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ミセス・シンデレラ研究会コミュのミセ・シンと『マディソン郡の橋』。

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 別トピックで、『ミセス・シンデレラ』と『マディソン郡の橋』について、コ
スモスさんと語り合うチャンスがあった。せっかくなので、二つの作品の
相違点について、皆さんと考えてみたいと思う。

 映画『マディソン郡の橋』は、世界的ベストセラーの同名小説を原作と
しており、日本では1995年に公開されている。1997年4月放映の『ミ
セス・シンデレラ』の制作者達も当然、原作や映画に接しているに違いな
い。

 『マディソン郡の橋』については、多くを語る必要はないだろう。アイオ
ワ州マディソン郡ウィンターセットには、屋根のついた橋がいくつか存在
する。そのうちのひとつ、ローズマン橋の写真を撮るため、ナショナル・
ジオグラフィック社の契約カメラマン、主人公ロバート・キンケイド(クリン
ト・イーストウッド)は、橋を探して道に迷い、道を尋ねるために立ち寄っ
た農家で主婦フランチェスカ(メリル・ストリープ)と出逢う。彼女の夫と子
供達は、牛の品評会に出かけ、週末までの4日間不在だった。道案内を
買って出たフランチェスカとロバートはローズマン橋の撮影に出かけ、お
互いに強く惹かれ合う、というのが物語の概要である。

 映画『マディソン郡の橋』を観て、予想を完全に裏切る、素晴らしい映
画だったことに、私は正直、驚いた。この映画は、原作も含め賛否両論
で、熱狂的なファンがいる反面、同じくらい嫌悪する人々が存在する。
好きか嫌いか以前に、理解できるかできないかの部分が多い。単なる中
年男女の不倫の物語と言ってしまえば、それっきりだろう。批判派の意
見をみると、「くだらない」「共感できない」「不倫は不倫だ」という意見が
圧倒的で、中には「吐き気を催した」という人もいる。しかし、果たして、
それで終わってしまって良いのだろうか。私はこの映画のテーマはもっ
と深いところにあると思う。未見の方は、ぜひご覧になってほしい。

【主人公の環境】

 フランチェスカ  イタリア出身。米軍兵士だった夫とイタリアで知り合
           い、恋に落ちて、米国へ渡った。教師をしていたので、
           高い教養と豊かな感性を持つが、夫の出身地は田舎
           で、フランチェスカが家を守ることを夫が望んだため、
           専業主婦をしながら、農園、牧畜の手伝いをしている。
           夫、息子、娘と同居。

 香山みずほ    福島県郡山出身。夫・泰之とは、会社の上司の紹介
           でお見合い結婚だったと思われる。口うるさく、厳しい
           姑と同居。夫は仕事は一生懸命で順調に昇進していく
           が、みずほには向き合わず、話にもほとんど耳を傾け
           ない。イタリア語教室と文鳥チロだけが心のよりどころ。
           豊かな感性を持つが、単なる専業主婦。


【主人公が出会った男性】

 ロバート・キンケイド 写真家。世界中を撮影旅行する、雑誌社の契約カ
             メラマン。高い精神性の持ち主で、心の内にある充
             たされない孤独を自覚している。穏やかな紳士。

 堀井 光       音楽家。ローマを拠点とし、国際的な評価の高い天
             才作曲家。若い頃、両親を事故で亡くし、恩人に育て
             られた。恩人の娘、幼馴染の詩織と婚約しているが、
             どこか充たされないものを感じていたと思われる。
              繊細だが、時にお茶目。

【出会い】

 フランチェスカ  橋の写真を撮りに来て、道に迷ったロバートを案内して、
           ローズマン橋に向かう。

 香山みずほ    逃げたチロと公園で遊んでいた光と出会う。


【主人公の決断】

 フランチェスカ   いったんはロバートと駆け落ちすることを決心するが、
            家族を傷つけることを恐れ、思い止まる。夫には生涯隠
            し通したが、子供達には死後、遺書で明かす。

 香山みずほ     いったんは駆け落ちを決心。泰之に自ら打ち明けたこ
            とで、家族は大波乱に巻き込まれる。結局、泰之と離婚
            し、光とも別れ、生まれてくる子供と二人で生きていく道
            を選ぶが、泰之の謝罪と捨て身の求婚で新しくやり直す。

【男性のその後】

 ロバート・キンケイド  フランチェスカを愛し、その思い出と共に生涯を終
             える。死後、遺品をフランチェスカに送るよう遺書に残
             し、遺灰はローズマン橋からまいてほしいと遺言する。

 堀井 光        みずほへの思いを秘めたまま、詩織と結婚。娘をも
             うける。6年後、みずほとの思いをテーマにして作曲し
             たのが、主題歌『DO NOT』だと私は解釈する。

コメント(4)

<sumikoさん>

>「マディソン郡の橋」、私も見ました。
>私はこの作品が好きです。

 コメントありがとうございます! sumikoさんも『マディソン郡の橋』がお好
きだったんですね。この映画には興味もなく、観る予定もなかったのですが、
友人の一人が飲み会で酔うと、この映画が良かった、感動したと毎回言うも
のですから、仕方なく、DVDで観ました。クライマックス、あまりに大きな衝
撃を受け、私は座ったまま、2回連続で観入ってしまったほどです。

>フランチェスカがロバート・キンケイドとの出会いがあって
>自分が女性だと言うこととか、美しいと言うことを
>再確認し、再度女性として自信が持てたということに
>私は共感できました。

