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名言集コミュの1月の名言集

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コメント(14)

【見送り七歩】


佐藤光浩氏の心に響く言葉より…


『「ありがとう」と言う方は何気なくても、言われる方はうれしい、「ありがとう」これをもっと素直に言い合おう』


これは、経営の神様と呼ばれる松下電器産業の創業者、松下幸之助の言葉。

そして、彼には「ありがとう」にまつわるこんな逸話があります。


新幹線に乗っていた夫婦が、すぐ近くの席に松下幸之助が座っていることに気がつきます。

夫は彼の大ファンで、どうしても挨拶がしたいと思い、声をかけようとします。

しかし、理由もなく話しかけても、相手にしてくれるかどうかわからない。


そこで妻が、みかんを差し入れて、きっかけを作ればいいのでは、と提案。

夫はさっそくみかんを購入し、彼に差し出すことにしました。


彼は、この申し出を快く受け入れ、嬉しそうに「これはありがとうございます」と言って、その場で皮をむいて食べはじめます。

夫はみかんを渡せたし、あの松下幸之助と話すこともでき、大満足で自分の席に戻りました。


そして、もうすぐ京都に着くという時です。

彼は夫婦の座席にやってきて、「先ほどはありがとうございました。とてもおいしかったです」と頭を下げました。

天下の松下幸之助が、下車する前にわざわざ挨拶をしにきてくれたと、夫婦は感動します。


しかし、話はまだ終わりませんでした。

京都駅で降りた彼は、その夫婦の座席が見える窓のところまで来て、深々と頭を下げ、夫婦の姿が見えなくなるまで見送ってくれたのです。

夫は彼の行為に涙します。

そして、家に帰るとすぐに電気屋さんに連絡。

自宅の電化製品すべてをナショナル製品に変えたそうです。


『ちょっといい話』アルファポリス文庫


「出迎え三歩、見送り七歩」という言葉がある。

お出迎えするときは、三歩前に出て内に招き入れ、お送りするときは、七歩外に出てお見送りをする、ということだ。

日本のおもてなしの原点がここにある。


お客様がお帰りときは、門口に立ち、その姿が見えなくなるまでお見送りする。

それを余韻効果と言うそうだ。

いつまでも、その印象が残るからだ。

特に、帰り際にその効果はより多く残る。


「ありがとう」という感謝の気持ちを込めてしっかりとお見送りをしたい。
【心の底から大笑いする】


藤木相元氏の心に響く言葉より…


シェイクスピアの有名な劇中に「不幸を治す薬は、ただ希望よりほかにございません」という名台詞(めいぜりふ)があります。

この名台詞こそ、暗から明への切り替えを表わしています。


有名な喜劇俳優でありましたチャップリンは、ユダヤの人です。

「笑いは人生の潤滑油である」ということを言っています。


人間は笑える唯一の動物です。

笑いの形は、人相的に言いますと「相好(そうごう)を崩(くず)す」といいます。

人間の形を崩したとき、そこには人格もなければ、また念願も、決意も、そういったものが全部ゼロになります。

笑いというのは、そういう姿なのです。


また、微笑というものは、人に投げかけるものです。

微笑は人に投げかける「明」のサインです。

明のサインこそ、さまざまな“明の縁”を集めます。

微笑は、我々の縁と縁とを結び、そして人の輪を広げるためには絶対に欠かすことのできないものであり、顔から人々に与えるサインなのです。


笑いのないところには幸運は訪れません。

心から笑う習慣、心の底から相好を崩して笑う癖をつけていれば、知らず知らずのうちに幸運が訪ねてくるようになります。


『「運」を味方につける48の習慣』幻冬舎


「呵呵大笑(かかたいしょう)」とは、大きな口をあけ、大声でカラカラと笑うこと。

「破顔一笑(はがんいっしょう)」とは、顔をほころばせ、にっこりと笑うこと。

どちらも、周囲が楽しくなり、笑い出したり、にっこりしたくなる。


笑いは、人へ投げかける「明」のサイン。

反対に、仏頂面や不機嫌な顔は「暗」のサイン。

自分が楽しいから笑うのだが、本当は周りも楽しくさせている。


皆で大笑いしているときには、そこに、男も女も、老いも若きも、金持ちも貧乏も、病気も健康もない。

