ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

みことばに生きるコミュの今日のことば

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」と書いてある。
 新約聖書マタイの福音書4:4

 私たちは、なぜか一日3食は食事をしています。それは身体に必要であるからです。毎日食事を頂いても、なぜか飽きません。メニューを考えて食べるからでしょう。しかし食べないとやがて生きることが出来なくなります。

 それと同じように、みことばである聖書のことばも、それを読んでいないと、心のなかのもう一つのいのちが保たれません。もう一つのいのちとは、神と共に生きる霊のいのちのことです。出来るだけ、毎日、みことばを読みたいものです。

コメント(69)

●小さいことに忠実
 主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。マタイ25:23 口語訳

 目に付かない山奥で美しく咲く野のユリは、だれにその美しさを見せているのでしょうか。花が枯れるまでだれ1人見る者もなく、それを切って部屋に飾る者もないのです。それはただユリを造られた創造主を喜ばせるために咲いているのです。人が見るか見ないかは問題ではないのです。育ち、花咲くように造られている、だから神を賛美し神に喜んで頂くために美しく咲いているのです。春に咲く花はすべて、神をたたえて咲いているのです。
 わたしたちは、人に認められても、認められなくても、忠実に為すべきことをしているでしょうか。人に見られるところをうまく繕って生きているでしょうか。
 だれにも知られない「わずかなことに忠実」(小さな=新改訳)に生きること、これが毎日のわたしたちの生活ではないかと思います。台所にも、下積みの仕事にも、神はいつでもその人とともにおられます。その神の前に今日も一日過ごし、生き、働く日でありたいものです。それが生きているだけでも意味のある生き方につながるのです。
●主が取られる
1:21 そして言った、「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。ヨブ:21 口語訳

 昨日は不思議なことがあった。新宿のプラットフォームで、東京行きの快速電車を待っていて、いざ乗ろうとした時それが起こった。
 電車から降りてくる人々がどっと溢れたあと、乗り込む人たちも、続いて押しよせるのであるが、私は人々が降りてくる流れが終わったので、電車に入ろうとした。するとそのとき、奥からさらに一段と遅れて出てきた人が数名いた。

 わたしはその人の1人と接触し軽くぶつかった。その時私のめがねは、一瞬にはずれてどこかへいってしまった。下に落ちたのか?、車両とホームとの隙間に墜ちたのか?それを覗いても見えない。あるいはその人に引っかかっていってしまったのか?

 その電車が出ていったあと、顔をのり出してホームの下をレールの近くまで見たのだがどこにも見あたらない。どこへ行ってしまったのだ?

 めがねの行くえが判らなくなってしまった。あの人の胸に引っかかっていったのだろうか?駅の係員が出てきて一緒に調べたが、どこにもない。ついに行方不明となった。

 それはホンの一瞬の出来事であった。それはあたかも、「主が取られた」という「みことば」が、その瞬間に起きたのだと言わざるをえなかった。

 続いて、当たった人の跡を歩いてみた。途中に引っかかっていたのが落ちているかも知れないからだ。しかし、その足どりの跡にもなにも落ちていなかった。

 途中で駅の売店でデジカメの単3電池を買った。そのとき、290円というので、まず200円を出して見えるところに置いた。残りの100円を小銭入れの中に探して、一緒に300円にして出そうとしたら、なぜか100円が消えていた。売店の係りは、何か落ちたみたいですね、といって新聞の立ててあるところの底をよく調べてくれたのだが、消えた100円はみつからなかった。「主が取られたのだ」とまた頭の中をみことばがよぎった。こうしてその日、主はお与えになったモノを、また、お取りになるのだということを知らされた。
●まことの証人  マルコ14章62〜72節
 日本人である私たちは昔から、他人のすることを気にしながら生活をしてきたのか、他人と同じようにしなくてはならないというくせがあるようです。それはある場合は生活の知恵ですが、一方、信仰生活では信仰の妨げとなり、見えないかせともなります。真理に従うより周囲に従おうとするからです。もっと神の前に歩み、きよい良心で従い仕えるという習慣を培わなくてはなりません。
 さてキリストは、そのいのちを狙うユダヤ人たちの反発にも拘らず、信じるところに従って行動されました。それは神のみこころに従うことでした。日頃主が語られたこと、例えば「天国・義・真実・愛と聖」など、ご自分の発言を行為・行動で裏付けられました。
 この聖書箇所には、いみじくも、ユダの偽りのくちづけ、群衆によるキリストの捕縛、ペテロを代表とする弟子たちの背教、ある若者の逃亡、議会の前での「虚偽の証人」たちペテロの大失敗と否定など、人々の不信と裏切りが描写されています。
 しかし、キリストがそれによっていのちを奪われることになったいのちがけの証言「大祭司は、さらにイエスに尋ねて言った。あなたは、ほむべき方の子、キリストですか。」に対し、
「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」(61,62節)と真っ正面から真実な証人のことばを語られました。それを語れば、死を意味するような場合でも言うべきことはハッキリと語られたことをしっかりと覚えなくてはなりません。
 それまで、どんな偽りの証言にも心を動かさず、ひとことの弁解もされませんでしたが、大祭司が発した質問は、そのまま聞き逃してしまうと神の子としての真実を隠すことになるので、これには極めて明白に「わたしはそれです」と証言をされたと考えます。
 それはユダヤ人としては、絶対に語ってはならない「私が神である。」と神を冒涜するものでした。そこで大祭司は衣を引き裂きましたが、それは主の発言にかかわって神の前に冒涜罪になってはと恐れたからでしょう。
 最後に、みじめな人間の罪が記されています。ペテロの三度の否認です。人は恵みなしで自力では信仰告白ができません。「にわとりが二度鳴く前」とは明け方になるまえで、夜半を通してキリストの裁判が行われたことを裏付けています。主はアンナス→カヤパ→ヘロデ→ピラト官邸へと引き回され、疲労こんぱいした上で、十字架への道を進まれたのでした。
●試練に耐えること

「訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父か懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」ヘブル12:7 新改訳

 都市化した住宅地では見かけなくなりましたが、春の風物詩のひとつに「麦踏み」があります。霜柱がたって土が盛り上がり、それまでに蒔いた麦の根が土といっしょに浮きあがるので、その芽をよく根づかせるためにわざわざ麦の根を足で踏みつけます。厳しい寒さのなかでも、やがて肌に柔らかい風があたるようになるまで、何度か繰り返し踏むのです

 踏まれた麦は幼い芽ですから、いたみますが、根が土から離れて枯れてしまわないためには、どうしてもこのようにする必要があるのです。農夫は麦にいじわるや、損害を与えようとしているのではありません。これは、農夫の知恵なのであって、その後の成長と、豊かな収穫を期待するからこそ、そうするのです。

 麦の芽の土より低う萠えにけり(青陽人)。

 信仰者にとって、試練は痛く辛いものです。しかし、愛の神は、当面の利害のみを考えてばかりおられません。将来の、否、永遠の御計画のもとに、その人を扱っておられるのです。そのようなときに、意気消沈して、信仰までが、がたがたと揺らぐのではなく、しつかりと地に根をおろす信仰となりましょう。「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の『実』を結ばせます。」(ヘブル12:11)皆さん困難にもめげずしっかり忍耐しましよう。
一粒の麦のたとえ話もありますね。
神様は麦には厳しい・・・。(苦笑)
いえいえ、みずみずしい麦の芽を神は愛されるのですね。
”大地に根ざしてしっかり生きろ”という応援でしょうか。

地に触れて胡瓜豊かに曲がりけり  佐野青陽人
●ペテロの大失敗(主を否認したこと)
マルコの福音書14章26〜31,66〜72節(聖句省略)

 誰でも自分の失敗を人に知られたくないものです。まして、自分が力を込めて力説したことを、さほど時間の経たないうちに、すぐに手のひらを返したように、反対のことを言うこと自体、不誠実のとがめは免れません。
 ここに世界中にその失敗を語りつがれた、情けない男がいます。その人の名は、ペテロです。

1.否認を予告されたペテロ
 それは最後の晩餐のあと、賛美を歌ってのちに、オリーブ山の麓にあるゲッセマネへと進んで行く道すがらのことでした。弟子たちは主の後について、ケデロンの谷へ降りていき、さらにオリーブ山の斜面を登りました。四福音書がそれぞれ、このところを書いておりますが、途中、山裾にあるゲッセマネに付くと、その当たりで、この後に起こる受難とそれに弟子が耐え得ないことを語られたのです。主が打たれたなら、弟子たちが、それぞれ思い思いに主から逃げ出そうとすると予告されたのです。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる。』と書いてありますから。」(27節)。
それに対してペテロは、いつものことながら、「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」(29節)と力説しました。そのようなペテロに主イエスはハッキリと「まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」(30節)と言明されたのでした。それは、ペテロだけのことではありません。弟子たち全員みなペテロと同じくらいの失敗をしでかすということを予告されたのです。しかし、希望を添えておられます。「しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」(28節)
 ペテロは主のことばに逆らって応えました。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」(31節)。「みなの者もそう言った」。その心がけは立派です。しかし、人間の力の限界を彼は十分理解していませんでした。神の予告の正確さにも無知をさらけました。残念ながらそれは、間もなく証明されてしまいます。

2.イエスのあとに付いていくペテロ
 主がゲッセマネで祈られた後、ユダの裏切りによって、主はユダヤ人の指導者たちの手に渡されてしまいました。ユダとともにやってきたのは、「剣や棒を手にした群衆」(43節)たちで、それは、指導者たちから差し向けられた人々でした。さらにヨハネは、「一隊の兵士と、祭司長、パリサイ人たちから送られた役人たちを引き連れて、ともしびとたいまつと武器を持って、そこに来た。」(ヨハネ18:3)
と述べています。一連の苦難の始まりです。逮捕されたイエスは、さっそくアンナス、カヤパのいる大祭司の官邸へと連行されました。「彼らがイエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長、長老、律法学者たちがみな、集まって来た。」(53節)のでした。
 ペテロは、「みながイエスを見捨てて、逃げてしまった。」(50節)あと、「遠くからイエスのあとをつけながら、大祭司の庭の中まではいって行った。そして、役人たちといっしょにすわって、火にあたっていた。」(54節)官邸の中では、イエスを訴える者たちの厳しい尋問が行われていました。それは、単に罪状を並べるというだけではなく、偽証があり、拷問も伴いました。ともかく何としても、イエスを十字架刑へと追いやろうとする勢いがあり、それに押し流されながら、狂気のようになってイエスを陵辱(りょうじょく)したのでした。

