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栗本慎一郎コミュの複眼的読書のために

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栗本氏の数々の主張は、ジャーナリスティックかつ壮大(大風呂敷)で面白いのですが、疑問点や問題点を感じられたことはなかったでしょうか?

既にYUJIさんがマイケルー栗本の「層の理論」から離れ、独自の説を展開されていますが、崇拝では栗本氏の意思とそぐわないと思いますので異論反論を書き込んでみてください。

本やネットなどで見かけたものも、ぜひご紹介ください。

コメント(32)


本物の色物物理学者列伝
前野[いろもの物理学者]昌弘

−事例研究:栗本慎一郎編−
『人類新世紀終局の選択−「精神世界」は「科学」である−』(青春出版社)

http://www.asahi-net.or.jp/~ft1t-ocai/jgk/Jgk/Public/Color/biographies_06.html





橋下徹を批判する人々の底の浅さについて。:日本軽佻派大岡純と申しますっ! 2012年04月27日
http://ookajun.com/government/276/

>「知識人として」のわきまえを破った象徴的な人物をひとり挙げるとすれば、私は栗本慎一郎ではないかと思う。

>彼は、優れた経済人類学者であるにも関わらず、なぜか過剰に自己顕示欲の強い人で、有名なエピソードとしては「やめられないとまらない、かっぱえびせん」というコピーを作ったという話があるのだが、これも本人が披歴したエピソードだし、「もしも普通に就職していれば今頃は一部上場企業の経営者だ」なんて臆面もなく語っていたが、そう人前で公言してしまう時点で、経営者の才覚に欠けることは間違いがない。

>こういう浮かれ方を指弾するのに、栗本ひとりを名指しにするのは気の毒なところがあって、よく考えてみれば、栗本を含めて、あの80年代ニュー・アカデミズムの面々は、「俺たちを象牙の塔の世間知らずと思うなよ」と、無責任に言い散らかしていたような気がするのである。
江藤や西尾はそんな言い方はしていなかった。
あくまで「政治や経済については素人だが、文学者だからこそ言えることもある」という倫理と矜持を貫いていた。
松原正先生が「文学者だからこそ」フォークランド紛争の開戦を予想できた、なんてこともあったらしい(浅羽通明氏が著作で紹介していた)。
対するに、己の能力を過信し、大言壮語していた知識人が、学問以外の実務に手を出してみたら、現実には何もできなかったり、火傷を負ったりするというのは、栗本慎一郎の政界進出とか、柄谷行人の社会運動とか、ニューアカ知識人に共通する病だという気がする。
今また、やはりニューアカの旗手として知られた中沢新一がエコロジー運動へのコミットを表明しているが、これまでのパターンからして、きっと挫折するだろう。
この面々の中では慎重な浅田彰ですら、田中康夫との対談シリーズで軽率にも実務家たちを罵倒し、「俺なら見事に解決してみせるけどね」的オーラをふりまいている。

>どうもこの80年代あたりを境として「自分のあずかり知らない分野に対しては一定の敬意を払った上で、岡目八目を自覚しながらあえて言うべきことを言う」という知識人の流儀が崩れ、「ジャンルにこだわるなんてダサい、フットワーク軽く越境して、何についても好きなことを喋ればいい、だってオレ優秀だし」というモードが知識人の間に広がってしまったように思う。



反原発の旗手である広瀬隆を批判する際、西部邁と同じく、生命至上主義批判の観点からのものはさて置き(それも何だか観念的・三島文学的な感じがして今ひとつ分からなかったが)、しばらく経ってから、その具体的根拠も示すことなく、「広瀬隆ブームは大衆心理操作の一環として使われ、大衆の行動パターンのデータは分析対象として保存されている」みたいなことを言い出し、頭が混乱しました。

ネットで陰謀論が盛んな今ではよく見かける主張であり、しかも必ずしも妄想と言えず、ある意味、Facebookなどで現実となってきているんですが(笑)

当時はてっきり、米テネシー州ナッシュビルのヴァンダービルト大学客員教授時代(1986年〜1987年)、日本では太田龍や宇野正美あたりが訳してきたジョン・コールマン、ユースタス・マリンズ、フリッツ・スプリングマイヤーといった海外の陰謀論に触れ、それに染まったのかと…。

