桜が咲いたというのに春の嵐がやってきた。花びらが散ってしまうかとやきもきしたが満開ですらない世界は、あからじめ壊されることがなかった。桜はまだ咲いている。春はいつでも精神のバランスが崩れる。アレルギーの初歩としての花粉症発作を抱え込んだ所為かかもしれない。くしゃみと鼻水と涙で、ぼんやりした思考を巡らせる。五年ほど前だろうか、東京には同じように豪雨が降り注いだ。今も通っている図書館へ向かう神田川沿いに、産業の悪臭をたたえた水が流れ込み、その上に桜の花弁が大蛇の鱗のようにひだを作って流れていった。桜は咲けば散るまでだ。その刹那を感知したい。桜が咲いている間に坂口安吾の「桜の森の満開の下」を読まねばという脅迫とも付き合っていこう。春先にはいつも聴くCDがある。サニーディサービスの「東京」とブラーの「ザ・グレートエスケープ」だ。前者と春は季節ともども合っているが、後者は個人的な記憶と結びつく。95年発表のこの作品を聞いたのは2004年のことだ。作品に溢れるどこまでもお気楽な気分がギリギリ通用していた時代だと思う。あるお気楽なバイトの中で聴き始めた一作という個人的体験もある。一番気に入ったのはキャッチーなイントロからはじまる「アルトラノル」という楽曲だった。対訳を読むと、それは向精神薬の名前で、一錠でハッピーになれるぜヘイヘイヘイってな内容で、鶴見済『人格改造マニュアル』にも通底する、個人的救済が一義にあるような時代を体現するような一曲になっている。そんなんねえよ、といいつつ、それもいいかもね、が首肯された時代だ。去る3月19日、ネイキッドロフトで宮沢章夫と大根仁とダイノジの大谷ノブ彦が集い、90年代サブカルチャーを語るというイベントがあった。いま「健全に何か」を語れる三人が無難に集められたな、という印象があったがイベントには行った。そこで95年前後に青山正明が提示した鬼畜カルチャーと、阪神の大地震について語る場面があり、この直後に「不謹慎」と括られる解釈がサブカルチャーの周辺で表出したという話になった。鶴見済の言葉を用いれば「デカい一発」とされるそれである。古雑誌を探ると「ガロ」が世紀末を題された特集をしており、メルツバウが神戸の磁場と地震を引きつけて書いている。世の中の表に出てくるものでそういうものが許されていた空気があった、という記録と記憶は貴重だ。ブラーの話に戻り、クスリでハッピーな「アルトラノル」の前には「YUKO
AND HIRO」なる楽曲がある。ジョンとヨーコのパロディなのかもしれないが、曲中「我々は会社で働いている。いつも彼らが守ってくれる」という日本語の女性コーラスが入る。なんという皮肉だろう。まぎれもなく「社畜」である境遇を嘆きながら、日本の「底力」を信じて疑わない姿勢に驚愕する。95年の日本はそくれらいに「安泰」で「そこそこ」で「先進国」であった。少なくとも大英帝国で活躍するブリティッシュロックバンドからそういう解釈を受けていた、ということになる。以降のブラーは、デーモン・アルバーンの「マリ」への傾倒や、現状の最新作アルバムのタイトルが「THINK TANK」と名付けるなど、グローバリゼーション批判を主とした社会化が進んでいるのだけれど、あくまでも先進国の立場に立った紳士であるという点において、有用性を欠く。それは「会社」を絶対的なものとして扱った95年ブラーが見た「日本」などどこにも存在していないというサバイブな現状を浮き彫りにする。それでも「ザ・グレートエスケープ」を偏愛したい。デーモンの髪の毛の量に準じた「ふさふさ」な「余裕」のある社会への憧憬を忘れず、音楽における救済は最後の残余(希望)として担保しておきたいからだ。一方で音楽は状況を反映するものであるというテーゼも浮かび立つ。カーネーションの新作はミニアルバムという形で発表された。