3.イエスを3度知らないと言ったペテロ
 イエスが裁判を受けておられる間、ペテロは大祭司の庭にいたのですが、ペテロが火に当たっている様子を見た大祭司の女中が、ペテロをじろじろと眺めていいました。「あなたも、あのナザレ人、あのイエスといっしょにいましたね。」(47節)これに驚いたペテロは、あらぬ事かと打ち消して「何を言っているのか、わからない。見当もつかない。」とイエスとの関係を否認して、出口のほうへ出ていってしまいました。第1回の否認です。
 それに納得できなかったのでしょう、ペテロの落ち着かない姿に気が付いたので、そばを離れなかった「女中は、ペテロを見て、そばに立っていた人たちに、また、『この人はあの仲間です。』と言いだした。」(69節)「しかし、ペテロは再び打ち消した。」(70節)これが第2回目の否認でした。
 それでは終わりませんでした。「しばらくすると、そばに立っていたその人たちが、またペテロに言った。『確かに、あなたはあの仲間だ。ガリラヤ人なのだから。』
しかし、彼はのろいをかけて誓い始め、『私は、あなたがたの話しているその人を知りません。』と言った。」(70〜71節)第3回目の否認です。
 こうしてペテロは、主の語られたとおりに、主を知らない、知らない、知らないと3回、否定することになったのでした。「するとすぐに、鶏が、二度目に鳴いた。」(72節)

 イエス・キリストは単なるナザレ人イエスではなく、神から遣わされて世にお生まれになった神の御子、救い主です。その予言は確実に実現しました。「そこでペテロは、『鶏が二度鳴く前に、あなたは、わたしを知らないと三度言います。』というイエスのおことばを思い出した。それに思い当たったとき、彼は泣き出した。」マルコの福音書では、ペテロの言動を率直にのべて、後に悔い改めたペテロの大失敗談をその後の信仰生活の励みに替えています。
●神の望み
テモテ第1、
2:4 神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。
2:5 神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。 口語訳

 最近、クリスチャン新聞にも出ていたようですが、日本にいる宣教師団からの依頼でギャラップ調査が行われました。それは、日本人の意識調査で、宗教意識、モラル、倫理観などです。詳しいことはそちらの資料を見て頂きたいのですが、その主な結果を見ると、
  自分の存在理由が分からない・・・85%
  今の生き方を選んだ  ・・・・・48%
  自分以外の者になりたい・・・・・36%
  生まれてこなければよかった・・・11%
また宗教では、
  どの神に祈っているか分からないが、とにかく何か造り主に祈っている人たち
    仏教徒    45%
    神道     76%
    キリスト教  80%
    新興宗教   89%
となっている。
日本人の祈りごころは何なのか?御利益的な臭いは避けられないといえますが、
真の神を知ることを、神は望んでおられるのです。
それにはやはり、真剣に求めることが必要です。その努力より大切なのは、心を開いて神の言葉に聞くことです。そうすれば、かならず真の神をみいだし、真理を悟ることができるのです。
「信仰は、望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル人への手紙11章1節)

あるものごとに対処するとき、初めから「できるはすだ」と考える人と「駄目だろう」と考える人とがいます。出来ると考える思考法を「可能思考」と呼ぶとしますと、その志向するところは建設的です。それに比べて、同じ事実を見ていながらも、「駄目だ、だめだ」とばかり考えていると、ほとんど結果をみることがないものです。自分で想像できることがらというものは、その必要条件を満たすとき、実現できるのです。その可能性を信じるとき新しいことが出来るのです。

 エジソンは最初の白熱電球を作るのに何百回も失敗をくりかえしといいます。しかし、かれは失敗すればするほど、その次には、きっとうまくいくと信じたそうです。なぜなら、それまでの失敗によって、選択肢がすくなくなり、成功の確立は次第に高くなっていったのですから。「天才は99%のパースピレーション(汗)と1%のインスピレーション(直感)によるといったのは彼です。

 ライト兄弟やその当時の飛行装置の発明家たちが「人間にも鳥のように、空が飛べるはずだ。」と考え(可能思考)なかったら、今日の飛行機、航空機は存在しなかったことでしょう。また、NASAが月まで飛べる筈だと考えなければ、月ロケットも発射されなかったはずです。科学的なできごとといっても、人間の想像力が原点になっているものです。

 大きな想像力を持とうではありませんか。そして、それを実現するための必要な条件をどうしたら満たすことができるかを考えましょう。そうすれば、今までは不可能に見えていたことが、不思議に「可能性がある」ことに気がつくのではないかと思います。これはある種の信念となるのではないかと思います

 ただ、最近は、これを神のお与えくださった志として信じるだけでなく、神がなさるみわざとしての信仰が可能性を持つことを改めて認識しています。人間の勝手な想像を信じるのではなく、神のみこころとしての可能性を信じるということです。
●「私の主。私の神。」 ヨハネ20章26〜31節
 イースターは主の復活の日でした。その日の夕方、エルサレムの二階座敷に閉じこもっていた主の弟子たちに、信じられないような主の顕現がありました。それは、20章の19節以降に書かれています。そのときトマスはその場にいませんでした。その結果としてトマスは主イエス信仰的に扱われたのです。

1.トマスの求道
 トマスはデドモ(双子)と呼ばれていました(ヨハネ11:16)。ベタニヤのラザロが病気で死につつあったとき、主はヨルダン河の向うに滞在しておられました。(ヨハネ10:40)そのとき、ベタニヤから使いが来ましたが、主は直にユダヤへ行こうとはされませんでした。しかし、トマスは同僚の弟子たちに主と共に殉教も厭わない発言をしました。さらに、ヨハネの福音書の中でも有名な求道の質問「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」14:5といってその道をもとめた人です。極めて冷静、論理的な発想の持ち主だったと思われます。

2.トマスの復活の主への疑い(不信仰)
 イースターの夜、主が弟子たちに顕現されたとき、どういうわけかトマスはその場に居合せなかったのです。欠席しているときこそしばしば、大切な事が語られるものです。トマスが帰ってきた時、他の同僚の弟子たちはくちぐちに主にお会いしたといいました。しかしトマスはそれを、そのまま受け入れることがてきませんでした。そこで有名なトマスの疑心が発せられたのです。(ヨハネ20:25)そのように彼の心は開かれていませんでした。

3.トマスの信仰
 その一週間の後、主はまた同じように弟子たちのいるところに顕現されました。こんどはその場にいたトマスに主は前週のかれの発言を諌められ、信仰をうながされました。トマスは復活の主に会い、信仰を持って弟子として活躍しました。彼の活躍の記録ははっきりしませんが、伝承によれば、インドまで出かけて宣教したといわれています。また、ペテロとともに復活の後、ガリラヤで漁をしたことが記されています。彼も主とお会いして弟子の生涯を走り抜く器となりました。
●「うちに燃える心」ルカ24章13〜49節
 復活の後にキリストが顕現されたのは、数回になりますが、これは、エルサレムから郊外のエマオ村へ向かっている弟子たちに現われたときのことです。

1.主のご同行と開眼
 二人の弟子たちは、旅の途中でしたが、近づいてこられた主を主として気がついていま
せんでした(16節)。復活は事実とはいえ、ひとりひとりえの主の臨在は、すぐには悟られないのでしょう。わたしたちも、ややもすると主がともにおられるのに、こちらの側の問題で主を意識の外に締め出したり、認めていなかったりしていませんか。復活と臨在の主を覚えましょう。

2.主の聖書の解き明かし
 二人の弟子たちは、主の十字架を見た生き証人でした。十字架の出来事について語り合うことはできました。しかしその歴史的な事実にとどまって、その事実が固定観念となっていたようです。イエスさまの死を知ったとき全く失望・落胆に陥ったことでしょう。それ以来二人とも、生けるキリストではなく、過去の歴史的なイエス像をもったのかも知れません。主の臨在に鋭敏なこころと感性を持ち臨在の主、復活の主を仰ぎましょう。(25、27、32節)

3.うちに燃えるこころ
 主は二人の弟子に聖書を解き明かされました(27節)。その時は分からず、その後で食事の時に祈られましたが、それで主と解ったのです(31節)。しかも、主が聖書を解き明されたとき、旧約全体から語られて、ご自分のことの預言が成就することを示されました(27節)。
 メソジスト派の祖ジョン・ウェスレーはアルダスゲートの集会所でローマ書についての序文を聞いたとき、聖霊がウェスレーの心を開いてくださり、主イェスが救い主であることに目覚めました。その時、「こころはあやしく燃えた。」と日記に記しています。
 私たちも聖書を読んで、神に心を開いていただき、ますます神を知り主イエスを喜びと平和の主として心に住んで頂こうではありませんか。そのためには、まず、心を開いて、主よ心の中にお入りください、と祈りましょう。そうして、主を受け入れ、主に住んで頂きましょう。(ヨハネ15章参照)
 最後に主は弟子たち全体に対し(44節〜)預言の成就とともに、聖霊を受けて世界宣教へとの力強い派遣を言い渡されました。(46節)
●今週のメッセージ(2006.5.7)
「私が生き、あなたがたも生きる」ヨハネ14章18〜21節

ヨハネの福音書によると、イエスの十字架における死の前に、弟子たちに話された約束の言葉がありました。それは、イエス・キリストは復活されたあとに、弟子たちにどのように実現していったでしょうか。
 
1.孤児にしません(18節)
 神は愛です。ひとたびイエス・キリストを主と仰ぎますとき、「わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」との力強い約束のおことばが私たちのものとなります。これは、旧約のヤコブがハシゴの夢を見たとき、創世記28:15に 「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」といわれた、その時の「決してあなたを捨てない。」が、最初に出てくる約束のことばです。そのあとは、申命記31:6、申命記31:8とモーセの書にあり、ヨシュア記1:5はその延長上に、繰り返されて語られたことばとなっています。
 イエス・キリストが、ここで「孤児にしない。」と言われたのは、その背景を前提に、新約聖書で再び神の愛の真実を語っておられるのです。新約にもパウロが、「主がともにおられた」と証ししている所があります。(2テモテ4:16,17)ですが、パウロは、最初の弁明の時、皆が見捨ててしまい支持者が誰もいなかったと言っています。この厳しい現実のなかでも、主は見捨てず、ともに支えてくださっていることが分かります。誰でも、真実に主に信頼するものは、「この希望は失望に終わることがありません。」(ローマ5:5)

