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遅まきながら、記名帳を作成しました。何でもご自由にお書き下さい。

コメント(38)

こんにちは。
赤い彗星さんが頻繁に更新されているようで、
その更新情報が知りたくて、コミュに参加させていただきました。
よろしくお願いします。
赤い彗星さんのおっしゃる「アンチ・ファンタジー」という言葉は、日本のミステリ界で(一部)盛り上がっている「アンチミステリ」という分野の作品に通じるものがあるかと思います。

「最後のユニコーン」がナルニアなどの既存のファンタジーを意識して、更には、それを皮肉るような要素が感じられたりするのと同様に、

アンチミステリと呼ばれる作品群には、
ポーやコナン・ドイルや乱歩といった既存のミステリを意識したメタフィクショナルな要素(メタミステリとも言われたりします)が多く見られます。
また、「名探偵」といった今ではリアリティのない存在を登場させたりする漫画的な要素もあると思います。

ちょっと思いついただけの内容なので、もう少し考えて見ます。
暮辺見庵 様

 情報提供有難うございました。「アンチミステリー」という言葉は最近ミクシィを覗くようになってから、目にするようになりました。機会があれば関連等を探ってみたいと思います。
 "anti-fantasy"も、3・4年前までは「ファンタシー嫌い」という意味でしか用いられていなくて、Ursula le guinの「アメリカ人にはファンタシーは分からない」という文脈の用例くらいしか無かったのですが、この1年ほどで、かなり検索にかかるようになってきました。赤い彗星の用いる意味では、「メタ・ファンタシー」と呼んでも変りはないようなものなのですが、井筒俊彦氏の「アンチコスモス」から頂いて、「アンチ・ファンタシー」という語を捏造しておりました。
 今後ともご指導よろしくお願いいたします。
 森の熊 様

 ご指摘、ありがとうございました。『無敵超人ザンボット3』は意識してませんでしたので、早速チェックしてみます。「宇宙刑事」ものとか、日本のアニメや特撮は、結構筋がいいと思っております。
 日本ならではの漫画的感覚を西洋人が理解できるようになったのは、かなり最近のようです。手塚治虫の一面のみを評価して、漫画にヒューマニズムを見たり、リアリティを要求したりするようになってしまったのは、漫画界における不運な出来事でした。諧謔と荒唐無稽を正しく、真面目に、しかもちゃんとずっこけて賞賛し続けていきたいですね。
はじめまして、アクアと申します。

こちらのコミュニティには『最後のユニコーン』の検索で参りました。
訳本でしか読んだことがありませんので、来年は原書にチャレンジできればと思っています。

よろしくお願い致します。
アクア 様

 よろしくお願い致します。質問とか注文とか色々頂けるとうれしいです。
 ただ今種々の締め切りに追われて、コミュニティの内容更新が思うようにできない状況です。在校生のためのレポート課題提示と質疑受付のためにコミュニティを利用させて頂いておりますが、一般の方にも、模範レポートとして寄稿頂ければ有り難いです。質問に対する応答や、評価等も行いたいと考えます。乗って下さる方はおいででしょうか?
 「アンチ・ファンタシー」などと銘打ったものの、『最後のユニコーン』と『ピーターとウェンディ』くらいしか解説を行う用意がないのですが、例えば『魔法陣グルグル』などが、ぴったりこの条件に合致しそうだと感じています。けれども各種ゲームへのアリュージョン等をちゃんと指摘するのは中々難しそうです。どなたかトピックを構築して下さる方はいらっしゃいませんか?他にもいいのがありましたら、「私のアンチ・ファンタシー論」をお寄せ下さい。
初めまして、「最後のユニコーン」のタイトル検索でここへやってまいりました。
英語はさっぱり出来ませんが、アニメ版ラストユニコーンのファンです。
ユニコーン考、興味深く読ませていただきました。
どうぞよろしくお願いいたします。
 速水ゆずか様

