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アンチ日蓮正宗(日蓮正宗系)コミュの関連質問&質疑応答

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「アンチ日蓮正宗」コミュニティが取り上げる問題、日蓮正宗、創価学会、顕正会、正信会の事柄、あるいは、これらに関連する事柄、これらの宗祖・日蓮に関連する事柄などについて、さまざまな疑問・質問をお持ちの方がいらっしゃるのではないかと思います。

そういった疑問・質問をここで取り上げ、質疑応答していくためのトピックを別途、立ち上げました。

特に教義に関すること、教団に関すること、修行・宗教活動に関すること、これらの質問は、こちらのトピックにて、お願いします。

管理人としては、質問をすること自体は、とても歓迎すべきことであると思いますし、こと質問に関してだけは、多少のコミュズレもやむを得ないと思います。

コミュニティを盛り上げるためにも、質問をしていただくのは歓迎すべきことと思いますので、コミュニティに関連する質問ということで、「関連質問」もあっていいと思います。

コミュズレを堅苦しく気にしすぎて、質問することにブレーキがかかってしまうというのも、避けたいというふうに思います。
質問は、なるべく気軽な気持ちで聞いていただきたいと思いますので。

ただし、「こと質問に関してだけは、多少のコミュズレもやむを得ない」とは言っても、関連質問の項目を無制限に拡大するのも、どうかと思います。

日蓮正宗に関連する質問としては、彼らの宗祖・日蓮にはじまって、日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持の六老僧、ないしは六老僧の門流、あるいはそこから分派した門流、「日蓮門下」を名乗る門流ぐらいまでに、限定してOKとしたいと思います。

というわけですので、ここから先の浄土宗、浄土真宗、禅宗、真言宗、天台宗…に関するものは、ご遠慮ください。

よろしくお願いします。

これで何か問題が発生すれば、その都度、考えていきたいと思います。

コメント(93)

おまえら!
メンバー212人もいてこれかよ。烏合の衆か。
何か言え!
本当に皆様には心配をして頂き感謝します。<(_ _)>ペコ

多くの方々の御協力・お知恵を借り、時間はかかると思いますが、長男と向き合

い長男本人にとって良い方向に向かえる様にしていきたいと思ってます。
>>56
2ch方は2人ほど反応がありました。
一つは2chらしい書き込みで、内容的に間違ってはいないけど
まあ、そういう考えもあるよね位に受け取った方が良いです。

顕正会と勧誘被害を考える其の八
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1281159592/
レス518〜になります。

感心したのが、元顕正会の人と思われる方
>親御さんからしてみれば、即刻辞めさせたいでしょうね。。
>私もそういう場面を多くみてきました。

>でも残念な事に私が現役幹部であれば、かなりの確率で落とさない
>自信があります。
顕正会側からの見方というのは、なかなか気がつかないものです。
いわれてみれば、もし私が教団側だったらあらゆる手段で脱会しないよう
尽力しますね。
同時に脱会するには一時的にせよ、会から離れるのが効果的だとも言えます。
今回は、それが難しい状況ですけど。

できれば彼の問いに、できる範囲で教えてもらえますか。
>正会に入信しハマったきっかけ・何を求めているかが解れば
>皆さんの知恵をもっと募れると思います。
個人情報やあなた方が不利になる情報はいりませんので。
>正会に入信しハマったきっかけ・何を求めているか

最初長男の口から仏法がとか、日蓮大聖人等々の言葉が出て来た時は自分の耳を疑いましたが、きっかけは、先輩(中高の学校と部活の先輩)に誘われたのでなんとなくと言う答えが返ってきたことを覚えています。
当初は、自分の短所の改善等とごく身近な希望がかなえられる様なことを言ってましたが、最近(今夜も)では自分が成仏出来る事だと言ってます。


予断ですが…今朝、寝坊をして慌てて家を出て会社に向かう途中(家を出て1,2分)に自転車に乗った長男が2tトラックとぶつかってほぼ無傷(長男も自転車もトラックも)…

どちらもスピードは出てなかったようですが…

帰ってきてから警察に連絡をして事故報告をしに…
>>58
高校生でよくやられる御利益勧誘かと。
「成績が上がる」「彼女ができる」などのうたい文句です。
人誰しも完璧じゃないし、何かしらコンプレックスをもっています。
それが宗教だけで解決できるかは、はなはだ疑問です。

状況的に深刻な病にかかってとか、家庭内の問題でとかではなさそうです。
こういう場合求めるものが強烈なため、信念が固いです。
おそらくサークル活動に参加するというノリで入ったのかもしれません。
一例として、高校生にとって彼女ができないといったことでも大きな悩みです。
「会にはたくさんの女子がいるよ」
大人から見たらどうって事はない理由だし、親に話せる動機じゃないけれど
こんな言葉でも入る動機として十分あります。
部活の先輩と遊び的な何かしたいと言うのも考えられます。

それが会館に通ううちマインドコントロールされて行ったのだと思います。
私から見ると、成仏したいとは心の底から求めているというより、
受け売りの概念を言っているだけに見えます。

とは言え、今は成仏云々等をストレートに批判するのは避けた方が良いかと。
会の批判=自分の存在の批判、会の否定=自分の否定になりますから。
雰囲気的にまず情報収集してみてはと思います。
顕正会ってどんな所、どんな団体、あなたはどんな活動をしているの、
それによってどんな風になるの、といった息子さんが持っている会の認識と
自分の考えを聞いてはいかがでしょうか。

