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象眼3rdコミュの137−1#エセ保守と全体主義 1/7

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「たまに保守系動画などを観て、保守について雑学レベルくらいは知ってる」
という諸兄に質問。

「民主主義を否定し、全体主義を肯定する保守というものが、あると思うか?」

・・・ということについて、長〜いお話しを。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<序章>

途中から2〜3分で済む
 チャンネル桜・水島の公言
 (2024/2/15)
 【討論】皇統断絶派・反日勢力との戦い[桜R6/2/15]
 https://youtu.be/EzfeYVt3AvU?t=10284

文字起こし

 >それと、皇室の大切さとかね・・・
 >(皇室/天皇は)取り替えられない存在だというね・・・
 >天皇という在り方をね・・・もう1回・・・国民そのものが考える・・・

 >あえて今日、言っときますと、
 >私は★国民主権というのは反対★してます。
 >基本的には★天皇の国★だと思ってます、日本は。

 >だいたい、国民主権って憲法に入れた国ってのは、そんなに多くない?って
 >いうね・・・あの、聞きましたけどね。
 >やっぱり基本的には(日本は)天皇の国である、というね、神武天皇いらい
 >のね・・・建国記念日をやるなら、あれは自由平等博愛で神武天皇が作った
 >ものではないですよ。(欧米など)他の国民国家とは違うというね、異質な
 >国であるというね、これは自慢できることだというね・・・

「国民主権に反対、日本は天皇の国」

このひと言から膨大な本稿になった。
チャンネル桜は初期から視聴してきたが、水島が「国民主権反対」を言ったのは
おそらく初めて、記憶にない(小生が忘れてるだけかも知れんが)。これを
聞いてまず思ったことは「それは民主主義の否定だろ!」だし、多くの諸兄も
同じだろう。本稿も、ベースは、その基本で書いている。

保守とは民主主義を否定する思想なのか?・・・ありえん。

否!そこに勝手な思い込みがあるのでは?
実は「私は保守!極右ではない!」と自称する者の多くに確信犯で民主主義を
否定する者がいるのでは?色々な視点で検証すると、かなりヤバい自称保守の
実態が浮き彫りになった、という感である。

===============
自称保守が妙な状況になっている
===============

・「国際法脱法を続ける露の侵略戦争」という現実がありながらプーチンを
 「善きナショナリストだ!」と擁護/賞賛する自称保守
・「DS/グローバル勢力が世界を支配している!」と公言する自称保守
・更には安倍殺害も、これらに支那/日本の国権(政治/警察機構)を加え、
 「世界的な巨大勢力が計画/遂行したもので、単独犯行ではない!」
 とホンキで公言する自称保守(その根拠もズタボロだが・・・)

これら自称保守を見るに「エセ保守」と切り分けてキッチリ排除しないと、
「ドッチかと言えば保守かな?くらいの初心者保守の若者」が悪しき扇動に
傾いてエセ保守化してしまう、それを思うに、水島の真意をしっかりおさえて
おくべきだろう。保守を自称する若者が「民主主義反対!」など言い出したら
えらいことである。

アナタが、多少でも保守(保守的理念)を他人様に話すことがあるなら、
保守初心者の若者を己の間違った解釈でエセ保守化させることが無いよう、
よくよく己自身に警戒していただきたい(勿論、小生も)。

  ★保守の看板、それだけで安易に同意してはならない★

そういう面倒な時代になってきた・・・。
小生も含め、中高年を主にSNS普及と嫌韓ブームから、なんとなく湧いて
きた感のある保守だ。ずっと左派のやりたい放題がヒドく、そのカウンターで
保守が増すのはバランス的には良いことだが、同じ保守同士の相互チェックが
イマイチ甘い状況がある(他方、近親憎悪で不必要にディスる面もあるがw)。
只、マトモだなと思える30〜40代の若手保守は小生の感覚に近く、前述の
ような奇怪(キッカイ)な自称保守に対し警戒/批判、距離を取り始めている。
まあ「DSが世界支配!」など言われれば、誰でも警戒するのが常識人だ。

「エセ保守の静かな増殖」と「国民主権を認めない!という自称保守の公言」

これが同時に出てきた今、「保守」を根本から厳しく見つめ直す時である。
本稿のキーワードは★主権★そして表題の★全体主義★だ。
結論から言うと「保守に限らず、左右のエセは結局、全体主義に行きつく」
という流れにビンゴ!で民主主義反対!はエセ保守である、となる。
要は、全体主義性だけチェックしていればエセ判定は容易だ。

