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懐疑論者の集い-反疑似科学同盟-コミュの人はなぜ擬似科学やオカルトにはまるのか?

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人はなぜ、擬似科学やオカルトにはまるのでしょうか?

ビリーバーを観察した分析結果。
元ビリーバーだった方は過去を振り返って。
現役ビリーバーの自己分析。

できればビリーバーに、敢えて「感情移入」して分析をすれば面白くなるのではないでしょうか?

皆様の意見を聞きたく、また意見交換もしてみたく、トピを立ててみました。

あとこれは「お願い」ですが、私人を名指しで批判するのは、禁じ手ということで・・・・・・

コメント(117)

>・自分は特別なことを知っているという優越感

それは洗脳された後じゃないすかね。
まずは、まだ自分が知らないことを知りたい、という本能みたいなもんがあるんじゃないかな。つまりそういうのを面白がる。
近所に、朝原の「ご逢髪」を入れたコップに水をそそいで毎朝飲んでいたという(!!)女性がおりますが、彼女の理由は「オウムってトレンディでファッショナブルだったから」だと思われます。
コアで伝道師ともなるビリーバーの周辺には、彼女のように、「ファッショナブルだから」というので集まる(主に)女性も多いのでは?
精神と判断がごっちゃになってやしませんか。

>朝原の「ご逢髪」を入れたコップに水をそそいで毎朝飲んでいた

としても、健康に害がないならばやってもやらなくてもよい中立的な行為でしょう。それをどう位置付けるかは判断でしょう。そうしたいのだ、トレンディだという感性的な精神とは切り離して書くべきでしょう。

信じても信じなくてもどうでもよろしい相手であるのですから、こちらがいかに慎重であるべきかになるんじゃないですか。どうでもよいといえば、面白ければいいじゃないかですむことなのです。
だから懐疑というものは、そのどうでもいいところに疑義をはさむものなんじゃないですか。
きちんとした理系の教育を受けたはずの人が非科学に転がり落ちるのは、2つのパターンがあると思ってます。

1つは、教育が不充分で、学位だけを取ってしまったパターン。
呉智英ふうに言うなら「批判すべきは学歴社会ではなく、学が身について無い者に高学歴を与える教育の不充分さである」

2つ目は、充分な教育を受けているにも関わらず、非科学的なものに転がり落ちてしまうパターンです。

ぼくの関心は後者なんですな。

 で、後者もまた、さらに2つのパターンがあると思っています。

1つは「学者バカ」。
自分の専門分野については詳しいが、その背景として理解しておかなければならないはずの科学の方法論やルールについて、理解が足りないタイプ。

もう一つは、科学のルールや方法論を知っているにも関わらず、非科学に走るタイプです。
Jemさん>
 友人のオカルティストの言っていたことを思い出しましたω
「呪術は、アートなんだ。リクツではなく、人の五感と感情に訴えかけるアート。アートによる感動と喜びは、リクツを凌駕して、人の心を支配できる。」

 
>80  は、ビリーバーの観察結果です。

彼女が最初に「布教」し始めたのは、ファッション雑誌に載っている、高価な外国製の化粧品、バッグなどでした。その頃は(何を塗っても何を持っても、本体の made in Japan の刻印は消せはしないだろうに、どうしてそんなに舶来物を有り難がるんだろうね?)という程度にしか思っていなかったのですが、その後、「私のまわりでちょっと流行ってるのよ」と「ご逢髪」に至った時、(おい?ちょっとヤバくないか?)と思い、その後実家に帰省するたび、彼女からもらったという妙な物品が増えている状況になって、初めて、(・・・こいつ、バカじゃね?)と思った訳です。

なんかその都度、布教しているものが違うんですよ。よい波動を出して、食べ物を「良くする」土鍋、お風呂にいれると水を柔らかくして肌をすべすべにする活水セラミック、マイナスイオンドライヤー、結婚式はイタリアのベッキオ宮殿で、新居のマンションは麻布、子どもが生まれてからはなにげに「七田式」、手作りのオリーブオイル石けん、マクロビオティック、アロマ、パワーストーン、レメディ、有機野菜、以上すべてが同じ比重で混在するのです。