 アニメ版「最後のユニコーン」がお好きな方がいらして、とてもうれしく感じています。何故か日本ではあまり知られていないのがこの映画です。丹念に見てみると、原作を活かしたアニメ独自の表現が入念になされており、映画としての出来映えは相当のものだと評価しております。面白い御指摘とか頂けると、有り難いです。どんなことでも質問して頂ければ、一生懸命調べてお答えします。
 18年度から開講中の各種授業も、アンチ・ファンタシーのトピックとして板を作りました。これらもすべて一般公開ですので、ご遠慮なく閲覧して下さい。勿論書き込み等して下さって構いません。原則として5400カウント以内はいかなる反則も、場外乱闘もありで通常の授業も行っております。
今更ながらの質問で書くのが憚られるのですが、
理解しておきたいことがあったのでここで質問をさせていただきます。本当はブログの方に書き込んだ方が適切だとは思ったのですが、コメント機能の使い方がわからなかったので、あえてここで失礼します。

ブログの一番初めとmixi内のトピックにあるユニバーサルユニコーンのところでも出てくる「ファンタシー文学一般の思想的特質」の特質ってどういうものですか?というよりは、ファンタシー文学の思想が未だにきちんと理解出来ていないので、そこら辺を理解出来るようなお薦めの本とかがあったら是非教えていただけると嬉しいです。 かもしくは、mixi内で新たに先生のファンタシーブ文学についての解説とかがあったらいいなと思いました。
ファンタシーというのは、やはり思想だな、と思ったのは赤い彗星の勝手な判断ですが、「超自然」だとか「崇高」だのを求める気持ちがファンタシーの特質としてあるのは、誰しも認めることだと思います。その背後にあるのは、人の社会の決まり事よりももっと本質的な「本当の原理」に憧れる気持ち、あるいは現代では様々に分化してしまった全ての価値基準を統合することのできる、より本質的な世界の全てを語る法則性を追求したいという願いです。そういう意味では「全体性」を信じる思想としてファンタシーの特質を捉えることができると考えています。哲学と科学の世界では、全体でまとめようとする流れと個別に分離すようとする流れが入れ替わりに起こってきていたので、「全体性」の思想を調べてみればよいでしょう。一番分かりやすいのが「ロマン主義思想」ですが、「ロマン主義」を言葉で説明したり、定義付けたりしようとすると、却ってややこしくなったりします。結局赤い彗星が色々な手段を用いて行っていることの全てが、「ファンタシーの思想的特質」の論考です。
ありがとうございました。
そしてアンチ・ファンタシーのトピックのユニバーサルユニコーンの所を読み進めていたら、書いてあったのにすいませんでした〜><。
超自然とか崇高というボキャブラリーがすっ。と自分の中では
出てこないものだったので、この言葉と背後にあるものを解説してもらえて、すっきりとしました。
宮澤賢治が詩と科学と宗教を一繋がりのものとして捉えた感覚、
宮崎駿が王蟲という存在を「個が全であり、全が個である」として描いた感覚、「天空の島ラピュタ」で何故か地下の坑道の中で飛行石が何かに反応し、光ったりする感覚、こういうものの中に最もファンタシーの気質的な特徴が窺われるように思います。
宮澤賢司は「雨にも負けズ」しか読んだことしかないのですが、確か宮澤賢司自身か妹さんかは忘れてしまったのですがキリスト教徒だったような‥。もしそうだとしたら、詩も宗教も根底で繋がっているという感覚なのでしょうか?
卒論を書いている時に思った「魔法」と「科学」は似ているなぁと『ハリー・ポッター』と『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観て感じたのですが、そんな感じでしょうか?
宗教と科学を切り離したのがデカルト。
現代科学が前提としている分離主義を批判した批評家としてのコールリッジが目標としたのが、「哲学と科学の合体」。宮澤賢治はこういう歴史上の流れを意識した上で、「詩と科学と宗教」を統一的に自分の問題事にしようとした。賢治においては宗教は仏教が中心的であったとはいえ、感覚としてはむしろ全ての宗教を統合する「汎宗教」のおもむきが強い。これは例外的な傾向でも何でもなくて、18、9世紀の進歩的で良心的な知識人は皆そうであったと言える。特にファンタシー作家などはそういう傾向が顕著。G. MacDonaldとかが代表的。職業的には「牧師」であっても、真剣に宗教と真実を考え詰めれば、いつの間にか「汎宗教」的な統合理論を模索している。時には異端的であるとして迫害されたりする。
欧米のファンタジー作家は、キリスト教をよく信仰出来るなぁと思っていたのですが、やっぱり1つに固執しているわけではなくて「汎宗教」のおもむきが強いんですね。統合理論に行き着くのはごく自然な気もするのですが、やっぱり1つに絞らないと異端扱いされてしまうんですね。
ナザレのイエス自身がユダヤ教の欺瞞を徹底的に糾弾してパリサイ主義批判をやった人ですから。ベネディクト派に対するフランチェスコ派の批判から、延々と内部批判と反省の繰り返しで、キリスト教という宗教は続いてきてます。他の宗教も同様です。特にルネサンス以降の科学主義の洗礼を受けて、真剣に既存の教義の弁護と改変を図りつつ敢えてキリスト教に留まるもの、キリスト教を捨てるもの、全く新しく「本当の宗教」を模索するもの、様々でした。そんな人々の切実な心の動きを反映したのがファンタシーだと思います。
逆境ジャッキー 様

