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石原莞爾平和思想研究会コミュの日本に贈る遺言

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新日本の行くべき路は日蓮、弘安5年10月13日、武蔵の国千束の郷、池上右衛門大夫宗長の家において、入滅したのは61歳の時でした。昭和の日蓮といわれた石原莞爾が、大往生をとげたのも、同じく61の時でした。信仰に徹すると、心霊の相通ずるところがあるのかもしれません。

日蓮上人は、毎日の間、病床において、立正安国論を講じました。死の手にとらわれる利那まで、一宗弘布の念をすてなかったのですが、 石原莞爾も、敗戦日本に贈る遺書をしたため、瞑目する五日前まで、筆をすてなかったのです。「新日本の進路」は、こうして今、吾々の手にのこされています。

板垣征四郎も、断頭台に上る直前、その感想を花山信勝にのべています。それによると、「戦争の起る前、世界最終戦ということを一部で唱え、私たちもこれを支持して来た。まあ、支持したと申しますか、そういう風に信じていたわけですが、今から二十年以内に世界最終戦がある、日本は、その時に備えなくてはならない。」

「世界最終戦後に平和がくる、それに日本は備えねばならない。私共は、それに全力をつくした。しかるに、意に反して、日華事変が起きた。これは大変と思って、一日も早くおさめなければならんと考えて、私は当時陸軍省におった時だから、全力をつくしたが、できなかった。」

「それが今度の第二次世界大戦となり、日本は最終戦の戦友を失うということになった。もし、予言者の云った世界の最終戦というものが起れば、その際、戦争を放棄した日本としては迷惑千万ではあるが、日本の理想とする真の平和を、それによって得るものであるならば、しばらく忍ばねばならんと思う。」

「そして、真の平和の来る日を待たねばならん。世界平和の来た時は、どうなるかというに、世界国家的な機構ができて、日本もそれに協力し、各国は自国に適当した文化をとりいれて、有形無形の文化国家を形造らねばならんことになろう。その際、日本としては、最高の精神文化と科学を高い水準にまで上らせて行かなければならん」と、あります。

板垣は、石原莞爾から思想的感化をうけていました。従って、その言うことも同一であるのは言うまでもない。彼もまた、死後もなお、この大同思想をすてようとしなかったのです。全くの石原莞爾イズムでした。なつかしき唐国人よ今も尚東亜の外に東亜あるべき同志によせる歌も、のこっている。(「平和の発見」による)石原莞爾は云っています。

「東亜連盟運動は、その実践においても、極めてデモクラチックであり、よくその統制主義の主張を生かした。組織を見ても、誰もが推服する指導者のないかぎり、多くの支部は、指導者的支部長をおかない、すべて合議制であった。真に心からなる理解の上に立っている実情を物語っている」一人の専制を許さないような組織になっているのです。

ところが、この統制主義は、ともすると全体主義と誤解されがちです。「石原のやっている東亜連盟の思想は、超国家主義である。専制と保守とが、その中味である」こういう批評をうけますが、断じてそうではなく、彼は、特に最後の書に於て解説を加えています。

「近代社会は、専制・自由・統制の三つの段階をへて発展してきた。即ち専制主義の時代からフランス革命、明治維新などをへて、自由主義の時代となり、人類は、そこに飛躍的発展をとげた。しかしその自由には、限度がある。増加する人々にたいし、土地や資源が、これに伴わぬ場合、多くの人に真の自由を与えるため、若干のさばきを与える必要を生じた」(新日本の進路)

その捌きが統制だというのです。別の言葉でいえば、お互いの我ままをせぬということを、根本精神とするのです。今や、世界共通の状勢は、専制から自由に向い、又その自由から統制へすすみつつあることは、否定すべくもないのです。

石原莞爾平和思想研究会 (ishiwara-kanji.com)

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