心の底から大笑いする人には幸せがやってくる。
【言い訳はいらない】

ドン・エシッグ氏の心に響く言葉より…


「立派なことを言うより立派なことをするほうが立派だ」

これは偉大な政治家であり発明家でもあったベンジャミン・フランクリンの言葉である。

「こうすればいい、ああすればいい」と評論家のようなせりふを口にするのだが、さっぱり実行が伴わない人はあなたのまわりにもたくさんいることだろう。


本当の成功者は、実行した経験をもとに話をするものだ。

あなたは口先だけの人物か、実行する人物か、どちらだろうか。

あなたがうまくやり遂げられる可能性のあることは何だろうか。

あなたが立派に実行できれば、人々はあなたのアイデアに敬意を抱くようになる。


「言い訳が得意で、他のことも得意だという人を、私は一人も知らない」

これもフランクリンの名言である。

物事を最後まできちんとやり遂げない人を表現する言葉として、これ以上に的確なものはない。


「忙しい」「やり方がわからない」「時間がない」「お金がない」などというのは正当な理由にはならない。

それをするだけの勇気や能力、技術が自分にはないことを認めたくない人が思いつく言い訳にすぎないのだ。


何かをやってみるのに言い訳はいらない。

さあ、やってみよう。


『1分間でやる気が出る146のヒント』ディスカヴァー携書


ただ口先だけで文句を言ったり、批判したりする評論家のような人は多い。

言い訳が得意な人も同じで、自分が行動しない理由、評論家である理由を情熱をこめて説明できる。


行動の人は、できない理由ではなく、できる方法を一つでも多く探す。

そして、それを一つづつ実行する。


「言い訳はいらない」

実行する人にだけ幸せの女神は微笑む。
【卜伝(ぼくでん)先生の高弟】


向谷匡史氏の心に響く言葉より…


武道界の長老と食事をしていて、水が入ったグラスを置く位置について注意されたことがある。

私のグラスが手元に近いため、箸(はし)を伸ばすと当たって倒す危険がある、というわけだ。

「何事によらず、予測できるアクシデントは、最初から避けるべし」…これが武道家の心得だと笑っておっしゃった。


このとき、私は塚原卜伝(ぼくでん)のことを思った。

卜伝ほどの達人になれば、世の中、怖いものなしだろうに、卜伝は無益な戦いは避けることを信条の一つとしていたからだ。

こんなエピソードがある。


技量優秀で、そろそろ免許皆伝を与えようかと、卜伝が思っていた高弟がいた。

あるとき、この高弟が馬の後ろを通ったところ、馬がいきなり後ろ足で蹴り上げてきた。

周囲の人たちが危ない、と思った瞬間、この高弟は、ひらりと身をかわしたのである。


それを目にした人たちは、

「さすが卜伝先生の高弟だ」

と、口々に称賛した。


ところが、この話を聞いた卜伝は違った。

「未熟者め」

と言って、免許皆伝を与えなかったのである。


そして、ある日のこと。

卜伝が歩いていて、馬に出くわした。

高弟と同じ状況である。

卜伝はどうしたか。


馬のそばを避け、遠く迂回(うかい)して、何事もなく通り過ぎていったのである。

それを見て、なぜ卜伝が高弟に免許皆伝を与えなかったか、みんなは納得した…


卜伝のこのエピソードに、長老の注意を重ね合わせ、私は以後、予測できるアクシデントは極力避けるようにしている。

夜、電車に乗るときは、酔っぱらいがいない車両を選んで乗る。

声高に話す行儀の悪い一団は避ける。


飲み屋もしかり。

素行が悪そうなグループの近くには座らない。


会社においてもしかり。

自分の企画に反対意見が出そうだと思ったら、企画を提出するタイミングを再検討する。

企画を通すことが目的であって、反対意見と衝突することではないからだ。

丁々発止の意見を戦わせ、よしんばそれに勝ったところで、相手に怨(うら)みを残すのは、長い目で見ればマイナスに作用することが多いのである。


『降りかかる火の粉は避けて通れ、払えば袖に火がつく』

これが武道精神なのである。


『武道に学ぶ「必勝」の実戦心理術』KKベストセラーズ



「百戦百勝は、善の善なる者にあらざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」という孫子の言葉がある。

