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但馬の神社コミュの◎お地蔵さん

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神社ではありませんが、お地蔵さんのトピを作りましたので、但馬の道端の素朴なお地蔵さんを集めてみましょう。



コメント(20)

■日高町岩中/子安地蔵

国道312号線を八鹿方面から豊岡方面へ向けて進むと日高町岩中のカーブの手前に「子安地蔵大菩薩」がある。

石地蔵では町内一の大きさのこのお地蔵さんは、赤子を抱えているのが珍しく、子安地蔵として古くから親しまれている。

今年(2009年)は200年祭で賑わっていた。(今日は地蔵盆でした)


★安産・子育ての神様「子安地蔵菩薩」

文化5年(1808)、道中で産気づいた旅人がこの地の人々に助けを借りて無事男子を出産。

そのお礼として子安・子育てを祈願した子安地蔵大菩薩を建立しました。

赤ん坊を抱いた地蔵は台座を含め3メートル近くあり、天下泰平、国家安産、五穀豊穣、満民快楽、庶民が日常生活を平穏に暮らせるようにとの願いも刻まれている。

毎年8月23日には区民総出による地蔵祭りが盛大に行われている。
■日高町岩中/子安地蔵  (つづき)


岩中区の旧公民館が同じ敷地内にあり(写真左)、奥には薬師堂がある。(写真中)
写真右:道から見た地蔵盆のようす
■日高町浅倉(岩ぼうき地蔵)


国道312号線を八鹿町宿南から日高町に入ってすぐのカーブの先に、落石よけのトンネル状になっているところがあります。
それを抜けてすぐ左に「岩ぼうき地蔵」があります。

岩ぼうき地蔵の後ろは城山で円山川に面してほぼ直角の岩壁(写真左)が聳え立っている。
この下の道を「岩ぼうき道」といい、交通の難所でした。

昔、魚売りが地蔵の前を通り過ぎ岩ぼうき道を行くと、後ろから「早く通れ!早く通れ!」という叫び声がしました。

驚いて走って通り過ぎると、その後ろに大きな音を立てて岩が落ちてきました。
魚売りの命を救った地蔵は「岩ぼうき地蔵」(写真中)と呼ばれ、岩ぼうき道の交通安全を守る地蔵・水難除け地蔵・乳を出してくれる地蔵として厚く信仰されています。

写真右:赤崎橋から岩ぼうき方向を見る
■日高町浅倉/一石六地蔵

国道312号線、日高町浅倉のヒラキの前を少し八鹿方向へ行くと朝倉石材店がある。その横の道をはいったところにある兵主神社石垣中に納まっているのが「一石六地蔵」。

室町時代のものと言われるこのお地蔵さんは、神社前の道路拡幅工事の際、偶然発見された。

『浅倉村史』によれば、この「一石六地蔵」は、長禄4年(室町時代末期・1460)庚辰と書かれており、この年は飢饉で餓死者が多数出たので、その供養に造立されたものと思われる

鎌倉時代以降、民間に普及した六地蔵信仰は、末法到来のときの救済者として、地獄で苦しむ人々を救い導くものと崇められた。
仏教の世界観では、衆生が生前の業因によって生死を繰り返す6つの迷いの世界(地獄界/餓鬼界/畜生界/阿修羅界/人間界/天上界)があり、地蔵菩薩を念じることで、この六道の世界から救われるとされた。

6つの地蔵を一石に刻んだ一石六地蔵信仰は、南北朝から室町時代にかけ盛んとなった。
■日高町赤崎/村の真ん中、通称「堂」のお地蔵さん

赤崎の村には幾つかのお地蔵さんがある。
地蔵盆には村中の人がその全部のお地蔵さんをお参りします。

写真左・中:「堂」のお地蔵さん

写真右:同じく「堂」の外にあるお地蔵さん
■日高町赤崎/六体地蔵


赤崎の部落の進美寺に上がる坂をのぼり、伊久刀神社のすぐ下が六体地蔵で、その上の境内にお薬師さんがある。


写真左:六体地蔵

写真中・右:神社下のお地蔵さん
■日高町赤崎/進美寺里坊の地蔵菩薩


写真は進美寺里坊での地蔵盆のお供え

■鼻かけ地蔵(城崎町楽々浦)


