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呪縛から逃れてコミュの贖い

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「論じる」から、ピックアップして、彼らの間違いを指摘したいと思います。
彼らの説明は大変微妙でして、本当に注意深く読まなければ、騙されてしまいます。サタンの欺瞞は、本物そっくりに行ったり、組織を作り上げたりします。
そのことを知っていれば、騙されないための助けになるでしょう。



(論)『イエス・キリストの死は,殉教した他の人たちの場合とどのように異なっていましたか

イエスは完全な人間でした。イエスは生まれつき罪の汚れの全くない人で,生涯を通じてその完全な状態を保たれました。『彼は罪を犯しませんでした』。イエスは「汚れもなく,罪人から分けられ」ていました。―ペテロ第一 2:22。ヘブライ 7:26。』

◆↑おかしい。

イエスが生まれつき罪の汚れの全くない人であったなら、サタンは、すでに勝利したことになります。キリストは、罪を犯す傾向のあるわたしたちと同様の人間としてこの地上に来られなければなりませんでした。なぜなら、イエスは、人間であっても、神の律法を守ることができることを完全な人間としてサタンに証明しなければならなかったからです。

ここに引用されているヘブライ7:26は、キリストの大祭司のことを言っていて、イエスが完全な人間であることの聖句ではありません。

キリスト教の歴史を読むと、多くの殉教者は、ローマカトリックの迫害によるものでした。殉教者はキリストを信じる信仰による救いと、聖書が唯一の無謬なものであることを知っていましたので、ローマの圧力には、屈することはありませんでした。ローマカトリックは、法王を神よりも上に置き、また金儲けのために、民を迷信と恐怖に捕らえておくことが彼らのやり方でした。それに反するものたちは、「異端」として、見せしめに火刑やそのた恐ろしい拷問で殺したのです。

キリストは、私達の罪から贖ってくださる唯一のお方で、キリストの死によって、わたしたちの義、罪の処置、キリストの再臨によって復活が可能となりました。



ペテロ第一 2:22<22 キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。>
ヘブライ7:26<このように、聖にして、悪も汚れもなく、罪人とは区別され、かつ、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとってふさわしいかたである。>





(論)『わたしたちがとこしえの命を得られるようにするためとはいえ,どうして贖いがそのような仕方で備えられなければならなかったのでしょうか

ローマ 5:12: 「一人の人[アダム]を通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が,すべての人が罪をおかしたがゆえにすべての人に広が(りました)」。(わたしたちは皆,どんなに廉直な生活をしようとも,生まれながらの罪人です。[詩編 51:5]永久に生きる権利を獲得できる方法は一つもありません。)』

◆↑これはOKです。


(論)『ローマ 6:23: 「罪の報いは死です」。
詩編 49:6‐9: 「自分の資産に依り頼んでいる者たち,自分の豊かな富を誇りとしている者たちは,だれひとりとして,兄弟をさえ決して請け戻すことはできない。また,彼のための贖いを神にささげることもできない。(彼らの魂を請け戻す代価は非常に貴重であるので,定めのない時まであり得ないものとなった。)彼をなお永久に生き続けさせ,坑を見ることのないようにさせようとしても」。(不完全な人間はだれ一人他の人を罪と死から救い出す手だてを設けることはできません。お金でとこしえの命を買うこともできませんし,また死んで魂をなげうっても,その死は罪ゆえにいずれは訪れる報いですから,その魂にはだれを救い出す価値もありません。)』


◆↑これもOK.

(論)アダムとエバは反逆したために死ななければならなかったにしても,二人の子孫で神に従おうとする者は皆,永久に生きることができるという布告を神はなぜ出さなかったのでしょうか

なぜなら,エホバは「義と公正を愛される方」だからです。(詩編 33:5。申命 32:4。エレミヤ 9:24)それで,神は事態の扱い方によってご自分の義を擁護し,絶対的公正の要求を満たしそれと同時に,ご自分の愛と憐れみを大いなるものとされました。それはどうしてでしょうか。

(1)アダムとエバは罪を犯す以前には子供をもうけていませんでしたから,完全な人間として生まれた者は一人もいませんでした。アダムの子孫はすべて罪のうちに生み出され,罪は死をもたらすことになりました。もしエホバがこの事をただ単に無視されたならば,ご自分の義の規準を否定したことになったでしょう。神はそのようにして不義に荷担することはできませんでした。神は絶対的公正の要求を回避なさいませんでした。ですから,理知のあるどんな被造物も,この点で正当な非難を浴びせることは決してできません。―ローマ 3:21‐26。