この場合、ひと通りの考えを聞くだけだと言って自由にしゃべらせ、決して
反論や批判はしない事です。
聞き終わったらひとまず終了。
たくさんあるので考える、聞いて分からなかった事などあるので後で教えてくれ。
数日間をおいて、ここで作戦を立てます。
おかしな点がいくつかあるはずですし整理し、不明ならいろんなサイトを調べます。
物によってはその回答をあらかじめ知る事ができます。
らかじめ知っていれば次の疑問、でもそれって○○じゃない?とかもできるし。

次の話し合いで、聞いたことの批判ではなく、ここが不明なんだけど教えてくれる?
この点に私はこう思うけどお前はどう思う?
こちらの意見を押し付けるのではなく、自分で考えてもらう事です。
何回かやるうち答えられないことや、会や活動への疑問点が生まれてきます。
なぜ?ひょっとして顕正会はおかしいんじゃない?と考えるようになるまで。
自分で考えて出した答えは受けうり話しより強力です。
イメージとしてこちらの考える、○○っておかしいよねという結論に、やんわり
回り道で誘導する感じです。

現実にはそううまくは進みませんし、批判、言い争いになりますが、その場合は
ドローとしていったん保留し冷却期間を作ります。
こちらの理解できない答えが来たら、素直に良く分からないからまた次回といった
のんびりペースで。
私の考える一つの戦法ですが。
事故については問い詰めるチャンスですが、今はどうかな。
ほら、変な宗教しているから事故にあうんだ。
これじゃあ顕正会と同じ考えです。
息子さんも事故で負い目があるだろうし、弱っている時に付け込むのも
あんまりですね。
宗教と関係なく日常で起きた事故と思い対処されると良いかと。

これが他人で、縁を切っても良いくらいの会員だったら
寝坊した、事故った、功徳は無いじゃない。
すばらしく正しいことをしているのが寝坊?
え、宿業を軽く転換した?
じゃあその宿業って何?過去世でどんな事をして宿業が生まれたの?
どのくらい宿業があって今のでどれくらいへったの?
そもそも事故で宿業が消える因果関係は?
くらい言うんだけど。
アマテラス13サマ、プチプリンサマ

お二人の心配してくださるお気持ち…感謝の気持ちで一杯です。

本当にありがとうございます。

本当に時間がかかる覚悟で、長男と向き合っていこうと思います。
>>62
状況的にもう少し聞きますが、世帯主はma^ko papa さんであり
自立しつつあるとは言え、息子さんは未成年だから被保護者の
立場ですよね。

まだ、調べている途中なのですが保護者の権限ってけっこうありそう
なので。
思想、活動のどこまでできるか難しいところですし、権限を前面に押し
出すと息子さんが嫌がるのはありますが。
以前、長男が入信して半年過ぎた位に、親権者の立場で、顕正会、勧誘者に脱会届けを出したこともあります。

その時は、そんな物本人が出したものではないので無効だと…


後、高校に在学中の時、そんなに親の言うことも聞けないのなら、学校も辞めてもらってもかまわないよ。と言ったことまあり増したが、そのときも無視をする状況で…

ただ権限を前面に出しても、そこまではしないだろうという風に思っているのか、助言されているのかは分かりませんがそんなに極端に嫌がることは無かったように思います。
>>64
ざっと調べたのですが、商品購入や一般の商的会員には
親権で取り消しなどできますが、宗教となると信教の自由が
あるため難しいです。
商法ではアウトになる事も宗教ではセーフみたいなのがあり、
本来宗教者は悪い事をしないと言うのが法的建前のようで。

脱会届けについては法的強制力はありませんが、無効でも無く
効力は発揮しないが生きているような気がします。
分かりにくい言い方ですいません。

>そこまではしないだろうという風に思っているのか、助言されているのか
おそらく両方ではないかと。
助言としては、親が反対する、妨害するのは、正しい事をしていると必ず
起きる事だと教育しています。
この理論では、反対すればするほど自分は正しいと確信するわけで。
やり方が汚いです。

的確な情報を出せなくて申し訳ありません。
時間はかかりますけど、まとめサイトの過去スレをざっと読んでみてください。
顕正会と勧誘被害を考える まとめ
http://sky.geocities.jp/tenzo226/
2chソースになりますが。
私メインが2chなもので。
当コミュにいる風さんがスレ主の
【第83回】徹底検証!『宗教法人顕正会』
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1300363954/

会員がまともに答えられないこと。

12 :風 ◆B9tRte6pGjLy :2011/03/17(木) 21:35:21.17 ID:U05ygMaK
【死体が白くなり、死後硬直がないのは「成仏の証拠」?】 ←コレを書かれてからマジで成仏トーク激減ww
(たまにこの件で指摘逸らししようとする工作員がいますが、気にせずに)
「死体が白かったり死後硬直があったり無かったりするのは 常 識 です」

