう。

そもそもがソロモン・ダビデ〜イエスの系譜と呼ばれるものも怪しいし、「受胎告知」の伝承からして血族的発想ではかなり度外れた考えです。

まぁ昨今のミステリでは「イエスの遺伝子」などを扱ったようなのも幾つかありますが、実証的史実などよりも「伝承」に重きを置くカトリックや正教会などでは比較的どーでもいいようなものかもしれません。(その辺りを皮肉った小説がカザンツァキスの「キリスト最後の試み」だったり)
すみません。僕は純粋に論理の話をしたつもりだったんですが。神のあり様とイエスのあり様について。血統は、生物学のお話です。神やイエスの話は、アリストテレスやアウグスティヌス、アクィナスばりにたまには頭を使わないと。ヴァチカンは、信仰上のドストエフスキーの大審問官ってところです。だから、これもまた論外。ほんとうにすみません。
バチカンは大審問官で描かれる光景よりも柔軟なところですよ。

はじめの問い掛けは、結局、ケリギュマの話になると思います。
ちい様

>イエスの血脈が存在するということは、イエスが誰かと性行為を持ったことになり、それは罪だということになります。

ん?
聖書には「産めよ増やせよ地に満ちよ」とあります。
カトリックなどでは婚姻は秘跡です。
子供を持つ為に行わねばならないことなど罪ではありませんです。中世においては「快楽が目的の性交」は罪などといわれましたが、そんな時代でも「子供を産むための性交」は「健康的に励みなさい」などといわれたりしています。(<これには古文書で「やってもよい」チャートが存在していてかなり笑えます)

現代のキリスト教でそういうことをいうのは、少々おかしな教義かも。例えばとても保守的で原理主義と言われるファンダメンタルな教会でも結婚は祝福されますよね。カタリ派が現代に蘇ったというなら別ですが。(カタリ派はグノーシス主義的な二元論で、肉に関わることは悪であり罪であると考えました。)

公式な教義として婚姻>性交>子を持つというプロセスを罪と考える教会は知らないのですが、信者が個人として色々考えることはあるかもしれません。

ただ、イエスが結婚もしない無責任なやり逃げ男というならまぁ流石に問題かもしれません。ただ私はかなり捻くれているので「へぇ面白いなぁ」と思うくらいで、自分の信仰には影響しないかも。
>男性と女性が愛し合ったり信頼しあったりすることの大切さ
>(言ってて我ながらハズカシーけど)や、男性主義や反男性
>主義の反省を主張しているのかなーとか。

その視点は、重要なことですね。基本的に、キリスト教徒が言うことや行なうこととキリスト自身が言ったことや行なったこと(奇蹟はおいといて)とは絶望的に異りますから、ひろみさんのおっしゃるとおりだと思います。
私の視点は、神は、全能だから、論理的に人になれるし、結婚して子どもをつくれるし、死ぬこともできる、だからどうしたんですか、というものでしたが、ひろみさんのおっしゃった本来のキリストの我々にしめしたかったこと(私は、あえてキリスト教とはいいません)は「原理的には男女平等」にあったのかもしれないというところまでは、気がまわっていませんでした。論理的な観点からダビンチコードは、とるにたらない映画と思っていましたが、この点からみると、充分とるにたる映画といえますね。勉強になりました。
ひろみ様>

もしその視点で興味があるなら「キリスト最期の誘惑」という映画、もしくは原作のニコラ・カザンツァキスの小説をお勧めいたします。
十字架上のイエスが人として生きる幻想を見る光景で、マグダラと結婚し平凡な人生を歩むという光景が出てきます。

またキリスト教には「フェミニズム神学」という分野があり、わりとその辺りは昔から語られてはいるんですね。だからブラウン君のは別に新しい発想ではないです。寧ろ語られ尽くしてきたといえる内容ではあります。