=============
=============

「国民主権に反対」と似たような論調は多々ある。例えば「民主主義の考察と
いう文脈」において、
 ・ポリコレなど、左派の過剰で悪しき個人主義を正す主旨で、
 ・自由や個人権利にも一定の制限があってしかるべきだ。
として個人の自由/権利に反対とは言わないが、野放図に認めてはならない!
という物言いは常にあるし、そういう文脈なら小生も同意する面は多い。
しかし「主権」に限定して「国民主権に反対!」と言うのは初耳だ。

「国民主権に反対、日本は天皇の国」

この発言の核心=水島の本心を掘ってみたい。
小生がエセなのか?疑念を持つ小生が正統で、水島がエセなのか?小生自身に
とっても保守を深める善い題材になった。新たな視座/発見も多々あった。

1、天皇と民主1
2、天皇と民主2
3、絶対君主制は全体主義
   ・愛国がキライだ!という保守観
   ・万歳!は日本の伝統文化ではない(西洋のモノマネで始めた)
4、天皇のあるべき姿(天皇はシャーマン)
5、自称保守と教育勅語
6、まあ・・・ダメでしょ(教育勅語の総括)
7、あとがき

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<1、天皇と民主1>

水島が「国民主権に反対」という根幹は何か?それを探るには天皇を抜きには
語れない。問題は「主権」だ。天皇(君主)と国民において、主権の存在を
確認していくことが主眼だ。現在の日本、更には過去の日本で、それら主権は
どうなっているか?(いたのか)。それを日本史と憲法から確認する。

「国民主権に反対」
これと似て非なる物言いとして、昔から保守界隈ではテッパンの認識がある。

国家の理念/主義/制度としての民主(国民主権)について、
A)(維新の)開国以前、日本には古くから日本独自の民主理念が存在した
B)天皇は(西洋的な)近代民主主義では論じられない

というモノだ。水島もこれらを何度も公言しているのだが、まず、そもそも、
オカシイのは「国民主権に反対」と言いながら「日本古来の民主理念がある!」
とソチラでは「日本の伝統は民主だ」を大いに肯定、日本美徳として吹聴する
自己矛盾にまったく気付いていないことだw。それとも「日本古来の民主理念」
と「国民主権」は別物なのか?別物だと言うなら「民主」について彼らが独自の
意味を付与し、別物と認識しているのか?

  (最初の1歩からコレである。自称保守のオツムの弱さにゲンナリする。
   左派は、こういう点はガチガチに理論武装する。少しは左派を見習って
   ほしいものだ)

とにかく、自称保守界隈ではこれらがテッパン常識なので、その真偽について
日本史と、自称保守がこれらの根拠とする「五箇条の御誓文/君民一体」など
比較しながら自称保守の欺瞞を明らかにする。

==========================
A)日本には古来より独自の民主概念が存在した・・・?
==========================

・日本には明治維新以前、古くから日本独自の民主理念があった。
・だから、王様打倒=市民革命で成し得た西洋の民主理念とは別だ。
・日本統治者=天皇と大衆は調和/協調しており革命も起こっていない。
・よって西洋流の民主主義で日本を語るな!

水島も後半、同様なことを言っている。また、自称保守が大好きな表現として
「日本は家族のような国家」がある。統治者と民には分断が無い=一体を主張
するものだ(君民一体)。

  (「一体」の危険性。
    北鮮のチュチェ思想は社会主義思想を北鮮流にモディファイした
    統治原理で、北鮮国家体制の核である。将軍様をアタマ、国民を
    カラダと比喩、国家一体を説いている。北鮮のみならず、現存する
    独裁/全体主義国家は「一体」を好んで使う。一体は、まとまり=
    結束=ファシズムに通じる。為政者から国民に向かって発せられる
    「一体の呼びかけ」には警戒が必要だ)

これら自称保守にはテッパンの認識だが、この認識も実は相当にオカシイ。
まず、日本史として、明治維新以前の日本には、そもそも民主という理念など
古代からずっと無い。この事実=史実だけで話しは終わってしまう。つまり、
自称保守が主張する「日本には古来から独自の民主理念があった」は、ハッキリ
言って・・・ウソ話しである。史実を確認してみよう。