やわらかい=死後硬直が無い(していない)のではなく、死後硬直が「解けて」きて弛緩したのです。
死後24-48時間程度で弛緩します。
白い遺体っていうのも「当たり前」のことです。血液は下側に集まりますので貧血気味な顔面は白く見えるはずです。
これがうつぶせに死んでいたなら赤い顔をしているでしょうし、一酸化炭素中毒で死亡したなら
鮮やかな紅色の死斑をしていると思います。
どちらも科学的な根拠に基づいていますので警察の捜査根拠に使われますし、
裁判所の証拠として は る か 昔 から通用するものです。
もしこれを「否定」するのなら世界中のこれに基づくすべての判例を無効としなければなりません。
一応簡単に判るようなサイト
ttp://www3.kmu.ac.jp/legalmed/lect/sitai.htmlを 紹介しておきます。
関西医科大学の法医学部のページです。 (ちょっとグロ画像もあります)
死後硬直が無い=特殊な場合以外であればどの遺体も時間の経過とともに柔らかくなる。
(昨今ではドライアイスを抱かせますので凍って硬くなっていることも多いです)
死に顔が白い=特殊な死因以外であれば「白くて当然」です。
*ごく常識的な現象を、定量的な精査も無く「これは成仏、これは地獄」と判断してそれを
 根拠として「恐怖心をあおって」入信を迫ったり信仰心を亢進させようとするのはおろかなことです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ちなみに顕正会から日蓮正宗にカルトサーフィンした人間が初めて葬儀に参加し、
他人のご遺体を「白いかどうか」観察していた無神経なブログがありましたけど呆れますね。
さらに「眷属のお仲間」はこのレスに憤慨している様ですが、知ったこっちゃありません(笑)
どうぞ、「地獄に堕ちる」とでも何でも仰って下さいな♪

身内にいきなりこの問題は早急かも知れませんが、情報まで。
はっきり言って、顕正会の成仏感全否定ですから。
困った時の切り札的に思ってください。
脱会届補足。

状況からすると、日本脱カルト協会の方のアドバイスで脱会届を
内容証明郵便で送ったのかと思います。
その後顕正会から反論の郵便は来ていないはずなので、内容的には有効です。
内容証明郵便アドバイザー
http://www.kazu4si.com/HP/naiyou/ba/dasikatanaiyou.htm
>内容証明郵便を受取拒否されても、法的には、相手に届いたことになります。

初めての内容証明
http://www7.plala.or.jp/daikou/naiyou/
相手が読まなくても、法律上は相手に到達したものとして、法的な効果はちゃんと
発生します。
会から文書による反論が無い場合は、内容を認めた事になります。
会員側の口頭での反論は、言った言わないの話になるので不可です。
つまり、会からの反論文書が無い=脱会を認めたともいえます。

いちおう法的には、無効では無いと解釈できます。
本人が出したものではないといった反論は、本来きちんと文書によって言うべきものです。
内容証明郵便とはそのためのものですから。

ただ、この事をいきなり息子さんと言い争っても水掛け論になりそうな気はします。
一つの情報として言う分には良いかもしれませんが。
こちらは法に沿って脱会届を出したのだから、反論するなら会から正式に
文書で出すのが筋だとか、くらいで。

四角四面に法律とか出すと、仏法は世間の法律より上、仏法の方が優先するから
世間の法律に従わなくとも良い、とか変な理屈を言い出します。
私から見るとそれは理屈ではなく、自分達に都合の良い感情ですけど。
そうなると、感情ですから話しにならなくなるので、そこで止めておいたら
良いかも。
そういったことを説明し、理解してもらうのは大変だと予想します。
(いつかはそこに行き当たり、やらなければならないと思いすけど)
切り札について補足。

相手を負かす場合、いきなり最強のカードを出すのもありですが、
今回は息子さんを負かすのが目的ではないですから。
ただ、そういった切り札を持っていると自分に心の余裕が持てます。
時に相手側の理論に負け、顕正会ってそう悪くないかもと思うことが
あります。
むろんすべての行動が悪いとは言いませんが、どうも好ましくない
言動が多いです…

私なりにも最後のカードみたいなものは持っています。
私なりの考えなので一般的かは分かりませんし、今だ使った事がありません。
とりあえず私の中でアンチ顕正会の支えになっています。
なんだかんだ理屈を言っても日蓮おかしいじゃないのと。

人それぞれ理解度が違っていて、理想を言えばhideさんの資料が身につくと
良いのですがなかなか難しくて。
とりあえず理解できる切り札的なものを持っていると、対応がかなり楽に
なると私は思います。
相手の回答を予測するのもその一つです。
会員ならこう答えるだろうなと、じゃあ次はこんな問いをぶつけようと。

これも中途半端な説明で、申し訳ないですけど。
プチプリンサン

多くのアドバイスありがとうございます。<(_ _)>ペコ

参考にしながら長男と向き合っていこうと思います。
質問があります。

第一は、日蓮正宗はどうして創価学会の宗教法人化を認めたのでしょう?
宗教法人日蓮正宗の信徒団体なのだから、創価学会が独自に宗教法人化する必要はなかったはず。現に顕正会の前身の妙信講や、現在の妙観講などは宗教法人化していません。

第二は、どうして創価学会を一つの寺や坊に所属させなかったのか?
顕正会の前身の妙信講は、法道会(現・法道院)に所属していましたし、妙観講は総本山塔中理境坊に所属しています。
創価学会はなぜ特定の寺や坊の信徒団体とならなかったのか?

第三は、日蓮正宗はどうして創価大学などの学校設立を認めたのか?
創価大学ではなく、富士大石寺大学にしろとどうして言わなかったのか?

