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韓国は“なぜ”反日なのか?コミュの【3】誤解は“なぜ”なくならない?その12

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つまり親が学会員である場合に、子が『本人の意思とは無関係に』入会させられ、
それに疑問を感じる機会を持たないまま数十年間、という場合もよくあるのである。

幹部に朝鮮系日本人や国籍まで韓国朝鮮籍の者が多いのに対して
「一般の学会員」の多くは日本人だが、その学会員自身は創価学会の教義は聞かされていても、
多岐にわたる活動や成り立ちについてなど、詳しいことを知らない者も多い。

また、勧誘方法も、最近は従来のような説明会に強引に引っ張り込むような露骨な宗教勧誘は
あまり行われず、カルチャースクールなどで出会った同好の士を装って
自宅等に招待するなど、あくまでさりげなく勧誘を始めるという。

学会への誘い文句は、「友人ができる」「困った時に相談することができる」など。
底辺の学会員は集金要因というよりも、選挙の際の集票要因である。

どのような形で入会するにせよ、本人が意識するし
ないに関わらず
結局は反日宗教の布教活動・選挙活動に参加させられることは言うまでもない。

公明党や創価学会と同等に危険なのが民主党と朝日新聞
である。

民主党は、完全に中国の犬であり、日本を切り売りしようとしている。
朝日新聞は、中国共産党の機関紙・人民日報とほぼ同内容の
社説を書いて日本を批判し続けている。

要するにソ連崩壊と同時に消えた悪名高き社会党と同様の共産思想を
今は中国を支持する民主党が継承しているのである。(※後述する)

民主党の副代表である岡崎トミ子議員(社会党出身)などは大胆にも
韓国の反日デモに「本人自ら」参加している。

民主党の岡崎トミ子、韓国で反日活動 民主党の岡崎トミ子、韓国で反日活動
↑こんなに楽しそうに日本を攻撃する日本人がいるだろうか

産経新聞の記事によると、民主党の岡崎トミ子参院議員(宮城選挙区)の
政治団体が平成13年、政治資金規正法(外国人からの寄付を禁止)に違反して
北朝鮮籍で朝鮮学校の理事長と韓国籍のパチンコ店経営者から寄付を受け取り、
現職の国会議員でありながら、国会会期中に、国費を使って、韓国内で行われた
日本国旗を燃やす反日デモに参加したのである。

しかも送迎には、日本大使館の公用車を提供させ、その日本大使館に
拳を振り上げて大声で抗議してきたという。この桁外れの図々しさをみれば
朝鮮人と関わりの深い人生を歩んできたことが容易に想像できる。

そして後で問い詰められた岡崎トミ子は「反日デモとは知らなかった」などと
信じられないような嘘をついた。そして民主党からは何もお咎めなしである。

彼女は「売国奴だらけの旧社会党」の出身で、村山内閣時には文部省政務次官にも
就任してるのに、経歴には「元社会党員」であることを一切出さないという
胡散臭い議員である。

こんな奴が党の『副代表』をしているのが民主党である。
 

民主党の前々代表である菅直人も完全な朝鮮寄りなので、
拉致実行犯の辛光洙(シン・ガンス)を支援しただけでは飽き足らず、
拉致実行犯の釈放活動に熱心に取り組んでいる。

理不尽な犯罪被害で家族を引き裂かれて人生の大部分を狂わされた拉致被害者と
その家族たちをさらに苦しめ続ける菅直人は「金正日自身が拉致を認めた今ですら」
いまだに釈明会見すらしていない。

しかも彼は、あの金正日を理想の指導者として心の底から尊敬しているという。
こんな日本人とは思えない人間が代表をしていたのが民主党である。
 

民主党の前代表である岡田克也は完全に中国寄りで、 芸術部の重要な行事は、年1回の総会。杉田が初めて参加したのは、
 1982年、横浜にある学会の会館で開催された総会。総会後の会食は、
 横浜港に入港していたクイーンエリザベス2世号を見ながら。司会は歌手のK。
 
 会食の席で、学会の最高実力者・池田大作と初対面し感激する杉田に、
 池田が会食中突然、杉田に「『月の砂漠』を歌いなさい」と指名。
 フォーク歌手のTがピアノの伴奏をするが、緊張して声が上ずる杉田。
 「へたくそだねぇ」と何度も歌いなおしを命ずる池田。
 しかし、池田に傾倒していた杉田は「息苦しいまでに幸せだった」と。
 
 「転教(てんきょう)」という、全国で学会の布教活動にいそしむグループに
 入った杉田。全国各地での講演が生活の中心に。16歳のときに買わされた土地が、
 バブル景気で高騰し、24歳の時には「長者番付」に載るほどまでに。
 
 「悲惨な生い立ちだったが信仰で成功者に」という、学会本部が作った台本に
 違和感を覚えながらも、全国の学会員が待っていてくれる、と思い布教活動に
 深入りする杉田。女優としての仕事は激減したが、忙しい毎日だった。
 
 地方への交通費や宿泊代は、学会が出してくれたが、日当などはなく、
 すべて自分の持ち出しだった。芸術部所属ということで、一般の会員より
 丁重に扱われていたが、本部の上層部の人間は違った。
 
 広報機関紙の記者が取材にかこつけて「今から会いませんか」と誘ってきたり、
 酒席でセクハラまがいのことを強要されたり。
 酒席でハメを外している、最高幹部に疑問や不信感をいだいた。
 
 1984年1月、成人式を迎え芸術部幹部から「いよいよ戦えるね」と言われた杉田。
 選挙権を持ち、選挙で戦う、という意味。
 杉田が生まれた年、1964年に旗揚げした「公明党」の選挙活動。
 
 翌年6月に行われた東京都議会議員選挙では、女優のKとともに、応援演説で
 都内を走り回った。立派な学会の「広告塔」になり普段でも勧誘に励むようになった。
 劇場やテレビ局の楽屋に芸能人を訪ね、粘り強く勧誘した。
 
 1985年。教団機関紙(聖教新聞)発行元を、アメリカ大使館の一行が親善訪問する
 というイベントに駆り出された杉田。
 
 最高指導者・池田大作を囲む食事会の席で、デザートにメロンが出た。
 「このメロンは天皇陛下と私しか食べられない」という池田。
 ひとさじすくって口に入れたあと「みんなにも食べさせてあげたい」と言い、
 食べかけのメロンを隣の席の人に。同じスプーンですくって食べ、また隣の人に。
 
 気持ち悪さが襲ったが、ついにメロンが杉田の前へ。
 ほとんど食べ尽くされていたが、覚悟を決めてメロンを飲み込んだ。
 「お下げ渡し」と称した最高指導者の行為に、不信感をいだいた。
 
 学会には、年に一度の「献金の日」というのがあるが、年金生活者や
 生活保護を受けている人からも集金する、という行為に疑問を持った。
 杉田自身は、集金活動には参加せず済んだ。
 
 杉田が生まれる前から学会信者の父は、教団を利用して、信者から金や土地を
 騙し取っていた。そんな父を見て、信仰を見直したい、と思った杉田は、
 学会から物理的に距離を置くべきだと思い、24歳の時、思い出のしみついた品川を離れ
 東京・多摩市の聖蹟桜ヶ丘に転居。その後30歳になった時、東京・八王子に移った。

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