===========
日本史に民主理念は無い
===========

事実=史実について、歴史を現在から太古へ逆行すれば、

 ・江戸〜鎌倉頃までは武家を核とした封建主義。封建主義は君主が統治する
  原理なので、当然ながら民主理念など無い。
 ・更にさかのぼり、飛鳥時代頃までは中央集権の律令制、そして荘園制度。
  律令制は君主制、当然ながら民主理念など無い。荘園制度は強度とカタチを
  変えながら、戦国時代(秀吉の太閤検地)まで続いた、とされる。

  農耕地は支配者階級が独占、民は田畑の所有※ができず、自由に糧を得る
  ことはできない、どころか、己の食いっぷちが減っても年貢として納める。
  民をかえりみない悪政なら、農民に餓死者が出ても収穫した米を強制的に
  没収される。

  ★律令制と荘園制度の治世で、民に主権など無い事は中学生でも解る★

  「荘園制度だとしても、それで民主が無いことにはならない!」ってか?
  その反論は却下だ。民が自由に耕作できず、収穫を自由に交換/売買できず、
  支配者が管理/制限するのは、何をどう強弁しても民の主権が無い実例=
  証拠以外の何モノでもない。民に農耕地の所有権が存在した事実が無い以上
  民の主権を主張することは不可能である。

  ※、荘園制度での民の所有権
    古代、収穫高を上げる為、新しい農地開墾を奨励、限定的に農民に
    農地所有を認めていた時代はあるが、それは年貢増産目的の支配者の
    都合で、民の主権=民主を考えてのことではない。親子3代に所有を
    認める!ということは支配者が管理=制限している、ということで、
    民に主権は無い。

以上、どの時代でもよいが、日本史に民主理念を具現化した制度は存在しない。

=============
君民一体は民主とは関係ない
=============

「君民一体」これも自称保守が非常に好むワードだ。
「国の皆が仲良く暮らすこと=君民一体」は善き価値でなんら否定しないし、
日本はずっとそうだった!と言いたいなら、まあ・・・認めるとして(それも
ウソ話しだが)、それは民主とは関係ない。民主は文字通り「民」が「主」、
「主」は主権だ(本稿のテーマ)。主権を論じるとき、その根拠として「君主と
国民が仲良く暮らす」を出す自称保守は、そもそも論点がズレている。

   ★ 君民一体は民主理念があった根拠にならない ★
もし、
民主について君民一体を根拠とするなら、この話しは民主とは別な筋へ流れる。
 ・君民一体の奥義は「君主にも民にも誰にも主権はない!」と理解し、
 ・つまり、誰も主権など持たない「完全平等の国民国家」を意味している、
 ・それであれば、民に主権を認める西洋流の民主理念とは別だから、
 ・君民一体を根拠として「西洋の民主とは別だ」と主張することは正しい。

この筋で「日本は古来から主権など必要としない平等国家だった」と言うなら、
論として成立するし「日本古来の民主理念など無い」という史実にも整合する。
しかし、
自称保守は「平等国家」ではなく、明白に(後述、昭和天皇までも)「日本古来
の民主があった」と「民主」を主張している。
更に追い討ちすれば、日本古来に平等国家が制度として実現した時代など1秒も
無いし、日本のみならず世界の人類史においても1秒もない。現存している社会
/共産国家すべて、まったく平等ではない国家になっている。否、平等どころか
独裁/全体主義国家に堕ちている。

 ★ 全体主義は、なにかと平等国家を説きたがるものである ★

更にダメ押しすれば、君民一体の理念があった=君主/為政者がそれを公言し、
古文書に書きしるしたと認めるとして、それを具現化した日本古来の制度など
あったのか?実際に君民一体が実行されていた事実が無ければ絵に描いた餅だ。
小生の知識/理解では、そんなモノは無い。

自称保守が言う民主理念は方便(詭弁/ウソ)で底意は別にある。
・事実として日本は古来、天皇の絶対君主制国家で民の主権など無かったし
 明治維新の近代までずっと無い(水島も自称保守もそれを知っている)
・天皇を持つ国家とは、そういう国家である
・しかし、それがバレると、近代民主主義が当然の認識になっている日本人の
 多くは受け入れることができない
・天皇中心の日本に戻したいとする自称保守の夢は未来永劫、実現しない
・よって天皇中心の古代に民主があったというウソをつくしかない