コアなビリーバーの周辺に静電気に引き寄せられる埃のごとく「トレンディでファッショナブル」な軽いのりのビリーバーがただよっているのではないか? というのが、彼女を観察していて、思ったことです。(サンプル数が少なすぎますけれどね。)
>86
ただの運なんじゃないの?って気もするかな。
ヒヨコが初めて目にしたモノを親としてしまうような。
人間は初めて聞くことをなんの疑問もなく「そういうもんだ」と思ってしまいやすい、というか。

疑似科学やオカルト的な主張に対して、それのカウンター主張を意識させる、というのは意味があるんじゃないかと。情報初心者に対して。
その中に潜むペテン商売に対しての牽制というかな。なんか俺何様?って感じだけども。


>88
それはキュレーターがいて初めてアートとなるのではないかな。
それ自身にシニカルさはないし。
まぁ宗教画や仏像、あるいは古美術と同じ目で見る、てのはあるか。

ニッチな美術展としてそんなのが一堂に会したら面白いかもね。
呪術追体験ツアー、みたいなね。
理系の宗教信者ってとこじゃないですか?

卑近な話なんですが、うちの親父もクリスチャン(プロテスタント教会で役員とかしてる、ド信者)なんですが、今は退職してますが元技術系の公務員で宗教以外は物凄く理系的(懐疑的?)思考なんです。

じゃなんで聖書なんて信じれるんだ?って話題に酒飲みながら良くなるんですが結局は「信じたいから信じる」みたいなんです。


去年、母が亡くなり、その後、親父と二人で飲んでた時、「でもやっぱり、(また会えると)信じないと寂しすぎる」って、彼がポロリと言ったのが印象的でした。

なんかプロレスみたいな感じがするんですよね。よく知りもしない外野が「それはイカサマだ」って言うのが野暮みたいな。

当事者は理解した上で「あえて」やってる感じがするんです。
 敢えて「非科学的」と言う言葉を使わせていただきましたが、ここには、そんなに悪い意味は持たせてません。
 有神論者の学者さんは珍しくないでしょう。

 さらに、あんま具体例を出すのもあれなんですが、占いを信じている工学博士や医者、スェーデンボルグの信望者で「霊界」を盛んに口にするアマチュア生物学者(学会で論文発表するレベル)がオカルト仲間に居ますし、ぼくの恩師(植物学者)は植物にも心があると信じてました。
 彼らと再現性がこーの、反証可能性があーの、オッカムの剃刀がどーのと話してみると、ちゃんと理解してるんですね。
 不肖、ぼくも生化学エンジニアですが、この通り、占いや呪術のマニアです。

 特に霊魂の存在を信じている理系の人は、結構居ます。

 ここで、アポロ陰謀説を支持(?)した某物理学者や、リサイクル論争に関わる大学教授の話しは野暮ということにしても、こういう実例は多いと思うんですよ。

 科学のルールや方法論を知っている人間は、非科学的なものに接触した場合、どう折り合いを付けるのか?
 これは、それこそ、ケース・バイ・ケースだと思うんですよね。
 けど、ここが興味深いかなーとも。

 科学のルールや方法論と矛盾が生じるもの、例えばどんなに西に進んでも阿弥陀如来のおわす西方浄土にはたどり着かず地球を一まわりするだけですし、いくら天高く昇っても高度8万4千メートルのとこには兜率天は無いわけです。
 さて、こうした矛盾を宗教を信じる理系の人は、どう折り合うのか?
 