百回戦って百回勝つことは、最上の策とは言えない。

なぜなら、戦えば必ず兵の損傷があるからだ。

最上の策は、戦わずして勝つこと。


武道に限らず、なまじ腕に自信がある人は、自分の得意分野で競ってしまう。

例えば、経営で言うなら、規模の大きさを恃(たの)んで価格競争を仕掛けること。

同じ土俵に乗ったら、みんなが疲弊(ひへい)する。


まともに真正面からぶつからない。

最上の策は戦いをさけ、同じ土俵で戦わないこと。
【笑顔とカラダ】

社会教育家、田中真澄氏の心に響く言葉より…


医学博士の徳久克己氏は、自分の臨床の経験を通して、著書『心とカラダと運命』の中で、こう書いている。


「顔が笑っている時には、カラダじゅう、全部いっしょに笑っているのです。

手や足だけでなく、カラダの中の肺も胃も、心臓も、腎臓も腸も、髪も爪も、血液だって笑っているのです。

その反対に、顔が悲しんでいる時には、カラダじゅう全部が悲しんでいるのです。

このように、顔の表情とカラダの表情とは切り離すことができない、ということがわかりますと、顔の表情がカラダの健康と、密接な関係があることもわかります」


米国の社会教育家マーディンの今から七十年前に書かれた著書には、次のような一節がある。

『君が医者にかかる場合は、嬉しそうな、心の明るそうな容貌の人を選ぶことだ』。

愉快な医者に接すると、薬よりも一層効きめがあることが往々にしてあるではないか。


日本でも江戸時代、いい医者を選ぶ基準として、「一に居ること、二に愛嬌、三、四、五がなく、六に腕」と言われたという。

腕前よりも、いつも居てくれて愛嬌いいことが上位にきていることに注目したい。


こうしてみてくると、今日ほど医学万能でなかった時代、経験から学んだ人々は、明るく生きることが何よりの病気治療という知恵を持っていたのだ。

幸い、この知恵は、現代にも生きている。

よくマスコミで伝えられるように、最近は欧米でも日本でも、笑いを治療に取り入れる病院が出てきており、その効果は著しいとされている。

であるならば、私たちも笑いを自分の健康増進に、病気の治療に充当していきたいのものである。


『ほほえみ読本』という本の中に、ほほえみを磨く方法が掲載されている。

「ほほえみは鏡のように、いつも磨かないと、すぐくもってしまいます。

ほほえみはお湯のように、いつも暖めていないと、すぐ元の水になってしまいます。

ほほえみは呼吸のように、絶えずつづけないと、すぐ詰まってしまいます。

鏡に向かってほほえみの笑顔をつくってみましょう」


『明るく生きれば人生は好転する』かんき出版


順天堂大学医学部教授の小林弘幸氏は、「怒ると血流が悪くなり、血液がドロドロになる」という。

しかも、一度乱れた自律神経は、3時間たっても元に戻らないという。


感情は、カラダと密接につながっている。

怒ってばかりいて暗くて不満が多ければ、カラダは必ずどこか不調となる。

その反対に明るく快活で笑いが多ければ、カラダは健康となる。


感情が一番多く出るのが顔。

だから、顔の表情とカラダの表情は密接につながっている。


「顔が笑えばカラダも笑い、顔が悲しめばカラダじゅう全部が悲しむ」

いつも笑顔を磨いていたい。
【生きているだけで運がいい】


裏千家、千玄室氏の心に響く言葉より…


普通に生活をしていると忘れがちですが、私たちは「生かされている」のです。

そのことにもっと感謝しなければいけません。


生きているということは、それだけでありがたいこと。

本当に尊いことでです。

生きているから愚痴も言えるし、嫌味も言える。

死んだら、なんにもできません。


よく自分は運が悪いからと言う人がいるけれど、そういう人に限って誰かが手をさしのべてくれるのを待っているだけで、自分から動かない。

生きている、生かしてもらっているということへの感謝の気持ちがないのです。


いま生きているということは、それだけでものすごく強運なことなのです。

なぜなら、お父さん、お母さんがいて、そのまたお父さん、お母さん、さらにその先のと、どこまでも遡(さかのぼ)っていけるわけでしょう?