2.あなたがたも生きるからです(19節)
 イエス・キリストの復活は、よく精神的なものとか、霊的な感化力とかいう人がいます。確かに近年の教会の中での「復活信仰」は事実に基づいたものであることが破壊され、復活は後日になって信徒がそう言い始めたのだといったり、単なる信徒への感化力であるというクリスチャンもいます。復活を歴史の上での出来事として、書かれた聖書記事を信じないことは、キリスト信仰を根幹から揺るがすものとなります。しかし事実として認めるのであれば、イエス・キリストの復活は歴史上の出来事であることを認めます。二千年前、パレスチナのエルサレムという場所で発生した出来事であった信じることは当然のことなのです。
 イエスは、「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)と言われました。これはウソや偽りではなく、そのとおりイエス・キリストは復活され、それがキリスト教信仰の根幹となっているのです。
 このような「復活された神の子」イエス・キリストを信じるならば、「主といっしょに生きる者となる」ことも、そのまま実現すると信じます。キリスト者は、イエス・キリストの復活によって、その信じる信仰が支えられているのです。

3.わたしがあなたがたにいる(20節)
  「わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。」ということは、復活の信仰に立つ信徒は当然、イエス・キリストのいのちに与っていると言うことになります。この復活のイエス・キリストとの一体性は、信仰による、恵みによる、聖霊による経験であることを、決して忘れたり、失ったりしてはいけません。
 初期の弟子たちはそれを経験いたしました。 エルサレムの神殿の入り口にいた男の足が癒され、神を讃美し始めたとき、大勢の人が集まってきたので、ペテロはさらに神のみわざの説明をはじめました。それを聞いて祭司や宮の守衛長、サドカイ人などがやってきました。ペテロの説教をやめさせ、ヨハネも一緒に捕らえて留置しました。これは新しく誕生した教会への迫害であり、活動を止めようとする勢力の干渉でした。そのころすでに信徒は五千人ほどになっていました。
 翌日のユダヤ人指導者の会議はまるで、イエス裁判のときと同じ規模で、厳しい尋問が行われました。「あなたがたは、いったい、なんの権威、また、だれの名によって、このことをしたのか。」(使徒4:7)。それは神への挑戦と言うべき質問でした。ペテロは、大胆に「あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである。」(4:10)と言ったので、「人々はペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見、また同時に、ふたりが無学な、ただの人たちであることを知って、不思議に思った。そして彼らがイエスと共にいた者であることを認め、
かつ、彼らにいやされた者がそのそばに立っているのを見ては、まったく返す言葉がなかった。」(4:13,14)
 こうしてユダヤ人の指導者や議会で協議した結果、「そこで、ふたりを呼び入れて、イエスの名によって語ることも説くことも、いっさい相成らぬと言いわたした。」(4:18) こうして二人は釈放されましたが、ふたりは「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」。(4:19,20)と反論していました。 二人の報告を聞き、教会は上の聖句箇所の祈りをささげました。この祈りが終わったとき、地震があり、教会は再び、一同が「聖霊に満たされ、大胆に神の言を語り出した」のです。(4:31)。ペンテコステの聖霊の満たしと宣教のみわざは、迫害のあと、再び同じような「聖霊の満たしと神のことばの宣教」を経て宣教が始まったのでした。こうしたことを今日ではリバイバルというようになっています。わたくしたちも、主が共におられることを信じて、今日も、明日もこの復活の主イエスと共に歩み続けましょう。
今週のメッセージ (2006.5.14)
「母の日に寄せて」 使徒の働き1章12〜14節
毎年5月第2日曜日は、母の日と決められています。自分の過去を考えると母の存在に感謝することが少なかったことを反省しています。そのような意味を込めて今回は、母の日にちなんでのお話を致します。
1.母の日の由来
母の日(毎年5月第2日曜日)のはじまりは、今から90年ほど前(1908年)のことでした。アメリカ合衆国の東部マサチューセッツ州のウェブスターという町に、クララ・ジャービスという婦人が住んでおりました。26年間もその町の教会の教会学校の教師をつとめた信仰の篤い婦人でした。ある日曜日のこと、ジャービス夫人は、教会に集っているこどもたちに対して、「あなたの父と母を敬いなさい。」というモーセの十戒の第五戒を説明しました。そして幼児たちに母の愛について順々に教えました。その後で「皆さんのうちにだれか母の偉大な愛に感謝する方法を考え出してくださる人はいませんか。」と話してお話を結びました。このことばは教会学校の生徒として、母の話を聞いておりました娘のアンナの心に深くとどまりました。やがて何年かの歳月がながれ、ジャービス夫人は地上の奉仕を終えて天国へと凱旋していきました。立派に成人した娘のアンナは、母の追悼会がもたれたとき、母を記念して一箱のカーネーションをもっていき会場を飾って、亡き母への感謝を表わしました。これは列席した一同に深い感動を与え母に感謝する会を毎年定期的に開くことを申し合せました。これを知ったデパートの創設者であり、熱心なクリスチャンであったジュン・ワナメーカー氏が五月の第二日曜日に母を記念する集会をもったのです。やがて、これが新聞に大きく報道され、各地で開催されるようになり、日本でも大正十二年(1923年)からキリスト教会で母を感謝する集会がもたれるようになったのです。それが広まって今日のように行事として知られてきました。
2.イエスの母の力
 さて、新約聖書の中で母親として労苦をし、祈りつつ生涯を送った人物は、イエスの母マリヤではなかったかと思います。まず、まだ若いときにヨセフと婚約していたマリヤでしたが、ある日、み告げを受けてイエスを宿す身となりました。それからイエスの誕生前のエリサベツ訪問とベツレヘム旅行、降誕、その後のエジプト逃避旅行と、大変な生涯を過ごさざるをえませんでした。やがてイエスが成長して行かれる中で使命観の問題で、幾つかの意見の違いを見ることが出来ます。(ルカ2:41〜52、ヨハネ2:1〜5、マルコ3:31〜35)
 十字架の死においては、その足下に伏してイエスの死を目撃し(ヨハネ19:25)、その遺体を下げて葬ったのでした。復活の朝には、香料を携えて墓に出かけ、そこで、天使から復活のみわざを聞きました。新しい教会の形成期には弟子たちの中にあって祈りをしつつ(使徒1:14)教会誕生に寄与し、その後の生涯はヨハネの保護のもと(ヨハネ19:25〜27)、伝説ではエペソで晩年を迎え、終生ヨハネに世話をいただきながら、また、イエスの生涯を語る語り部としても新約聖書の形成に参画したと思われます。(ルカ1:1)
 母マリヤは、エルサレムの帰路に、はぐれてのち再開して、「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」(ルカ2:43)と、しっかり息子を指導しています。後にその生涯をささげていたイエスをみると心を刺されるほどの苦難があると預言されましたが(ルカ2:35)、その苦労は他人では分からないことでしょう。
3.両親を敬うこと
 旧約聖書のモーセの十戒にあるように、「あなたの父と母を敬え。」が、基本です。(出エジプト19:12)
 ここには、母親だけでなく、父親に対しても、同じように敬意を払って、これに仕えるべきことが記されています。新約聖書でも、パウロは同じ原則で、これを新約時代の愛の戒めに代えて勧告をしています。(エペソ6:1〜3)
 「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。
「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。」(出20:12、申5:16)
4.母モニカの愛
 古代教会の教父アウガスチヌスの母モニカは、息子がキリスト教の信徒となるために、涙を流して祈った女性であったということが知られています。
 北アフリカのタガステの町で生まれたアウガスチヌス(354〜430)は、学問を修得するために、カルタゴへ留学いたしましたが、放蕩三昧に過ごしておりました。クリスチャンの母モニカは、この子のために心配して祈っておりましたが、ある日心配して尋ねていくと、息子はすでにローマへ行ったあとでした。そこでは、マニ教の信者になり、その生活ぶりは、女性と同棲し子供までもうけていたのでした。ローマは堕落した町でしたから、母モニカの心はいっそう悲しみが増していきました。息子のため、なおも海を渡り、尋ねてミラノまでやってきました。そこで、主教アンブロシウスに会い、涙ながらに息子の救いのために訴えました。アンブロシウスは「涙の子は決して滅びることはない」と慰めました。
やがて、アウグスチヌスは、旅先で回心し、生まれ故郷のヒッポの主教となりました。母の涙の祈りは喜びに変わったのでした。女は弱い、しかし母の愛は強いのです。お母さんありがとうございます。
毎週のメッセージを、ここに載せることにしました。
1週間に1回ですが、無いよりましだと思います。

過去のは、あまり古くても、何なので、4月以降にします。

LOGOS
-------------------------------------------------------
今週のメッセージ (2006.4.2)
「イエスかバラバか」  マルコの福音書15章1〜16節
-------------------------------------------------------
 キリスト教会でクリスマスと同じく伝統として行われている記念の祭りは受難週とイースターです。今年もそれが近づいてきました。受難あるいは受難週とはなんでしょうか。今日世界中にその福音が伝えられているシーズンに、このイエス・キリストの苦しみのもたらす意味を考えていきたいものです。