もしかしたらその前後に、宇野正美が訳した、

アーサー・ケストラー『ユダヤ人とは誰か―第十三支族・カザール王国の謎』(三交社 1990年)
The Thirteenth Tribe, 1976

http://mixi.jp/view_item.pl?id=265700
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4879191027

を原著で読まれたりしたのかもしれません。

そして、後の『パンツを脱いだサル』(2005年)になると、広瀬と同じような国際金融資本批判を露わにし、「この主張の是非はともかく、長年批判してきた広瀬隆と一体どう違うのか?」という感想を抱いたのも正直なところでした。


一方、今ではエコテロリズムやエコファシズムとして広範に知られる、グリーンピースやシーシェパードといった国際環境団体の問題ですが、フリッチョフ・カプラ、景山民夫、スティングなどの活動で一般には「グリーン運動=善」というイメージしか無かった当時(1980年代後半)から、栗本氏は

ジャニス・スタット ヘンケ『あざらし戦争―環境保護団体の内幕』(時事通信社 1987年)
http://mixi.jp/view_item.pl?id=214797
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4788787040

を薦めることで既に問題喚起していて、世間と違う視点を持った嗅覚の鋭さには敬意を持ちました。

【検証】カルビー「かっぱえびせん」のフレーズ “やめられない、とまらない” は社長の 大学の同窓生である栗本慎一郎のアイデアである:ガセとパクリと朝ブドー
http://d.hatena.ne.jp/gasevia/20071222/p1

・コメント欄より

>栗本氏はカルビーの仕事を手伝っていたころ、「仮面ライダー」についてあれこれ言っていたのが現実化したのを、自分の意見が通ったと勘違いして後にTVで公言してしまったようです。
>「仮面ライダー」の路線変更は放映開始前に起きた藤岡弘氏の負傷事故(第10話)を受けてのものです。
>また、栗本氏が「自分の進言による」と強調する棺桶からの登場シーン(第7話)も当然放映開始前にはクランクアップしていました。







栗本慎一郎 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%A0%97%E6%9C%AC%E6%85%8E%E4%B8%80%E9%83%8E&oldid=57072991



学説・思想

>大学の講義等において前衛芸術家の岡本太郎にも言及し、モースやバタイユやロジェ・カイヨワと、1930年代のパリで直接交流のあった岡本のことを偉大な思想家として評価した最初の言論人である。



ここは事実誤認で、戦後では、梅原猛(哲学者・思想家)が最初だったのでは?

「電波ゆんゆん」の元ネタ(福島県立清陵情報高等学校校歌「宇宙の奥の宇宙まで」)でも知られる、宗左近(詩人・評論家・仏文学者)も岡本太郎を評価していました。
『縄文日本文明一万五千年史序論』(成甲書房2003年)という著書がある太田龍(太田竜、革命思想家)も岡本のことを書いていそうですが、未確認。

WIREDさんおひさしぶりです。
複眼的読書?
のために栗本氏を上げていただいてうれしく思います。
自分が知ったのは、大学生のときです。
ほかの本もありましたが、たまたま買って読んだのです。
それを通していろいろ読んでいこうとなんとなく決めたのでした。
基礎は栗本にあると言っても過言ではありません。
ただ、そこから自分の考えはこうだだとか、その先にあるものを
考えたり、思ったり実践していかなくてはならないわけですよね?
WIREDさんはものすごくいろいろなことを知ったり、説明していると
思いますが、WIREDさんの方向がいまいち自分にはつかめません。
ついていけなくてごめんなさい、
ただ、最近は栗本は横浜ラボかな?そこで室井氏の主宰で発言してますね。
全部読めてませんが、中には、全人類滅びたほうがいいなんて発言も
ありました。神の否定?的な物言いかな?
ただ自分は、最近井口さんをネットで見てるのですが、そこには保江氏という方が
マリア様に助けられた、イエスの信じるものは救われるといったものは
秘密中の秘密と言ってるところとも読みました。
宇宙人のことも…エリア52?のことも、ニコラ・テスラのことも…
だからWIREDさんみたいに本当の幅広い知識もないけど、
とりあえず自分が知っていることをどう繋げたらいいのか
考えてます。いつもじゃありません。
>>[9]


おひさしぶりです。




>WIREDさんはものすごくいろいろなことを知ったり、説明していると
思いますが、WIREDさんの方向がいまいち自分にはつかめません。
ついていけなくてごめんなさい