その間には、戦争があり、天災があり、飢饉(ききん)があり、さまざまな困難があり、たくさんの人たちが命を落としているのです。


そのなかを潜(くぐ)り抜け、生き残ってきたことを、強運と言わずしてなんと言いますか。

そういう代々の強運のDNAを受け継いでいるからこそ、私たちは、いまここに生きているのです。

だから、いまを生きている人間は、本来は誰もが強運の持ち主です。

それをまず自覚してみてください。


勝手に自分で、運が悪いと決めつけたり、負け組だからなどと諦(あきら)めたり。

そういう意識をもつことが、どんどん運を下げていくのです。


『いい人ぶらずに生きてみよう』集英社


1人が生まれるのに必要なのは2人の父母。

その父母を10代前まで遡ると、1024人となる。

20代前では、104万8500人。

30代前では、10億7000万人。

そして、40代前では、1兆人を超える。

1代を20年と考えると、40代前とは約800年前のこと。


気の遠くなるような年月、その間、一人もかけることなく、両親がいたから私たちは生まれた。

そのご縁のありがたさと不思議さ、そしてその強運なこと。


我々は、「生かされている」。

生きているだけで運がいい。

感謝の気持ちで日々過ごしたい。
【運がいいと言い続ける】


小林正観さんの心に響く言葉より…


ヨーロッパのある機関のトップをやっている人に、ある日本人がこう尋ねました。

「あなたはたくさんのいろんなヨーロッパの要人・要職にある人に会ってきたと思うが、その人たちの共通項というのは一体なんだろうか。それを教えてほしい」

と問いかけたというのです。


問いかけた人は、当然のことながら、共通項としては指導力・責任感・調整能力、それから努力の人であるとか、そういう言葉が返ってくると思っていたそうです。

その質問を受けたヨーロッパの要人の方は、10秒ぐらい考えてから、こう答えたそうなのです。


「第一の共通項は、運がいいことだ」


ここからが重要なポイントですが、生まれながらにして運がいい人悪い人というのに分かれているわけではないようです。

実は、運を手に入れる方法があります。

そして、運を手放してしまうという方法もあるのです。

そこにある種の方程式がありました。


現在のパナソニック、昔の松下電器産業ですが、この創始者は松下幸之助さんです。

松下幸之助さんは、生きている間ずうっと「わしは運が強い。運の強い男だ」と言い続けました。


その実例に使われたのが、商品を運んでいる少年時代に路面電車のレールに自転車のタイヤが滑ってしまい、転んでしまうというような話でした。

路面電車はすぐに気がつき急停車し、体の前で止まってくれました。

「電車も止まってくれたし、まわりの人も商品を拾って集めてくれて、わしは運が強い」と言い続けたそうです。


さらに、大阪湾内で、夏の日に海に落ちたこともありました。

この時も船が気がついて、松下少年は事なきを得たのですが、このときも「わしは運が強い」と言い続けました。

「もし冬の日だったら、病弱な自分は助からなかっただろう。落ちたのが夏でよかった。わしは運が強い。運が強かった」と言い続けたのです。


運が強い人は自転車で転んだりはしないだろうし、海で落ちたりもしないと思うのですが、そこのところは、松下幸之助さんの独特の人生観・世界観があったようです。

幸之助さんはありとあらゆる事件をとらえては、「わしは運が強い。わしほど幸運な人間はいない」と言い続けました。

その結果として、まわりの人が驚くような幸運な人、強運な人になっていったというのです。


まわりの人が言うには、「幸運強運というものは、そう思い続け、そう言い続けることで獲得できるものではないのだろうか」ということでした。

そのように言い続け、思い続けることで、実際にどんどんまわりの人が見て「運が強い。運がいい。強い運だ」というような人になっていくのではないかというものです。


もともと運がいいとか悪いとかというのはありません。

「これが運がよくて、これが運が悪い」というものは、宇宙的には存在しないのです。


しかし、人間の心の中にその評価評論は存在します。

一つひとつの事件について運がいいとか悪いとか、自分が勝手に決める心があります。

自分が決めるにあたっては、ありとあらゆることを全部強運だ、運が強い、幸運だというふうに言い換えることができます。


幸之助さんは、それらすべて「自分にとって強い運である。強運である」というふうに言い続けました。

その結果として、ものすごくラッキーでついている人生に、結果としてなっていったようなのです。


『啼かなくていいホトトギス』中経出版


松下幸之助さんほど、「運」という言葉を大事にした人はいない。

人の採用面接のとき、「あなたは運がいいですか?」と聞いたという。

そして、「運がいい」、という人しか採用しなかった。


運がいいと言う人は…

「自分の努力や、実力でここまできた」、とは思わないので、謙虚な心がある。

今あるのは、周りの人や両親のおかげ、ということを知っているので、感謝の心を持っている。

成功も失敗も運が多く作用していることを知っているので、失敗しても過度に落ち込まないし、人の失敗もゆるすことができる。


自分は、「運がいいと言い続ける」。

自分の強運を自覚し、それに感謝した人だけに、強運はやってくる。
【借り物の人生】


二宮尊徳翁の心に響く言葉より…


「人と生まれ出たるうへは、必ず死する物と覚悟する時は、一日活きれば即ち一日の儲け、一年活きれば一年の益なり。

故に本来わが身もなき物、わが家もなき物と覚悟すれば、跡は百事百般みな儲けなり。(夜話10)」


(略解)元来わが身わが家も、わが身わが家でなく、期限つきの借りものと覚悟すれば、すべてのものごとは、思わぬ儲けものの連続ということになる。


『二宮尊徳一日一言』(寺田一清編)致知出版社


自分の身体は自分のもの、と誰もが思っている。

もしそうであるなら、死はやってこないことになる。

なぜなら、この人生が終わったときには、この身体はお返ししなければならないからだ。


本でも、車でも、洋服でも、自分で買った自分のものなら、誰かに返す必要はない。

しかし、この世を去るときには、何ひとつあの世に持っていくことはできない。

つまり、どんなに高価な宝石であろうと、ほんのつかのまの借り物、ということ。


室町時代の閑吟集(かんぎんしゅう)に、こんな歌がある。

「夢の夢の夢の世を うつつ顔して

何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」 


(夢のようなこの世を、わけ知り顔をして。

真面目くさってつまらなそうに生きたところで何になる。

この一生は夢。

ただ狂え)