どなたでも良いのでご返答お願いします。
>日蓮正宗はどうして創価学会の宗教法人化を認めたのでしょう?
>どうして創価学会を一つの寺や坊に所属させなかったのか?


創価学会の宗教法人設立は、1952(昭和27)年8月のことで、前年の1951(昭和26)年、東京・向島の常泉寺にて戸田城聖が75万世帯折伏宣言をして創価学会の会長に就任し、機関紙・聖教新聞を創刊。男子青年部、女子青年部を結成し、日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨を担ぎ出して堀日亨編纂の御書全集を発刊。
そして、この当時、すでに創価学会員は3000世帯(1万人以上か?)を超えており、他の法華講を圧倒する日蓮正宗の内部において最大の信徒団体であったという事実を見逃してはなりません。
その当時、実質的に活動していた日蓮正宗信徒は、創価学会ぐらいなもので、法華講はほとんど休眠状態で、事実上、日蓮正宗信徒=創価学会だったのです。
これが第一のポイントです。

というか、太平洋戦争開戦の1941(昭和16)年、つまり牧口常三郎会長の時代において、信徒数3000人を擁した日蓮正宗最大の信徒団体だったのであり、所属寺院も常在寺、常泉寺、中野教会(昭倫寺)、白蓮院などにまたがる、複数の寺院横断型になっていました。
だからこそ、神札問題のときに、牧口常三郎会長、戸田城聖理事長が大石寺に呼び出されて、堀日亨立ち会いのもと、62世鈴木日恭法主から説得されたわけです。

それが太平洋戦争で、牧口常三郎、戸田城聖、矢島修平他、創価学会幹部が根こそぎ逮捕されて壊滅状態になったわけですが、戦後、戸田城聖、矢島修平らが出獄して創価学会を再建。
そこから1951(昭和26)年までの6年間の間に、3000世帯(1万人以上か?)を超えた、他の法華講を圧倒する日蓮正宗最大の信徒団体になったわけです。

つまり、創価学会ないしは創価学会会長・戸田城聖を無視して日蓮正宗は成り立たないほどの政治力を、すでに1951(昭和26)年の段階において、創価学会・戸田城聖が握っていたということです。
その象徴的な事例が、1952(昭和27)年4月の立宗七百年慶讃法要における狸祭り事件です。
この事件で、戸田城聖は、日蓮正宗宗会から大講頭罷免、登山停止、謝罪文提出の処罰を受けたわけですが、この直後から創価学会幹部が宗会議員を務める住職寺院を次々と訪問して、この処罰を事実上、撤回させてしまうほどの政治力を発揮しました。






第二のポイントは、1947(昭和22)年〜1956(昭和31)年、ちょうど創価学会が戦後、再建・勃興期にあたる時期の大石寺法主は64世水谷日昇だったわけですが、この時期に宗務院を握っていたのが、堀米日淳総監(のちの65世日淳法主)、高野日深総監、細井精道庶務部長(のちの66世日達法主)ですが、これらの高僧は、日蓮正宗内における創価学会擁護派だったこと。
特に細井精道庶務部長は、戸田城聖が所属する常在寺住職でもあり、64世日昇の代は庶務部長として、65世日淳の代は総監として、実質的に日蓮正宗宗務院を牛耳っていました。
日蓮正宗が創価学会の宗教法人設立を承認した背景には、常泉寺住職・堀米日淳能化、細井精道庶務部長が宗内反対派を説得して承認に至った、ということがあります。

第三のポイントは、創価学会の宗教法人設立承認を日蓮正宗宗務院に願い出るに当たって、会長・戸田城聖がずいぶん低姿勢だったことです。
戸田城聖は、すでに創価学会が他の法華講を完全圧倒する日蓮正宗最大の信徒団体であったという政治力、数の力を背景にして、今後、創価学会が75万世帯の折伏を展開して行くに当たって、法難があるだろうから、その法難を会長一身に受けること。
日蓮正宗最大の信徒団体・創価学会の信者の所属寺院は、この時すでに常在寺、常泉寺、白蓮院、中野教会、妙縁寺など、寺院横断型になっていて、75万世帯の折伏を進めていく便宜上、宗教法人でなければならない、との理由で申請したわけです。

これに対して、堀米日淳能化、細井精道庶務部長ら創価学会擁護派の僧侶たちは
「(戸田城聖が折伏を)やりたい、真剣に広宣流布を進めようと考えているのだから、やらせてみようじゃないか」「(戸田城聖に)思うようにやらせてみて、おそらくいろいろと問題が起こってくることもあるだろうが、その都度、きちんとけじめをつけていけばいい」
という論法で、宗内反対派の僧侶を説得していった、ということです。
(平成4年8月28日の全国教師講習会における法主講義/『大日蓮』平成4年11月号)

堀米日淳能化、細井精道庶務部長ら創価学会擁護派の僧侶が、なぜここまで戸田城聖を擁護したのかというと、すでに創価学会が他の法華講を完全圧倒する日蓮正宗最大の信徒団体であったことから、戸田城聖の指導力、教学力、教化力をずいぶんと買っていたようです。