 僕自身は「ピーターとウェンディ」の既存の翻訳というのを全く確認していないので、責任あることを語れる立場ではないのですが、僕の知る限り、日本の翻訳はあまり信頼できるものでないことが多いようです。翻訳にケチをつけながらより深い解釈の可能性を示唆するというのは、実はかなり妥当な、実際に実り多い作業でもありそうだと思います。ただの誤訳の指摘に終わらせないで、単語一つ一つの翻訳の是非、あるいは可否というようなところまで突っ込むことができれば、十分に自立的な高度な議論となり得るでしょう。例えば「god」を「神」と訳すことがどこまで妥当か、そうでないか、というような、言語の背景にある根本的な世界観の相違みたいなものに指摘を帰着させる工夫ですね。Peter and Wendyという作品自身に愛着があるのなら、様々な角度からの議論の余地がまだありそうに思います。もしも翻訳そのものに興味がおありなら、例えばアンデルセンの「影法師」の訳などを、信頼できる英語訳と比較してみると、いかに原作の趣旨が理解されないままに翻訳作業を行われてしまっているか、よく分かります。そういう点ではPeter and Wendyも、そして「ロマン主義」という思潮そのものも正しい理解をされることなく翻訳されてしまった例だと言えそうです。ランボーの「言葉の錬金術」などがその典型ですが。
購読1の宿題

『ファンタジーは反転的に世界を見るという特質を持っている。
ピーターは従来男性だったユニコーンを女性として描くことで、自身の意見を述べた。この事は私たちのファンタジーの本質への理解につながる。』

はじめまして。これから購読1の授業でお世話になります。
チャッピー 様

 宿題の提案を頂き、有り難うございました。送付頂いた宿題を別の言葉で言い直すと、「ファンタシーは一つのあり得ない仮構世界を語ると同時に、我々の生きる現実世界を裏返しに反映している部分もある」とも語ることができるでしょう。The Last Unicornの作者ビーグルがこのお話の主人公のユニコーンを女性として描いたのは、明らかに上記の主題を念頭に置いた、意図的な計算の結果であったと看做すことができます。そうした哲学的な側面に焦点を当ててファンタシーを見つめ直してみると、かなり意外な発見も見出されることでしょう。そしてある程度理解が深まってみれば、それらの発見は決して意外なものではなかったことにも納得がいく筈です。「これがそれだな、」と思われる理解をその都度自分なりの言葉で語って頂きたい、というのがこの講座の今後の課題となります。
トニー・ジャー様

 Peter and Wendyの訳としては、赤い彗星も"Daily Lecture"(http://antifantasy2.blog01.linkclub.jp )に全訳を付加してありますので、芹生一氏や石井桃子氏の訳との相違や、解釈上の問題点等を指摘して頂けると有り難いです。実際に翻訳という作業をしてみると、日本語と外国語との根本的な相違や、訳出するにあたっての意味のリズムの変化など、色々と困難な状況も出てきますが、やはり明らかな誤訳と言わざるを得ない例も多々あります。ついつい悪乗りして、行き過ぎの意訳をしてしまう心理なども良く理解できます。訳は訳で別種の新たな創作行為として理解して、原作はやはり原文を参照したいと思うのは、そのためです。翻訳の疑問点を指摘するのは、決して訳者に対する揚げ足取りではなく、理解の共同作業としての真摯な鑑賞行為の一つであり得ると考えたいのです。
はじめまして。
小説も大好きでしたが、アニメ版の登場に卒倒したファンです。当時漫画系のグループで存在を知り、渋谷の洋物ビデオレンタル店で借り出してその素晴らしさに呆然としたものでした。
あまり発言できないかもしれませんが、よろしくお願いいたします。
ヘッケル冨田 様