狂えとは、遊んで暮らせということではない。

常軌を逸(いっ)した行動、狂ったように集中した生き方、ということ。


身体も、お金も、物も、すべて借り物。

だからこそ、大事に使わせていただかなければならない。

そして、つかのまの人生。

だからこそ、狂ったように真剣に生きなければならない。


今生きていることは儲けものの人生。

感謝の気持ちで、この人生を大切に生きたい。
【歓迎の気持ち】


佐藤富雄氏の心に響く言葉より…


いつも一緒に仕事をしている人に「ありがとう。あなたのおかげでとても助かっている」と声をかけていきましょう。


家族との日常会話でも、頻繁に「ありがとう」を口にしましょう。

ごはんを食べながら「おいしいなあ。ママはホントに料理上手だ、ありがとう」。

仕事で夜遅く帰ってきたパパには「おかえりなさい。私たち家族のために頑張ってくれているのね。ありがとう」。

子供が何かを一生懸命にやっている姿を見て「あ、やってる、やってる!楽しそうだね。ありがとう」。


そんなふうに言われたら、最初はみんな驚くでしょう。

「どういう風の吹き回しだ。なにか後ろめたいことでもあるんじゃなかろうか」と怪しむ場合だってあるかもしれません。

それでも構わず「ありがとう」と言い続けていれば、周囲のあなたを見る目が変わります。

はっきり口に出すことはあまりなくても、「あの人のそばにいると楽しい気分になる」と心の中で歓迎してくれるのです。


職場の人間関係、友人とのつきあい、家族の仲がうまくいきだすのは、この「歓迎の気持ち」があるかないかにかかっていますよね。

あなたのほうから「どうか私を歓迎してください」と頼み込むのではなく、「いてくれて、ありがとう。私のほうこそ歓迎していますよ」と示せばいいんです。

高いお金を払って特別な贈り物を用意しなくても、言葉一つでそれができてしまうのですから、なんともお得な話じゃありませんか。


「ありがとう」の言葉も褒め言葉も、声にして発したとき、その影響力はぐんと強まります。

心中ひそかに思っているだけのときと比べたら、少なくとも10倍は影響力を増しているはずです。


『いい「口ぐせ」はいい人生をつくる』大和出版


誰か人と会ったとき、歓迎されているか、歓迎されていないかは、雰囲気ですぐにわかる。

こちらがニコニコしながら握手を求めているのに、相手はこちらも見ないで握手もおざなりだとしたら、誰もが歓迎されていないと感じるだろう。


歓迎や歓待が上手な人は、お迎えや、おもてなしが上手な人。

それは、人に喜んでもらうのが大好きな人、つまり、ホスピタリティのある人のこと。

いつもほほ笑みを絶やさず、感謝の言葉を伝え、常に相手の立場に立って、どうやったらもっと喜んでくれるかを考える。


「あの人のそばにいると楽しい気分になる」

どんなときも、歓迎の気持ちを忘れない人でありたい。
【お年寄りを敬う】


サンリ会長、西田文郎氏の心に響く言葉より…


縦社会には弊害もありましたが、能力と関係なく目上の者は敬うといういい仕組みがありました。

お互いを尊重し合い、承認し合うという文化があったからです。

それは世界に誇るべき日本の文化なのですが、その一番大切なものをアメリカナイズされて捨てていってしまっているのが現在の社会です。