1.ピラトの前のイエス
 使徒信条の文章に、「おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ」とありますが、イエスの生涯をみますとき、先にガリラヤからでたユダやチゥダのような国家革命分子のように扱われている面もあり、また宗教的なユダヤの指導者によって新しい宗教としてみられ、迫害の対象になった面もあります。特にユダヤ教のパリサイ派は、イエスを捕らえて殺そうと機会を狙っていました。
イエスが公生涯に入られた年から数えて3年半ほどした過ぎ越しの祭りの間に、祭司長をリーダーとした一団が、ゲッセマネの園で祈っておられたイエスを裏切り者ユダの先導で捕らえ、大祭司の官邸に連れて行きました。この時の大祭司アンナスは、既に大祭司としての任期を終えカヤパが大祭司でしたが、大祭司は複数制であったようで、聖書では大きな区別をしておりません。一晩中尋問の手をゆるめなかった指導者たちは、やがて夜が明けると、イエスをローマの地方総督のもとに送り、そこで政治的な裁判を行った結果、死刑を宣告するように働きかけたのでした。それは当時のユダヤ議会には死刑をする権限は委譲されていなかったからであるといわれています。
 マルコ15:1「夜が明けるとすぐに、祭司長たちをはじめ、長老、律法学者たちと、全議会とは協議をこらしたすえ、イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した。」
こうして、イエスはローマ総督の前に立たれたのでした。そして、総督ピラトの尋問が始まりました。マルコ伝によりますと、
15:2 ピラトはイエスに尋ねた。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」イエスは答えて言われた。「そのとおりです。」
15:3 そこで、祭司長たちはイエスをきびしく訴えた。
15:4 ピラトはもう一度イエスに尋ねて言った。「何も答えないのですか。見なさい。彼らはあんなにまであなたを訴えているのです。」
15:5 それでも、イエスは何もお答えにならなかった。それにはピラトも驚いた。
預言者イザヤはメシヤの扱われ方についていみじくも語っています。
イザヤ53:7「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」
不思議なほどに、ピラトの尋問にはお応えになりませんでした。沈黙によって自らの真実を内面に保持されたのでした。

2.恩赦の機会を失ったイエス
 主イエスは、ピラトのもとへと連れてこられたのですが、ピラトは特別詮議だてをすることはないと、出来れば無罪放免を願っていた節があります。それはピラトの妻が夢見が悪く、手をひくようにと言ったことも影響していたようです。
そこで、例年の慣習でこの祭りの間に、囚人をひとり恩赦で釈放することになっているのを利用して、イエスを放免しようとしました。ピラトはバルコニーに出て、集まった群衆に向かって、イエスをゆるすが良いか、それと対抗してもうひとりの大強盗のバラバをゆるすか、と問いかけたのでした。ピラトはバラバの悪党ぶりは群衆のひんしゅくを買っていると思っていたのでしょう。それで、当然バラバではなくイエスが釈放されると思いそう読んでいたかもしれません。しかし、結果はピラトの考えとは違っていました。ユダヤ人の指導者たちが、群衆にたきつけて、イエスを十字架に付けるようにシュピレヒコールを繰り返せと根回しをしたようでした。そこで、ピラトがどちらにするかと聞くと、群衆は一斉に「イエスを十字架につけろ」と繰り返し始めたのでした。ピラトはその声に負けて、バラバ釈放し、やむなくイエスを十字架に付けることに致しました。ここで、ローマ総督の権威は地に落ちて、世と悪魔の仕掛けた神の御子の死刑、それも十字架という極刑が決まったのでした。恩赦でゆるすことが出来たのを見過ごしたピラトの罪は大きいと言われるのはそのためです。

3.イエス・キリストを十字架に
 ついに、ユダヤ人の指導者の思惑通り、イエスはピラトの官邸にあった、敷石(ガバタ)の場所で、むち打ちを受け、さらにヴィア・ドロローサを通って十字架の立てられるゴルゴタの丘へと歩み始められました。一歩一歩、重い十字架が傷ついたイエスさまの肩に食い込んでいきました。足が遅くなれば、容赦なくローマ兵の鞭が飛んできます。主は苦しい十字架への道を歩まれて、たびたび、重さに倒れてしまわれたようです。
 マルコ15:21「そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。」このことがあって、イエスの両肩は少しの時、休まったことでしょう。しかし、ゴルゴタ丘では、さらに苦しい十字架に付ける刑がまっていました。その苦しみはいかほどであったことでしょう。それは受難の極致です。黙祷。
----------------------------------------------------------------
今週のメッセージ (2006.4.9)
「イエスの十字架刑」  マルコの福音書15章22〜39節
----------------------------------------------------------------
 西暦30年ごろ、エルサレム郊外の丘の上に3本の十字架が立てられました。左右に当時の強盗どもが、真中にイエス・キリストが処刑されることになったのです。特にイエス・キリストには何の罪状も認められませんでした。それは、無罪であるのにこうむった刑罰でありました。十字架刑はイエスに死をもたらしました。イエスは人と同じ姿・形を持つ真の人間でした。主イエスは33歳ほどでしたので、人間としては人生の壮健な盛りの年齢でした。ユダヤ人の宗教指導者や政治家たちの陰謀により神を冒涜したという冤罪で死刑にされることになったのでした。人は必ず死ぬ存在ではありますが、イエスのそれは単なる死ではなく、十字架による死刑でした。当時「十字架刑」はローマでは奴隷、敵対相手等の極刑となっていたといいますから、イエスの受けられた刑は語ることのできないほど厳しい刑罰であったといえましょう。イエスは人であると同時に神の子として神のことばを語り、多くの奇跡を行い、また神の国の原理、原則を教えられました。特に12弟子を選ばれ、彼らをみそばにおいて次世代の訓練をしながら、神の救いの道を広めていかれた「救い主」でした。しかし、最期には死、しかも「十字架の死」を通して人々の救いを成し遂げられたのです。

1.苦難を受けること
 イエスの十字架刑というとき、さらにそれは自然の死ではなく、死に至る苦難をも含んでおります。「十字架刑は東方に起源し、ポエニ戦役(前264〜146)以後ローマ人の間では奴隷の処刑に用いられた。十字架の形はいろいろあったが、とにかくそれに手足を固く結びつけ、さらしものにする。必ずしも釘付けにしたわけではなかった。疲労しきってついには死ぬが、やりで突き殺さないかぎり、2日以上も苦痛と侮辱にたえねばならないこともある。イエスは6時間で息が絶えたので、ピラトは不審に思ったくらいである(15:44)。」(口語『新約聖書注解』P164)その苦難は生きながら受ける他人の罪のための苦しみです。苦難は宗教によって言葉・表現は変わってもその本質は変わらない人間の本源的な現状です。いまの世界には「苦難」ばかりが目立つ、いわゆる「生き地獄」ともいえる様相といってもいいと思います。戦争、病気、略奪、暴行、虐待、圧制、迫害などなど、数えることのできない悪が存在し、人々を苦しめております。これを神は見逃したり、放置しておられるのでしょうか。苦難の原因はすべて神にあると考えてはなりません。神は「こらしめ」はなさいますが、不正はなさいません。「苦難」の原因は、実はほとんど人間の罪性が悪魔にそそのかされて行われる不正な行為・行動から出ていることです。それをなくすには、人間の罪性をなくさなくては解決いたしません。そこで、神はまず人の犯した罪を赦し、さらに人の心の奥底にある悪魔性とも言うべき罪性を解決なさろうとされました。それが、神の救い、つまりイエス・キリストによる人の救いの道なのです。「イエス・キリストの十字架刑とその死」は、その神の救いを実現する神の方法でした。

2.こらしめと代償
 人の犯す罪は、神の前に罪と認められて、必ず罰せられます。神の審判は公正で正しいのです。ですから私たちは言い逃れることはできません。神の愛の律法によって必ず裁かれるからです。しかし人はその裁きに会うとき、イエス・キリストの身代わりの代償による赦免にあずかることができます。そこに神による救いが隠されているのです。これまで公然と宣教されてきましたから、隠されているのではなく、人が知らないだけのことですが。こうして、イエスの受難は、人々の救いを確立するために通られた代償にとる死の道でありました。

3.私たちの十字架
 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう(マルコ8:34〜37)。この聖句のように私たちには日々背負わねばならない十字架があります。キリストにあって生きていくために苦難やこらしめを忍耐して受け入れ、主を仰ぎつつ進もうではありませんか。主は目前に置かれた喜びの故に十字架を忍ばれたのですから、私たちもそうさせていただきましょう。主に委ね、主を信じましょう。主が成し遂げてくださいます。(これは、一部、2002.3.24「十字架を偲ぶ」の説教を再述しています。)
----------------------------------------------------------------
今週のメッセージ (2006.4.16)
「イエスの復活」  マタイの福音書27章57〜28章10節
----------------------------------------------------------------
 四福音書の最後の章は復活の記事で終わっています。実はキリスト教は十字架で終わりになるのではなく、復活が宗教の始まりでありました。受難週の十字架の苦難は、イエスの復活によって輝かしい逆転の勝利と変わるからです。復活の朝を迎え、神の救いのすばらしい勝利に感謝いたします。     
1.イエスの埋葬
 エルサレム郊外のゴルゴタ丘の近くに、ナザレのイエスが葬られた墓があります。考古学的には特定出来ませんが、現在2箇所が問題になっております。さて、ユダヤ教では土曜日が安息日で、前日の金曜日は準備の日でした。夕方から始まる聖なる日に死体を葬らず放置することは、汚れに関わることになりますし、律法では死体を翌日までに降ろす必要がありました。「もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない。」(申命記21:21,22)。それを恐れてイエスの死体は、金曜の夕方、つまり安息日の始まる前に埋葬をいたしました。これは主にアリマタヤのヨセフの主導によるものでした。ヨセフはユダヤ人議会の議員の特権を使いピラト総督の許可をえて、葬りの段取りを整えました。(マタイ27章57〜61節) イエスの身体を取り下ろすところは、絵画や彫刻になっております。特にバチカンのペテロ大聖堂にあるミケランジェロのピエタ像は有名です。そこには十字架から取り降ろしたイエスを抱き悲しむ母マリアの姿が彫られています。ともかく、イエスの十字架のそば近くにいた女性たちは、急いで十字架からイエスの身体を降ろし、近くの墓に埋葬したのでした。それは岩を掘って作られた新しい墓であったと記されております。(60節)
2.復活
 福音書記者たちは一様に、週の初めの日(日曜日)の朝にイエスが復活されたことを記しております。特にマタイはこの朝の墓の前での事柄のなかで、地震のあったことや天使の様子を、ユニークに記しております。 「すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。」(28:2)埋葬した際の香料に不足があったのでしょうか、朝早くから女性たちは香料をもって墓に急いで出かけました。そこで、地震があり天使が現れたことを目撃します。
 その後の天使とのやりとりは、マタイとマルコはよく似ております。ただ、天使として出てくるのはマタイとヨハネです。天使について理解のあるのはユダヤ人たちで、異邦人向けに書かれたと思われるマルコ、ルカの福音書にはそのためか「白い衣を着た若者」などの表現になっております。
 女性たちが恐れていますと、そこで驚くべきことを聞きます。「すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。」(28:5〜6)。主イエスは復活されたという天使のメッセージでした。墓の中は空になっており、主はよみがえられたのです。
3.復活の告知
 「ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」(28:7)
 ここで女性たちは、弟子たち(使徒たち)に主の復活を知らせるようにといわれました。そこで、女性たちはそれを伝えるために、使徒たちのところへ向かいました。その途中で復活の主が現れ、話しかけられたのです。
 しかも、主はガリラヤで弟子にお会いになるというのです。それは、主イエスの郷里であり、福音宣教と弟子たちが召された原点といえる場所でした。十字架で主を仰ぐとき、自らを失うほどに悲しみを発見することがあります。十字架、それは主の死とともに自己の死を意味します。そこには主の愛が見いだされますが、それだけではなく復活の主を仰ぎましょう。それが私たちの希望となります。
4.主の顕現と礼拝
 「すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう。」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。」(28:9)復活後の主イエスが、複数の女性に声をかけられて「おはよう」といわれたのも、マタイの記事のみです。「おはよう」でいいのですが、その意味は「喜びなさい」という意味であるとウェスレアン注解は述べています。復活と喜びはいつも一緒にあるのです。復活の主を拝すること、これが毎週日曜日ごとの礼拝の喜びです。わたしたちは生きておられる主を礼拝するのです。死んだ神を拝んでいるのではありません。復活の主を拝むのは毎週であり、また毎日です。復活の主とともに歩みましょう。(これは一部分、過去の説教を再述しています。)
-----------------------------------------------------------------
今週のメッセージ (2006.4.30)
「エルサレムにて待て」 使徒の働き1章1〜5節
-----------------------------------------------------------------
 復活のあと、ルカは福音書から使徒の働きへと書き進めています。今朝は使徒の働き1章の復活以後の弟子たちの教会形成の産みの苦しみをみましょう。