 ロバートも光も、口先だけで褒めていませんよね。彼らは本当に、フランチェ
スカやみずほの価値を認め、素直に褒め言葉を口にしています。特に、ロバー
トの場合、穏やかで寡黙ですから、彼がフランチェスカを褒める言葉は金言で
す。ロバートが言う通り、フランチェスカには高い教養と豊かな感性があって、
本来は田舎で主婦をやっているような女性ではないのですね。彼女の才能に
目を向けず、ただ家を守って欲しいと願ったご亭主は純朴ながら、彼女の心の
乾きに気がつくことなく、淡々と毎日を送ることに平安を見出していたのでしょう。
フランチェスカの家族の食卓は、彼女にとってウェイトレスのように奉仕をする
場所であって、家族が歓談してお互いを高める場でなかったのは明らかです。

>「ミセスシンデレラ」もそうですね。
>みずほと同じ気持になってしまい、
>私は堀井光を演じた内野聖陽さんの大ファンに
>なってしまいましたから。

 わかりますね〜。みずほが置かれていた環境は、フランチェスカが漠然と孤
独や充たされない思いを抱いていたのに比べ、同居の姑や頻繁に遊びに来る
小姑に小言を言われ、夫からはまともに会話もされない「明らかに可愛そうな
嫁」でした。光のような爽やかで、自分の価値を認め、共に歩みたいと願ってく
れる男性が目の前に現れれば、夫や家庭の存在など一遍にかすんでしまって
当然です。家族のいない4日間、ロバートと二人で過ごし、二人で存分に話し
合うことができたフランチェスカと違って、みずほは家族がある身。家族・夫と、
光の間で激しく逡巡しても仕方ないことですね。

>もっといろいろ書きたいのですが、私はボキャブラリーが足りないようで
>うまく表現できません(^^ゞ

 いやいや、十分に伝わりました。気負わずに、普通の言葉でどんどんご意見
をお書き込みください。楽しみにしております。
こんにちはわーい(嬉しい顔)
遅くなりましたあせあせトピ立てありがとうこざいましたm(__)m
マディソン郡の橋は、レンタルで観ました涙ミセスシンデレラ共々、年甲斐もなく涙してしまいました泣き顔
二人の必然に共通する背景は、前述するところですね。大きく違うところは、夫の存在のみならず子供がいることが、葛藤の表現力や苦悩に表れてたと思いましたほっとした顔
みずほは一線を越えるまでの葛藤を経て別れることを前提に光と過ごす。フランチェスカはごく自然に一線を越え与えられた四日間を過ごした後に別れに葛藤する。
葛藤の重点の相違〜みずほの一線を越えるまでとフランチェスカの別れを選択〜フランチェスカの子供への愛に生きたからこそ、死後、ロバートとの愛に生きることを分かって貰うために子供達へ日記に託したと思う涙
みずほは、子供との愛に生きるために一人になることを選択するハート
どちらも子供の存在は、大きな決断の源になりますねぴかぴか(新しい)
続きは、二人の気持ちの軌跡を堪能したいと思いますわーい(嬉しい顔)
<コスモスさん>

>マディソン郡の橋は、レンタルで観ましたミセスシンデレラ共々、年甲斐
>もなく涙してしまいました

 お待ちしていました!わーい(嬉しい顔)『ミセス・シンデレラ』と『マディソン郡の橋』
の相違点について、とことん語り合いましょう。

>大きく違うところは、夫の存在のみならず子供がいることが、葛藤の表現
>力や苦悩に表れてたと思いました

 『ミセ・シン』の場合、子供はいませんが、姑・亮子と同居というのが日本的
な状況設定ですよね。『マディソン郡の橋』では、フランチェスカとロバートの
物語には夫や子供達が直接関与しないので、実質、二人の物語だけ際立っ
てます。姑や小姑、夫の浮気相手など、主人公二人の物語に大きく関係して
くるのが、大きな違いでした。

>みずほは一線を越えるまでの葛藤を経て別れることを前提に光と過ごす。
>フランチェスカはごく自然に一線を越え与えられた四日間を過ごした後に
>別れに葛藤する。

 みずほの場合、夫以外の男性と交友すること自体、最初は抵抗感をもって
いましたね。彼女が結婚していると知って、光が「普通の男の友達」を提案し
た時も、いったんは泰之に相談しています。泰之は部下の女性の件があった
ので、話に取り合わなかったですが・・・。
 フランチェスカの場合、最初からロバートをはっきり「男性」として捉えてい
ました。みずほが、孤独な心を、音楽と光との交友で充たそうとしていたのに
フランチェスカはロバートによって、失いかけていた「女性」に目覚めているの
ではないでしょうか? これは大きな違いと思います。

>葛藤の重点の相違〜みずほの一線を越えるまでとフランチェスカの別れ
>を選択〜フランチェスカの子供への愛に生きたからこそ、死後、ロバート
>との愛に生きることを分かって貰うために子供達へ日記に託したと思う

 みずほもフランチェスカも、家族への愛が強く、彼らを傷つけたくないという
思いがあって、別れを選択したのは同じですね。ただ、本当に傷つけたくない
なら、フランチェスカのように「最後まで夫には隠し通す」べきだったと思いま
す。みずほは、あまりにも自分の正直過ぎ、「正直であること」が時に「家族を
思う心」よりも優先されていますね。正直に打ち明けた結果、家族は確実に傷
つけてしまっています。もっとも、傷つき、混乱を経たからこそ、彼女は「ある
べき家族の形」を最後に獲得できたとも言えます。
 フランチェスカが死後、遺書で子供達にロバートとの秘め事を明かしたのは、
彼らに「本当の愛の存在」を伝えたかったからですね。母の思いは、子供達そ
れぞれが直面していた家族崩壊の危機を乗り越えさせる結果に繋がります。

 フランチェスカの方が妻として、母として、より家族のことを考えて行動して
いたのではないかと思います。

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