お年寄りの方々はもちろん最前線でバリバリ働くというわけにはいきません。

しかし自身も能力が低下していることを分かっている分、余計に敬ってもらいたいと願うものなのです。

先輩として敬ってもらう、先輩として意見をいってあげる、そういったことが心の支えになるのです。


しかし今は若者とお年寄りが分離されてしまいコミュニケーションがなくなってきています。

人はコミュニケーションがなくなると、自分のことしか考えなくなりますから、ますますお年寄りの方は社会に貢献できなくなります。


お年寄りを敬う人は、他者を敬うということを知っています。

そういう経営者がいる会社では会社が一丸となりますから、うまくいくのです。


能力主義は組織が伸びていくには絶対に必要です。

しかし、そこに愛があるかどうかということが重要なのです。

優秀だけど自分勝手な人の集まりと、愛をもった優秀な人達との集まりではどちらが楽しいかといえば、もちろん絶対に後者です。


楽しいということは組織を活性化させる大切な要素です。

家庭で考えればすぐにわかります。

小さな子供が「おばあちゃん、いつもありがとうね」という家と、「うるせえな、くそばばあ」という家ではどちらが幸せか聞くまでもありません。

そしてどちらの子供がよりよく成長していくかは、それは家族の結束が固い結果なのかもしれません。


どんな会社にもピンチは訪れるものですが、そんな時、能力主義だけの会社では雲の子を散らすように社員は逃げていくでしょう。

しかし互いに承認し合い、一丸となっている会社では「なんとか立て直そう」とみんなが踏ん張ってくれるものなのです。


『ここ一番に成功する運とツキを呼ぶ方法』創英社/三省堂書店


「子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの」(永六輔・無名人名語録)

以前、飛行機の中で赤ちゃんが泣き止まないのを怒り、ヒステリックに非難した有名人がいた。

また、よろよろと歩いているお年寄りに向かって、「気をつけろ、このくそばばあ」と毒づいている若者を見たことがある。


自分が生まれてきたときにも、子供だった頃にも、周りに散々迷惑をかけたことを忘れている。

そして、年を取ったら自分も必ず年寄になる、ということにも気づかない大うつけ者だ。


人の痛みや悲しみがわからない人には愛がない。

それは、慈愛(じあい)という、親が子供をいつくしみ、かわいがるような深い愛情のことであり、そっとほほ笑み、だまってじっと見守るような慈母(じぼ)のような愛でもある。


会社や組織や家庭において、そこにお年寄や子供あるいは社会的弱者に対しての愛がなければ、ギスギスとして楽しくない冷えびえとした集まりとなってしまう。

お年寄りを敬う気持ちを持ち続ける人でありたい。
【丁寧に生きる】

植西聡氏の心に響く言葉より…


運が悪い人の特徴には、ちょっとした気配りや、あいさつ、正しい言葉づかいができないことがあります。

大好きな彼、近所の人、嫌いな人、ビル掃除の人、お店のレジの人、見知らぬ人…誰にでもわけ隔(へだ)てなく、きちんと礼儀正しい態度を取れる人は、それだけでオーラが輝いて見えるものです。