1. イエスの命令・父の約束を待て 1:3〜5
「イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。(以下略)」
使徒の働きのはじめ(1章1〜11節)は、苦難を受けられたイエスが、復活のあと、使徒たちに顕現された記録になっています。それはまた、約束の聖霊を待つようにとの指示を残して昇天されるまでの期間でした。
 復活のあと、イエスは弟子たちに、ご自分の生きておられることを、たびたび示されました。それをキリストの顕現と呼んでいます。ルカ福音書では、エマオ途上のイエスと旅をしていた2弟子たちへの顕現がありました。それに加えて、他の福音書ではガリラヤの湖のほとりで、弟子たちに顕われてくださいました。
 弟子たちのできることはただ一つ、約束の聖霊を待つことでした。そこで弟子たち同志は和気あいあいと過ごしたかといえば、必ずしもそうではなかったと思われます。それでも、主を天にお送りしたあと、聖書によるとエルサレムに戻って、互いに祈祷の時をもっておりました。

2. 聖霊を待つ祈り 1:12〜14
「この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。」昇天のあと、当時の弟子たちは、エルサレムのある場所(おそらく二階座敷の部屋)において、120人ほどの人々は、上の聖句のように、ひたすら祈りに専念していたのでした。
 主なきあとを聖霊を待ちながら、自分たちは、今後どうしたらよいものか、みな似たような思いで約束の聖霊なる神を求めて祈ったことに違いありません。
 中には、「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」(6節)と問う者もいましたし、また、これは想像の域を脱しませんが、互いにいがみ合ったり、足を引っ張ったり、恨み合っている者もいたかも知れません。しかし、祈りの中で、互いにその間違いに気がつき始め、悔い改めの思いが与えられ、心が溶け合っていったことも考えられることです。
 そして、祈りの目標が、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(1:8)、に集中したとき、お互いの心は一つに溶け合い、悔い改めの告白と赦し合いとが行われ、教会のスタートへの備えが出来上がっていったことでしょう。
 その後に続く使徒時代的な奇跡は、祈りから始まって、聖霊を受け、それに満たされて行った結果であると言えます。

3.ユダの欠けを補う祈り 1:22〜25
 ここに、原始教会での教会誕生前の産みの苦しみのもう一つの面が記されています。使徒職は、「すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」と規定されています。これにふさわしい人を選ぶのに、二人の候補者があげられました。ヨセフとマッテヤです。
 そして、一同が祈ったのは、「神が、お示しください」でした。その具体的な方法として、くじが使われました。二者択一の場合には、これが最善と考えたのでしょう。旧約時代にもくじをしばしば使っている記事があります。(ヨシュア7:14〜18、1サムエル10:20、21)などに前例があります。あるいは、それに習ったのかもしれません。
 ここで大切なのは、くじという方法ではなく、神に二人からどちらかを選んでくださるように祈り信じた、信仰であるといえます。
 ただしこの後のことを考えると、このくじの結果は、必ずしも神のみこころに沿ったものではあったと言えるかどうかかわかりませんでした。その理由は、この後、マッテヤは使徒の働きの視野からは消えており、使命が全うされたかどうか確かめることができないからです。
 注解書によると、後日復活の後に現れてくださったキリストによって選ばれたパウロが欠けた12人目の使徒職を満たす人物であったと考えています。チャールス・カーターは、ウェスレアン注解で「彼ら(弟子たち)は、証人はヨハネのバプテスマのときから彼らと共にいるものではなければならないといった。彼らは証人はキリストの昇天以前にイエスに会ったものでなければならないと思った。実際は、証し人としての最も力ある動機は復活後のキリストに会うことであり、タルソのサウロがダマスコ途上で捕らえられたとき如きである。それゆえ彼らの選択原理は誤っていた。くじをひく方法はもはや必要なかった。このようにしてマッテヤが誤って使徒に指命されたのである。彼は良い人物であったが使徒職にふさわしい人物ではなかったので視界から消えていったのである。」と説明しています。他の注解を当たってみるのも興味のあることでしょう。
 このように、弟子たちは、祈祷の時をもち、使徒としての権威をまだ十分発揮できない中、ペテロの忠実な生活も、苦難も続きますが、そのただ中へ権威をもって主は聖霊を注ぐという出来事を通して顕現されたのでした。苦難の生涯を経験するのも、問題点を持つ弟子たちをまとめていくのも、この後ペテロは聖霊によって導かれて行ったことでした。さらに弟子たち一同は、こころを合わせて、特に敵対するユダヤ人の間にあって、主を仰いでおりました。この後、ペンテコステの日に聖霊が降るまで待ち望んでいたのです。
----------------------------------------------------------------
 今週のメッセージ (2006.5.21)
「主が望まれること」 1テサロニケの手紙5章16〜18節
----------------------------------------------------------------
主が喜んでくださること、望んでおられることは何でしょうか?皆さんは、それをどうお考えでしょうか?それについての答えが今朝のお話です。

1. いつも喜んでいなさい(16節)
イエス・キリストを信じた人には「救いの喜び」(1ペテロ1:8、9)があります。皆さんはその喜びをお忘れになってはいけません。次に「神の栄光を喜ぶ」(ローマ5:2)という恵みがあります。「主を喜ぶことは、あなたがたの力なのです」(ネヘミヤ8:10欄外)。とは旧約の聖徒のことばです。さらに「患難さえも喜ぶ」(ローマ5:3)という恵みがあります。これは、少々大人のクリスチャンになったしるしです。最後に「いつも喜ぶ」ということです。これは「キリスト者の完全」(成人したキリスト者)の証拠であり、あらわれです

2. 絶えず祈りなさい(17節)
 イエス・キリストの生涯は祈りの生涯でした。福音書のあちこちに祈られるイエスの姿をみかけます。ガリラヤの湖に近いところで早朝の祈りをしておられます。「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」(マルコ1:15)。私たちも早朝の祈りを致しましょう。
祈りは呼吸のように絶えず祈るものです。これは、パウロが、「絶えず祈りなさい」と言っていることです。朝は格別に深呼吸をし、日常では、折に触れ「短い祈りをするのです。それは瞬間的な祈りでもいいのです。必要なときにパッと祈る。それの継続でいいのです。ジョン・ウェスレーの母スザンナは祈る場所がなく、エプロンを頭にかぶって密室のかわりにしたと聞いていますが、それが本当なら誠に実践的な密室の理解であるといえます。そして個人的な密かな祈りが、神を捉える祈りの基本の姿であります。
祈りの世界は奥が深く、神の世界の気高さの中に、自らを置いて、そこから「祈り」を少しずつ体得していくという敬虔なものであると思います。ことば以前のことば、感覚以前の神の前の沈黙の中から祈りが生じてくるからでしょう。弟子は見よう見真似で体得するしかありません。クリスチャンは、どんな学校の卒業生であっても、祈りには卒業がありませんので、今日も祈りを学び、互いに祈り合って主と教会に仕えてまいりましょう。