「UTOPIA」とローマ字表記された変則的なタイトルから想起されるように、新作の構想があの震災によって切断された末に出現したアウトプットである。7曲のうち、2曲は既発曲のライブバージョンである。オリジナルは5曲のみだ。表題曲の一曲目に続く「ELECTRIC COMPANY」のサビで繰り返される「きみのオヤジさんに会いに行かなくちゃ」は、上田ケンジプロデュースの名曲「MOTERCYCLE&PSYCOLOGY」のフレーズ「彼女のオヤジに会わす顔がない」と呼応する。カーネーションは永遠の恋する青年である。ミュージシャンとして表現するものとしての特権を享受する、ボヘミアンである。郊外、レコード、長髪、若き恋人…彼らはそういう曲を作り歌い続けることを許されていた。されど地震がそれを引き裂いた。圧倒的な現実の前に表現は何をなしうるか。ロッキング・オン・ジャパン的なあるいは村上春樹的なクリシェであろうか「そこからの希望」が彼らの新作には溢れている。
「ヘルタースケルター」を見てきた。前評判が散々で駄作と切り捨てることもできるかもしれないが、愛おしさが残る。いわく脚本がなっていない、カットの唐突な繋ぎが物語を破綻させている、あなたは映画監督ではない、と酷評する書き込みもあった。原作は一度読んだきりなので細かい内容は覚えていないが、ラストは漫画に沿っている。消えたはずのりりこが現れ、不敵に微笑む。エンディングテーマはAA=である。これは、マッドカプセルマーケッツのTAKESHIのソロプロジェクトだ。ドラゴンアッシュと並び90年代の初頭に売れないパンクバンドとして気を吐いていた、彼らはデジタルミクスチャーロックという武装を施して世紀末へ突入する。99年に北海道の地で奇跡のラインナップが実現した第一回目のライジングサンロックフェスティバル=エゾロックのシークレットゲストが彼らだった。解散後、KYONOはWAGDUG FUTURISTIC UNITY、TAKESHIがAA=と各々ソロプロジェクトを開始する。AA=のファーストアルバムでは、涙を流す動物をジャケットにあしらいアニマルライツ(動物の権利)を歌い上げた。彼のピュアネスの結晶である。MAD時代のアルバムのシークレットトラックに収録された「THE LIFE IN FAIRY STORY」の切なさとも通底する。MADは怒り猛っていた『俺とお前は最初から頭の作りがまるで違うんだ!』(マスメディア)しかし、優しさと不器用さがまとわりついていた。それは90年代的心象の原風景である。援助交際におよぶ女子高生をめぐって彼女たちの心は「傷ついている」(大塚英志)「傷ついていない」(宮台真司・暫定)と論争が繰り広げられたのも、優しさが不用意の前提としてあったゆえだろう。映画「ヘルタースケルター」には蜷川実花の愛が込められている。それが不器用であるがゆえに人に伝わらない。美意識とナルシズムが先行して空気を読まない映像が続く。それが、90年代の原風景でありグロテスクな廃墟ではないか。とても懐かしい。ぶっ飛んだ設定の漫画を、監督は自己世界の中で完結させようとする。映画中、りりこファンの女子高生たちが登場し、渋谷の街を闊歩するが、彼女たちのスタイルはルーズソックスにミニスカートに茶髪にと、90年代の女子高生である。今の女子高生がどのような格好をして、どんな流行があるのかはわからないが、作中の女子高生たちにきゃりーぱみゅぱみゅは導入されていない。渋谷の街並みに一瞬浜崎あゆみが挿入される。また別の場面では戸川純 「蛹化の女」が流れる。椎名林檎さえ飛び越えてしまった。もちろんガルドアも西野カナもやくしまるえつこの姿は微塵もない。そこには90年代の荒野が拡がる。何かをしているようで何もない、ひるがえって何かをしたいが何から始めればわからない世界がある。終わりなき日常があることへの唾棄、雑誌「H」の読者投稿欄のようだ。