心理学に、「好意の返報性」という言葉があります。

これは、あなたが好意を抱いた相手には、あなたも好かれるという法則です。

相手に好印象を与えると、次から次へとラッキーなことが、お返しとしていただけるのです。


ですから、たとえ心と体の調子がよくなくても、できるかぎり、最低限の礼儀は払っておくべきでしょう。

笑顔、言葉、しぐさ、どれか1つで、心地よさを与えられればOKです。

逆にあなたの態度が、礼儀を欠いて人に不快感を与えるようであれば、嫌われてしまい、その結果、ツイていないこと、悪いことが起こってしまうのです。


礼儀正しくして、相手を気持ちよくさせることが強運を呼び込む秘訣です。

仕事で取引先と会う際はとくに、自分を抑えてでも相手を喜ばせることに徹すると、必ず幸運が飛びこんできます。


『「いいこと」がいっぱい起こる!自分を磨く100の習慣』王様文庫


礼儀正しく生きることは、丁寧(ていねい)に生きるのと同じ。

ぞんざいな言葉を使わず、丁寧な言葉を使う。

おざなりな挨拶をせず、丁寧な挨拶をする。

いいかげんな返事をせず、丁寧な返事をする。

なげやりな応対をせず、丁寧な応対をする。


一つひとつの動作や、言葉の使い方を、手を抜かずに丁寧にすることにより、礼儀正しくなってくる。

一旦立ち止まって挨拶する。

人の話は最後まで聞き、途中から口をはさまない。

何かをしてもらったら、すぐにお礼を言う。


丁寧な人には真の余裕がある。

そして、余裕があるから素敵な笑顔が出せる。


丁寧に生きる人は礼儀正しい。
【与えられた仕事を楽しめるかどうか】


松浦弥太郎氏の心に響く言葉より…


僕が経営する古書店カウブックスの大切な仕事は掃除です。

6年前に開店した時から、スタッフにはことあるごとに「見えないところをきれいにしよう」と言い続けています。

30分あればひととおりの掃除はできるようなスペースを、毎日2時間かけて掃除する。

これをばかばかしいと思う人もいるようです。

毎日掃除しているのですから、磨く場所が見つからないほどきれいなのです。

ほとんどのスタッフが、「毎朝、無意味なことをやらされている」と感じているようでした。

ところが、そのなかの数人は楽しそうに掃除をするということに、僕はやがて気づきました。

その一人にたずねてみると、こんな言葉が返ってきました。


毎日やると決めたのだから、「大変だ」とか「なんの意味があるんだろう」などと考えず、楽しんで掃除をしようと決めた。

すると、毎日磨いている積み重ねが自信になって、お客さまに胸を張って「いらっしゃいませ」と言えるようになった…。


彼らの答えを聞いたとき、秀でた人かそうでないかは、与えられた仕事を楽しめるかどうかの違いなんだな、と感じました。

僕が掃除を徹底している理由も、彼らの答えと似ています。

カウブックスというこれまでなかった古書店を始めるとき、経営や接客のすべてが手探りで、自信をもてるところが何一つありませんでした。

そこで僕は、自分たちが今いる場所を大切にしていれば、ささやかでも確実な自信になると思ったのです。


「すみずみまで毎日掃除している」という努力の事実があれば、小さくても誇れるものができると。

それは今でも続いており、『暮しの手帖』でも僕は同じことをしています。


一生懸命に磨き、整理整頓し、毎日掃除を続ける。

これを守っていれば、ごくたまに小さな埃が見つかるとしても、よくある失敗ですみます。

「ええっ、その棚は見られたくないな」という部分がまるでないだけで、堂々と振る舞えます。

毎朝の掃除で、きよらかさをつくりだせば、誰でも強くなれるのです。


「きれいなところを、もっときれいにすることは、一つの創造です」


『今日もていねいに。』PHP文庫


与えられた仕事を、嫌々やる人と、楽しそうにやる人の違いは大きい。

楽しそうにやれば、そこに何らかの意味や価値を発見できるが、嫌々やるならそこには嫌なことしか発見できない。


我々は、この世に蒔(ま)かれた種のようなもの。

どんな劣悪な環境であろうと、蒔かれたところで咲くことが出来る人は幸せだ。

しかし、温室のようなすべてが整った環境でなければ咲くことができないとなれば、ちょっとした雨や嵐でダメになってしまう。


掃除をすることは自分の心を磨くこと。

自分のまわりの状態が、今の自分を表わしている。

自宅でも、職場でも、自分の周囲が、汚れていて、ぐちゃぐちゃになっているなら、自分の心も、汚れて、ぐちゃぐちゃ。

どんなに素敵な洋服を着ていても、心は乱れている。


掃除を毎日楽しんで続ければ、小さくとも誇れるものができる。
【お金儲けの考え方】


秩父札所十三番寺、南泉和尚氏の心に響く言葉より…


私は、慈眼寺の住職であり、秩父こども園の理事長でもあります。

ときには経営者としてお金のことを考えなくてはなりません。

以前の私はお金のやりとりをするのが少し苦手でした。

住職という役目もあるからかもしれませんが、お金をいただくことにどこか後ろめたさがありました。

なんとなく、自分が欲深く、金儲けに走っているように思えたのです。


そんな気持ちがふっと楽になったのは、マザー・テレサの話を聞いたときでした。

マザー・テレサは、皆さんがよくご存知のとおり、コルカタ(カルカッタ)の貧民街で、誰からも手を差しのべてもらえない人たちを受け入れ、献身的な奉仕を続けてきた素晴らしい女性です。


