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被曝から子供達を守れ〜繋ぐ命〜コミュの【インタビュー報告】

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何かこのコミュの参考になれば、と行ける範囲でお話を聞いたりして行きます。
皆さんも、そういった機会があれば投稿してください。

避難区域圏外で既に避難されている方など、特に情報欲しいです。

コメント(17)

【埼玉県加須市 旧騎西高校に避難中の双葉町(まち)の方からのお話(2011.05.09)】

(まえがき)

旧騎西高校に近づくと、まず「がんばろう東北!頑張ろう日本」
っているのは「いわき」ナンバーの車・双葉町のバス・ボランティアと思われる埼玉県内や埼玉近郊のナンバー。校庭はひび割れているほど乾燥している。
私の到着時には、ゴミ収集車が来たり、実験室を解体して、居住区に変える工事も行われていた。

取材は主要メディアであっても、校舎や体育館などは居住区には入れない。外に出ておられる方で了承していただける方に対してならOKとのことだった。

<居住区>

体育館→当初は畳が敷かれ、その上に毛布2枚を敷いても寒かった。
校舎 →各教室に12~17人(お話を聞いた方の部屋の場合)地区ごとに分けられている。
会館?→食堂
お風呂→近所の銭湯へ
テレビ→4/30に各部屋に設置(それまでは体育館に1台のみ)
新聞→地元福島の新聞等が届けられ、欲しい人が各自取りに行く
冷蔵庫→はアンペアが足りず、使用している少ない冷蔵庫は満タンで自分のものを取り出すのに苦労する状態。


<取材に応じてくださった方々>

Aさん:20代 女性:小学1年生のお子さん
Bさん:20代 女性
Cさん:50代位 女性:小学生のお子さん
Dさん:40代位 男性 元 福島第一原子力発電所 勤務 妻・小学6年生・中学1年生のお子さん
Eさん:60代 男性 元 福島第二原子力発電所 勤務 妻・息子36歳(原発から2kmの距離にあった家は津波に流された)
避難所生活の現状も含め、女性の立場からのお話をお聞きしました。

Aさん:20代 女性:小学1年生のお子さん
Bさん:20代 女性
Cさん:50代?女性:小学生のお子さん(途中参加)

座談会方式。以下敬称略。

Q健康状態・噂にあるような「鼻血・吐き気 等々」の症状はあるか。周りにそういった症状の人はいないか。
A:健康。持病の頭痛はするがそれ以外はない。子どもたちの間ではインフルエンザや喉頭炎が流行った。
B:健康、喉頭炎になったり高熱は出した。母親が今も乾燥による喉の痛みを訴えている。ストレスからか、生理が来ていないが、診察を受けたら、まもなく来るだろうとのこと。ストレスか?地震によるフラッシュバックはない。
C:健康
全員:噂で流れているような鼻血や吐き気等は、聞いたこともないし、周りにもいない。

Q現在の不満
AB:不便しかない。飲み物がない。マナーの悪い人がペットボトルの少し飲んでは放置。
以前は500mlだった水分が2リットル入りになり物資に行けば2リットル入りがある。お茶とお水は「ご自由にどうぞ」となってるが、実際クラス単位でしかもらえない。これからの暑い季節が心配。

AB:消灯時間は10時だが、地区ごとにクラス分けされていて、年配が多く、規定時間前に消されてしまう。部屋割は地区別なので、老若男女様々なので、生活のリズムの違いが大変。働き始めた人は帰って来た時にはもう電気を消されている状態。

AB:要介護の方は1階になっているが、歩ける方は上階。リハビリ代わりにもなるから、とのことだが、年配者はお水をもらいに行くだけで息切れしている。

Q足りないものは?
C:水が500mlペットボトルが無くなって、2リットルになってから、紙コップに注いでいる間にぬるくなる。
AC:階ごとに冷蔵庫が電圧の関係で一つの冷蔵庫。これからの熱い季節がA~Hまでの部屋で1つしかないから一杯になってどこに自分のものがあるのかもわからない。部屋に1つずつあったらいいのに…
C:エアコンまではアンペア上無理だと思う。
AC:生活ペースが合い、夏の暑さによって病気にならないよう、年配者が同じ部屋に集まってエアコンを使う部屋を決めれば効率的。
A:夏が不安。冬は暑すぎた。暖かくなった今もカイロを使っている人もいる。それほど、人によって温度の感じ方は違う。