りりこは後輩のモデルに雑誌の表紙を奪われたことに激しく嫉妬する。誰も読んでいない重いだけ没落するメディアが画面の中ではいきいきと輝いている。りりこは雑誌を端緒としてマネージャーの恋人に頼んで硫酸をかける謀略を張り巡らせる。郵便を使ってスキャンダルが発覚する。2ちゃんねるによる中傷も、SNSによる相互監視も、バカ発見器=twitterの姿もない。漫画の設定を忠実に守っている。原作を愚弄している、という言葉もあったが早計だ。むしろ、ここまで愚直な脚本はない。沢尻エリカは圧倒的に美しい。見惚れているうちに時間が進む。駄作と聞いて、140分は辛いと思ったけれども、やり過ごせたのは彼女の美しさゆえである。りりこは田舎から出てきて東京で一旗上げるという立身出世の人物だ。芸能事務所の女社長を「ママ」と呼び、彼女を演じるのはコントのような格好をした桃井かおりである。バブルがある、東京がある、夢がある。そういえば夜景の描写にはスカイツリーと六本木ヒルズは現れなかった。しかし渋谷の風景で強調されるのはQ-FRONTである。109はわずかに描かれるのみである。(また90年代に女子高生をテーマとした映画「ラブ&ポップ」では、援交の象徴として扱われることに109が難色を示し映画では写せなかったとも聞く)さらに映画では光り輝く東京タワー(東京は夜の7時!)も現れる。映画の設定は現在ではなく、終わらない90年代が続いている1999X年である。「AKIRA」「スワロウテイル」「BALLET BALEET」といくつも描かれてきた架空の東京、過剰な東京に「ヘルタースケルター」も加えられる。90年代のグロステスクな廃墟はとても居心地が良い。そこには、情報を食べ欲望を餌に生き延びる人間がいる。映画中の中でりりこはセックスをしてこんこんと眠るが、食事の描写はわずかにビスケットを口にするのみだ。ママは彼女に吐いてきなさいという。嘔吐の快楽の前提に不快感がありその前に快楽がある。いびつな愛情に包まれた世界はループを続ける。
『映画:フィッシュマンズ』を完成披露試写会で眺めてきた。映画製作のクラウドファウンディングに参加するのは初の試みだが大満足の内容だった。以前、フィッシュマンズのライブDVDを完全受注生産で申し込んだが、直前になって「少しでもいいものを作りたいから猶予をいただきます」とメールが来て、届いた商品はTシャツは白色で、ファンクラブ会報も誤字脱字だらけだった。白色のシャツは、は好みの問題なのだろうが汚れが付くので私は好まない。さきほどメルカリを調べたら大量に出品されていた。言っている内容と結果が釣り合っておらず、要は締切に間に合わなかっただけなのに「少しでもいいものを」みたいなきれいごとの言い訳をするなと思った記憶がある。この体験があるので、今回の映画に不安要素がないわけでもなかった。単なるファンムービーならば必要ないと思っていた。川村ケンスケによる『HE LONG SEASON REVUE』は、当事者と仕事としていたこともあって、フィッシュマンズ全集補遺といった内容だった。この映画、私が実質的な無職生活を終える最後の週末に見に行った。下高井戸のミニシアターに、開場を前に次々と人が来て、そのあとは新宿へ移動して突発オフで飲んだ。『映画:フィッシュマンズ』は、まず音が良い。VHSのデジタル化で、ここまで音をクリアにできるものかと驚く。ツイッターの書き込みなどを見ると、初号試写でも音の弱さが指摘され、最後にZAKが入ったようだ。映画にマジックがかけられたのだと思う。『映画:フィッシュマンズ』は彼らが出会った明治学院大学のサークル部室から風景が始まる。HAKASEを除いて、全員が大学で知り合ったメンツだ。このゆるさがフィッシュマンズの根底にはある。ただ、佐藤伸治は音楽には妥協しない。