3.すべての事について、感謝しなさい。(19節)
 三浦綾子氏の言葉に「十の努力に対して、返ってきたのは、百のマイナスだったといってもいいでしょう。考えてみると、人生の勘定は、みんなこんなものではないでしょうか。」これは『小さな郵便馬車』という作品にあることばです。
見返りのない働きや奉仕、無償の愛の奉仕、こんなことが、人間社会で成立するでしょうか。NPOと言っても、経費は認められています。ただで受けたのだから、ただで与えなさいといわれる福音宣教の働きでさえ、多くの経費を必要としていて、多額の献金がささげられなくては成り立たないのが現実です。また、それは別段不当でもなく正当な代価と考えられています。
そして、労しても、労しても、見返りどころか持ち出しでなくては働きが続かないという人や団体もあるでしょう。人生とは、いや人の勘定とは、儲かるものではなく、ほとんど与えて終わる、そのような人生ではないかというのがこの文章ですが、その人生は、実に高尚な人生といえます。与え続けた人、ジョン・ウェスレー、マザー・テレサ、その他もろもろ、天で豊かな神のご褒美と報いを受け取っていると思います。
「人生には確かに耐え難い苦難がある。しかしそれだけに尚のこと。感謝の種を数えて生きぬく者でありたいと思う。」これは『私の赤い手帖』からです。
太平洋戦争のころ、満州に宣教師に出かけたI牧師の妻節子さんは、満州で
開拓団の中で宣教をしていました。戦争が激しくなり、夫の牧師は現地召集といって満州軍に出征してしまいました。あとに残された2人の子どもと乳飲み子を抱えて節子さんは生き抜いて行かなくてはなりませんでした。
やがて敗戦となり、満州から本土へ引き上げることになりました。ところが
治安は全く悪く、盗賊、匪賊、軍の乱暴者が横行するなか、また敵性国家視されているため、中国人を信用するっことも出来ず、追われながら、隠れるようにして祖国へ向かって歩き続けました。
ある時には、ソ連の飛行機の機銃掃射に襲われ、トウモロコシ畑に身を潜めて、
命拾いをし、何とか生き延びて帰国を急いだのでした。ところが、乳飲み子は、乳が出ず、さりとて食べるものもなく、とうとう抱きかかえながら、餓死してしまいました。その時の悲しみは語ることもできない程でした。
葬りたくても、入れる棺桶の木箱も見つからないのです。仕方なく、布にくるんで近くの河原に埋葬したそうです。その時、失った子供を考えて悲しむばかりではいけない、そうだ、残っている2人のこどもを何とか生かして連れて帰ろうと考えたそうです。すると、不思議に讃美がわき上がってきました。今で言えば旧聖歌604(総合版642)「のぞみも消えゆくまでに」の讃美でした。
   のぞみも消えゆくまでに 世の嵐に悩むとき
   数えてみよ主の恵み ながこころは安きをえん
   数えよ主の恵み 数えてみよ主の恵み
無くした恵みを残念がって悲しむのではなく、残された恵みを数えて前を向いて歩くこと、「これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(19b節)
-----------------------------------------------------------------
 今週のメッセージ (2006.5.28)
「父からの聖霊」 ヨハネの福音書14章25〜27節
-----------------------------------------------------------------
 イエス・キリストが、まだ十字架に掛けられる前、最後の晩餐のあとに、まだ「あなたがたといっしょいる間に」語られたことは、「父からの聖霊の約束」でした。これは、すばらしい約束です。

1.助け主
 まず、聖霊ということばですが(ギリシャ語ではパラクレートス)、それは辞書によると、「そばに呼ぶ、そばに招く」から転じて、「弁護者、助け主、力づけ、慰め、」と訳されています。また同じことばの動詞から転じた語も、「願い、懇願、勧告、力づけ、慰め」などと使われています。聖霊は信徒を力づけ、慰めてくださる三一の第三位の神です。
 神は御子と御霊との三位一体です。この神は創造の初めから、世の終わりに至るまで変わることがありません。「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。」(ヤコブ1:17)、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方。」と天使が讃美する中、「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」(ヘブル13:8)とあり、また、このイエス・キリストは、十字架の死と復活を通った後に顕れて「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」(マタイ28:18)と宣言されたのです。パウロもまたいいます。「キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」(ピリピ2:8〜11)
このイエスの御霊が、信徒一人一人の上に降るのです。そして、私たちひとりひとりのそばにいて助けてくださる生ける神なのです。

2.遣わされる聖霊
 さて、主はその「助け主」を、父なる神が「私の名によってお遣わしになる」と語られました。それは、使徒1:4で著者が「父の約束を待ちなさい」と書いているのと符合いたします。そして「間もなく聖霊のバプテスマを受けるのです」とも言われました。
 神は、主イエスが十字架で贖いを完成されたあと、天に帰り、その後、イエスにあってこの約束の聖霊を信じ待ち望む者にお与えになるといわれたのです。
 これは、ペンテコステの日に聖霊が降ってこられて、成就いたしました。それによって教会は拡大して行きました。
 しかし、3世紀ころからこのことが論争となりました。「父から出る聖霊」であるのか、それとも「父と御子とから出る聖霊」であるのか、という点です。一見何でもないようなことですが、6世紀に至るまで、東西の教会に別れて論議の的になっていました。西方教会は「父と御子とから出る(フィリオクエ)と書いて、589年第3トレド会議で明白にしたあと、それを受け入れてきました。

3.すべてのことを教え、思い出す
聖霊のお働きについて、ここで主は、「あなたがたにすべてのことを教え」てくださる方と述べられました。その次にも、「また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」とも合わせて私たちにしてくださるのです。
ヨハネ7:38〜39は、この聖霊がまだ注がれていない時のことにふれています。
「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。」
 聖霊の臨在のない信仰生活や営みは、空しい努力の連続となります。イエス・キリストを主として受け入れておられるならば、このイエスを主と信じる信仰にあって、神のことがらは、聖書と聖霊の働きによって、実生活に意味のある者となります。
 神の世界は、無限の世界です。このお方は、新しく生まれた神の子たちを、聖霊なる神によって一歩一歩導いてくださるのです。それは歩む道を「教え」、神の真理のことばを思い起こさせてくださるのです。
 ヨハネが「イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。」といったとき、贖罪の完成のない十字架以前、ペンテコステ以前の弟子たちには、神のことを真に理解することが出来ていなかったのです。これは神のことを理解するに必要な聖霊をまだ十分受けていなかったからです。
 パウロによれば、「そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。」(1コリント2:4)、また、
「ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。」(1コリント2:12〜13)。このような聖霊に共におられる経験が、クリスチャンの自然体となっているはずです。聖霊、または御霊の生活は、クリスチャンの標準的な生活ではないかと思います。
 この標準にまで、届かないなら、しっかり「聖霊を受けて、また満たされて」クリスチャン生活に励みましょう。聖霊とともに歩む生活は、平安の伴なう生活です。キリストの平安は、キリストご自身が十字架の苦難のただ中で、終始一貫して保っておられた、心の平安です。
----------------------------------------------------------------
 今週のメッセージ (2006.6.4)
「聖霊の降臨」 使徒の働き2章1〜4節
----------------------------------------------------------------
キリストの復活後50日目が五旬節(ペンテコステ)の日です。その間に、40日目が昇天記念の日となります。オリブ山で主を天に見送ってからあと、約10日間、弟子たちは祈りの時をもちながら過ごしたようです。

1.弟子たちの祈り会
「彼らは町にはいると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。」(1:13、14)
聖霊の降臨の前の10日間、ここに書かれている弟子たちと女性たちは、エルサレムの二階座敷の部屋に入って、祈りに祈って過ごしたものと考えられます。
この場所については、意見がわかれると注解者は言いますが、おおよそ、最後の晩餐が行われ、またこの直後に聖霊が降臨された場所と同じところであろうというのが、大概の意見です。つまり、「裕福で広くて便利なキリストの弟子のマリヤ、つまりヨハネ・マルコの母の家の客となっていたと考えることは、心温まるものがある」とチャールズ・カーターはウェスレアン注解の使徒の働きに中で述べています。
 ここに10日間、泊まってみなが過ごしていたことは、一つのキリストにある信仰と愛の共同体の発生の苗床となっていたのであり、神の働きに召されていた弟子たち一同の、エルサレム母教会のスタートにふさわしいことでありました。

2.ペンテコステを待つ祈り
「みな心を合わせ、祈りに専念していた。」(14節)。ここにおける祈り会は、これから始まろうとするキリスト教の進展する世紀の出発点であり、この時代に神の福音のメッセージを伝達して、社会と帝国を根底から揺るがす働きが始まろうとする、重要な祈祷会でありました。
 ユダを除く11弟子たち、ガリラヤから身辺の世話をかねて従ってきた女性たち、さらに、イエスの家族といえる、母マリヤ、兄弟たち、名前はありませんがヤコブ、ユダたちがともにいたのでした。本来ならば、意見の相違、今後の方針の相違、利害の不一致などが発生して、円滑な共同体としてではなく、寄り集まりにすぎないものとなったかも
しれませんでした。それが、祈りに祈りを重ね、主の残された霊の遺産を知っていた人々たちは、この重大な神の事業のことを考えて祈ると、ますます、ここでは「一つとなって」祈りに専念するよりほかに考えることもなかったということになるかもしれません。
 ここではカーターは、「執拗な祈り」と項目のなかで、要約すると、「1)一つ場所で信仰をもって父の約束を待つという計画性の一致の祈り、2)身近な者の同じ場所での場所の一致をもたらし、3)祈りに方向と焦点を与えた目的の一致、4)祈りにかき立てて行った執拗さの一致、5)目的について彼らの願いを完成し、信仰による上からの力を着せる父の約束の成就を保証することになった祈りの一致があった。」との5点を挙げています。

3.ペンテコステの出来事
 さて、そうこうしているうちに10日経って、五旬節の日となりました。この日は、ユダヤ人のお祭りで旧約時代の神から律法を頂いた記念日でもありました。ちょうど麦の収穫の頃、その初穂の麦を砕いてパンを焼き神にささげる日でした。「すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。」
 祈りを続けていた、弟子たちに何が起こったのでしょうか。まず、環境というか周りの状況に大きな変化がありました。激しい風、響き、炎の舌などが伴いました。そかも、炎のような舌は、そこにいた各自一人一人の上に留まったのです。
 神の御霊が、一人一人の上に注がれたのでした。それは、嵐のような風、音響が響き、燃える火のような異象があったのです。
 ペンテコステのその日、神は祈り待ち望んでいた弟子たち一同のしかも一人一人に来てくださり、聖霊が注がれ、皆が聖霊に満たされたのでした。
4.ペンテコステの意味
 その日、まだ朝でしたが一同は御霊の語らせてくださるままに、外国語によって人々に宣教を始めたのでした。この五旬節のために、エルサレムには各地から上京していた「敬虔なユダヤ人」たちが、多く集まっていました。さらに、9節以降に続く、各地の人々がやって来ておりました。その人々へ向かって、主のみ業を語りはじめました。
そのとき、1)解き明かし、2)明確化、3)認罪という結果が現れたのです。
 神のみわざの解き明かしが、弟子たちによって、ユダヤ人をはじめとして語られました。集まったユダヤ人の出身地は、15の異民族の土地名が記されています。それは、ユダヤ人が、アッスリヤ、バビロン等の帝国の支配によって捕囚の身となったときから、ペルシャによって帰国の許可命令が出たあとになっても、自国パレスチナに帰れなくなった人たちでした。かれらは離散民として、諸国の中に住み着いていたからです。その人々によりわかりやすくするため奇跡的にその国のことばを使い、神のみわざが語られたのでした。その中には、現地の人々で、ユダヤ教に改宗した人々も含まれていました。こうして、宣教は世界的であり、それぞれが、十字架と復活のキリストによって、罪の赦しを得られるという、喜ばしいニュースが、大胆に、また、一団となって、多くの人に語られたのでした。その結果、一日で3000人のキリストへの回心者が与えられたのでした。ハレルヤ。
今週のメッセージ(2006.12.10)  待降節第2週
「マリヤのとまどい」 ルカの福音書1章24〜38節<新改訳聖書使用>

