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東アジアの近代建築コミュの旧三越京城支店(現新世界百貨店本館)誕生80周年を記念して

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ソウルに唯一残る日本時代からの百貨店建築である現新世界百貨店本館が昭和5年(1930年)に三越京城支店として誕生してから今年で丁度80周年を迎えます。
もう既に本コミュニティーにて幾度かトピックに挙げられている同建築ですが、これを機にその歴史的意義も含め、改めておさらいを試みたいと思います。

近代資本主義の権化とされるデパートが朝鮮半島にもたらされたことは、日本統治が本格化した1920年代中盤に輝かしいショーウィンドーとその中に並べられた珍らしい商品、新式販売制度と共に当時の朝鮮人らに衝撃と憧憬の念を与えました。

デパートは朝鮮の中小商人を威嚇する一方、大衆の日常に深く食い込みました。

誕生当時の地名である京城府本町1丁目からソウル特別市中区忠武路1街と名前を変えた現新世界デパート本店は毎日人々で込み合っています。

昔も今もデパートは物を買うためだけの場所というよりは、入場料の要らない快適で洗練された複合文化空間と言えます。

80年前にもこちらは数多くの'モダンボーイ'と'モダン ガール',文人、芸術家の社交と談話のための場所でした。

現在の新世界デパート本店で名品ブランドが入店している本館は日本時代最高の売り上げを誇った三越デパート京城支店でした。

2005年本来の外観をそのまま生かして再開館しました。

日本時代にこの建物にあった中央階段の一部が京畿 龍仁市南四面の'韓国商業社博物館'に保管されています。

西洋の資本主義をいち早く受け入れた日本では、1905年にデパートが初めて客に対しドアを開放しました。大量生産が可能になるということによって大量消費を誘導する空間が必要だったのです。

しかし朝鮮は日本による資本主義が真っ最中だった1920年代、京城に進出していた平田商店が大正15年(1926年)営業を開始するとデパート時代が開かれました。

現在の明洞一帯に敷地を定めた丁子屋、三越、三中井等の日本人資本によるデパートと、唯一朝鮮人が運営する和信デパート(現鍾路タワー)を合わせて京城の5代デパートと呼ばれました。

デパートは豪勢な外観で当時の朝鮮人を圧倒しました。ショーウィンドーとエレベーターなど新式施設を整えたデパートは修学旅行や京城に来た客の必須観覧コースになって連日混雑しました。

その中でも当時三越デパートは屋上庭園も含めて、朝鮮人をして高級飲食店、美術館などを整えたデパートを楽しむ近代的感覚自体を新しい文物の恩恵として感じさせた張本人でした。

三越は物を売る方式も革新的でした。値札制と割引大売り上げ、無料配達、自由な返品、広告、商品券発行などは過去の商店のサービス基準からはまったく斬新なものでした。

昭和8年(1933年)2月の三越と和信そして丁字屋三デパートの一日顧客数の合計は34万人で、当時京城の人口30万人を凌駕していました。

特に1935年から40年にかけて朝鮮人の購買力が高まりました。
しかし当時デパートで消費できる階層はきわめて一部であり、これは大衆に新しい階級の誕生を意味したことにも留意しなければなりません。例えばデパート近隣あるいは内部に店を構えるカフェのコーヒー一杯の値段は10〜15銭で、当時の朝鮮人男労働者の給料60〜80銭で出入りすることは容易ではなかったことは容易に想像できます。


日本統治終了後65年、今日も新世界百貨店は買い物客で混み合っています。
消費を目的として豪華なデパートに入る21世紀の'モダンボーイ'と'モダン ガール'を見て、1930年代の京城のデパート風景に思いを馳せざるをえません。

尚中央の写真から判る通り、本館は日本統治終了後1階分の増築を経ましたのでその外観は原型から少々乖離を伴っていましたが、2005年の修復工事はより本館を原型に近づかせました。


以前のトピックでも少々言及されておりましたが、本館修復工事は韓国における歴史的建造物の修復という面で前例のない数々技術が発揮されました。

特記すべき点のひとつとして、そのリモデリング過程において、建物外壁を覆った黄色の光タイルを新館と同じ赤色花崗岩で全面交換した点です。また、全面のバルコニー欄干、軒下装飾、柱頭装飾、正門天井そしてショーウィンドー窓の桟の原形を復元したことも画期的でした。

建物外壁タイルを全面交換したことは論議を起こす程大きな話題でした。文化財価値が高い近代建築物の外観を変えたためです。

一般的に外国では建物外壁を原形のとおり維持しながら内部構造を変える場合が多くなっています。韓国でも過去の大法院をソウル市立美術館でリモデリングする際にこの方式を採用しました。

リモデリング前の外壁タイルは原形ではなく、1985年に交替さられたものでして、安全性という観点から花崗岩に交替されました。

新世界本館は新館が入った後にも当初のデパートでそのまま活用されるという点で特別に注目される。 また他の代表的近代建築物の過去のソウル駅や新村(シンチョン)駅は新しい建物が入った後ほとんど捨てている。 その上に韓国銀行本館を貨幣博物館に変わったことが当初用途を反映した珍しい事例だ。

工事を担当した新世界建設によると一般建築より3倍以上の費用がかかり、工事期間も予定より6ヶ月が増えたとしてそのコストの高さを振り返りながらも近代建築物のリモデリングの模範を作ったとしています。

しかしながら本館の建物は登録文化財に指定されませんでした。

文化財に指定・登録されなければ、建物主がいつでも思いのままに壊すことができ、永久に保存されにくいのは容易に想像できます。文化財庁はかねてから新世界側にに近代文化財登録を勧告したが、‘法的制約がある’として拒否したと明かしました。

しかしながら新世界広報チーム部長は近代文化財として登録する計画はないものの、文化財としてよりも更によく保存し活用していく意思を表明しました。

三中井、丁字屋、平田そして和信の建物が全て姿を消した今、新世界百貨店本館の歴史的意義は更に大きなものとなるでしょう。

因みに我が国日本の東京では旧京城三越支店とほぼ時を同じくして完成した日本橋高島屋店の建物が文化財指定を受けました。







コメント(1)

少し前にボヤ騒ぎがあったようですけど、大丈夫だったのでしょうかね。

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