尚、男女同権については東洋の方が遅れていますね。世界規模で女性の地位は低かった。中国の嫁が婚家の性を名乗れない慣習は嫁には財産権がまったくないといった問題がありました。子供を産めない女性は無用という考え、キリスト教世界だけでなく我々の住む日本の歴史を鑑みても、男女平等はほんとに現代にようやく克服されたとは言えるでしょうね。そして現代も尚、克服出来ていない国々もあります。
まぁカトリックが怒るとするなら、あの小説や映画を真に受けた馬鹿が大量にオプス本部に抗議電話したとか、サン・スルピスはやばいとかマジに思っちゃった馬鹿とか、「やっぱリカトリックってアレもんよ。」などという陰謀論脳な人が大量に発生しているから。という按配でしょうね。メーソン陰謀論並にムー思考な人が多いのでびっくりした。それも荒俣先生やコリン・ウィルソンみたいな半ば遊び心の入ったものではなく、マジにそう信じてるような人々。

そもそも小説が販売された時点ではカトリック関係者もなにも反応してなかったわけで、上記のようなトンでもな人々がではじめたので困ったという按配でしょうね。(因みに中国のカトリック教会の反応は、そもそもカトリック教会が中共政府の支配下にあり、バチカンと断絶しているので中共の意向です)

私の周りでは、宗教や宗教史に対する無知にもとづく批判的言論や「カトリックが映画に怒ってるっのって馬鹿じゃね?」とか「やっぱり怒るからには真実なんじゃないの?」等の「反応がうざい」というのがもっぱらですね。小説自体は「お話」とわりきってみんな読んでます。そもそも『ダ・ヴィンチ・コード』は神父が読んで「面白かったよ」と教えてくれたし。ふつーに愉しんでると思います。

・暗号を解くオモシロさ
う〜ん。美術史やってる人間にはいささか反応に困るような「暗号」ではありますね。佐藤亜紀さんなんかぶりぶりに怒っていました。

>シオン修道会って、ホントに存在してたのですか?
あの極秘文書も、偽造なんですよね、確か。

この辺りは、と学会の本等を読むといいかもしれません。
私も勉強不足なのでよくはわからないですが、シスターにお聞きしたところ、伝説はいろいろあるしそれぞれの解釈の仕方があるとおっしゃっていました。また秘密結社などは実際にいろいろあったようですが、本に出ているダビンチが院長であったものがあったかどうかは嘘っぽいですよね。イエスに従った女性はたくさんいたでしょうが、聖書に載っていない人がたくさんいるし、どれが史実か伝説かわからないですね。
シオン修道会に関しては、このコミュの別のところのやりとりで書いていますので、ご参考くださいませ。簡単に言ってしまえば「シオン修道会」というものは存在しましたが、ダヴィンチコードの中に出てくる「シオン修道会」は偽造です。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=6589681&comm_id=878245
ハレルヤ!はじめまして〜♪

なんかすごいな〜ここ(@@)

子供はおらんのんちゃうかな〜って思うッス!

これから十字架にかけられて
死刑になって死ぬのに妻と子供はつくらんと思う・・・

男女平等
はじめにアダム(男)を造り

次にその助け手として、男のあばら骨で、エバ(女)を造った

そして女が男を産むようになった。

神様はこうして男女を平等にされたんやと思いやすよ。
俺は、血脈の存在よりも、「キリストが人とやっちゃった!」の方が問題なんだと思ってましたけど、違うんですかね。

人の上に立つ者が人と交わり、人の子を孕ませたら、
それは人へのランクダウンと見られるのではないでしょうか。
もしくは神ではなく人であった証明になってしまうと。

子供がいる→キリストは人と性交した→キリストは人?!

いくら全能とはいえ、キリストがハエに化けてハエの卵産んだら
誰も認めないでしょう。

という解釈でいたんですが・・・。
俺もそれ程聖書は詳しくないので、
キリストが人に近い存在であっても問題ないとする考え方があったりするんでしょうか?
>服部さん
そうなんですか。ありがとうございます。
だったら、なおのこと何も慌てることないですよね。
はじめまして。

確か12使徒のペトロは結婚してたんですよね
「独身がいいんじゃない?」って書いたのはヨハネさんですよね
その後、修道会では祭司になるのに独身制をとった。なぜでしょう?キリストの私生児をバチカンが隠しているというのは、この辺の理由からなのでしょうか?
全然、歴史に詳しくないのですがただの勘で書いてみました

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