いえいえ、とんでもないですあせあせ(飛び散る汗)
僕も試行錯誤中ですし、立場を表明していないところもありますので。

基本的に自分では、現在のところ、蛭川立氏や永沢哲氏に近いスタンスだと思っています。
両氏のような学術研究者ではなくアマチュアなので、間違っている点も多いと思いますから、ぜひともご指摘いただきたいです。

蛭川研究室
http://hirukawa.hatenablog.jp/entry/2015/04/27/081956

・サイキック・スピリチュアル現象に対しては、基本的には「肯定派」ながら、誤謬・トリック・フェイクも多いため、個々の事象については「ケース・バイ・ケース」

・政治的スタンスは、現在のところ、「リベラル右(保守ではない)」・・・国民国家の揚棄と東アジア共同体樹立がそう簡単に可能とは思えないため。




>最近は栗本は横浜ラボかな?そこで室井氏の主宰で発言してますね。
全部読めてませんが、中には、全人類滅びたほうがいいなんて発言も
ありました。神の否定?的な物言いかな?


シオランっぽいですね・・・(笑)

栗本氏には、

・シオラン、バタイユなどから受け継いだ悲観主義と、快感進化論にみられる楽観主義の同居
・カール・ポランニーから受け継いだ近代主義・市場経済批判と、マイケル・ポランニーから受け継いだ市場主義路線(新自由主義との違いがいまいち不明)の同居

があり、境界人みたいといいますか、時に分裂しているように見られる原因ではないでしょうか?



>最近井口さんをネットで見てるのですが、そこには保江氏という方が
マリア様に助けられた、イエスの信じるものは救われるといったものは
秘密中の秘密と言ってるところとも読みました。
宇宙人のことも…エリア52?のことも、ニコラ・テスラのことも…



ニコラ・テスラやバックミンスター・フラーといった共有関心領域がありますので、井口和基氏のブログもたまに覗きますが、ハード陰謀論的なところはスルーしています。
太田龍、デーヴィッド・アイク、飛鳥昭雄らの主張を、検証することもなく鵜呑みにしているように感じますので。

保江邦夫氏に関しても、梅沢博臣氏から受け継いだ量子脳理論の提唱、京都大学大学院時代からの盟友・中込照明氏の提唱する量子モナド理論(唯心論物理学)支持、といった部分には興味がありますが、武道や神秘体験の記述には距離を置いているところです。





>最近は栗本は横浜ラボかな?そこで室井氏の主宰で発言してますね。



これですね。




横浜都市文化ラボ

栗本慎一郎特別講義「この人*を見よ! Ecce Homo-pants!」(全5回 2014/10/18〜2015/01/10)公開しました。(2015/03/31)


http://y-labo.wix.com/home#!%E6%A0%97%E6%9C%AC%E6%85%8E%E4%B8%80%E9%83%8E%E7%89%B9%E5%88%A5%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E3%80%8C%E3%81%93%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%82%88%EF%BC%81-Ecce-Homopants%E3%80%8D%E5%85%AC%E9%96%8B%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82/c1pmj/551a9be30cf21d84af68c7a9

https://ja-jp.facebook.com/yokolabo/posts/757437337704051


PDF版
http://y-labo.kitanaka-school.net/2015kurimoto.pdf




>>[10]


【訂正】


マイケル・ポランニーから受け継いだ市場主義路線

→マイケル・ポランニーから受け継いだ自由主義路線(「新経済民主主義」の提唱など『大転換の予兆』)



マイケルはハイエクの「自生的秩序」に影響を与え、一方、社会主義を評価したカールは「自生的秩序」に批判的だった(『人間の経済』p.28-29)と記憶しています。



編集部の方針や大半が一般啓蒙書の形を取っているため、仕方ないのかもしれないが、レファランス類(参考文献・サイト)が明示されていないため、せっかくの斬新かつ壮大な数々の仮説をなんら検証することができないままに終わってしまいがちである。





『人類新世紀終局の選択―「精神世界」は「科学」である』(青春出版社 1991年, 文庫『人類は思考する“金魚”である―精神世界から科学へ、科学から精神世界へ』1993年)
http://mixi.jp/view_item.pl?id=1725570
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4413030184
http://mixi.jp/view_item.pl?id=565995
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4413090152


に書かれた


「脳の側坐核に人類の記憶(前世の記憶?)がある」という主張も、参考文献が示されていないため確認できなかったが、やはり事実誤認と思われる。



【病気・身体の変化と社会の変化のつながり】


という問題提起をしながらも、2005年に復刊されることなく、封印された?