鹿野淳が「あの人は自分が笑われるのは良いが、音楽が笑われるのは許さなかった」と回想していたが、まさにその通りだ。佐藤の中にやりたい音楽が明確にあり、ほかのメンバーも、当然そこに同調してくれるものだと思っている。ただ、佐藤の要求はとてつもなく高く、なおかつ、それを明確に言葉で伝ええようとしない。ゆえにメンバー脱退を招く。最初に脱退したギタリストの小嶋謙介は、『ロングシーズン』に自分の居場所はないと考えていたという。さらに、もうひとりのフィッシュマンズというべきエンジニアのZAKでさえ、途中でスタッフを降りている。彼が戻ってくるのは佐藤の死後からだ。今回の映画では佐藤の母親が多く出ているのも良い。父親は数年前に亡くなっており、佐藤の家族とフィッシュマンズを繋ぐ役割は父が担っていたとも聞く。家にはいまだに佐藤の写真が飾られている。母親が言うには佐藤は、本が好きだったので「国立図書館」への就職を考えていたという。これは国会図書館だろうか。佐藤の本棚に村上龍の『海の向こうで戦争が始まる』があり、これを亡くなった加藤典洋が高く評価していたのだけれども、この作品は『限りなく透明に近いブルー』と『コインロッカーベイビーズ』の間に位置するものであり、割合手に入りやすいものであったように思う。私もタイトルに惹かれて高校時代に古本屋で100円で買った記憶がある。この手の表現者の些末な好みを針小棒大に語る振る舞いはどうにも苦手だ。宇多田ヒカルが中上健次と家永三郎が好きなる話があって。どちらもブログでちょろっと言及しただけで、前者は本棚(藤圭子が中上どころか、小説を読むとは思えないから父親の蔵書だろう)に『異族』があり、後者は彼女が通っていたインターナショナルスクールで1コマだけ日本語の授業があって、そこで家永の本が使われていただけの話だ。それでも佐藤は、本が好きで、言葉へのこだわりも強く持っていた。デビューアルバムに「レゲエの魂がない」と書かれたことを川崎大助にずっと愚痴っていたという。音楽ライターの書き飛ばしや妄想の投影のような文章にも佐藤は触れており、それが彼を苛立たせていたのだ。鼓舞されるようなことはなかったのだろう。こうした、関西弁いうところの「いらんこと」はのちにネットにも溢れるようになる。1998年に亡くなった漫画家のねこぢるは、あまりにも仕事が忙しかったため、パソコンは買ったはいいが、箱を開けないままだったという。ネットはもちろん、お絵かきソフトも使っていない。彼女がネットを通じて「ファンと交流」をしていれば、悲惨なコミュニケーション地獄に陥っていたのは容易に想像が付く。佐藤はパソコンは使っていたが、ネットはやっていたのだろうか。このあたりも気にかかる。『映画:フィッシュマンズ』は紛れもない傑作だとは思うが、上映時間も長過ぎるし、多分コケるだろう。佐藤は生前「売れたいが下北沢の路上に座れなくなるのはイヤだ」と言っていたそうだが、それくらいの塩梅で聴き継がれる方が良い。
コーネリアス、小山田圭吾が炎上している。東京オリンピックとパラリンピックの開会式と閉会式の楽曲を担当し、過去のいじめインタビューが蒸し返されている。これまでにも『ロッキング・オン・ジャパン』(ロッキング・オン)と『クイック・ジャパン』(太田出版)の記事がインターネットで書き起こしがなされ、定期的に炎上してきた。雑誌の発言が元になっているため「切り取り」ではない。この話は、少しサブカルチャー系のトピックに詳しい人であれば周知の事実であったのに、まるで初めて明らかになったかのように炎上している。国立近代美術館に一定期間展示されていたチンポムの「気合い100連発」が時間差で炎上したのと同じ流れだろうか。90年代にアリだったものが、20年強を経てナシになっている。さらに事後的な謝罪や釈明も要求される。現在地が奪われかねないキャンセルカルチャーも生じている。