 もちろん、科学と共存をはかる宗教、科学を無視する宗教、科学を攻撃する宗教、科学を自称する宗教、科学を自称しないオカルト、疑似科学エトセトラ、これらは区別すべきでしょう。
 そのうえでこれらが、科学のルールや方法論、そして科学の研究成果と矛盾が生じた時、これらを信じる理系の人は、どう折り合うのかしら?
 そういうことに興味があるんですよね。
 つまるところケース・バイ・ケースだと思うんですよね。
 理系の修士号を持ちながら、ID論を唱える人も居ますが、これも彼らなりの「折り合い」なんですな。
 こうした様々な事例を収集したく、またこうした様々な事例を分析した皆様のご意見をお聞きしたいと思っています。


(もちろん、このトピを立てた目的は、特に理系の人に限らず、より広く「なぜ、擬似科学やオカルトにはまるか?」について、皆様のご意見をお聞きしたいからであります)
 脚気について見事な疫学的アプローチで患者を激減させた高木兼寛も、晩年は川面凡児の影響で禊にはまって、禊前後の生理学データをとって「禊は健康にいい」と証明しようとしたり、波動が病気を治すと言い出したりしたそうです。
 脚気論争でも病理的アプローチは苦手にしていたようですので、トンデモ科学が自分の専門外の分野を経由してくると、意外とトンデモに弱い、ということがありそうではないでしょうか。
こういう話をするときにいつも気になるのは、矛盾のあつかいです。それが言葉上の、いわゆる矛盾なのか、実体としてありえない両立不可能なのかは区別すべきでしょう。

オカルトと科学は、言葉上は矛盾として表現できるけれども、思考として同時に考えなければ両立可能でしょう。そうでなければ、宗教を信じる科学者の脳がフリーズしいない理由が説明できません。

それと科学と非科学のちがいは、体系的に数を数えるか、とくに気にしなかいかのちがいかと思います。だから科学とオカルトは混在できるんだと思います。せいぜいのところルールのちがいがあるだけなんじゃないでしょうか。
いや政治は別件じゃないですか。

ただしそういう方向でいうならば、日本で欠落している分野があります。オカルトと科学のあいだには形而上の荒野があるのですが、ほとんど返りめられていません。だから科学を説明する手段を放棄して、実学あつかいなんじゃないでしょうか。

私はミクシィで形而上ばかりやってますが、あれって科学じゃありませんけど論理的でないといけません。いわば思考実験だけでどうにかしちゃう分野です。そして実際に言葉をつかって表現してるものって、ほとんどそのあたりですませてませんか。自覚的に形而上であるべきなんじゃないでしょうか。そのとき科学とオカルトは対立するものではなく、言葉の表現の質的なちがいにすぎないんじゃないでしょうか。

で、いや政治は別件じゃないですかにもどるんですが、これは行動の話しですよね。形而下になります。分けてかからないと、訳わかんなくなると思います。
>107 だからそれは、形而下っぽくでやった場合なんですよ。私の立場ですとまじめに懐疑論をやるという前提なんですが、それからいうと場合分けがよろしくない。

>「感情論」に基づいた「姿勢」
>「信じたい」って「姿勢」

とかは説明になってないんです。ただの視点なんです。
いやその発言したのも私なので、立場としては統一的なのです。

で、そちらが不利な条件はふつうにありまして、なんで学校の授業が時限ごとにきりかわるのかとか、なんでころころ変わるテレビCMが理解できるのかとかあるんですけど、それって「組織の雰囲気」なんですか。
流れに乗っていないのですが、科学がある安心感かも知れないと思い始めました。

ジェットコースターに乗るようなもので、基本、社会と世界は科学が保証している。だから、ちょっと逸脱しても安心で、人知の外のものに傷つけられることはない。よく知らないけど、科学は万能らしいから、自分は大丈夫。科学し知識がなくても、暮らすのには困らないところを見ると、自分を守るために科学を勉強する必要はない。

それじゃあ、プラスアルファの美味しいところをこっそりいただいても良いのじゃないかな?

意識しているにしろ、しないにしろ、そういうご都合がよいところがあるのを感じます。
「今の科学では証明されていないけど、いつか・・・」とか「一部の科学者は気がついていますが・・・」とか、それこそもろ疑似科学で「博士」という人たちが語る「新しい科学の発見」。

ビリーバーはオカルトにも、疑似科学にも、オーソドックスな科学にも懐疑を抱かず信じている。あるいは信じたい。ところがオーソドックスな科学は一番面倒くさい。疑えと言うし、確かめろと言うし、自分で考えろと言う。だから順位が下がってしまい、疑似科学と科学が拮抗したら、疑似科学をとるのじゃないでしょうか?