『パンツを捨てるサル―「快感」は、ヒトをどこへ連れていくのか』(光文社カッパサイエンス 1988年)
http://mixi.jp/view_item.pl?id=26940
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/433406034X
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%92%E6%8D%A8%E3%81%A6%E3%82%8B%E3%82%B5%E3%83%AB


のアイデアは、文中に引用されている


ハンス・ジンサー『ネズミ・シラミ・文明―伝染病の歴史的伝記』(みすず書房 1966,1984年)
http://mixi.jp/view_item.pl?id=1882570
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622016591


以外だと、表にはまったく出ていない


アーノ・カーレン『病気はヒトをどう変えたか―バイオヒストリーの探究』(秀潤社
2000年)
http://mixi.jp/view_item.pl?id=3762176
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4879620769

Napoleon’s Glands and Other Ventures in Biohistory (1984)
https://en.wikipedia.org/wiki/Arno_Karlen


から、実は得られたものではないかと思われる。



>>[10]

こんばんは。
いそがしいのに付き合ってくれてありがとう。
神の問題…
シオランですか?
んー変換がうまくいきません…冷や汗
英数変換してもヌワワとしか出てきません…
百冊の本の百を英数変換してもヌワワ…
カナ入力なので…
シオランはその百冊の本に入っていましたがあまり読めてません。
人類は全滅すべきなんて言ってますが、
それを読んでんーと思いますが、
やはりとりあえずは、自分が死ぬなんてこと考えられません。
ほかの人もそれを読んでもそうだと思います。
まさか自分が急に死ぬなんて、そんなこと思いません。
何でだろう?
言ってる本人(栗本)も読んでる自分も死ぬなんてね…
ただ本人はそれを考えているだろうと思うのです。
なぜか?
ただ現在は人を造りし神はなぜもこう差を黙っているのか?
それならばわれわれを含めた人類、支配してると思ってる側もされてると思ってる側も
この際一気に…なんて感じなんだと思います。
栗本は最終講義の中で、半村良との会話で、当時「神様発見しちゃった」という
半村氏に対しひどい反応ををして、会話できなかったとありますが、今ならつきあえると
書いてありました。
「神は自然に一人ひとりの胸のうちに宿られていいはずだ。」と、
だからラボの発言と違うかもしれませんが、「神」が問題になると思います。
神と言わなければ、信心?そういうものが宇宙で力を発揮するというか…
ちなみに自分は最近仏様と神様に朝ロウソクに火をつけ、お水を揚げ、
いろいろ祈ってます…ビック当たれとかあっかんべー


ね、
なかなかいろいろと書いていきたいのですけど、
なかなか書けなくてすみません。

90年代には大衆批判・マスコミ(ニュースステーションの久米宏に代表される)批判を西部邁とともに繰り広げていた栗本氏だが、彼は同時に吉本隆明の影響もかなり受けているため、文中に出てくる「大衆」がオルテガ-西部的ニュアンスなのか、吉本的ニュアンス(柳田国男の「常民」に連なる?)なのか、曖昧なところがある印象を当時受けた。


-------------------

《参考資料》

・西部邁+平岡正明+栗本慎一郎『情念と幻想―その現実論』(はあべすたあ [Harvester] 1981年)|king-biscuit's recommended 2009/03/09

>タイトルからしてもう時代モノだ。「情念」のこの「情」の字が重要。同様の使い方に「情況」なんてのもあった。いずれ吉本隆明が使って流行らせたもの(だと思う)。心理や思い入れ、よりもっとこってりしてややこしい何ものか、を託そうとする気分が込められている、と解釈していい。
>で、並列で「幻想」とくるから、これはどこから見ても吉本の影響下にあるわけで、その意味で仕掛け人である栗本慎一郎のお里もまた、はっきり知れるという次第。

http://d.hatena.ne.jp/SIU/touch/20090309/1189387748

・犯罪者を糾合して革命 を起こす「犯罪者同盟」の評価と変節(呉智英)|NEWSポストセブン 2017/07/21
https://www.news-postseven.com/archives/20170721_595328.html