しかし、水島は単細胞のバカ正直者なので国民主権に反対!とホンネをゲロって、
己の腹の奥を見せてしまっている。自称保守の老害たちは近々、必ず「日本を
天皇中心の君主制国家に!」と言い始める。水島のフライングはその予兆だ。

繰り返すが「君民一体、家族のような国家」と民主は関係ない。

=============
十七条憲法と五箇条の御誓文
=============

自称保守が「日本独自の民主理念があった」とする根拠としてテッパンで引用
するのが「聖徳太子の十七条憲法」と「五箇条の御誓文」である。小生は実際に、
「十七条憲法では合議制が説かれ、これが日本古来の民主理念だ!」と公言する
自称ロートル保守を複数名知っている(全部、チャンネル桜だがw)。

まず、十七条憲法は、そもそも律令国家=君主制国家の前提で書かれている。
律令国家/君主制国家と民主は理念としても制度としても、整合しないどころか、
真逆な理念/制度であることは議論するまでもない常識である。
 ・君主を統治者、国民を被支配者とする主従関係/ヒエラルキーの律令国家
 ・国民に主権を認め、主従関係/ヒエラルキーを排した民主理念
主権において両者は正反対である。

実際に17項目の内容をざっと見ても、1文字も民主理念は説かれていない。

 ウィキ「十七条憲法」現代語訳を参照
 https://tinyurl.com/29ac9p9f

ウィキ冒頭「概要」のとおり、この書が、どんな前提で、どんな目的で、誰に
向かって書かれたモノか?内容云々以前、この書の背景や性格を確認すれば、
 ・聖徳太子の頃は律令国家。天皇を頂点とする絶対君主制の国家を前提に、
 ・国家が上手に機能する為、君主が支配する民(臣民)や地方豪族/貴族を
  どう取り扱えばよいのか?について、
 ・国家運営するテクノクラート=官僚に向けて、そのノウハウを説いている
 ・つまり、国家統治側に向かって提示された訓で、民への訓ではない。

17各章を読めば、本書が民に向かって書かれたモノではないことは、アホに
でも解る。そして、民をどう支配するか?が書かれている、と、解釈すること
すら不要だ。だって、文字通り、そう書いてある・・・。単に文字通りに読んだ
だけで、君主理念の実現=君主国家として統治する為の方法論を意図したものだ。

自称保守のウソ話しを続ける。

========================
「万機公論に決すべし」も民主理念の根拠にならない
========================

これも自称保守が非常〜によく出してくる日本古来の民主理念の根拠として
五箇条の御誓文に書かれた★万機公論に決すべし★がある。これは明治天皇に
よるものだが、十七条憲法が唱えている(とされる)議論重視を継承している
と言われている。

民主主義が当然の我々が「議論重視!」と言われると、なにやらイメージ的に
民主主義を連想するのは一瞬、正しいように思えるが、実は違う。
「君民一体」と同様に、国民主権と議論重視も実は関係はない。その根拠として
 ・民主主義=国民主権で議論重視する国家
 ・絶対君主制で国民主権など無く議論重視する国家
ドチラも可能だからだ。

 ★ ポイントは「議論重視」の方ではなく「決定権」の方である ★

決定権の所在を確認すれば議論重視が国民主権の根拠にならないと理解するのは
容易である。
 ・民主主義の制度で議論重視する
   →決定権も国民がする
 ・絶対君主制で議論重視する
   →決定権は君主や統治側がする

民の合議の結果、最終的な決定を民にさせないなら、それは民主理念ではない。
「民主を否定し、議論重視する」そんなことはあるのか?実は有る!
それは何か?なんと!なんと!十七条憲法である!

  ★十七条憲法は民主を否定しつつ、同時に議論を重視している★

聖徳太子は官僚たちに議論重視を発した。別に悪いことではない。勝手な強権
に堕ちず、官僚たちの間でよく話し合って決めるのは統治者として善い心がけだ。
しかし、それは民主=民の主権とは関係ない。主権の無い民は支配されている、
その支配者が暴君か?善き支配者か?の違いであり律令制として民主が無い、
そして決定権は為政者側が決める、という議論重視が存在した。
・民が議論することは民意である
・民が決定して民主である