この戸田城聖の申請に対して、宗務院、宗会でずいぶんと議論されたようで、例えば、宗会では、日蓮正宗宗規改正問題で、反対派僧侶から
「日蓮正宗の信徒は、他の宗教法人に加入することができない」
という改正条文案が出されたのに対して、宗務院が異議を唱えて
「日蓮正宗の信徒は、他の宗教団体に加入することができない」
に改訂させた、というような一件もあったようです。
しかし最終的には日蓮正宗宗務院は
■折伏した人は信徒として寺院につけること
■日蓮正宗の教義を守ること
■日蓮正宗の三宝を護ること
という条件付きで、創価学会に宗教法人設立に承認を与えています。





>現に顕正会の前身の妙信講や、現在の妙観講などは宗教法人化していません。

当たり前です。
妙信講は妙光寺→法道院→妙縁寺に所属する法華講であり、妙観講は大石寺理境坊に所属する法華講です。
日蓮正宗の末寺寺院は、宗教法人・日蓮正宗に包括される被包括の宗教法人なのです。
その被包括の宗教法人に所属する法華講が、独立した宗教法人を設立するわけがありません。


>日蓮正宗はどうして創価大学などの学校設立を認めたのか?
>創価大学ではなく、富士大石寺大学にしろとどうして言わなかったのか?

そんなことを言うわけがないじゃありませんか。
創価大学というのは、宗教法人・創価学会の事業であり、常識的に言って、宗教法人の事業に、他の宗教法人が内政干渉するわけがありません。
まあ、もっとも創価学会は、他の宗教法人に平気で内政干渉していますけどね。






>71
さっそくお返事ありがとうございます。

>信徒数3000人を擁した日蓮正宗最大の信徒団体だったのであり、所属寺院も常在寺、常泉寺、中野教会(昭倫寺)、白蓮院などにまたがる、複数の寺院横断型になっていました。

ここに疑問があるのです。
どうして、一つの寺院に所属せずに、複数の寺院横断型になっていたのでしょう?
創価学会としては、会員は末寺の指導をうけるより創価の指導をうけ、創価に献金してほしいわけですよね。
そういうことでいえば、会員をそれぞれ末寺に所属させるというより、総本山に「創価坊」でも作って、「総本山塔中創価坊創価学会」として、会員が近くの末寺に行かないようにしたほうが有利だと考えなかっただろうか?ということです。
>どうして、一つの寺院に所属せずに、複数の寺院横断型になっていたのでしょう?


それは、今の、ちょっと規模の大きい法華講、1000世帯を超える信者がいる法華講支部を見れば、わかることではありませんか。

そういう大所帯の法華講に所属する信者は、何もその寺院の近所に留まらず、全国各地に信者がいます。
それはそうなるでしょう。日蓮正宗の信者による教線拡大は、信者の親兄弟、親族、友人というふうに、いわばネズミ講式に拡大していくわけですから。

戦後、創価学会の教線拡大に引きずられるように規模を大きくしていった法道院も本行寺も、東京都内のみならず、各地に信者がいて、遠隔地の信者が多くなった場合は、その地域に新しい寺院を建てて、いわゆる「株分け」をしています。

法道院(東京・池袋)→法道寺(千葉県野田市)・応顕寺(横浜市神奈川区)
本行寺(東京・向島)→宣行寺(埼玉県草加市)・宣法寺(横浜市戸塚区)

東京・滝野川の妙證寺は、元々は大石寺蓮成坊東京出張所が発展して寺院になったものですし、長野市の妙相寺も、東京に支部だか出張所だか会館だかを持っているとのこと。
妙観講の場合は、各地の地元寺院の法華講支部に株分けをしているようです。

ただし、この「株分け」というやり方は、ここ30年くらい前からはじまったことで、それまでの法華講は、株分けするどころか、戦前までは、わずかながらの旧檀家、旧信徒がいただけです。
しかも、信者はひとつの寺院に所属しろだの、何だのと言ってくるようになったのも、むしろ戦後、信者が増加するようになってからのこと。
それと、戦後、交通手段や通信手段が発達したことが大きいと言えます。

戦前の創価学会の場合だって、3000人余りの信者がいたわけですから、その信者がかなり広範囲に分布していただろうことは容易にわかるのではないですか。

しかも戦前の日本というと、今みたいに航空機、新幹線、高速道路で瞬く間に遠隔地に行けた時代ではありません。
新幹線どころか、特急が東京〜下関、東京〜神戸に何十時間もかけて走る列車が走っていただけ。電話もあることはありましたが、一般には普及していませんでした。
東京都内に路面電車は走っていましたが、都内各所を縦横無尽に走っていたわけではありません。
そうであるならば、信者の増加→遠隔地に新入信者→複数の寺院横断型になるのは、自然の流れではないですか。




>創価学会としては、会員は末寺の指導をうけるより創価の指導をうけ、創価に献金してほしいわけですよね。


若い世代の人は、この点を大きく誤解している人が多多いらっしゃるようですね。
創価学会は戸田城聖の時代から「会員は末寺の指導をうけるより創価の指導をうけ、創価に献金してほしい」などと考えていたわけではありませんよ。
創価学会がこういう考えに傾斜してきたのは、池田大作が会長になって10年以上経ってからのこと。具体的に言うと、正本堂建立以降、もっと言うと昭和五十二年路線以降のことです。