(2)どうすれば,公正の要求を無視せずに,アダムの子孫で,エホバへの愛に基づく従順を立証する人たちを救い出すための備えを設けることができるでしょうか。もし,一人の完全な人間が犠牲の死を遂げるなら,公正の要求を曲げることなく,この備えを信仰によって受け入れる人たちの罪をその完全な命をもって覆うことができるでしょう。一人の人(アダム)の罪のために人類がすべて罪人となったのですから,もう一人の完全な人間(事実上,第二のアダム)の流された血は,同等の価値があるので,公正のはかりは釣り合います。アダムは故意に罪を犯したので,益を受けられませんが,全人類が罪ゆえに受けることになった処罰を,このようにしてだれかほかの人が受けるなら,アダムの子孫は救い出される可能性があります。しかし,そのような完全な人間は一人もいませんでした。人類は絶対的公正のこうした要求を満たすことは決してできませんでした。それで,エホバご自身が驚くべき愛を表わされ,大きな犠牲を払ってその備えを設けてくださいました。(コリント第一 15:45。テモテ第一 2:5,6。ヨハネ 3:16。ローマ 5:8)神の独り子であったみ子は,進んでご自分の役割を果たされました。イエスはへりくだって天での栄光をあとにし,完全な人間となって人類のために死なれました。―フィリピ 2:7,8。

例え: ある家族の頭が犯罪者となって死刑の宣告を受けたとしましょう。その子供たちは窮乏するにまかされ,借金でどうにもならない状態に陥ります。そこで,優しい祖父がその子供たちのために事態に介入し,自分と一緒に暮らしている一人の息子を通してその借金を払い,子供たちが新しい生活を始める道を開いてやります。もちろん,子供たちはその取り決めを受け入れなければ,恩恵は受けられません。また,祖父は,子供たちが父親の行状を見倣わないよう,ある事柄を要求するかもしれませんが,それは当然なことでしょう。』

◆↑(1)おかしい。(2)部分的おかしい。例え:これもちょっと考えものです。キリストの贖いの価値はお金で表すことはできません。

(1)絶対的公正の要求の基本というのは、十戒しかありません。
まず、WTは十戒を重く見ていませんので、このような言葉を持ち出さなければならなくなります。十戒は神のご品性そのものの現れです。
もちろん、引照されている聖句は間違ってはいませんが、十戒をよく理解しなければ根本的なことが理解されないでしょう。
十戒は、わたしたちが罪人であることを教えます。そして、「救われるためには、何をすればよいでしょうか」(ルカ3:10、使徒16:30)という思いにならなければなりません。そしてはじめて、キリストの贖いの必要を悟るのです。
キリストの救いの象徴である聖所の奥の至聖所には、契約の箱があり、その中には、十戒の板とアロンの杖とマナの黄金のつぼがいれられて、その箱の上は贖罪所と呼ばれ、神のご臨在がありました。
アダムとエバの子孫には、永久に生きるということをすぐに与えられなかったのは、やがてメシヤが来られて、彼らは復活によって永久に生きることが可能となさることが神のご計画にあったからです。この聖所は民にキリストの贖いの偉大さを教えるためのものでした。

(2)『キリストは第二のアダムと呼ばれている。神につながり、神から愛されて、このお方は純潔と聖潔において、初めのアダムが始めたところから始められた。……

 キリストはアダムより百倍も激しい方法で、あらゆる面においてさらに厳しい状況下においてサタンに誘惑された。欺瞞者は光の天使として現れたが、キリストは彼の誘惑に耐えられた。このお方はアダムの恥ずべき堕落を贖い、世を救われた。……このお方は神の律法に生き、罪の世においてそれを高め、全宇宙とサタンとアダムの堕落したすべての息子、娘にご自分の恵みを通して人は神の律法を守ることができるということを示された。……

 アダムの失敗が完全であったように、キリストの勝利は完全なものであった。であるからわたしたちは誘惑に抵抗し、サタンにわたしたちから離れざるを得なくさせることができるのである。(わたしの今日の生涯323)』

続く。





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