Gyanさんとの対話にて



WIRED
吉本隆明、小室直樹、西部邁、柄谷行人、中沢新一の根強い人気に比べ、栗本慎一郎が今ではすっかり忘れ去られた状態なのはなぜなんでしょうか?
反原発・広瀬隆批判やバシャールやエドガー・ケイシーといった精神世界への傾斜、アンチ・マルクス&左翼から新保守への軌跡、政界の人物評価の紆余曲折(小沢一郎、石原慎太郎、小泉純一郎)などが尾を引いたにしても、ちょっと解せないところがあります。
こういう疑問を抱いてしまう僕は、哲学・思想に対する筋が悪いのですかね…?
結局、彼は「境界人」というラベリングを貼られたということなのでしょうか。


Gyan
一時期は次々と本を出版していたのに、政治家に転身したり体調の悪化もあったのか、本の出版が歴然と減っていったから、単純にそうした理由で注目度が落ちたという事情もあるのではないでしょうか?
そもそも売れた本にしても、本格的な理論書ではなくて『パンツをはいたサル』シリーズだったりなので、ほぼ注目度がそうした方面に偏っていたため、そうした本が出なくなって、マスコミが取り上げなくなったということだと思います。


WIRED
柄谷行人や姜尚中が好きなマイミクさんなんですけど、「中身が浅すぎ。メジャーで売れた最初からの印象です」という声がありました。
論壇をはじめ、皆さん沈黙していますが、そういう印象や言動が分裂していたという印象の人は多いのでしょう。
確かに、後期はサラリーマンを主なターゲットにした口述筆記のものが多かったため、粗や矛盾も目立ちましたが、『意味と生命』(青土社)という力作・問題作もありましたし、かなり早い時期から「波動」「共振」に注目していた人だし、僕は必ずしも「浅い」とは思わないんですよね。
そこは、ケン・ウィルバーを無視するのと同じく、日本論壇の限界でもあるんじゃないかと思います。
中沢新一は一応、学術書の体裁を整え、アート系にもウケていますし、その辺りの戦略が上手くいったんでしょうね。
『意味と生命』の量子論や時間論に関しては、「基礎的誤謬があるんじゃないか」という指摘もありました。
http://open.mixi.jp/user/12258289/diary/743850141


Gyan
あと、学術的な観点からすると、「問題提起としては優れていても、十分に経済人類学の体系化を推進しなかった」という評価をされているのだと思います。


WIRED
もともと、近代以降の日本社会では、発散・水平思考型(矢印左右収束・垂直思考型の専門家)はあまり評価されない傾向があるような気もします。
他には、依拠したポランニー兄弟で、自由主義派(→ハイエク「自生的秩序」へ)のマイケルと社会主義派のカールの齟齬が最初から内在しており、それをうまく解消できなかったということもあるのではないでしょうか。
栗本さんの表層の派手な言動が取り上げられるばかりで、例えば、マルクスの学説批判(貨幣や市場や交易などに関する学説の違いなど)においても真正面からの反論・議論はほとんど無かったように感じます。
バブル時代に踊った流行思想家、イロモノ・キワモノ、トンデモさんとして扱われてしまうのは、残念なことですね。
小室直樹もトンデモさん扱いされていましたが、理論体系としては近代志向で比較的分かりやすかったので、現在の人気に繋がっているのかもしれません。


Gyan
マルクス派の論評はゴドリエまでで、栗本さんへの本格的な言及は無かったように思えますね。
『経済人類学』ではゴドリエの限界を指摘して、新たな地平を切り開く道を示していますが、そもそもマルクス派とは前提が違うので議論が噛み合わないのだと思っていました。
ポランニー兄弟の政治的立場の違いは、そんなに問題だったのでしょうか?
『ブダペスト物語』では、その辺は簡単にスルーされてましたね。
僕も主要なテーマになるほどのことではないと考えていました。