Q体育館の電気は一斉に消す?
A:9:30消灯。子どもがいるから早め。
C:真っ暗にはならず、周りに明りは灯されているので安心。

Q体育館・教室の区別は?
A:1次避難先のさいたまスーパーアリーナから2次避難の際移って来た人は、教室が割り当てられているが、親戚・知人宅などを1次避難先としていた人は体育館。だから教室は地区分けで部屋が割り当てられているが、体育館は様々な地区。
C:離れ離れになっていた娘や嫁ぎ先の義父が来たので、世話もあるし、合流して教室だったが体育館に移った。

Q避難して良かったこと
AB:お金を使わないで済む。出会い。猪苗代のリステルや新潟などに避難してるので、友達がほとんどいなかくなっていたから良かった。多くの人と仲良くなれた。

Q情報収集は?
AB:スマートフォン
C:docomo携帯(地震の時はau同士が強かった。他は繋がらなかった)
B:地元の友達は震災以来ずっと残って(富岡・大熊)仕事をしているが、今もauのみが使える。
BC:とにかく家族の安否が取れなくて不安だった。

Q今後のことは聞いているか?
B:聞かされていたらもっと皆動けるのではないか。国だってわからないのだから。
C:今のところは無理。福島市や郡山に行ったって、外で子どもを遊ばせられない。
Q帰りたい?
AC:帰れない。生活もできない
AC:とにかく子どもの安全を最優先にして選択したい。

Q就職については?
AC:ハローワークが来ている。女性はスーパーなどが多く、子どもと休みが合わなくなるので無理。いつまでいるか、この先どこに行くか、何も解らないから定められない。
A:双葉町の仮設住宅は一番最後だと聞いているし…

Q行政に求めること
A:普通に自分で生活できてプライベートが守れる生活がしたい
C:自分で好きにテレビを観ることも、寝たり起きたりすることもできない。

Q今知りたいことは?
C:いつまでここにいられるのか。ここからどこに移るのか。双葉町に帰れないなら…

Qボランティアに対しての要望
C:よくやってくれている。本当に感謝している。

Q原発に関しての知識はあるか?・情報収集はしているか?
A:なるようにしかならない…何もできない…

Q郡山市・福島市・伊達市などなど避難すべき汚染状況にあっても、避難する人が非難されているが?
A:インターネットで見ていると、地元近くでは屋外で洗濯物を干している人の方が非難されているパターンもある。
B:帰った時に船引辺りでちょうど学校から子どもたちが帰って来ているのに遭遇したが、皆マスクもしていないし、全く普通に過ごしていたので驚いた。

Q母子・妊婦だけでも避難したいが、二重生活になると費用・就職など心配。避難区域の方々からの意見は?
A:自分がそうだったら、避難するかもしれない。郡山市でも土が汚染されているし…母子二人家族なので、夫やその他の家族がいたらわからない(母子家庭)。
C:放射能からの安全なところなら…

Q児童集団疎開は?
C:考えられない。子どもが不安だと思う
A:親も心配。傍で健康状態や何をしているか、知っておきたい。
AC:子どもたち皆がバラバラになったり、知らないところにいったら親子共に不安。

Q危機管理アドバイザー山下氏の発言をどう思うか?
A:すごいと思う。原発も停まっている事態なのに、普通にマスクもせずに外出をして、福島県内やその近県も。
自分は東京に行く時でさえマスクを着用していたが、2カ月も経つと風化してしまっているのか、マスクしている人がほとんどいなかった。テレビも浜岡原発に関心が移っている。

Q避難に踏み切れない方は金銭面・仕事・周りからの避難・戻れた時にまた周りとの関係が築けると思うか?
C:原発にあまり関心のない人が非難するのだと思う。大丈夫だと言っても被曝する人がいるのだから、危ない所だったら、マスクしたり、洗濯ものは外には干さないし、子どもたちも外で遊ばせない方が良い。
A:子どもにマスクさせるのが大変。今後は暑くなるので、なおさら息苦しいからマスクさせること自体難しい。

Q子どもたちは避難先の学校には楽しそうに行っているか?
A:最初は泣いたりした。
C:GW明けくらいから慣れ始めた。
A:友達がいても不安なのだから、もしバラバラになったら登校しないかもしれない。クラスが違うだけでも子どもたちは不安。今は仲良くなったけど、最初は大変だった。
C:未だに毎朝行きたくないと泣いている子もいる。親が付き添って登校させている家族もいる。

Qまだ地震が続いているが、地震が来た時子ども達は不安がる?
C:テーブルの下に隠れたり、身を守ろうとしている。
A:小さい子は「地震だぁ〜揺れてる〜」と唄いながらゆらゆら揺れてバランスを取るように踊っている。