 アニメーション版『最後のユニコーン』は、アニメの歴史の中でも特筆すべき存在であると思います。欧米に熱烈なファンが多いのに、日本ではほとんど知られていないのは残念です。赤い彗星も昨年DVD化されたものを取り寄せて、ようやく実際に目にした次第です。「当時」のマスコミ等の紹介の様子や、アニメファンの反響は、どのようなものだったのでしょうか?アメリカ作のアニメで、このような演出がなされているというのも、他に例を見ないことのように思うのですが。
はじめまして。
J.m.Barrieの研究をしています。Peter and Wendyの色々な解釈が実におもしろく、読みながら色々と考えをめぐらし、楽しく読ませていただいております。Peter and Wendyは実に奥の深い作品だと私も思います。ゆえに、こうして、しっかり考えようとされる方々が日本にもたくさんおられることを嬉しく思います。

フックの血の色ですが、面白い記述をみつけました。
 
「世界児童劇集31」より
「(フックの血は)ふつうの人間とはちがった色をしています。学校にいたころ、フックは、「黄いろい血をだす」と、みんなから言われていました。」

「PETER PAN OR THE BOY WHO WHOULD NOT GROW UP」より
A man of indomitable courage, the only thing at which is thick and of an unusual colour. At his public school they said of him that he "bled yellow".

なぜ黄色なのでしょう?フックの血の色に関して指摘をされていたので、ぜひ意見をいただけたら嬉しいです。
当時マスコミでの紹介は、ありませんでした。
ロック情報誌VANDAの佐野邦彦さんが、当時「漫画の手帖」というコミック系ミニコミ誌の編集長をしておられたのですが、その佐野さんが日本で最初にアニメ「ラストユニコーン」に注目した一人と思います。佐野さんは、ロックグループの「アメリカ」が音楽を担当したアニメ映画ということで着目された様です。
翻訳小説版の大ファンであったワタシは佐野さんから「ザ・ラストユニコーンて知ってる?」と言われてアニメ版の存在を知り唖然。佐野さんの指示で渋谷の輸入ビデオレンタル店(当時はまだ国内ソフトのレンタルは違法とされていました)に趣き、βテープのビデオソフトを借り出してきたのでした。おかげで漫画の手帖関係者の中でワタシが一番最初に見ることができたのですが、そのときはほんとうに呆然としました。
アニメ版「最後のユニコーン」は、漫画の手帖を通して当時の一部の漫画家さんや、同人作家さんたちに広まりました。
漫画の手帖主催のビデオ会で、編集部でつてのあった漫画家さんや作家さんたちを招いて、当時まだ珍しかったビデオプロジェクターを使って上映されたんです。
そのため後にアニメージュの連載漫画であった「風の谷のナウシカ」がトップクラフトによりアニメ化されることになり、アニメージュ編集部で「最後のユニコーン」が参考上映されたときに、たまたま編集部に来た漫画家さんが既にアニメ版の大ファンだったということもあった様です。当時は編集部でも知らない作品で、その時点でも既にマスコミ側とファン側の情報が逆転していたんですね。
ナウシカアニメ化のキャンペーンの一環として、製作会社トップクラフトの作品としてアニメージュ誌にカラーで掲載されたのが、アニメ誌にラストユニコーンの記事が載った最初で最後の様にワタシには思われます。