 ルカの福音書1章には降誕物語が続いています。ザカリヤの妻エリサベツが高齢者であったにもかかわらず、み告げのとおりヨハネをみごもります。天使のみ告げを受けたザカリヤは、語ることが許されないままヨハネの誕生を待つことになりました。エリザベツはその身に起こったことを自覚して5か月間引きこもっていましたが「主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました」といいました。

1. マリヤへのみ告げ(26〜28節)
 一方、イスラエル北方ガリラヤ州のナザレに住むダビデの家系のひとりの乙女マリヤのところへ神に派遣された天使ガブリエルがやって来ました。マリヤは結婚前の処女で、以前から同じダビデの家系のヨセフという人のいいなずけとなっていました。御使いは、マリヤへ次のように言いました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
 これはマリヤへのメッセージの第1声で、祝福のことばでした。

2. マリヤのとまどい(29〜30節)
 天使のことばを聞いたマリヤは、とても困惑いたしました。それをルカは「しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。」と書いています。
1) あいさつの意味が不明な点
マリヤのとまどいの第一は、「いったい何のあいさつか」わからなかったことでした。天使はいきなり祝福をし「おめでとう」といいましたが、当事者のマリヤにとってみれば、予告もなく心の準備もないところへ、突然御使いが現れたことは、全く予期しないことで、それだけでもとまどうのは当然のことでした。
2) 考え込み
その次は、考え込んだことです。「何のあいさつでしょう」とあれやこれやと思いめぐらし、心当たりを考えてみましたが、さっぱり見当もつかなかったのでした。そして驚き、とまどっていました。
3)恐れ
すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。」これは、続いてマリヤに安心をさせるため、「こわがることはない」といいました。天使は人に現れるとき、必ずといってよいほど、この「恐れ」を消し安心を与えるメッセージを語ります。内心恐れていたマリヤは、神からの訪れに気付き、こころが落ち着いていったようです。
続いて天使はマリヤの身に起こることを語って行きます。「ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」(31〜33節)
4)想像を越えた出来事(34節)
そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
 結婚前のマリヤの気持ちを察しますと、身ごもること、男の子を産むこと、イエスと名づけること、その後のイエスのことなどは聞けば聞くほど、とまどうことばかりではなかったかと思います。そして、こういう場合人間として同じ罪人であるのですから直ぐに「不信」へと気持ちが傾きやすいのです。もしそうなれば、バプテスマ・ヨハネの場合のザカリヤのように、「信じなかった」といわれてしまいます。しかし、マリヤは戸惑いこそすれ、どうなることかとばかり、天使の語ることを、そのまましっかり聞いておりました。「信仰は聞くことによる」のです。
 続いて御使いは「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。」といって、マリヤのとまどいの中心である、「知らないこと」への不安と不信を取り除いていきました。そして最後に力強いメッセージとして、親類のエリサベツの例を示し「神にとって不可能なことは一つもありません。」(37節)とのことばをのこしました。

3.マリヤの受託(38節)
「マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った(38節)。「みことばがこの身になる」とはまさに実践的な信仰の理解です。マリヤの神への信仰は、天使ガブリエルが伝えた神のことばへの信仰という態度に表明されました。神の全能によって、マリヤは不可能なことを奇跡によって男子を誕生させ、この地上に送られてきてくださるとの信を得ました。マリヤの信仰は純粋で、御子をお宿しする、その働きが彼女の胎内で始まることを受入れ「告知を受胎」したのであった。
さて、私たちはこのマリヤに見る単純明快な信仰、神を神として受け入れる心で、神のことばをみことばとして受け入れているでえしょうか。このクリスマス・シーズンはとても信仰を吟味し宗教的な心で過ごすよい機会です。また、もしまだイエス・キリストを受け入れていない方がおられましたら、今、主イエスを信じましょう。
今週のメッセージ(2006.12.17)  待降節第3週
「マリヤの賛歌」 ルカの福音書1章39〜56節
----------------------------------------------------------------
クリスマスを迎えるごとにマリヤの信仰と賛歌が語り伝えられてきました。今年も聖書の語るマリヤの賛歌を学びましょう。

序.エリサベツ訪問
マリヤはエルサレムの西にあるエインカレムという村にいたエリサベツを訪問いたしました。バプテスマ・ヨハネはこの地で誕生しました。ここはエリサベツが夫ザカリヤとともに住んでいた祭司の村里でした。マリヤはエリサベツを尋ねた時、エリサベツの胎内にいたヨハネは喜び躍ったと記されています。マリヤは受胎告知を受け入れたことが間違いなかったと、励まされたことでしょう。訪問したところに建つ記念教会の庭の壁にはマリヤの讃歌が世界の各国語で書かれて掲示されています。その内容は旧約聖書のハンナの祈りや詩篇と共通する節も含まれており、マリヤが旧約聖書をかなりよく知っていたことが分かります。

1.礼拝の心
 マリヤの賛歌の特色として、まず、礼拝の心です。46節、「マリヤは言った。『わがたましいは主をあがめ』」と。この讃歌は「マグニフィカート」という名称で親しまれてきました。よく知られた讃歌です。マグニフィカートというのは、歌詞の最初の行がラテン語訳で『主を崇めます』」(1:46)から来ています。この「あがめる」という動詞には拡大する、大きくするという意味(英語のmagnify)があります。主を大いなる方として崇め、礼拝するということです。 マリヤはここで「わがたましいは」といって主を讃美し、主を崇めています。これはマリヤの身に起こった一連の出来事を通して、神を讃美し、称え、神に栄光を帰することを告白する讃歌となっています。「喜んでいる人がいますか、その人は讃美しなさい。(ヤコブ5:13)」とありますが、嬉しいときに讃美をすることは何でもありません。しかし一連の出来事が悲しいこと、つらいことであったら、わたしたちはこのように讃美をすることができるでしょうか。マリヤはここでは、身重になって嬉しい反面、実は婚約中とはいえ結婚前の妊娠であったので、婚約者ヨセフと世間の手前、単純には喜べない気持ちや恐れがあったはずです。しかし、その状況のなかで、あえて、神を讃美しているのをみるとマリヤがいかにすばらしい霊性の持ち主であったかがわかります。それはマリヤの献身から出たことでしょう。

2.聖書的な心
さらに次の行で、マリヤは「わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。(47節)」と歌いました。「わが霊」を意識してさらに賛美を続けています。ここは、ヘブル詩の特色である並行法(パラレリズム)の詩の構成が見られます。「わがたましい」と「わが霊」が対句になり、「主をあがめます」と「救い主なる神を喜びたたえます。」とが同義的並行法となった見事なヘブル詩です。書かれた文字はギリシャ語でしたが、歌われた讃歌はユダヤ人の伝統に沿った旧約の最後の讃歌の特色を持っています。あのサムエルの母ハンナの感謝の歌を彷彿とさせます。(1サムエル2:1)しかも、一層優れた見地から歌い上げています。歌詞の形式も旧約の伝統を引き継いでいます。
よくみるとこの賛歌は、4つの部分からできています。しかもその各部分が4つの句でできています。
それは、?46-48節、?49-50節、?51-53節、?49-50節
「主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。(48節)」
 49節から55節までは、神がいかに大きな顧みをイスラエルに、また神を待ち望んでいた人々に、アブラハムへの預言と約束の通りに成就されたかを述べて歌っています。また神は、契約に真実・忠実なお方であること、決して忘れてはおられないことを賛美しました。

3.霊的な心
マリヤの秀れたところは、神のお働きに対して敏感に対応する霊性を持っていたことです。マリヤは信仰によってイエスをお宿ししたのですが、清廉で純粋な心でした。といえども無原罪というのは言い過ぎでしょう。罪は心にあるわけで、肉体はもともと聖なるものです。ここでは単純にマリヤのすばらしい献身的な受容の心を学ぶことにします。ヨセフがそれによって離別することも考えたことはマタイの方で分かります。また周囲の冷たく厳しい目にさらされることにも耐える決意をしたことでしょう。いずれにせよマリヤは霊的な感覚を働かせて受胎告知を受けいれ、イエスの母になる決心をしたのでした。それが讃歌の中によく出ています。
 クリスマスは賛美のときです。それは純粋に「偉大な創造の神の前に謙って礼拝し」(46-47)、「自らの内にしてくださった神のみわざを高く評価して感謝し」(48)、「不思議なことをしてくださる摂理の神の大きなことをなさる力に驚嘆し」(49)、やがて起ころうとする年を見えて、高ぶる者を追い払い、弱い者低い者を高くされ、「力と憐れみとの神の恵みを讃え」(50-53)、歴史の中に足跡を見せてくださる「契約に真実な神を信頼して安息する」ことを告白しています。今年のクリスマスも心ゆくまで感謝と賛美で迎えましょう。
マリヤの心にあわせて、主を賛美しようではありませんか。
今週のメッセージ(2006.12.24)  クリスマス礼拝
「イエスの誕生」 ルカの福音書2章1〜7節
-------------------------------------------------
 クリスマスは世界の救い主が、この世にお生まれになった日です。マリヤの胎内に宿られたイエスは、やがてベツレヘムの馬小屋の片隅で誕生されました。今年も聖書の語る最初のクリスマスを見てまいりましょう。