<鼻かけ地蔵伝説>

昔、但馬(たじま)の楽々浦(ささうら)の村に、貧しい漁師の男が住んでいました。毎日、楽々浦であみを打って働いていましたが、暮らしは少しも楽になりません。そんなある日、男の夢にお地蔵様があらわれて、こんなふうにおっしゃいました。

 「私は、大水にさらわれて、楽々浦の底にしずんでいるのだよ。暗いし冷たいし、その上ここにいたのでは、人々を救うこともできない。どうかおまえの力で助けておくれ」

 ふしぎな夢もあるものだ。男はそう思いましたが、翌日さっそくあみを打って水底をさぐってみました。すると、夢のとおりのお地蔵様があみにかかってあがってきたのです。男はさっそく、小さなお堂をこしらえて、お地蔵様をていねいにお祭りしました


あくる日、男がお参りしてみると、お地蔵様の足元に白い米つぶがたくさん散らばっています。どうしたことかと思って見ていると、なんとお地蔵様の鼻の穴からぽろり、ぽろりと米つぶがこぼれ落ちているではありませんか。男はびっくりするやらうれしいやら。さっそく、おけを持ち出して、お地蔵様の鼻の下に置きました。
 ぽろりぽろりとこぼれ落ちるお米は、だんだんとおけの中にたまってゆきます。
 「これはありがたい。もう苦労をして働かなくても暮らしていける」
それからというもの、お地蔵様の鼻の穴からこぼれるお米で、男はだんだん豊かになりました。いつまでも止まることなく出てくるお米を、近所の人たちに分けてやるようにもなりました。

 ある日、男は考えました。
 「あの鼻の穴がもっと大きければ、もっとたくさんお米が出てくるんじゃないかな。そうすれば、もっといい暮らしができる」
 ようしっ! 男はのみと金づちを持ち出すと、さっそくお地蔵様の鼻の穴をけずりはじめました。
 トン、カン、カン・・・。
 鼻の穴は少しずつ大きくなってゆきます。「よしよし」男はにっこりしました。
 「もう少しだ」
 
 ところが、あと少しというところで、手元がくるってしまったのです。
 「あっ!」
 しまったと言うひまもなく、次のしゅん間、お地蔵様の鼻は欠け落ちていました。そしてそれきり、お地蔵様の鼻から出ていたお米は、ぱったりと出なくなってしまいました。
 男はぼう然としましたが、もう元にはもどりません。
 「何とばちあたりなことをしてしまったんだろう」
 男はすっかり目が覚めました。心から反省し、毎日お地蔵様にお参りしておいのりするようになりました。前にもまして、楽々浦であみを打ち、いっしょうけんめい働きました。やがて男はおよめさんをもらい、二人は幸せに暮らしたということです。

 今でも、鼻の欠けたお地蔵様は、楽々浦のほとりにあるお堂の中で、村の人たちの暮らしを見守っています。どんな願い事でも、ひとつだけちゃんとかなえてくれるというお地蔵様には、毎日きれいな花が絶えることがありません。
■鼻かけ地蔵(つづき)

鼻かけ地蔵は円山川河口に近い「楽々浦(ささうら)」の縁にありますが(写真左)、その楽々浦湾に小松の繁る小さい島があります。(写真右)この島は「楽々浦の浮弁天」と呼ばれています。
秋の澄み渡った大空に紅や白の大幟が立って、太鼓の音がドンドンと湖面をつたって流れてゆく様子は、円山川水郷風景に紅一点をそえ大変美しいそうです。