  ★★★民意と民主を混同してはならない★★★

日本には(後述する)目安箱など、相応に民意を忖度する統治は多々あり、それは
否定しない。しかし、民意があることと、民主があることは大きく違う。ココを
しっかり分けないと日本は古来から民主理念があったなどというウソをつくことになる。

=============
昭和天皇/民主解釈への言及
=============

「五箇条の御誓文」は明治元年、明治天皇のもとで発布された。これについて
昭和天皇は後年、以下私見を述べている。

ウィキ抜粋
「民主主義を採用したのは明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。
そうして五箇条御誓文を発し、それが基となって明治憲法ができた。民主主義
というものは決して輸入物ではないことを示す必要が大いにあったと思う」
(1977年記者会見談)

当時、昭和天皇は76歳。高齢ではあるが、世間の同年代よりオツムは良好で
ボケてはいないだろう。老いても記憶力は抜群だったと言われる。

つまり、自称保守が言う「古代から日本独自の民主理念があった」と同じだ。
自称保守の根拠も、このあたりかも知れない。只、じっくり読むと「輸入物で
ないことを示す必要があったと思う」と明治天皇の内心を忖度しているだけで、
「明治天皇がそう言っていた」とも「私もそう思う」とも言っていない。だから
「昭和天皇の民主主義解釈も明治天皇と同じか?輸入物ではないとの理解か?」
という核心について、実は答えていない。ココが昭和天皇の賢いところだ。
しかし、明治天皇の本意を解釈して示し、それに対して異論も何も言わないなら
追認=同意と受け取られてしまうのは道理だ。それが嫌なら、はやり「私は違う
解釈をしている」までしっかり言うべきだろう。

「輸入物ではない=日本独自の民主概念があった」と明治天皇の真意を解釈して
いるが、聡明な昭和天皇陛下殿、ちょっと待った!である。

★そこで民主を言うなら、では、明治維新の理念の方は、一体どうするのだ?★

維新の倒幕運動は尊王攘夷/王政復古の実現で、明治天皇も、その理念に沿って
「王政復古の大号令」を勅令している。つまり(立憲君主ではない)君主制だ。
更に言えば明治政府は「天皇親政」を掲げている。
  ウィキ抜粋/親政
  親政とは君主(天皇・皇帝・国王)自身が「親(みずか)ら政治を行うこと
  またはその政治形態(君主制の一形式)のこと

尊王/王政復古の大号令/天皇親政、このポリシーから導き出される国家制度は
絶対君主制である。

 (明治政府は輔弼によって天皇権力を縛る立憲君主制だが、明治天皇はそれを
  是認していたのか?己が掲げた王政復古/尊王思想はあきらめたのか?明治
  天皇は立憲民主/民主主義を認めていた、とも言われているが。そのあたり、
  維新/明治政府/大日本国憲法/明治天皇、それぞれの理念と国家体制への
  理解に差異/不整合があったように思える、というか有る)

 ・維新/明治天皇の真意をよく理解し、かつ、西洋の民主主義も学んでいた
  であろう昭和天皇は一体、どんな原理を使えば「日本の民主主義は輸入物
  ではない」という認識が導き出せるのか?
 ・仮に「民主主義は輸入物ではない」が事実なら、尊王攘夷/王政復古から、
  民主という理念がどうすれば出現できるというのか?
 ・更に言えば、「日本は明治より前にずっと民主理念があった」というなら、
  では民主理念から導き出される制度としての「自由選挙」或いは、制度上は
  無いが自由選挙に相当する国民主権を担保するような実態とは何だったのか?
  それらは明治以前の、いつの時代にどんな制度で存在していたのか?

・・・そんなモノは古代日本のどこにもない。

答えはすべてNOだ。民の意思で国家をつくるという自由選挙は、まぎれもなく
西洋から輸入した制度で、維新以前、日本のどの時代にも自由選挙など1ミリも
ないし、自由選挙と同等な国民主権を実現したような日本古来の制度なども無い。
日本独自の民意として実際に現存したのは、せいぜい目安箱だw。
「目安箱=統治者が町中に箱を置き、匿名で民の声を集めて政策に反映させる」
民の声を忖度するのは善きことだが最終判断=決定権は統治者。目安箱は民意
尊重ではあるが民主ではない。

昭和天皇は見識高い天皇だとは思うが、史実においてウソを言っている。それが
言い過ぎなら、悪しき曖昧でもよい。明治天皇の論に否定も肯定もしないことは、
これが「国家制度における主権の存在の確認」という重大事から、史実を正しく
伝えるという点において少なくとも不誠実だ。小生を批判するなら逆に問うが、
Q、明治維新の前、民の主権を認める自由選挙があった時代はいつぞや?
  或いは自由選挙こそ無かったが、自由選挙と同等の効力を発揮する
  「民の主権を認める日本独自の制度」とは何ぞや?