Q知人がまとまっての移動がいい?
AC:親より、子ども達同士を離れ離れにさせたくない。子ども達同士が一緒に移動できる方法を選ぶ。
子どもが安心しないと、仕事にも行けない、子どもも学校に行かなくなる。
Eさん:60代 男性 元 福島第二原子力発電所 勤務 妻・息子36歳(原発から2kmの距離にあった家は津波に流された)

皆家族が会社勤めをしていたので、安否の確認が取れなかったこと。家の確認をしようとしたら、隣の家の人から「家は無いよ」と言われた。新潟に居た時、近くまで津波が来たからわかっていて、「あ〜家無いな〜」と思っていたが…
息子が浪江・妻が大熊・自分は富岡(第二原発)だったから、家にいたネコがどうなったかわからない。
家族とすぐには連絡は取れず、しばらくして通じるようになったので、他人の携帯を借りてあちこちと連絡を取り、無事を確認できた。

今までは大きな地震があってもこんな大津波は無かった。安心してしまっていたから流された人がいる。流された人は皆、逃げたのに一旦家に戻った人ばかり。外で騒いでいた人は助かっている。地震から10分後に津波が来た。
富岡にある東京電力 福島第二原発の地下にいた時に地震が起こった。危険を感じて外に出た。第二原発の中は崩れたりはしなかった。夜の10時半に双葉町に戻ったら真っ暗で壁という壁が皆崩れていたが、避難場所は記憶していたので、そこへ向かった。津波は田んぼの真ん中あたりで止まっていて、避難場所までは来ていなかった。
12日に福島県伊達市の蒲田へ一次避難した。

二次避難先のさいたまスーパーアリーナに来てから携帯電話を買った。口座が妻のものしかなく、合流できてから、ようやく購入できた。息子は勤めていた関連会社に就職でき、東京で働き始めた。連絡は取れているし大人だから大丈夫だろう。
避難所で仕事を探している人も多いが、子どももいるし、定住地がどこになるかもまだわからない状態だから、余計難しい。住むところが確定すれば勤めても良いが、また移動するなら勤められない。
教室に10何人で住むという生活も辛い。子どもがいる人は空いている住宅に移り住んだりもしている。他は猪苗代のリステルに行ったりしている。郡山市などの借り上げ住宅は申し込みが一杯で入れない。
ボランティアで避難先を斡旋してくれているものもあるが、期間が区切られていることで躊躇している。だから町長と行動を共にしようと思っている。
若い人で幼い子どもがいれば、また考えは違うと思う。自分たちは年齢も重ねているし、何も心配事は無い。若い人だったら、考えてしまうと思う。
集団生活でストレスが溜まらないように、他の夫婦はケンカばかりしているけど、自分は妻に服従している(笑)。あまり避難所にいないようにして、昔は競輪選手を目指せと言われたほど乗りなれているので、自転車で片道20kmのショッピングモールまで走ったりしている。

情報収集は、テレビと新聞、パソコンを使える人がいるから、インターネットも見ている。双葉町の現状を映して欲しい。テレビなどでは滅多に映ることがないので、戻ったりした人から状況を聞いているが自分の目で見たい。
しかし戻れる状態でもないし、家がないから関係ない。何年か経ったら行ってもいい。
どれくらいで戻れるか見当つかない。装備なしで行けるなら今すぐでも行きたい。
マスクするのはいいけど、高濃度汚染地域はマスクだけではダメ。マスクだけで戻って良いと思ったら大間違い。下は靴では行けない。長靴履いて、テープで留めないといけない。マスクだけで行けるなら自分も行っている。だから戻るにも着衣を装備するから、汗もかくし大変。
Dさん:元福島第一原子力発電所勤務 40代位 男性  妻・小学6年生・中学1年生のお子さん

体調は健康。子ども達も現状にストレスを感じている様子は無い。
噂で流れているような鼻血や吐き気等は、聞いたこともないし、周りにもいない。

現状への不満はありすぎてわからない。一部屋に17人だったが、今は12人。会津のリステルに移動した為。プライバシーは無いがもう慣れた。

ボランティアには良くしてもらっている。
足りないものというか、水とお茶以外の味の付いた飲み物があれば嬉しい。コーヒーなどもいつの間にか出なくなっていた。
2リットルで配られるようになったのは数日前からで紙コップや普通のコップもあるので問題ない。

情報収集はインターネット環境はあるが、使い方がわからない。携帯はスマートフォンではない。届けられる地元の福島の新聞やテレビで情報を見ている。

今後のことは、多分町長もわからないと思う。福島県内での避難受入先はあるが、福島県外に出た人には適応されていない。一杯だと言われる。福島県内に居る人優先で民間で借りても、県で6万円以内ならお金を出してくれる。県外に出た人まではまだ話が来ていない(3日前に役場の方に確認された)。県でGOサインが出ていないのか、手に負えないのか、わからないが…他県からの申し出が来ても、子どもを学校に入れているので、すぐには決断できない。優先順位は子ども。