大昔、この島は今のように陸地に接近せず、遠く湖の中にあって四方の眺望も絶景で、ことにその老松繁茂している様子はこのあたりの仙境であったとのことです。

また、湖中のこの小島は、どんな大洪水にも浸水したことのない不思議な島で、弁天さんの祀ってあるところから、「浮弁天」と言われています。

古い書物に次のような話があります。
「大昔の事、物部真鳥命(もののべまとりのみこと)という人が、時の天皇の命令によって遠く韓国に使いし、無事任務を終えて帰航し、途中この但馬国の三島の水門(みずと)=(楽々浦から円山川口へいたる一体を総称す)にお着きになりました。

舟の着いたところを「御舟島」といって、水上に浮かんでいるようであったので、後に「浮島」と呼ぶようになりました。命は任務を果たした功によって姓を「韓国連(からくにむらじ)」と賜りました。
今の飯谷(はんだに)の氏神さん、韓国神社の祭神がこのお方だそうです。

※楽々浦の氏神さんは三島神社と言います。
■八鹿町伊佐のお地蔵さん?

伊佐の村の中にあるお地蔵さんはそっくり同じようなの地蔵堂に入っていました。どちらも綺麗に花が飾られてお世話されています。
豊岡市日高町庄境の「太刀宮神社」斜め向かいにあるお地蔵さんです
■耳地蔵  豊岡市日高町野

植村直己冒険館を少し上ったところに野の交差点がある。その信号を左折してまっすぐ進むと道の左側に耳地蔵があります。(向かいに大きな看板が出ている)

200年前に建立されたという耳所蔵は、耳の病にご利益があるといい、また、聞き分けの良い賢い子になるといわれているため、多くの人がお参りしています。

願いが叶ったお礼に、「一念岩も通す」の意味で、穴の開いた石を奉納するといい、お地蔵さんの周りには穴の開いた小石がいっぱいぶら下げられていました。

耳地蔵のある野区は古墳や剣、人形(ひとがた)、斉串(いぐし)馬形(うまがた)鳥形(とりがた)など100体にも及ぶ祭祀用遺物がたくさん出土しているといいます。

但馬六十六地蔵尊第三十三番札所・天子のお地蔵さん

場所:養父市八鹿町八鹿。屋岡神社前

<御詠歌>
「よくきけよ そのいにしえわ われもまた あまのみなれば ぢぞうぼさつよ」
「あまてらす かみのみすへの あまことは ぢぞうぼさつも いわれあるさと」

『その昔、但馬の国は泥海であり、未開の地であったが、天日槍(あめのひぼこ)をはじめとする但馬五社大明神が瀬戸の口を開き、丹後の塩引き明神により塩を引かせ、干拓された。
そして六十六カ所に地蔵尊を配置されたもので、別に「当国六十六地固め地蔵」とも言われている。(但馬六十六地蔵縁起より)』

また、第一番香住七日市から第六十六番出石奥山まで順次、線で結んで行くと、地蔵種子(地蔵を表す文字)である梵字を型どり、その中心に位置するのが第33番天子の地蔵尊である。

もとは八鹿町八鹿1734(現天子公会堂の場所)の堂に祀ってあったが、昭和33年公会堂改築に伴い現在地に移し祀ったものである。






>15、じっと見てると、いろんなカタチが浮かび上がるような気がしますね。
髪の長い女の人にも見えて・・・

>16、これはまた変わってる!
目は後から描き足したのでしょうか、穴が開いているんでしょうか・・・
浅間の浅間神社境内の道を石垣沿いに山のほうへ上がると曲がり角に「但馬六十六地蔵尊第五十番札所・浅間」のお地蔵さんがある。
綺麗に前掛けをしてもらって、地蔵堂の中も掃除が行き届いていた。線香・ろうそく・マッチなどがキチンと並んでいて、大切にされている様子があった。
浅間神社から少し坂を下ったあたりの田圃の中の四つ角にあった地蔵堂。横には自然石の石碑があり、「妙見大菩薩」と書いてあった。
とても柔和な印象のお顔で美しい。
刈り取りを目前にした黄金色の稲田に今年初めての彼岸花を見つけました。

場所:八鹿町浅間
豊岡市日高町日置の日置橋たもとのお地蔵さん

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