その前の創価学会とは、今の法華講以上に法華講だった、日蓮正宗一辺倒の信者団体だったのです。特に戸田城聖の時代の創価学会は、まさに日蓮正宗一辺倒の信者団体、今の法華講より数十倍、数百倍も法華講だった、ということであり、しかも今の法華講以上に布教力、教化力を持っていたわけです。
ここを見逃してはなりません。

だからこそ、堀米日淳能化(常泉寺住職、当時は総監→重役、後の65世日淳法主)、細井精道庶務部長(常在寺住職、後の66世日達法主)、早瀬道応教学部長(法道院主管・後の早瀬日慈総監・今の68世日如の父親)、千種日建能化(白蓮院主管)といった創価学会擁護派の僧侶が生まれたわけです。
しかも、戸田城聖は、強引な折伏で信者を増やし、こういう東京都内の寺院の信者も増えて、供養がどんどん入ってくるようになったわけだから、こういう創価学会擁護派の僧侶は、戸田城聖や創価学に全面協力し、徹底してサポートしています。

戸田城聖が、「会員は末寺の指導をうけるより創価の指導をうけ、創価に献金してほしい」などと考えていた人物だったら、日蓮正宗内に創価学会擁護派の僧侶など生まれませんし、日蓮正宗は、創価学会の宗教法人設立など認めていないでしょう。


>会員をそれぞれ末寺に所属させるというより、総本山に「創価坊」でも作って、「総本山塔中創価坊創価学会」として、会員が近くの末寺に行かないようにしたほうが有利だと考えなかっただろうか?

正本堂建立以降において、考えるようになったということでしょう。
たとえば1972(昭和47)年の第60回社長会記録で、池田大作が
「三多摩に菩提寺を作りますよ。日本一のお寺を作る。三百年前の様式で作る」
「創価山立宗寺で、ずっと植えて月をあびながら生きるために永遠のために懇談しましょう」
と発言したことが、すでに公開されていて、社長会記録については、創価学会も認めています。





ご無沙汰しています。

昨日(31日(月))愛知県の支隊長クラス(s)の方と電話で話しをしたのですが、浅井の解釈した御書の1部を解説した物の他に自分達で御書を勉強しているのかと尋ねると、私達では到底理解できないので、浅井が解釈して教えられる事で十分だと言ってました。

後、sが頻繁に口にしていた事で記憶に残った事は“竜の口法難”のことを強調して言ってのを覚えています。

この、“竜の口法難”についての解説、ご意見がありましたらお願いしたく思います。

場違いな質問になってるというならお詫びいたします。
>マコパパさん

龍口法難について1(松葉が谷〜小松原法難)

前回、立正安国論についての、ご質問を受けました。
龍口法難と言っても、日蓮の立宗宣言〜立正安国論上奏という、流れの中で起こったことですので、立正安国論との兼ね合いも含めて、立正安国論以降の日蓮の行動から話しを進めてまいりたいと思います。

日蓮の生涯の足跡の見解については、私は、歴史学者・井沢元彦氏が著書「逆説の日本史」に書いている見解を基本的に支持する立場です。

さて日蓮が立正安国論を北条時頼に上奏しましたが、時頼が何の沙汰もしなかったのを、前回、時頼の「好意」と書きました。
しかし、日蓮から「念仏無間」と喝破された浄土宗の宗徒はこれではおさまらない。
日蓮を放ってはおけないものの、日蓮の弁舌には一筋縄の弁舌では勝てないと考えた浄土宗の信者たちは、名案を考え出した。
時の執権・北条長時の父は、時頼ではなく、念仏信者の極楽寺入道重時で、信者たちはこの重時の応援を得て、日蓮が居住していた松葉ヶ谷の草庵を焼き討ちにして、日蓮を打ち殺そうとした。

日蓮は弟子たちにかくまわれて、辛うじて脱出したが、草庵は焼失した。
日蓮はその後、下総国中山の信者・富木常忍のもとにかくまわれていたが、翌年の1261年(弘長元年)には鎌倉に戻り、再び辻説法で他宗を激しく批判した。

念仏信者たちは、てっきり日蓮が死んだものと思っていたが、再び鎌倉で日蓮が「念仏無間」と批判しはじめたことで、今度は暗殺ではなく、法律的に日蓮を葬ろうとした。

念仏信者たちは、極楽寺重時と息子の執権・長時に、日蓮を御成敗式目第十二条違反で捕縛するように訴えた。
御成敗式目第十二条とは、「悪口は騒乱の元であるから口にしてはならない。これを犯す者は流罪・禁固の刑に処す」というもの。
鎌倉幕府は日蓮を逮捕して、伊豆流罪に決めた。

たしかに日蓮の「四箇の格言」は、御成敗式目第十二条違反だとしても、法律で決するのなら、念仏信者たちによる松葉ヶ谷草庵焼き討ちも罪に問われてしかるべきなのだが、こちらは無罪放免。これは公平とは言い難い。放火、騒乱、暗殺は、いつの時代でも重罪のはずだが、極楽寺重時が念仏信者だったことによって、念仏信者たちによる松葉ヶ谷草庵焼き討ちは不問になっている。

これは、伊豆流罪の後、極楽寺重時が急死したことで赦免の道が開かれ、最明寺時頼が動いたようで、日蓮は1263年(弘長3年)、二年間の流罪生活から解放される。
しかし、北条時頼もその年に死去する。まだ37歳の若さだった。