就職先を探しているが、正社員応募だと、一般と同じ扱いなので、なかなか見つからない。年齢で職探しに引っ掛かる。
土地勘がないので、無料情報誌など見ていても、住所ではどこら辺かわからない。距離がわからない。車を置いて来ているので、徒歩か自転車で行ける範囲でないといけない。
正直、お金をかければ何でもできるが…
避難所を起点に地図があって、求職情報先が何キロ先にある、という表記があれば便利。県内にいれば、土地勘があるので、こんな思いはしなかった…
福島県内にいたら、ゆくゆくはまた3次避難しなければならなくなるかもしれないが、今は何とも言えない…

今は一時帰宅の日にちが知りたい。5月下旬としか聞いていない。車を持ちだしたい。

原発で作業中の同僚は今はいないが、最初の頃に行って、今度は6月に行くと言っていた。

原発の対応方法は、今はまず戦略のある放射線管理の人が先陣を切れば、何とか近付ける所までは行けると思う。しかし、それ以前にやることがあると思う。中に入るよりも、周りの線量の高いものから徐々に排除していかないと、近づいて行けない。
実際に中で作業していた立場から、現状を見ていてというより、爆発の時点でもう地元には戻れないと思った。状況が理解できたから、決められた避難所よりもっと遠くへ離れた。予想だとだいたい半径5kmまではもう住めない。

放射能と放射線の違いは、放射性物質があり、溶けるような光のようなものが外部被曝の放射線、それが大きく出るのが放射能。放射能が内部被曝させる物質。テレビでよく言っているのは放射線量の方なので、内部被曝する「放射能」に気を付けて欲しい。
行政には求めても…無駄。お役所仕事なので、どこかで必ず止まってしまう。町で動こうとしても県で出すものを出さないと動けない。国でいくら言っても、県でストップしている。収集つかないから仕方ないといえば仕方ない。

放射能濃度の高い地域に住む方へ
「避難するにしても、しないにしても、覚悟が必要。」
Eさん:60代 男性 元 福島第二原子力発電所 勤務 妻・息子36歳(原発から2kmの距離にあった家は津波に流された)

皆家族が会社勤めをしていたので、安否の確認が取れなかったこと。家の確認をしようとしたら、隣の家の人から「家は無いよ」と言われた。新潟に居た時、近くまで津波が来たからわかっていて、「あ〜家無いな〜」と思っていたが…
息子が浪江・妻が大熊・自分は富岡(第二原発)だったから、家にいたネコがどうなったかわからない。
家族とすぐには連絡は取れず、しばらくして通じるようになったので、他人の携帯を借りてあちこちと連絡を取り、無事を確認できた。

今までは大きな地震があってもこんな大津波は無かった。安心してしまっていたから流された人がいる。流された人は皆、逃げたのに一旦家に戻った人ばかり。外で騒いでいた人は助かっている。地震から10分後に津波が来た。
富岡にある東京電力 福島第二原発の地下にいた時に地震が起こった。危険を感じて外に出た。第二原発の中は崩れたりはしなかった。夜の10時半に双葉町に戻ったら真っ暗で壁という壁が皆崩れていたが、避難場所は記憶していたので、そこへ向かった。津波は田んぼの真ん中あたりで止まっていて、避難場所までは来ていなかった。
12日に福島県伊達市の蒲田へ一次避難した。