WIRED
>そもそもマルクス派とは前提が違うので議論が噛み合わないのだと思っていました。・・・そうですね(苦笑)
ただ、そこからお互いの前提の違いについて議論を深めることもできたのではないかとも思うのですが。
当時は、マルクス主義経済人類学の山崎カヲルからの批判はあった記憶があります。
栗本さんは自身の左翼運動体験の反動からアンチ・マルクスに固まり過ぎているきらいはあるから、その辺は玉野井芳郎に拠って補整しようと思ってきました。
>ポランニー兄弟の政治的立場の違いは、そんなに問題だったのでしょうか?・・・栗本さんの場合、前期はカール寄りの市場経済批判を展開していましたが、後期になると、次第にマイケル寄りになっていって、『大転換の予兆ー21世紀を読む』(東洋経済新報社 1992年)では市場経済を一定評価する「新経済民主主義」(人々がシンボリック・アナリスト層へ公平な競争によって入れるような体制を整えること)を提唱していました。
あと、「空気も市場交換にせよ」と提言してみたり。
その新自由主義やリバタリアニズムとの差異が今ひとつ分かりにくかったですね。
ちょっとそこに齟齬・矛盾が露わになっているように、当時は感じました。

Gyan
はい、確かに山崎カオルから批判があったと思います。
しかし、前提の違いが議論の発展を阻害したような印象を持ちました。
栗本さんの左翼体験は、本人の言葉からは軽い印象しかないですね。
『経済人類学』では、すでにカール・ポランニーに依りつつも、独自に議論を発展させる立場を明確にしていた印象があります。
確かに、その後マイケルを大々的に評価していきますが、それは主として『暗黙知の次元』での評価でしたよね。
僕は栗本さんの市場経済への一定の評価は、そもそも経済人類学の立場としてビルドインされていると見做していたので、とくにそこに矛盾は感じなかったです。


WIRED
>栗本さんの左翼体験は、本人の言葉からは軽い印象しかないですね・・・栗本さんは慶應大で岩田弘の世界資本主義論に依拠するブント系(マルクス主義戦線派)のリーダーだったそうで、横須賀港の原子力潜水艦寄港反対運動(1964年)などに参加しなかった広瀬隆に対し、「じゃあ、君は学生の時何をやってたんだ?」と朝まで生テレビで問いかけたようですが(唐突な発言だったので理解されなかった)、その時代を体験していない僕は、こうした左翼運動体験が軽いのか重いのか判断できません。


Gyan
リーダーだったのは本人も語っていましたが、具体的な過去の体験談が非常に軽いノリなわけです。
他の左翼運動体験者とは、どうしても違う印象なのです。


WIRED
なるほど。
すみません、良くも悪くも栗本さんがキャラ立ちした「坊ちゃん(夏目漱石)」であることは確かなんですが、80年代の「軽チャー」時代の発言でもありますから、左翼運動体験のまったく無い僕は何とも言えないです。
日大や早稲田大に比べると、当時の慶応大は経済的に恵まれた家庭の人がかなり多いイメージですよね。
現代思想界の他の論者に比べ、「なかなか鋭い視点だ」「何が言いたいのかよく分からん…」「それは違うのでは?」といったツッコミを入れやすいところが、僕にとって栗本さんの親しみやすい魅力でもあったかもしれません。
栗本慎一郎から影響を受けたことを公言している著名人は、大和雅之(生物学)と室井尚(美学)くらいという淋しい状況で、小保方晴子の師の1人でもあった大和さんは2014年2月5日に脳出血で倒れ、入院・長期療養を余儀なくされています。
日本の現代思想が語られる際も、近頃はスルーされることが多く、その意味で、仲正昌樹『集中講義! 日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか』 (NHKブックス)で栗本さんについて言及されたことは正当な評価として嬉しかったです。
Gyan
僕は仲正昌樹には強い反発を感じてしまうのですが、その点では、まあそうかもしれないですね。


WIRED
僕の場合、仲正昌樹は「日本のポストモダン左派の弱点・盲点を突いているかな」と思って、萱野稔人と共に読んできた感じです。


Gyan
仲正は、洞察に深みがないのと、本人が感情的に反応してしまう傾向が強いので、こんなのが著名な学者として論壇に多大な影響を及ぼしているのは何とも悲惨な現状だとすら思っています。


WIRED
そうですか….(苦笑)
それから、ワールドメイトの深見東州(本名:半田晴久)と繋がってしまったのも、栗本さんの後期のマイナスポイントかもしれません。
國弘正雄や松本道弘も深見と繋がりがあって、ちょっと驚きましたが。