手元にあった『クイック・ジャパン』の記事を読み返す。当初は小山田がいじめていた知的障害の人物を、卒業者名簿から探し当て対談を申し込むと断られ、単独インタビューになっている。名簿まで漁るなんて非道いと思うが、マスコミはそれくらいのことは平気でする。この記事のキーとなっているのは小山田が通っていた和光学園で、中学校でも障害児を普通のクラスに混ぜる。これが何か良い効果をもたらしたのかと言えば疑問符が付くようで、ツイッター上では当事者の証言として、障害児はいじめやネグレクトの対象になっていた、教師の力が弱く、何も出来ていなかったと。これが自由の隘路でもあるのだろう。岡崎京子の「リバーズ・エッジ」が映画化された時、ロケ地が和光学園で「うおお」と思ったものだが、ネットでは思ったより話題になっていなかった。こうした学校のブランド力というか個性みたいなものは、もはやどうでもいい時代になっているのかもしれない。このコミュニティのタイトルは「90年代サブカルチャーの総括」と言い、吉永嘉明の『自殺されちゃった僕』(飛鳥新社)に端を発している。ここいらで、あの時代を考えて見ようと思い立ったのが2006年なのだが、そこから15年が経ち、はるかに公共性が要求されるレベルで「総括」が始まっている。己に猛省を求めるネットリンチ的様態は、自分で自分を殴らせた連合赤軍フィーリング全開だ。過剰に道徳的な姿は学級委員会のようでもある。ツイッターランドの正義には付いていけない。総括の範囲は個別の事象から、あの時代全体へと拡散されている。『BURST』(コアマガジン)や『GON!』(ミリオン出版)も、鬼畜系サブカルチャー雑誌としてやり玉に挙げられている。これらの雑誌のバックナンバーも大量にあるが、いまだ読み切れていない。このあたりの総括についてはロマン優光『90年代サブカルの呪い』(コアマガジン)に詳しい。ロマンの言う、人の絶対数が多いので、剰余として、露悪的なもので金を得る場があったといった分析は正しいように思う。今年はフリッパーズ・ギター『ヘッド博士の世界塔』のリリースから30年にあたるようだ。この作品はサンプリングを多様しすぎて、リマスターを行った場合は膨大な権利金がかかるので、出来ないらしいと曰くが付く。そこから小沢健二と小山田圭吾に分裂し、当然情緒や文学性を帯びた(しかしチープな表現だ)小沢の方が好きだったのだが、ある時から小山田の音楽も好きになった。おもちゃ箱をひっくり返したような『FANTASMA』は名作だと思う。さらにオーストラリアのアヴァランチーズの大名作『Since I Left You 』は、明らかに『FANTASMA』以降の音で、コーネリアス的なものが海を越え影響を与えた事実は喜ばしい。もう一つコーネリアスと鬼畜と言えば、古谷実の『行け! 稲中卓球部』にも小山田がモデルのキャラクターがおり、作者と対談もしている。古谷の漫画にも小山田の音楽にもニヒリスティック、退廃的な空気が漂う。それが90年代の空気でもあったし、居心地も良かった。ミュージシャンが覚せい剤で逮捕された時「あいつは天才なんだから許してやれ」的な擁護がある。小山田にその文法は当てはまらないが、一方的な糾弾には加われない。あの記事は読み物としては面白いし、大学の部室に現れた中学浪人を経験した秋田県出身の女性も絶賛していたし、突発OFFで出会った美大大学院生の女性にも雑誌を渡したら「面白すぎます」と感想をもらった。ある時期、院生の彼女には会うたびにブックオフの100円棚でサブカルチャー書籍を買って渡して行ったのだがそのうちの一冊に『完全自殺マニュアル』があり、それが本棚に並ぶのを母親が心配したとも聞いた。すべてとはいわないがほとんどがネタでありノリであったのだけれども、それがマジになってしまうのは超現実の時代に突入してしまった感慨がある。