に、まずは答えてから小生を罵倒して欲しい。・・・そんなモノは無いのである。

明治維新をさかいに、それまでの日本に1ミリも存在しなかった西洋の民主主義
と普通選挙をセットでガッツリと日本史上、初めて採用した、それが事実だ。
それを知ってスルーし、何ら関係ない日本の「五箇条の御誓文」や「聖徳太子の
十七条憲法」につなげて日本独自の民主理念の証拠とした、つまり、

 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
 「日本古来の民主理念があった」という物語りを捏造したのである
 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

保守は、徹頭徹尾、事実を尊重する。正しい歴史に習う。その保守が日本史を
捏造してどうするのだ?それは、どこかの大陸やどこかの半島のお家芸だ。


続く
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6304029&id=101335641

コメント(2)

「律令制/封建制の悪政は官僚や幕府がやったことで君主とは別である」として
天皇擁護する論がある。確かに現実統治の実際は官僚/幕府がやっており、小生は
コレを「間接的統治」と呼称して天皇君主制は権威だけのモノとするが、しかし、
制度としては官僚/幕府は臣下であり、君主である天皇が統治するカタチである。
である以上、官僚/幕府の悪政は臣下たちの悪政で、責任は統治する者=君主に
あるのは制度として当然のことである(天皇には監督責任という義務がある)。
これを無視して「官僚/幕府がやったこと」として天皇責任を逃げるのは詭弁だ。
つまり、
天皇権威でも臣下の悪政を正せない程、君主は弱かった、つまり、律令制/封建制
も現実的にはできておらず、現代で言う立憲君主制がこの時代に出来上がっていた、
ということである。
★日本古代は大陸(支那)から輸入した律令制も封建制も実現できていなかった★
そうなると、
明治維新は「実質的な立憲君主制を(絶対)君主制に変える軍事クーデター」
と整理でき「譲位/王政復古の大号令/天皇親政」の明治天皇や維新の志士らの
理念とも整合する。史実にも整合する。
そして、
維新の理念を善しとする自称保守は、今の立憲君主制の日本でクーデタを起こす
理由が明確にある!ということになる。よくよく思えば怖い話しだ。
皇室の原理は先例主義

「万機公論に決す」だが、明治天皇は皇室の奥義を知っていたのだろうか?
物事の判断における皇室の奥義は合議ではなく★先例主義★である。

 先例主義
 その事柄に適した処理を考えることなく、過去の似たような事例に
 ならって処理すること。先例重視の考え方。

朝廷が物事を決める原理原則は「先例に照らす」であり、先例にないことは
やらない、これが朝廷の王道である。

 ★朝廷は合議しないのが伝統★

徳川幕府は朝廷に対して様々な制度改革を草案、武家伝奏という役職を通じて
朝廷とのやり取りをしていた。その中には朝廷が同意できる善き案件もあったが、
朝廷の意向に反するモノや、朝廷が同意できないことを承知で幕府権威を高め、
朝廷権威を失墜させるモノなどもあった(紫衣事件など)。
その多くで朝廷は幕府と議論して双方合意を深めることはせず、まず、先例主義
で門前払い=議論しないのが慣例であった(制度的にそもそも君主が臣下と合議
すること自体がオカシイ)。まあ、それで、間に入った武家伝奏が何度も双方を
行き来して落としどころを探る。
先例主義は悪しき慣習を温存する面もあるが、そもそも皇室とはすべてが先例で、
先例に無いことはしない、それでカタチを保持してきた。明治天皇も昭和天皇も
「万機公論に決すの五箇条の御誓文」を日本古来から続く民主理念だとするが、
「先例主義」と合議制が、どう整合できるのか?意味不明である。

正解は、朝廷にはそもそも合議制で回すという伝統は無かった、である。
無かったからこそ、聖徳太子が、ずっと皇室に無かった合議制を掲げた。
皇室が古代から合議制の原則で運用されていれば、聖徳太子が合議制を掲げる
道理がない。

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