二次避難先のさいたまスーパーアリーナに来てから携帯電話を買った。口座が妻のものしかなく、合流できてから、ようやく購入できた。息子は勤めていた関連会社に就職でき、東京で働き始めた。連絡は取れているし大人だから大丈夫だろう。
避難所で仕事を探している人も多いが、子どももいるし、定住地がどこになるかもまだわからない状態だから、余計難しい。住むところが確定すれば勤めても良いが、また移動するなら勤められない。
教室に10何人で住むという生活も辛い。子どもがいる人は空いている住宅に移り住んだりもしている。他は猪苗代のリステルに行ったりしている。郡山市などの借り上げ住宅は申し込みが一杯で入れない。
ボランティアで避難先を斡旋してくれているものもあるが、期間が区切られていることで躊躇している。だから町長と行動を共にしようと思っている。
若い人で幼い子どもがいれば、また考えは違うと思う。自分たちは年齢も重ねているし、何も心配事は無い。若い人だったら、考えてしまうと思う。
集団生活でストレスが溜まらないように、他の夫婦はケンカばかりしているけど、自分は妻に服従している(笑)。あまり避難所にいないようにして、昔は競輪選手を目指せと言われたほど乗りなれているので、自転車で片道20kmのショッピングモールまで走ったりしている。
情報収集は、テレビと新聞、パソコンを使える人がいるから、インターネットも見ている。双葉町の現状を映して欲しい。テレビなどでは滅多に映ることがないので、戻ったりした人から状況を聞いているが自分の目で見たい。
しかし戻れる状態でもないし、家がないから関係ない。何年か経ったら行ってもいい。
どれくらいで戻れるか見当つかない。装備なしで行けるなら今すぐでも行きたい。
マスクするのはいいけど、高濃度汚染地域はマスクだけではダメ。マスクだけで戻って良いと思ったら大間違い。下は靴では行けない。長靴履いて、テープで留めないといけない。マスクだけで行けるなら自分も行っている。だから戻るにも着衣を装備するから、汗もかくし大変。
原発内でもマスクが必要な所と必要がない所がある。管理区域でも色々ある。
危ない所はカッパ、全面マスク、長靴、手袋を装備しないとダメ。A区域。
B区域はツナギ着て入る
C区域は全部着ているものを脱いでパンツ一丁になる。線量も高い、汚染も高い、装備がそれぞれ違う。
(失礼ながら方言がうまく聞き取れなかったので、wiki URL掲載しておきます http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%B7%9A%E7%AE%A1%E7%90%86%E5%8C%BA%E5%9F%9F)
原発に勤めていたから放射線の数字を言われてもわかるが、一般の人はわからないと思う。双葉町の人は原発で勤めていた人が多いので、危機意識が高い。もっと一般の人も意識を持ち知識を付けるべき。「0.いくつ」というのは、さほど影響があるものではないが、知識がないからこそ一般の人は怯えているはず。

(福島県内の地域の数値を示すと 
原発から2kmの所に家があって、海の方だが、場所によっては山の方が線量が溜まっているのか…と。ポツリ。

子どもを抱えている人は仕事に行っていると聞いているが、自分はここに来るまで川俣、スーパーアリーナ、騎西高校、と3回移動して来た。大丈夫だと言われたが、爆発したと聞いて、職業上、状況を理解できるから、状況に応じて逃げた。

原発の仕事には戻らない。社長も来て話したが、60歳を過ぎているし、体力的に無理がある。
今後はまだわからない。いつまでここにいられるとも聞いていない。家を津波で失っているので、帰りたいとも思わない。双葉町だけでも、ここに全員がいるわけではないし、今後も1か所に皆で住めることはない。他の双葉町の皆がどうしているのかもわからない。だから町長さんと一緒にあちこち渡り歩くことを選ぶ。双葉の町長は良い人。

一時帰宅はしない。あんな装備してトイレもいけないような所に行きたくない。今まで原発で何回も経験してわかっているから。情報は新聞に載っているのと、現場から聞いているのとでは全然違うから「何やってるんだ!(怒り)」と思う。

避難所では自分も自ら物資を運んだり、と率先してボランティア活動してきた。
買い物とお風呂が離れているので、バスが校庭から出ているが、もっと年配の人は大変。特設のお風呂を作る予定のようだが、まだそこまで行っていない。
行政に求めることは…もっと補償して欲しい。家が無いし何もないから。
健康状態は少し高血圧になっている。噂で流れているような鼻血や吐き気等は、聞いたこともないし、周りにもいないが、妊娠している人だったら、危険だったとは思う。

家を津波に流されたEさんは、それでも「海が見たい…」と呟いた。
(あとがき)
お話をお聞きした印象は、集団生活の大変さ、先の見えない不安、また、ここでも仕事を見つけることは課題となっていた。母子疎開は可能かもしれないが、子どもだけの疎開に踏み切れる親はなかなかいない。
Eさんのお話にもあったが、双葉町の方は原発勤務の方が多い為、危機意識は高い為、自主的に被曝しないよう対策をとられた方が多いとのこと。
全員のお話を総合しても、数値が高い地域はやはり避難すべきであるとの見解は一致していた。とにかく子どもの安全や感情、全ての点において子どもを第一優先で物事を考えられていた。
被災して2ヶ月が経過するが、取材相手はもちろん、それ以外の方々も皆、ジョークを言ったり、笑ったり、とにかくたくさん他の人と話をしたりと暗い雰囲気では無かった。彼らの笑顔が救いだった。「人と対話をする」ということの大切さを実感した。

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