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琉球の歴史を考えるコミュの沖縄のグスクを考える

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グスクを共通語に訳す場合非常に難しい。

一般的には「城」と訳してはいるが・・・。

1戦の拠点(砦)
2見張り、物見台、中継
3御嶽(拝所)
4墳墓

などの目的と思われるものが多い。



コメント(11)

1戦の拠点(砦)らしいグスクは・・・。

自分が回った範囲では、
中城
今帰仁グスク
勝連グスク
安慶名グスク
糸数グスク
大里グスク
浦添グスク

想像で、あったろうとおもわれるものは、
第一尚氏時代の首里城
豊見城

ざっとこれらが、砦の要素を持っているように見える。
旧具志川市と石川市、与那城町、勝連町が合併してうるま市になった。
そのおかげで、うるま市は、めっちゃグスクの宝庫となった。

自分が行ったところだけでも、
喜屋武グスク
安慶名グスク
天願グスク
具志川グスク
勝連グスク
伊計グスク
伊波グスク
江洲グスク

など

勝連グスク、安慶名グスクを除いては、
殆どが御嶽の延長のように思われる。

具志川グスクは、
糸満と久米島にもあって、この名前に意味があるのかも知れない。
立地が、岬の突端にあることが特徴で、
ミーグスクのはしりかもしれない。

ミーグスクとなれば、単独では存在しないので、
新たな疑問が生まれてくる。
沖縄市の知花グスクは、その形状からして御嶽の要素が強い。
その麓には、鬼大城こと大城賢勇の墓がある。

グスクの形状は、階段で上れるようになっているが、
頂上というか、御願場所までは、
険しい道を登らなくてはいけない。

自分が出かけたときは、鎖が張ってあって、
それにつかまって上る状態。
とても年寄りに上れる状態ではなかった。
今帰仁には、池グスクというのがあって、
石灰岩の断崖を利用した、明らかなお墓。

ここに立つと、よくこんなところを見つけたな、
とすごいなと感動させられる。

周りには、多くのお墓があり、
学問的にいえば、古墳群。

もともと、今帰仁は古墳群が多いので、
不思議はないが、グスクの名がつくものは少ない。

場所的には、歩きにくいところを行くので、
特別注意が必要だし、
万一を考えると、1人では行けない。
具志川グスクは、3箇所ある。
久米島町、うるま市、糸満市の3箇所だ。

勝手に感じを当てているが、これを何と発音するか、
どうして同じ名前なのかが、疑問だ。

久米島から糸満へ移り住んだという説があるが、
うるま市にもある以上は、簡単に納得できない。

自分は、久米島の具志川グスクを見たことがないので、
正確な判断は出来ないが、
うるま市と糸満市のものを見る限り、
グスクのある場所の地形か、
その建設の目的を指すのではという気がする。
同じ名前で多いのが、ミーグスクである。
新しい意味のミーといわれることもあるが、
立地の様子を見ると、
基本となるグスクがあって、
海(港)の出入りを確認する役目を担っている、
と考えるのが一般的。

中城にもあるし、島添大里グスクにもある。
那覇の三重グスクもミーグスクの変形であるといわれている。

浦添グスクの伊祖グスクも、
ある意味ミーグスクであるといえる。
グスクの名には地名が多い。
果たして当時そのように呼ばれていたかは、定かではない。

しかし、何かの意味を持っていたことは確かである。

例えば、
大城、中城、小城
これは、大きさの大中小を表したものではないことは、容易に理解できる。

どのように発音するかでも、意味が違ってくるのだろう。

大城は、ウフグシクと発音することが、一般的。
同名の地名があることから、地名を取ったのか、
近くにメインになるようなグスクが、存在することで、
何か関わりのある意味があるのか。

中城は、ナカグシクであろうが、
資料によっては仲城と書いてあるものもあるので、
「中」には意味はなく、その音に意味があるのでは・・・。

小城は、地名ではオグスクと呼んでいるが・・。
八重瀬町のマチ棒の伝承地だが・・・。

コグスクと呼ぶとしたら、湖城も当てられていいことになる。

小城は、八重瀬町にしか見当たらないので、
地域の独自性があるのかもしれない。

グスクの名前も単なる地名では無いと考えると、
新たな疑問と興味が湧いてくる。
なかなか書く時間が無くて、久々です。

南城市玉城もグスクの宝庫である。
ざっとあげても、
玉グスク
糸数グスク
垣花グスク
ミントングスク
など

玉グスクは、
安慶名グスクと並んで、
大きな岩を刳り貫いて作った門が特徴。

糸数グスクは、
かなり大きなグスクで、
物見台といわれるアザナもあるので、
砦の役目をしていた可能性が高い。

ミントングスクは、
神様が住んだといわれるグスクなので、
もっとも古代的。
地主がいらしゃるの許可を取ってから見学してください。
先日ある書物に、
座喜味城跡の説明があって、
あたかも戦の拠点であるがとく書かれていた。

これは、あまりにも認識不足。

北からの侵攻を防ぐものであれば、
屋良グスクのほうが信憑性が高い。
比謝川沿いで、西海道沿い。

それに比べて、座喜味城跡は海岸近くで、
守備的要素が低い。

さらにグスクの構造が、
城の体をなしていない。

内外の2郭からなり、
外郭の門から内郭の門まで、
なんの抵抗もなく進むことができる。

こんな攻めやすい城は考えられない。

つぎに壁面に犬走り(士走り)がない。
つまり、城壁から敵を攻撃する仕組みになっていない。

眼下には長浜港が望めることで、
貿易港ということも考えられるが、
首里からは、浦添牧港のほうがはるかに近い。

持論は、前にも述べたが、
通信中継基地である。

つまり、首里王府からののろしを、
北山監守へのろしで伝え、
北山監守からののろしを首里王府へ伝える。

そんな役目を担っていたと考える。

読谷のこの場所は、通信の重要地点なのだ。
これは、現在も昔も変わらないということだ。

近くには、NTTのパラポラアンテナがあり、
北部への中継の拠点になっているし、
米軍の無線基地があったことでも、
容易に証明できる。

護佐丸自身は、のちに中城に移ることになる。

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