さて赦免になった日蓮は、父は他界していたものの、母が存命だったので、故郷の安房国に帰った。ところが日蓮の故郷の領主・東条景信が熱心な念仏信者で、日蓮が信者宅に行った、その帰途の途中、日蓮を襲撃して暗殺しようとした。これが「小松原の法難」と呼ばれる法難である。

日蓮は、この三回目の小松原の法難も、辛うじて切り抜けたが、工藤吉隆という信者と鏡忍房という弟子が討ち死にし、日蓮も額に大きな刀傷を受けて負傷した。
これだけ、襲撃されたり、流罪にあっても、日蓮はひるまず、他宗批判をやめなかったわけです。


龍口法難について2(小松原〜雨乞いの祈祷)

日蓮は、焼き討ち、流罪、暗殺等々の危機を迎えながらも、信念を曲げなかったわけですが、なぜ日蓮は自分の信念を曲げなかったのか。
一つは、日蓮が信仰していた法華経。法華経勧持品第十三には、「二十行の偈」というのがあり、
「末法に法華経を弘める者は、それを理解しようとしない悪人に刀で斬られ、杖で打たれる迫害にあうだろう」
というような内容の予言が書いてある。だから法華経絶対の信仰をしていた日蓮は、迫害されればされるほど、「自分の行動は正しい」と考えて、ますます過激な行動がエスカレートする。
こういう日蓮の信仰の中に、カルト的な要素がなかったとは言い切れないでしょう。

二つ目には、蒙古からの通牒。
1268年(文永5年)には、はじめて元の皇帝・フビライから日本に服属を求める国書が届いた。
前回の質問の時、中国大陸・朝鮮半島におけるモンゴルの領土拡大という国際情勢を、宋からの渡来人、宋からの帰国僧、日宋貿易の商人によって日本の公家、武家、僧侶といった知識階級に情報がもたらされ、日蓮もそういう情報を知っていた可能性が非常に高い、ということを書きました。したがって予想されたこととはいえ、実際に蒙古からの国書が届くと、やはり国を挙げて上へ下への大騒ぎとなる。なにせ日本に外国からの服属を求める国書が届くなどというのは、有史以来はじめてのこと。
しかし、日本国内の武家、公家は、国防をどうするか、ということに腐心する中、日蓮はますます
「自分は正しい」という信念に入り込み、幕府に対して再度、「立正安国論」を提出するとともに、「十一通御書」とよばれる書状を、幕府の要人や他宗の僧侶たちに送っている。
この「十一通御書」の内容は、「和」を信奉する普通の日本人では考えられないほど激烈で、たとえば北条時宗への書状には
「この日蓮が『立正安国論』で予言した『他国侵逼難』がまさに招来したではないか。直ちに建長寺(臨済宗)、極楽寺(念仏宗)、鎌倉大仏等への信仰をやめよ。そうしないと本当に攻められるぞ」
と書き、極楽寺良寛(忍性)への書状には
「三学に似たる矯賊の聖人なり。僣聖増上慢にして今生は国賊、来世は那落に堕在せんこと必定せり」(御書全集p367)
----あなたは僧侶に似た慢心と法盗人の聖人、権力と結託した僣聖増上慢であり、今生は国賊であり、来世は無間地獄の那落に堕在することは絶対に間違いない---
とボロクソに書いている。忍性とは、慈善事業に尽力して民衆の人気が高かった真言律宗の高僧。実質的な挑戦状とも言うべき書状です。
ところが、これだけボロクソに書いた十一通御書に対しても、幕府は日蓮に対して、何も回答せず、何も行動を起こさなかった。完全に黙殺したわけです。

1271年(文永8年)夏、鎌倉で干ばつが起こり、幕府の命令で極楽寺良寛(忍性)が祈雨の祈祷を行った。十一通御書がことごとく黙殺され、策に窮した日蓮は極楽寺良寛(忍性)に、
「雨が降ったら貴殿の弟子になる。降らなかったら我が弟子になれ」
と書き送るという賭けに出た。幕府に自説を何としてでも認めさせようとする、なりふり構わぬパフォーマンスだったといえよう。
常日頃から日蓮のことを苦々しく思っていた忍性は、この日蓮の挑発に乗ってしまい、結果は1ヶ月雨乞いの祈祷をしても、一滴の雨も降らなかったという、さんざんな結果に終わった。
これに日蓮は勝ち誇り、
「雨を降らせることもできぬくせに成仏を語るな。我が弟子になれば祈雨の法と成仏の道を教えてやる」
と罵詈雑言を忍性に浴びせた。ここに四たび、日蓮に災難が降りかかってくることになる。





このつづき(龍口法難について3以降)は、11月4日(金)に書き込みします。

しばらく、お待ち下さい。

解説ありがとうございます。

読ませていただきましたが、日蓮の狂気性、凶暴性を感じます。

そして尽く、災難を回避してこれてきた事にも驚きます。

このような事実が在るから顕正会の会員達は日蓮が神が駆ったかのような存在であったのだと教えられているのかと思いました。
■龍口法難について3(評定所〜龍口)