そのマザー・テレサが、いつもお金のことを考えていたというのです。

意外に思う人もいるかもしれません。

ですが、多くの人を救うためには、確かに多くのお金が必要です。

そのため、彼女はどうすればたくさんのお金を教会に集められるだろうか、と考えていたのだそうです。


この話を聞いて、「あぁ、お金のことを考えるのは悪いことではないんだ。必要なところに使えばいいんだな」と思えるようになりました。


道元禅師の教えに「知生産業固(もと)より布施に非ざること無し」という一説があります。

これは「政治も産業もみんな布施である」ということです。

この教えもまた、お金儲け自体が悪いことではなく、手に入れたお金をどう使うのかが大切だと説いてくれているように思います。


自分のためだけにお金を使おうと思うと、人は離れていきます。

反対に、ほかの人のために使おうとすると、人が集まってくるのです。

目的が明確なほど、それは顕著に表れるし、そのためにお金を扱うことも楽しい作業になるでしょう。


『毎日をハッピーにする90の方法』ディスカヴァー


お金儲けの亡者になることは醜(みにく)いが、さりとて、お金やお金儲けを忌(い)み嫌うこともいいことではない。

お金を嫌えば、お金は汚いものという意識が心の奥底に深く刻まれてしまう。


政治でも、経済でも、会社でも、家庭でも、あと少しのお金があればなんとかなった、ということは多い。

特に、組織においては、その組織のリーダーやトップにある人のお金儲けが下手だと、その組織そのもの活動が低下してしまい、やがて最後には活動も停止してしまう。


お金儲けが下手な人の多くは、「お金は汚いもの」、「お金儲けは悪いこと」という気持ちが、潜在意識にインプットされていることが多い。

ほんとうは、どんなところでもお金は必要。

大事なことは、お金儲けは悪いことではなく、儲けたお金をどう使うか。


お金やお金儲けに対する意識を、よきイメージにしたい。
【喜ばれるように生きるためのポイント】


小林正観さんの心に響く言葉より…


喜ばれるように生きるうえで、重要なポイントがあります。

たとえば、喫茶店をしている人がお客様に喜んでもらおうと考えたとき、初めに新しいメニューを考えたり、きれいな壁紙、座りやすいイスに変えるかもしれません。


しかし、投げかけるものの優先順位としていちばん重要なのは、「お金をかけない」ということです。

温かい笑顔で迎えたり、優しく接する、居心地のいいようにきれいに掃除することが、人間関係において、いちばん喜ばれます。

その人の態度、生き方、笑顔がとても重要なのです。


それをやらずに、お金をかけて建物を替えたり、調度品などを変えて喜ばれようとしても、お客様は遠ざかってしまいます。

笑顔、優しさ、温かな応対など、まずお金をかけないでできることをやっていく。

それがある程度できるようになったら、お金をかけて変えていくのがよいかもしれません。


お釈迦様の教えに。「無財の七施」というものがあります。

これは、財産がなくてもすべての人ができるものです。


優しいまなざし (眼施・がんせ)

思いやりある言葉 (眼辞施・がんじせ)

温かい笑顔 (顔施・がんせ)

感謝の心で人に接する (心施・しんせ)

手足を使い人のために汗を流す (身施・しんせ)

席や場所を譲る (床座施・しょうざせ)

一夜の宿を提供する (房舎施・ぼうじゃせ)


このように、お金をかけずに体で示せる行為がいちばん喜ばれます。

お金や物を使って喜ばれるのは、第二、第三の順位です。


酸素、空気、水のように、生きていくうえで必要なものはすべて無料です。

人生の中になくてはならないもの、重要なものほど、お金を使うものではありません。


『笑顔で光って輝いて』実業之日本社


お金を使わずに相手に、お礼をしようとしたり、喜んでもらおうとすると、多くの人は困ってしまう。

なぜなら、お金で解決するほうが、考えなくてもすみ、簡単だからだ。


お金を使わないで人に喜んでもらおうとすると、手間がかかったり、努力が必要となる。

「笑顔」一つとっても、それを、誰に対しても、いつも、実行するのは難しい。


「無財の七施」

思いやり、笑顔、感謝、そして人のために動くこと。


人に喜ばれるような生き方をしたい。

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