1. その時と場所(1-2節)
「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった」(1,2節)。
そのころは、ローマが地中海周辺の世界を支配しておりました。そしてユリウス・カエサルやアントニウスとの覇権争いが、オクタビアヌスによって勝ち取られたとき、彼はローマ元老院からアウグストという尊号を受け皇帝と宣言されました。その時以来、周辺の国々はローマの支配の元に置かれ、いわゆるパックス・ロマーナ(ローマの平和)が始まったのです。その皇帝アウグストは、紀元前27年から紀元14年までローマ帝国の皇帝でした。その治世の間に皇帝から人口調査の勅令が出たとあります。クレニオがシリヤの総督の時の記録とありますが、紀元6年のことでした(使徒5:37参照)。ですから、紀元前には人口調査の記録はありませんが、恐らく紀元前と後の2回の調査があったからであろうと考えられます。紀元前4年にユダヤのヘロデ王が死んでいますので、イエス・キリストはその少し前にお生まれになったのでした。イエスの母マリヤはガリラヤの村里であるナザレの女性でしたがダビデの子孫であり、同じダビデの子孫であるヨセフと婚約をしていましたので、二人ともこの人口調査の勅令に従うため、ナザレから、先祖の地であるユダのベツレヘムへと旅をしてきたのでした。

2. ダビデの家系と血筋(4 -5節)
「それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった」(3-4節)。
ガリラヤのナザレからベツレヘムへは、直線距離で約100キロはあります。路程では120キロはあるでしょう。ろばに乗っていても徒歩と同じですので3〜4日はかかります。おそらく身重になったマリヤをろばに乗せて、ヨセフは手綱を押さえながら、ベツレヘムへやってきたのでした。
 ダビデの家系であり血筋であるというのは、聖書の系図に出ていますが、ダビデの町は、ユダのベツレヘムでしたので、二人はその地へ行き、そこで人口調査を済ませることが必要でした。旧約聖書のミカ書5:2には「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」とメシヤの誕生は、ベツレヘムであると語られてきました。これは、律法学者もそれを知っていて、マタイ2章で東の博士がやってきて王に誕生の場所を尋ねましたとき、学者に調べさせますと、このミカの預言を示してベツレヘムと答えたことでもわかります。
ここに、不思議な神のご摂理があります。ナザレのマリヤは普通なら、当然ナザレで出産をすることでしょう。しかし、驚くべきことに、ローマ皇帝を動かし、勅令を出させて、マリヤが臨月にベツレヘムに移動するように導いておられるのです。これは人間の考えから出たことでなく、神の預言の成就であったことが分かります。

3.救い主の誕生(6-7節)
「ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」(6,7節)。
 ヨセフとマリヤがベツレヘムに滞在していた期間がどの位であったかは不明です。しかし、「そこにいる間に」ということばには、含蓄があります。普通は臨月を前に旅行をすることはいたしません。移動は2か月は前でしょうか。ベツレヘムには1ヶ月以上は泊まっていたでしょう。人口調査によってベツレヘムの町は、いつもの人口の倍くらいに膨れあがっていたかもしれません。昔も今も同じですが、お役所仕事は、早急にてきぱきとはかどるようには思えません。順番を待っていても時間はどんどん過ぎてとうとう臨月になってしまった他という感じです。町にやってきた旅人たちも、昔ながらの遠い親戚と会って懐かしがる時をもったことでしょう。ヨセフとマリヤには身を寄せる親戚はなかったようです。そこで
宿屋を求めて泊まろうとしましたが、皮肉にも「宿屋には彼らのいる場所がなかったから」と書いてあるからです。費用が払えないから、宿屋に泊まれなかったのではありません。宿屋に空き部屋がなく、「いる場所」がなかったからでした。
 そこで、しかたなく、どこかの家畜小屋または家畜の入る洞穴のようなところに宿泊したのでした。ろばも羊もやぎも顔を揃えていたことでしょう。
神の御子イエスは、救い主として、高貴な宮殿にお生まれになったのではありません。貧しいものの友となるために、卑しい羊飼いの立場と同じ、家畜小屋の中でお生まれになりました。そこには、天使の知らせを聞いて羊飼いたちが礼拝にやってきました。こうしてイエスの誕生は、わずかの人々でお祝いされたのでした。今日、クリスマスは世俗化しています。真の神の救い主を心から歓迎しお祝いする人々はどちらにおられますでしょうか。主を知る人々とご一緒にクリスマスおめでとうございますと申し上げましょう。
●2007年1月8日のmixi日記から

「ベザレルのような人」

出エジプト記に出てくるベザレルという人(出31章)は、聖霊に満たされたエンジニアです。『工芸家であり、デザイナーであり、建築家である』というベザレルはモーセやアロン、ヨシュアやカレブのようなリーダーではありませんでしたが、荒野で幕屋を造営するには欠かせない人物でした。
 荒野でこのような器が多く用いられ、神のために霊的な仕事のに見えなくても実務的に用いられたということに目をとめておきたいです。今朝のキンロー博士『すべての人に働き場がある』はまさに、いい点をついていました。

かつて、IGM創設者のDTTが「聖霊に満たされたひとは実務的な人だ」といわれたのに励まされて今日まで来ましたが、牧師、役員、信徒のすべては聖霊に満たされて、ベザレルのような幕屋建設(教会成長)の働き人であることが願わしいことです。わが国に必要なのは、聖霊に満たされた信徒、与えられた賜物を使って職場で働く働き人です。

モーセは一人の選ばれた人物ですが、多くのベザレルは選ばれていても一人ではなくすべて自分の持つ賜物を使って同じように聖霊に満たされて用いられる人になります。

 賜物を神から受けて松過ぎぬ

いやぁ、明日から激しいスケジュールが待っていますね。
今朝のみことば。 (2008.9.4) 日記から転記

新改訳ヨハネ 16:15
「父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。」(デニス・キンロー『エマオの道で』の今日の箇所)

イエス・キリストは十字架にお懸りになる前夜、ヨハネの福音書の告別説教の中で、上の箇所を語られたのですが、これは御霊が与えられる約束の言葉といえます。

「父の持っておられるものはみなわたしのもの」とは父とイエス・キリストとの一体性を示し、贖罪のあと昇天されて、元の座に着座されたとき父と御子をとおして実現することを弟子に示されたことばです。

その時、御霊は御子のものを受けて「あなたがたに知らせる」と言われたのは、その後弟子たちに御霊が注がれたぺンテコステのときに成就したのです。

こうして弟子たちには、御霊が注がれ与えられたわけですが、それは父・御子・御霊の三位一体の神の霊が与えられたことになります。だからといって、弟子が神になるわけではありません。
御霊を入れまつる宮として私たちのからだ(と心)が用いられるということです。

1コリント3:16「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」
?コリント6:19「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
同 6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」

パウロもこのすばらしい約束の御霊によって用いられ、引き回された器の一人です。ですからすべての栄光は神のものなのです。
それは今日のすべてのクリスチャンに用意された恵みです。
あなたはそれを受けて大切に崇めておられますか?
いや、私はどうだろうか?

 秋風や御霊の風のごとく吹き
これはさかのぼって昨日のことば(2008.9.3)日記より転記です。やはりみことばの思い巡らしのけっかは「みことばに生きる」コミュがふさわしいので。

-------------------------------------------------------
 毎日の生活は、お先が真っ暗であることが多いですね。
これは、先のことがわからないという意味でして、希望がないとか、予定や計画がないとかのつもりではありません。

一寸先のことは不明、という意味で考えてください。それほど、人は、将来、いや明日、いやもっと極端にいえば、一寸先のことがわからないという意味です。

40代でオルガニストの先生になったばかりの女性がおられました。
彼女の奏でるパイプオルガンや電子オルガンの音に聞きほれていたものです。
その女性がさらに音楽を修めて、教師としてスタートし一年足らずの夏のことでした。
都内から近県へ主張教授にでかけた日、元気よく出発されたのですが、
授業中に気分が悪くなり、倒れてしまったのです。
すぐ救急車で運ばれました。しかし二度とその意識は戻りませんでした。一週間ほどで亡くなったのです。くも膜下出血がその原因でした。
あの夏からもうかれこれ8〜9年でしょうか。ダイアナ妃より数年後でした。

漁師は板船に乗って漁をする時、板子一枚、一寸下は地獄、などといったらしいのですが、私たちもあまり変わりありません。一寸先は闇の世界にいるのです。

そこで、神の守りが大切です。詩篇121篇
【新改訳改訂第3版】 都上りの歌
私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた【主】から来る。
主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
【主】は、あなたを守る方。【主】は、あなたの右の手をおおう陰。
昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
【主】は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
【主】は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。

神の守りは完璧です。今日も守られて、主なる神の臨在の中を歩みましょう。

 露の世のはかなさ守りたもう神
今日のみことば。

「また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」(マタイ26:26)

イエス・キリストによる聖餐の制定は、キリストの犠牲の死を弟子たちが分有することを意味しています。
パンを裂き、「取って食べなさい」といわれたとき、イエスは自分自身を罪のためにいけにえとして十字架で死ぬことを覚悟しておられました。
その贖いのみわざを見越して、弟子たちに自分自身のからだを分け与えられたのです。
これは、キリストの贖罪の働きとして教会に与えられる特別な恵みです。そしてそれは教会員一人ひとりにかかわる契約のしるしです。杯もおなじく、キリストの血潮の贖いにかかわることの意味を持っています。
 聖餐を聖礼典として実行するとき、主イエスの臨在と贖罪の契約の更新が明白に行われるのです。
ここに旧約の過越しが成就し、新しい契約に基づく聖餐式が制定されたのです。
聖餐に招かれるときの本質的な意義は、「あなたのみ心のままに、私を裂いてください。あなたがイエスを用いられたように私をお用いください」と心得ることです。
>>[1]

明日のことばかりに頭が一杯になっていたら、せっかく今、生きていることの喜び、幸せを存分に味わえず、捨て流すことになってしまいますね。
>>[2]

神の言葉を聴こうとして、別の声を神のものと勘違いする人たちもいますね。気をつけなければならないと思います。
>>[64]

真偽を確かめるというのは、どういう手続きを取ることによって可能なのでしょうか。
>>[3]
>「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。」
詩編23:4 新共同訳聖書


死さえ漂う状況にあっても、心の強さを失わないのは、主への絶対信頼があるからこそなのですね。
>>[66]

このようなキリスト教関連のコミュニティなどには純情さゆえに、キリストとか神とかの言葉が出てくるとひと押しふた押しですぐコロッと相手を信じてしまう心性を持った人たちが少なくありません。いや、そのように思われています。
しかし、私たちはいつの世にもたびたび登場するニセ預言者にコロッと騙されるようじゃいけませんね。
たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。

ログインすると、残り36件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

みことばに生きる 更新情報

みことばに生きるのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング