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宗教の誕生と存在理由を考えるコミュのアダムとイブがリンゴの実を食べる前が 平和な社会??

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たとえば、キリスト教で言えば、アダムとイブがリンゴの実を食べる前が
人間の煩悩「ゼロ」の事だと考えると。
たとえば、その状態は、道ばたに生える タンポポや
川を流れる水のように。
蜜を毎日女王蜂の為に、ただ集める蜂のように。

しかし、人間は「自由意志」を持ってしまった。
それが文明や、文化や、戦争を無限の進化へと導いた。
しかし、人間の価値観で判断するなら、そういった「負」だけでは無いですよね「自由意志」は、
なんと「愛」や「思いやり」や「幸せ」こそ、ソレが無いと
生まれる事が無い。
つまり人間の「判断(フンベツ)」している
ありとあらゆる根本は、
「(1)比べてしまわずにはいられない」
「(2)先の事を想像せずにはいられない」
という本能からであり「自由意志」が基本だと思います。
蜂は「なぜ女王だけ働かず俺たちだけ働くんだ?」とは言わない。女王蜂も、「私は生むだけかよ!」と不平は言わない。
そこに自由意志は存在しないから。本能がそうなっているから。
たんぽぽの種は、東へ行くと海だから死んでしまうから、西へ行きたいと思う機能を備えていない。(それを幸か不幸かは
人間が勝手に判断しているだけ)

ゼロになんか戻してしまうと、何も考えないという本能のまま行動してしまう生命体というだけの事になります。
人間の恋愛や、仕事や、家族、友人等の悩み、苦しみや、戦争に至迄、この「自由意志」さえ無くなってしまえばいいわけです。
つまり物語をアダムとイブがりんごの実を食べる以前に戻せばいいわけです。
それで戦争も無くなり、争いも悩みも無くなります。
たんぽぽのように、菜の花のように。
武器も作る事も無く、宗教で争う事もなく、詐欺も泥棒も強盗も無くなります。
ゼロになった「ニンゲンモドキ」は、生まれてから食い物を本能的に食い、そして後尾して子孫そ増やし、死ぬ迄それだけやっています。
そこにたった一人を死ぬ程愛してしまって苦しいという『愛」は無くなります。共にスポーツをして胸を熱くしたり、
亡くなった人、離れた人を懐かしみ、涙する事もありません。
もっと美味しい料理を作りたい、作ってあげたいというような事もなく、大陸発見も無く、新薬も生まれない。
暖房器具も無く、薬も無く、小説も、映画も無く、
つまり、人間が言う「文明」や「文化」というものが
全く存在しえない事になります。
それが、平和?それが人類の希望?期待??
人間が「人間のまま」として存在したいのなら、
人間はその「自由意志」とその弊害を自覚、認識し
いつも、くどいくらいに「思いやり」あわないと、衝突は避けられない。そしていくら、これでもか!と思いやっても
、それでも、勘違い、すれ違いが、「あってしまう」のが
人間の社会の「日常」であり本能からすれば自然な、なりゆきであると思います。
なので、それを自覚、認識、して「思いやり」
しかし、夫婦、兄弟、親子、会社、友人関係で、それでも決してパーフェクトなどという事はないので、トラブル事があっても
やむなしと思いながらも「おもいやり」してやっとこさ、
なんとか、かんとかなっているだけで精一杯、、、
という事を覚悟し、自覚し、認識する事が肝心だと思います。
もし安易に、人は理解しあえるはずだとか、答えは簡単だとか
思い込んで希望的な空想をしてしまうと、宗教戦争や、正義の為の戦争になったり、嫁姑、兄弟、夫婦喧嘩に発展してしまいます。
そうなるのも『結構ありがち」と認識するなら、
「あった時」修復する努力や、思いやりでその場を、必死で
乗り切る。
そうやって、「今」から「次の今」へと過ごせた事を
「無事に過ごせた」と言い。
昔から手紙の最初に、

「拝啓 元気にお過ごしでしょうか?」というような文面が
不思議と今も習慣として残る。
あれはすごい言葉だと僕は不思議ですし、感心してしまいます 。

*しかし、この『自由意志」全体と、その一部
「(1)比べてしまわずにはいられない」
「(2)先の事を想像せずにはいられない」
という『人間が人間たるゆえんの本能」でむっちゃ苦しい事ばっかりだ。
思いやっているつもりで行動した事が誤解されたり、恨まれたり、言い訳しなくちゃならなかったり、
思いやりし合う事そのものも、すごくややこしいし、
良い事をしても良い事が返って来るとは全く限らない。
良い事ばかりしている人でも、自然の中では事故も事件も起きる、自然災害にも巻きもまれる。誤解されたり、すれ違いがあったり、勘違いがあったり『当たり前」のようにある。
それが苦しい。
しかし、それらは、「ごくごく自然だけな事に過ぎない」
なぜなら、『良い事、悪い事」「思いやり」というフンベツ、価値観は人間が勝手に創作しただけに過ぎない↓
「(1)比べてしまわずにはいられない」
「(2)先の事を想像せずにはいられない」
を含む自由意志(人間の人間ゆえの本能)によって。
____________________

*↑この書き込みは、コミュ繋がりでの他の場所での自分の書き込みをほとんど引用していますご了承下さい。

コメント(13)

miyukisanさん
>>こういう発想はしかられそうでもありますが
所持金がなくなったら生活保護を受ける。
それも認定にならなかったら、そのときは>>

ねっ!、ほら〜あ!いつのまにか想像しちゃってるでしょ!
していないはずが、いつのまにか想像してしまうのです
そこが 人間が人間たるゆえんで、
犬・猫・すずめは、そういう空想はしない
『明日の事を思い煩う事なかれ」というイエスの言葉も
まったく同じ使い方だと思います。仏教もキリスト教も
ちゃんとこの事を知っている人が、語っている言葉なのだと
感心します。
はじめまして☆

あの、人間を基準にした尺度で他の動物を比べ過ぎだと思います。
犬や猫だって先を考えてます。そうでなければ生き残れません。
人間は多分、それよりももっと先のことを考えられるのかもしれない。
しかし、それにも限界があります。
限界が無いのなら、環境破壊だの地球温暖化だのの状況になっていないはず。更に、地球からすればすごい勢いで破壊が進んでいるのに、人間からすればなかなか実感が得られない時間の長さなため、破壊行為を続けてしまいます。
直ちにやめられません。
先を考えられる時間の長さは、寿命の長さに関係する気がします。

人間が病気や怪我の時は西洋医学や東洋医学、その他様々な対処があり、例えば猫科の動物は喉をならし特殊な振動を体に与えることで自力で治したりします。
また、犬は石や草を食べたり。
仲間の死を悲しむ様子も見られますが、それが自分にわからないからといって「ない」ことにはならないです。

人間は神ではなく、その他の動物と同じく「動物」。
人間も自然の一部。
あれこれ考える内容も、それがヒトという動物だからこそではないでしょうか。
ぴよこさん
<<限界が無いのなら、環境破壊だの地球温暖化だのの状況になっていないはず>>
それは基本的に違います
なぜなら、『先が読める」のではなく
先を空想しているだけですから、自分勝手に妄想する本能という意味です。
>>人間も自然の一部。
あれこれ考える内容も、それがヒトという動物だからこそではないでしょうか。>>

はい、それだけを書いているつもりですが。
すみません。
最初から何度も読み返してみましたが、いまいちピンときません。
人間とその他を区別しているように読みとれたのですが…。