漫画の手帖を通してごく一部に熱烈なファンが生まれはしたものの、アニメファンへの知名度はあがりませんでした。雑誌で一度数ページの特集を組まれたとはいえ、普通には作品を見る方法がなかったのです。
数年後(86年頃か?)、新宿の東映アニメショップ「ペロ」前のワゴンセールでアニメ版のセルが売られているのを、ワタシの友人が発見しました。友人がペロに問い合わせてくれたところ、東映アニメショップの扱いではなく、別の業者が許可を得て出店していただけだとのこと。
当時はアニメが金になると思われていて、芸能プロダクション崩れの小さな会社がアニメのセルを多く扱っていました。そうした会社のひとつが、トップクラフトの荻窪(それとも阿佐ヶ谷でしたっけ?)のスタジオが閉鎖される際にスタジオの残り物を全て引き取って販売していたのだそうです。社名は失念してしまいました
ラストユニコーンのセルは、作品を知られないままに、ただ奇麗で美しいセルとして、セルマニアに買われていった様です。
販売した会社のオフィスは、最初は原宿にあり、すぐに東長崎に移りました。どちらもマンションの一室です。ワタシはその会社を幾度か訪れましたが、ワタシが「The Last Unicorn」を実際に見たことのある、はじめての客であった様です。その会社の社長も、アルバイトの子たちも、作品を見てはいませんでした。
ワタシは残り物のセルを数十枚と、数カットの原画を求めました。
その際に、ユニコーンから姫に変身した直後のシーンのリテーク分の説明を、アルバイトの男の子から受けました。アマルシア姫の全裸シーンは最初意識せずに乳首を露出したまま描かれ、それが初号フィルムの際にリテークとなり、髪で覆って描き直されたのだそうです。その会社ではそのシーンの2種のセルが販売されていました。
バイトの子には判りませんでしたが、セルや原画の中には本編で使用されていないシーンのものもありました。ラスト前、原作にはシュメンドリックが助けを求めるお姫様をリーア王子のもとに送り出すシーンが描かれていますが、完成したアニメ版にはないそのお姫さまのセルと原画も販売されていたのです。
それも一旦はフィルム化されながら、初号ラッシュの段階でカットが決まったシーンだと想像されます。
またワタシが購入した原画には、リテーク表のコピーが一枚混ざっていました。
おそらくその会社が入手したセルと原画は、初号ラッシュが上がってから、リテーク作業のために集められた原版と、そのリテーク分だったのではないかとワタシは想像しています。大部分は破棄されてしまったものの、リテーク分は仕分けされたために、それだけが残ったのではないでしょうか。
これはワタシの想像にしかすぎませんが、現在市場に流通しているラストユニコーンのセルの少なさは、そうでもないと説明できない様に思っています。

アニメファンの反響・・・というものからはかけ離れてしまいましたが、以上がワタシがアニメ版について知るほぼ全てです。あまり関係のない話を長々とすみません。
コンテ作業についてはワタシにはちょっと判りませんが、国内で描かれた可能性もあるとは思います。
それについてはもしかしたら何かわかるかもしれないので、ちょっとツテを辿ってみますね。
R?・E 様 (すみません。マックだとハートが化けてしまうようです。)

 興味深い指摘を有り難うございました。1928年発行の脚本"Peter Pan"は、全集版のものを読んだのですが、このような記載はなかったように思います。シェイクスピアの場合などのように、脚本は上演時のバージョンで様々の変化形があり得ることが知られていますが、1904年の初演時には、 At his public school they said of him that he "bled yellow". という部分は無かったのではないでしょうか。しかし台詞部分ではなくト書き部分に加筆らしきものがあるバージョンというのも、文献的に興味深いものがあります。「世界児童劇集31」が底本としていたのは、何だったのでしょうか?小説版もネットに公開されているものを比べてみると、細かい部分で加筆らしきものがあるバージョンがあります。赤い彗星は文献研究は専門に行っていないので、正直言ってこのあたりは謎だらけです。今度暇があったら調べてみたいところです。
 黄色は"jaundice"(妬み、偏見)を指す色なので、フックの青年時代を推し量る解釈としては、とても面白いと思います。僕自身はフックに対する共感の気持ちがとても強いので、彼の血の色は高貴な古代紫(Tyrian purple)を思い浮かべておりました。
ヘッケル冨田 様

 大変貴重な情報を有り難うございました。あれだけの演出コンセプトを備えた優れたアニメが、あの時期にアメリカで製作・上演されていたということだけでも驚くべきことですが、日本の市場でほとんどノータッチだったというのも、大変皮肉なことです。それにしてもランキン監督とトップ・クラフト社のそもそもの接点はどこにあったのでしょうか?実に興味深いところです。
 平成19年度は、「表象文化」として映像表現について論じる講座でアニメ版The Last Unicornを取り上げることになっているのですが、また色々とお知恵を拝借させて頂ければ、と期待しております。出来ましたら、お持ちのセルも是非拝見したいですね。
アーサー・ランキン・jr氏が社長を務めるビデオクラフト社は、古くから日本にアニメーション映画を発注していました。

山口且訓・渡辺泰共著・プラネット編「日本アニメーション映画史」によれば、ランキン氏は1958年にバンクーバー国際映画祭で入賞した持永只仁氏の人形アニメーション「ちびくろさんぼのとらたいじ」を見て、その製作会社「人形映画制作所」へ合作を打診したとのことです。それがランキン氏による日本へのアニメ発注の始まりではないでしょうか。