Gyan
そうしたことを問題視する論壇の方が、近代的な知の限界という枠組みから解放されてないだけのことだと思います。


WIRED
僕自身もワールドメイトに対してあまり良いイメージが無いのですが、確かにそういう近代知識人的な日本論壇の限界という側面もあるかもしれませんね。


Gyan
繋がったから高く評価していたとは限らなくて、いろいろフィールドワーク的な観点からも積極的に関わったのではないでしょうか?
ちなみに、ぼくは逆にワールドメイトに対して、あまり悪いイメージは無いのです。


WIRED
>繋がったから高く評価していたとは限らなくて、いろいろフィールドワーク的な観点からも積極的に関わったのではないでしょうか?・・・以前から様々な新宗教団体のフィールドワークもされていましたから、そうかもしれませんね。
>ぼくは逆にワールドメイトに対して、あまり悪いイメージはないのです・・・そうですか。僕は新宗教や古神道に対し、嫌悪感や警戒心もありますので…。
大本(出口なお、出口王仁三郎)には少し興味ありますけど、艮の金神のことなど、正直、やはりよく分からないです。
>>[3]の補足
>江藤や西尾はそんな言い方はしていなかった。

江藤は江藤淳、西尾は西尾幹二です。

>>[6] に関する補足情報

かっぱえびせん「やめられない、とまらない!」を考えたのは私 生みの親がカルビーを提訴(デイリー新潮 2017/12/13)
https://www.dailyshincho.jp/article/2017/12131659/?all=1


 1964年の発売以来のロングセラー「かっぱえびせん」。そのお馴染みのキャッチコピーをめぐり、生みの親がカルビーを訴えた。

 ***

「えびせんをつまみながら、企画を考えていました。一袋目を食べ、もう一袋を開けようとした時、“思わず手が出る やめられない とまらない”といったフレーズが閃いたのです」

 と語るのは、当時、かっぱえびせんのCM制作を請け負った広告代理店「大広」の元担当者・日高欽治氏(80)である。このCMは広島と東京で放送され、その後、別の代理店に代わり拡大版が全国放送されると、かっぱえびせんはカルビーの大ヒット商品に。だが、件のコピーの発案者は長らく不明とされてきた。

 それを知った日高氏は、2010年にカルビーに手紙を送り、同社の東京本社を訪問。“誕生秘話”を披露すると伊藤秀二社長は感激し、社内報に載せるための写真撮影もあったという。

 ところが、後にCMを別の会社が著作権登録していたという理由で、社内報への掲載は見送りに。さらには、社長との面会後に放送されたテレビ番組や新聞記事では、“コピーは社員が考えた”と紹介されていた。

 これに怒った日高氏は、名誉を傷つけられたとして今年7月に東京地裁に訴えを起こした。

「自分に著作権があるとは思っていません。ただ、テレビ番組や新聞を見た人は、どう思うか。私が嘘をついていたと思うはず。それはクリエイターとして堪えがたい」

 損害賠償請求額は1億5000万円だが、これは金額がないと裁判にならないといわれたためで、「お金が欲しいわけではありません」と日高氏はいう。さて、カルビーはなんと答えるか。

「日高様の面会のご要望に可能な限り真摯に対応させて頂いておりました。それだけに、今回提訴されたことは誠に残念でなりません」

 12月14日発売の週刊新潮で詳しく報じる。

「週刊新潮」2017年12月21日号 掲載

新潮社


★栗本氏の発案ではないようですね。

リンクが切れているところで、可能なものだけ復元しておきます。

>>[2]
本物の色物物理学者列伝
前野[いろもの物理学者]昌弘
−事例研究:栗本慎一郎編−
『人類新世紀終局の選択−「精神世界」は「科学」である−』(青春出版社)
https://web.archive.org/web/20011214150157/http://www.asahi-net.or.jp/~ft1t-ocai/jgk/Jgk/Public/Color/biographies_06.html

>>[10]
蛭川研究室
http://hirukawa.hatenablog.jp/entry/2015/04/27/081956
現在、閉鎖中。復元できず。
ジェボンズの太陽黒点説を再検討した結果、否定的な論文です。(RandTandCさんより)
https://econ.meijigakuin.ac.jp/research/nempo/pdf/27-6.pdf

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