もう一つ言えば、ビリーバーは消費者の立場なのかも知れない。製品やアイテムや完成されたメソッドを購入する。中身を理解せよと言われると困る。その辺をオカルトと疑似科学は良く知った上で商売している。さらに嬉しいことに、オカルトは個人客を大事にしている。一人の科学者付ききりで家庭教師してくれるのは、まずないし、あったとしてもああしろ、こうしろと役に立つ指示を出してくれるわけではない。でも、怪しげな装置のセールスマンは使い方を教えてくれるし、機械も単純。パワーストン屋はあなたにぴったりの石を選んでくれる。お手入れは塩かけて日光に晒す。誰でも出来る。占い師は性格や相性を教えてくれる。グルは、これから魂を高めるためにするべきステップを教えてくれる。

正当派科学方面でこれに似たことをしてくれるのは、ロジカルシンキングワークショップぐらいで、しかも、これは一つ間違うと自己啓発セミナーになる。

自分の頭で考えるのが、とても嫌な人がたくさんいるのだと言えないでしょうか?
>111のナカイサヤカ様の意見はよくまとめられているとおもいます。

ええとそれでですね、おせっかいなのですが、そろそろトピ主様が、意見の整理をしないトピがとグダグダになっちゃうんじゃないですか。その際に私のコメントを無視されると、うまくまとまるかと思います。無視されないと恣意で形而上にいきますのでご用心です。

精確を規するのならば、私なんかのも含めて立場をかえて二つ三つまとめるのがよろしいのでしょう。結局のところ、個人ではなくて集団がどうあるかの話しになるので、一つの視点はただそれだけの価値にしかならないでしょう。

まとめる側としては、けっこう不利なのですが、そこであえてまとめることをお勧めします。弱点は次回、次々回にもちこせばよいのです。とかいうのは自分でやりたいのですが、うまくいきません。いい機会をもっていらっしゃるのが、うらやましい。
どうも懐疑論というものは、哲学的にはほとんど整備されていないようでして、他コミュで自分で手をつけた部分が矛盾の種類分けになりそうで愕然としてますが、ここにも難問があるようです。

いやもうはじめは軽くかんがえてたのですが、トピ主様に丸投した私は無思慮といわれても反論できません。これって合理を度外視して行為の場合わけをするような内容だろ、いったいどうすんのみたいなものですよね。たぶん言葉での説明としては合理的に表現できないことをあえて説明するみたいな話になるとおもうんで、たりないのは意味論。だれも成功してない分野じゃん。

ということで112の私のコメントは、だめなんです。いやしかしなかなか気づけないんです。あれとおもって自分でやろうとしたら、これはいけないとなるまでに時間がかります。

現在のところなにを語るにしても、放談にしかならないんでしょう。だから科学とオカルトは、共存するしかない状態なんじゃないでしょうか。
>人はなぜ擬似科学やオカルトにはまるのか?

それはやっぱり、とても魅力的だからでしょうなあ。
そしてそれがなぜ魅力的かと言えば、真実を掴んだかのような、真理に到達したかのような、不安を払拭して、安心を約束してくれている〜ように見える〜からじゃないのかなあ?
哲学や科学…懐疑主義は…ヒトを不安にさせるだけですから。
お前が疑いもせずに信じちゃっている、頼りにしているそれは本当か? って。
じわじわとスピリチュアルに侵食されていく私たち https://www.buzzfeed.com/jp/natsusato/spiritualmama?utm_term=.yggx3Brwd

しかし、スピリチュアル=良い事、と刷り込まれている人たちには、ピンと来ないでしょうねえ、この記事。
なぜ私たちは陰謀論や超常現象を信じてしまうのか? http://gigazine.net/news/20180113-think-critically/
『陰謀論や超常現象に信じ込まないためには認知能力の高さだけでは足らず、批判的思考が必要である』
クリティカル・シンキング、たいせつ!

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