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石原莞爾平和思想研究会コミュの本と付き合う態度とは

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本との付き合いは人間の付き合いによく似ているように思えます。始めは仲よくしていてやがて意見が合わなくて別れ別れになる場合があります。そういうことが読書にも友人にも起こります。友人との付き合いはともかく、本はまったくこちらの意見をさしはさむ余地のないということは珍しいです。

どんなに素晴らしい「石原莞爾関係」の同志が書いた本でも、どこかに不満が起こります。その点を考えて自説を展開すれば、そこに批判、批評が生まれます。この場合はどうしても、同志を否定する立場をとらなくてはならないのです。批判はしたがって否定的創造活動ということになります。新しいものを生み出すひとつの方法です。ただ、なんとなく喧嘩腰で本を読んでいるのは哀れな気がします。

もうひとつの本との付き合いは、自分の思想と違う考えをどこまで信用し、大人しく言われるままについていくやり方です。欠陥があるのではないか、間違ったところはないかと目を光らせるのではなく、大体においてすべてを肯定してかかる読み方です。優れた同志が書いた本に対する態度はこれに近いです。同志を疑っていては知識を身につけるのに妨げとなります。下手な懐疑をしないで確り受け入れる。それが抵抗なくできる人が優等生といわれるのです。

優等生は従順であるから書いてあることはよく頭に入ります。知識にはなるが、新しいものを生み出すきっかけをとらえることはかえって難しいかもしれません。試験の成績では優れている学生が、論文やレポートを書くと何ともいえない妙なものになるのは、飛行機の設計者として優秀であっても、自力で飛ぶのはまた別であることを示しています。

学校の教育は本により添い、そのいわんとするところを正しく理解することを目標に行われるから、いわゆる優等生が生まれ、それがもっと望ましい学習者であるという常識が確立しています。もちろん何もわからずに理屈だけこねまわすのは危険です。まず。必要な知識を身につけよと学校が要求するのは誤ってはいないでしょう。ただ、戦後の日本人を駄目にしている日教組の知識習得に真実の歴史が語られないのは残念です。ここで間違った歴史を教え込まれるとかなりの勉強家じゃないと簡単には考えを曲げられない。これがマインドコントロールであり、真実に気がつくのに長い期間を要するのです。

教科書を読んでいるうちに、受容一方の姿勢が固定してしまいます。大勢の生徒の中で本を読んでいるうちに、本に読まれるようになってしまうのです。ショーベンハウエルの読書論はこの間の事情について小気味よく、するどい批判を加えています。面白い本と少し付き合い、面白くて堪らなくなりそうなところで、あえて、その本と別れる方法です。もちろんことでは知識を得ることはできない相談です。その代り、自然に新しい考えをもつことは可能です。本の言っていることを否定し、ときには破壊して、そのあとへ修正意見を出すのは、平和ではないですが、それに比べると、中絶読書なら批判によらずして、我が道を歩めます。

運動している物体は、外からの作用を受けないかぎり、その運動を続けようとする性質を持っています。動いているものが急に停止すると、それまで動いていた方向へのめり込もうとします。電車が急停車すると、乗客が将棋倒しになるのもこの性質による慣性の作用です。物体に認められるこの慣性の法則は心理現象にも適用できるように思われます。親しいものが傍からいなくなって感じる「淋しさ」の感情も、慣性が挫折させられたところで意識されるものと解釈できると思うのです。

本を読むときに慣性が働いています。本の始めの部分は多少読みにくいが、慣れるにつれて、やがて段々読みやすく、すらすら進むようになるでしょう。途中でやめるのが惜しくて先を読みたいとも思うことでしょう。脱兎の勢いで終りの部分を読んで読了すると、あとに余韻が生じます。もっとも大規模な慣性の現象といってよいのではないでしょうか。心理的には本を追おうとしているのに、本はもう終ってしまっています。対象を失った読者の心理はこれまで進んできた方向の延長線上を走るのです。そうして起るのが余韻で、ことに文学作品において顕著であるが、文学に限るものではない。すぐれた書物は読み終えたとき何らかの残影をもつのが普通なのです。

中絶読書は、読み切らないで、面白くなりそうなところで、つまり、スピードが出たところで、本から離れ、そこに生じる慣性を利して自分の考えを浮び上らせようとします。芸術作品なら全部を読み通したうえでの余韻でなくては困るが、知的な文章では最後まで付き合っていては、あまりに多く影響を受け過ぎることになって面白くない場合もあります。本はきっかけになればよいし、走り出させてくれればそれでりっぱな働きをしたことになる、そういう読書もあるでしょう。面白すぎて先を読むのが怖くなるような本が時々あるというのは、途中で切って、そこに創造的慣性の作用を起すことを、我々が心のどこかで期待しているからかもしれません。

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