自分勝手な妄想なら、人間以外もしているように思います。

人間は特別なんかではない気がすると言いたかったんです。

自由意思と本能をわけ「蜂は本能だけで人間には自由意思がある」という考え自体も、人間の本能だと思います。
自分達は他とは違うのだと思いたい本能。

もしかしたら、そういうことを自覚できてしまうことの恥ずかしさがあるのが人間なのでしょうか。

あと関係ないかもしれませんが、思いやり(わざわざ考えないとできない=心からではないこと)を良い物だとしてしまう(心を変えるのではなく形を変え取繕う方を選ぶ)のも、自分とは違うなと思いました。
カッコ内は比較のために書いた個人的な勝手な考え方です。

これもさっきの同様、解釈や考え方の違いの1つになるのでしょうが、
定義のような物(妄想のどこまでを本能とし、どこからを妄想と呼ぶか等)がとてもあやふやなまま考えると
解釈次第でりんごを食べる前と後の世界観も人それぞれで全く異なってしまうのではないでしょうか。

それで構わないのなら、ピンとこなかった理由もわかるし、お邪魔をしてしまったのかなと思いました。
厳密には書き表せないので単純に書きますが

A)働き蜂は針を持ち、一生を花の蜜を求めるのについやする本能を持つ
B)女王蜂は子づくりだけをするという社会的な行動をする 本能を持つ。すべてそれぞれが蜂の持つ本能(生まれた以上死ぬ迄消し去れないモノ)

C)魚は水の中で呼吸する事が出来る、本能を持つ
D)鳥は空を飛ぶ本能を持つ
E)カッコウという鳥は自分の卵を他の種類の鳥の巣に産み落とし
育てさせる本能を持つ
F)蟻は甘いものに集まる本能を持つ
G)人間は比べ、想像してしまわずにいられない本能を持つ
E)だんごむしはさわると丸くなる本能を持つ
F)アライグマは食べ物を洗ってしまう本能を持つ
G)金魚は水のなかの酸素が少なくなったら水面に口をだして酸素を吸う本能を持つ

それぞれがそれぞれの本能を持っているだけ
人間だけが何か特別なわけでは無い。
という意味です
ぴよこさんのおっしゃる意味では語っていません。
アダムとイブが口にした禁断の木の実というのは「言語」を意味するとも思います。
あるいはそれは、「宗教」そのものであるかもしれない。

知識は、実践で発揮されなければ、意味がない。
が、しかしそれは、両刃の剣であり、善悪両極に渡って力を及ぼすものである。

言葉無くして宗教は無く、また、言葉無くして、人間の普遍的な存在意義もない。

宗教の根底には、パラドキシカルなものが、本質的に含まれているように私は思う。

キリスト教の「原罪」思想は、人の人生を“マイナスから始まるもの”とする考え方である。
そして、ある意味、そのマイナスの要素は、生涯死ぬまで、意識することを要請されるのである。

禁断の木の実を口にする前のアダムとイブにとっては、青天の霹靂ともいえる「罪」を、背負わされるということは、作られた悪を押し付けられるということを意味するとは解釈できはしないか?
「宗教」という幸福目的論は、本質的に“お節介”なんだと思える。
天国と地獄を、飴と鞭のように駆使して、信者を抱え込む。
信じる者は、救われる。というスローガンが、その宗教の維持存続を可能にする。

来るものは拒まず、去るものは追わず、という顔をしていながら、積極的に折伏をしない宗派であっても、結構、他者の精神生活に干渉し、浸蝕する傾向がある。
>>[10]
>>作られた悪を押し付けられるということを意味するとは解釈できはしないか? >>

キリスト教は「救い」を目的とする宗教ですから
「生まれ持った時からある本能」を[罪」として考える考え方、であって、押し付けたのは神でしょうと言った所で始まらない。 そういう考え方で、先を進む解決方法。又は[今を通り過ごす方法」だと自分は考えます。ただしこの事はキリスト教としては肯定しないと思います。
[考え方」では弱くて「そうだ」と教えなければ弱いので。