人形映画制作所はその受注をこなすために再編され、MOMプロダクションとなったとのこと。
第一回の合作作品は「The New Adventures of Pinocchio(ピノキオの新冒険)」で、TV向けの、5分もの130本のシリーズだったそうです。
その後MOMプロは社内体制を変えつつも、62年に一時間半の劇場用長編「ウィリーと魔法の魔法の機械(ウィリー・マックビーンの冒険)」、64年に50分のTV用「ルドルフ物語(赤鼻のトナカイルドルフ)」、66年に1時間半の劇場用長編「アンデルセン物語」、67年に「Mad Monster Party(おかしなおかしなモンスター・パーティー)」、同じく67年に50分のTV用「Ballad of Smokey Bear(スモーキー・ベアの歌)を製作。
その後持永只仁氏はMOMプロを退社。会社は「ビデオ東京」となり作品製作を継続。
68年には60分のTV用クリスマス番組「Little Drummer Boy」、70年に50分のTV用クリスマス番組「Santa Claus is Comin' to Town」、71年に50分のTV用復活祭番組「Here Comes Peter Cottontail(ピーター・コットンテイルがやってきた)」、73年に50分の「ダニー・ケイの不思議な世界」を製作。
その後ビデオ東京社は解散、「ビデオ東京プロダクション」として再発足します。同社はビデオ東京時代から自主作を作り始めていましたが、再編以降国内向けが主流となり、合作は75年の「サンタのいないクリスマス」「ルドルフの輝け新年」の2作品にとどまる様です。

ビデオクラフト社は日本の人形アニメーションだけでなく、セルアニメーションでも合作を持ちかけていました。
その合作先は東映動画で、66年に30分枠2クール26回分の「キングコング・001/7親指トム」、68年にTV用52分の「メイフラワー号のねずみ」を製作。
71年に、東映動画からプロデューサーの原徹氏が独立して「トップクラフト株式会社」を設立。そのため、以降の合作作品は東映動画ではなくトップクラフトが受注するようになった・・・という経緯の様です。
トップクラフト時代の作品については、Wikipediaの「トップクラフト」の項をご参照ください。その方がヘタな書き写しよりもずっと確実と思います。
なお、トップクラフトの第一回合作作品「Kid Power」は日本アニメーション映画史によれば「ビデオクラフト社」との合作となっていますが、wikiでは「ランキン・バス・プロダクション」との合作とされています。
今回参照させていただいた「日本アニメーション映画史」ほんとうに名著なのですが、この様な本が現在絶版とは残念な限りです・・・。

ワタシの手持ちのセルは現在・・・
http://www.rubberslug.com/default.asp
・・・内の
http://kar120c.rubberslug.com/
・・・にて公開中です。
このセルギャラリーには多くの方のコレクションが公開されており、トップページからの作品名による検索閲覧が可能です。
また、手持ちの現物もご都合があいましたらいつでもお目にかけますので、お声がけください。
ヘッケル冨田 様

 早速貴重な情報を提供頂き、有り難うございました。ビデオクラフト社については、少し勉強しておく必要がありそうです。印象としては、アメリカの東映動画という位置づけでしょうか?ヘッケルさんのお話に従えば、むしろあちらが本家らしいのは、驚きです。良心的な優良作品の作り手というのは探せばいるものですね。『最後のユニコーン』がなまじ一般受けしないで、あのような形でアニメ化されたのは、むしろ奇跡的な幸運であったかもしれません。ドイツ人がこの作品を好むのは、良く理解できます。ドイツ的な永遠性への憧れとロマン主義的アイロニーの典型のような作品ですから。
 公開なさっているセル画を拝見いたしました。ボツになったお姫様が赤毛に緑の目をしたケルト系の姿であるのが分かったのは、収穫でした。ノーカット版の美麗な画質で是非見てみたいものです。
赤い彗星さま。

ビデオクラフト社についてはよくわかりません。
日本の文献では、ビデオクラフト社の委託により日本で多くの作品が作られたことはわかるのですが、アメリカでビデオクラフト社が自社スタジオをもって自主作品を作っていたかどうかは確かめることができないのです。
ただ確かなことは、ビデオクラフト社は、人形アニメの持永氏、そしてセルアニメの東映動画と、二つの分野で日本のその時代のとくに実力のある製作者と接触し、作品を委託していた、ということだけです。
東映動画は基本的に自主企画・自主制作ですから、委託作品の多くあるビデオクラフト社と比較できるかどうかには、疑問もあります。
しかし考え様によっては、ビデオクラフト社は自主企画で多くの作品を手がけ、それを労賃の安い海外に下請けに出して製作していたわけですから、現在の東映アニメーションを含む日本の、韓国/中国/フィリピン等のスタジオを下請けに使う製作システムを先取りしていたともいえます。
しかし日本から海外への委託製作では、日本側で随時厳しくチェック・修正をしないかぎり仕上がりに問題が生じる様で、当時のビデオクラフト社の様な絵コンテを渡してフィルムの初号でチェックという完全な海外まかせの下請けは、いまだに実現できずにいる様です。

ボツのお姫様を入手できたのはほんとうに幸運でした。
ノーカット版、見てみたいですね。
あまりにも希望的にすぎるかもしれませんが、もしも初号のラッシュフィルム、もしくはそのビデオが現存しているならば、いつかは発掘・公開されるかもしれませんね。
興味深い回答ありがとうございました。
前回文献を詳細に書かなかったために、話が不十分になってしまい、すみませんでした。
前回引用した戯曲版の原書は、全集ではないのですが、HODDER AND STOUGHTON LIMITED LONDON 1928年出版のものです。さらに、「世界児童劇集31」は鈴木重敏氏(J.M.Barrie研究家)にそると「初演後24年にして始めて出版された決定版の訳本」だそうです。つまり、初演にはこのト書きがあったのかもしれません。
赤い惑星様がおっしゃられるように、この記述が台詞ではなくト書きにあることが実に興味深いです。実際、演じる上では関係ないとも思われる記述がト書きに書かれていることも、Barrieの作品においては珍しくないことなのですが…それでも"bled yellow"が小説の方には省かれていることはやはり興味ぶかいです。
私もフックはピーター同様にかなりおもしろい人物だと思います。フックの名”ジェイムズ”がBarrieの名と同じであることに加え、タバコ好きやお話が上手いといったBarrieの特徴もフックには与えられています。Barrieは本当に興味深い作品を作ってくれたと思います。
妬み、偏見を表す黄色。おもしろいですね。ネバーランド事態が夢(無意識)の世界なので、そこに住む生物は全て何らかのものをシンボライズしているように思います。フロイトの影響で心理学、精神分析が流行した19世紀当時の世界の作品として、私はBarrieの作品はもっと研究されるべきだと思います。赤い惑星様のおかげで、DISNY以外のピーターパンにも注目が集まったことでしょう。改めて感謝させていただきたいです。今後もこのコミュニティしっかりチェックさせていただきます。よろしくおねがいします。
R?・E 様

 20世紀初めの頃までの脚本には、読むための台本として、上演しようのない煩瑣なト書きが付いているのも、良くあることでした。ただ、バリの場合は実際に上演した劇が大きな成功を収めていた人気劇作家だっただけに、ト書きの挿入が興味深かった訳ですね。
 フロイト心理学の影響と並んで興味深いのは、Peter Pan初演の翌年の1905年にアインシュタインの相対性理論が発表されている点です。ボーア達によってなされた量子論的解釈の発端にあたる実在記述に関する議論が当時の社交界でどの程度理解されていたのか、バリ自身が線的な論理展開ではない波動論的世界解釈をどの程度まで理解していたのかが、1911年発表のPeter and Wendyに顕著な重ね合わせ的多重ストーリーの採用を考える時に、僕にはとても興味深く思えます。
ヘッケル冨田  様

 色々とご教授頂いて、本当に有り難うございます。アニメの世界については通り一遍のことしか理解していないので、ディズニー:虫プロ、東映動画:ビデオ・クラフトというような、いい加減な対照関係を思い描いていただけです。かなり乱暴な憶測でしたね。機会がありましたらじっくりアニメ界のことを教わってみたいと思っています。
アインシュタインの相対性理論!!
なるほどっ☆19世紀末、20世紀初頭の作品や哲学、理論をもっと読まないといけないと実感しました。当時の世界観を広めないかぎり、やはり分析なんてできませんね。赤い彗星様のようにもっと知識をつけます。コメントどうもありがとうございました。

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