それから 「12」発言の>>、信者を抱え込む。 >>
というのも宗教の本来の目的では無いし、スローガンとおっしゃっている事も
スローガンでは無いです。そのままです。キリスト教において
>>信じる者は、救われる。>>です。浄土真宗も同じだと思います
この形は他の宗派、宗教でもよくあると思います。(覚りを目的とする所は違います)

>>信者を抱え込む>>は宗教の目的から外れてしまっていますが
それはなぜか?
そうなってしまうのが[人間だから」です、それはこのトピに書いたように
他のトピでも書いていますが、人の本能は、僧侶であろうが無かろうがキリスト教徒であろうが
仏教徒であろうが、イスラム教徒であろうが、何であろうと関係なく「在ります」
なので、それからは逃れられない。
 [人間の本能」から人で在る間つまり人間である間は逃れられないように
他の動物も然りです。
 たんぽぽは タンポポであるいじょうタンポポから逃れられない。
 蜂は蜂の本能から逃れられない。
 さらに細かく、ミツバチはミツバチとしてのミツバチの本能から逃れられないのと同じで
 スズメバチはミツバチの本能ではなくスズメバチとしての本能から逃れられない。
 他の何であっても同じ。例外は無い。
 
 しかしこれら全てあたたの思う通りで、人間が観測しただけの
 人間に解りやすい考え方、見方でしか無いです。
 なぜか? これらは全て人間同士でしか通じ得ない「言葉」でしか無いからです。
 人間同士でしか通じ得ない「記号」「分別」を語っているに過ぎないです。
 当然の事で、
 色即是空 空即是色 も理解するかしないか っていう対象は人間以外無いです。
 宇宙人がいたとしての対象も含めたとするなら、この地球人の言語を理解出来る
 事を前提なら在りで、人間の言語を理解出来ない場合は何の意味も持ちません。
このフォーラムやコミュニティを含め、インターネットでキーボードで打たれた文字、文章
は、人間にのみ有効で人間にだけの都合で作られた文字で文章ですから、
他の生物の都合は全く視野に入れていません。
また視野に入れる必要もありません。

 たとえば、この地球が広大な宇宙に無数に存在する星の一つで、
その地球は球体で、その「地球の上に存在するモノ」だという説明や研究を
人間以外の生物に説明しても、無駄だからです。
 なぜか?
人間以外の生物は 自分自身がこの宇宙(と人間が呼ぶモノ)に自身が存在しているかどうかの
「存在」という概念が無いからです。
 「この世」という概念が無いからです。
人のみが「この世」という発想をして「自身の存在」を知ってしまう。
それだけなら、百歩譲って、たとえ他の生物も持っていたとしても、
人間とそこから先が大きく違う

人間は過去も未来も、ずっとずっと先迄創造、空想して「しまう」
「出来る」のではなく「想像、空想」してしまう。

チンパンジーやゴリラも、数分か数時間か先を想像出来るらしいと言われていますが、
言語を持たない彼らの空想の限界は人間と比べ物にならない。
また先の先を止めども無く空想、妄想しつづけてしまうしかない本能を持ってしまっている
人間は、「今この世界にいる」という事に気が付き
同時進行で「今いるこの次は自分はどの世界に?」と思ってしまうように当然なる。
なので、他の生物とは異なり人間はろくでもない事をしてしまう、戦争も格差も
他を死に追いやっても止まらない。
それが[人間だけが持ってしまっている本能」だから。
兎が肉を食べずニンジンを食べる様に
ライオンが人参を食べず肉を食べてしまう様に
人間はソレをやってしまうように出来ている。 

 ただ 「それだけ」の事です。
「ソレ」をキリスト教は罪という言葉で表現しているだけで、方便だと思います。
(キリスト教においても、宗教と名のつく所に方便という事は言わないが)
___________
あくまでも個人的な見解として、出来るだけ普通の言葉で自分の言葉で書いている
つもりです。
一つ一つの言葉尻を取り合っても、それ自体は不毛ですが、
でもここだけは重要だから釈明せよと思われる部分があれば、おっしゃって下さい。

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