極楽寺良寛(忍性)の1ヶ月にもわたる雨乞いの祈雨でも、雨が一滴も降らなかったばかりか、これを日蓮が、まさに言いたい放題の罵詈雑言を忍性に浴びせたことで、表向きは日蓮を無視・黙殺していた忍性が、ついにここで堪忍袋の緒が切れて、ブチ切れた。
忍性は、大和国額安寺に入って出家し東大寺戒壇院にて受戒した官僧であり、真言律宗は、朝廷・幕府公認の宗旨で、忍性が住んでいた鎌倉・極楽寺も北条重時が開基になっている、実質的な幕府丸抱えの寺院である。
これでは忍性の面目丸つぶれであり、さすがの忍性も、日蓮を「御成敗式目」第十二条違反で捕縛するように幕府を突き上げた。

なお、1981年の日蓮七百遠忌を記念して1979年に製作・公開された映画「日蓮」では、忍性の雨乞いの祈雨失敗の後、日蓮が弟子を引き連れて鎌倉の海岸で読経・唱題をはじめたとたんに、雷雲・雨雲がもくもくと出てきて、いきなり大雨が降り出し、鎌倉の人たちが大喜びするというシーンが出てきます。
これは歴史史書、古文書にないばかりか、日蓮の遺文(御書)にすら出てきませんので、映画製作における脚色・演出ではないかと思われます。

脚色・演出とは言っても、このシーンはものすごく有名なシーンで、これを見た創価学会員や顕正会員が涙を流して感動したと言っていたくらいです。

文永8年(1271)9月10日、再び逮捕された日蓮は、評定所に突き出され、侍所・所司(別当は執権が兼務・所持はそれに次ぐ職)であった平左衛門尉頼綱が取り調べを行った。平頼綱は、内管領(当時は内執権と呼ばれた)との異名を持つ、鎌倉幕府の中では執権に次ぐナンバー2の実力者だった。

9月12日、平頼綱の取り調べに対して、日蓮は、今まで以上に過激なことを言った。
「私は日本の棟梁である。私を倒すことは日本国の柱を倒すことと同じだ。このままでは内乱・同士討ちが起こり、外国から攻められてたくさんの人たちが殺され、生け捕りにされてしまうだろう。
一刻も早く、建長寺、寿福寺、極楽寺、鎌倉大仏、長楽寺等々の一切の念仏、禅の寺塔を焼き払い、念仏、禅の僧侶たちを由比ヶ浜で首をはねよ。さもなくば、日本は必ず滅亡するだろう」
----これは誇張でも何でもない。この日蓮自らが書き残した言葉が、日蓮遺文(御書)「撰時抄」「報恩抄」等々に残っている。
これに平頼綱が激怒した。というのは、平頼綱も念仏信者だったからで、直ちに執権・北条時宗の裁決のもと、判決が下され、日蓮は御成敗式目第12条(悪口を言ってはならない)違反の咎で、佐渡流罪に処す、というものであった。
日蓮の御成敗式目第12条違反の咎は二度目ということになり、初回は伊豆流罪だったが、二度目は伊豆よりもさらに遠方の佐渡への流罪と成った。

しかし佐渡流罪の判決であったにもかかわらず、日蓮はその日の夜、幕府の刑場である龍口で斬首されるべく、連行されることになった。もちろんこれは、日蓮に敵意むき出しにしていた平頼綱の策略であった。
9月12日深夜、人々が寝静まったころ、日蓮は捕縛されて馬に乗せられ、龍口の刑場に連行されていった。しかし日蓮はあくまでも意気軒昂で、鎌倉幕府の聖地である鶴岡八幡宮の前を通るとき、馬を停めて降り、日蓮は八幡宮の神前に向かって大声で怒鳴りつけたという。
「八幡大菩薩よ、おまえは本当に神なのか。この日蓮は日本第一の法華経の行者であり、わが身には何一つ誤りや咎もない。日本国の一切衆生が法華経を誹謗して無間地獄に堕ちるのを助けるための法門を説いているのである。それなのになぜ日蓮を守護しないのか。
日蓮がこの度、首を切られて霊山浄土に参るときには、まずは天照大神・正八幡こそ法華経の会座での誓いを破ったと教主釈尊に申し上げるつもりだ。これは痛いと思うならば、急いでこの日蓮を守護せよ」
これは、日蓮の回想録とも言うべき遺文(御書)「種々御振舞御書」に、日蓮がそう言ったと書いている。

日蓮が龍口の刑場に連行されたとき、いっしょに付いてきた人たちに、「これほどの悦びは笑うべきである」と言ったという。なぜ笑うべきなのか、日蓮に言わせると、法難にあうというのは、法華経の正しさを証明しているからだ、ということになってしまうのである。
しかし、日蓮は、実際には首を切られなかったのである。




■龍口法難について4(なぜ処刑は中止になったのか)

さて龍口の刑場に連行された日蓮だったのだが、実際には首を切られなかった。突然、日蓮の処刑は中止になり、まさに九死に一生を得たのである。
日蓮の回想録とも言うべき遺文(御書)「種々御振舞御書」に、日蓮は
「江の島の方より『光り物』が現れ、それまで人の顔も見えないほどの暗闇だったのに、『光り物』の光によって月夜のように明るくなり、人々の顔が見えるくらいに明るくなった。太刀取りの目がくらんで倒れて臥し、兵士たちは恐れおののき、馬の上でうずくまってしまう者もいた」
等と書いている。

ただしこれは日蓮が)「種々御振舞御書」にそう言っているだけの話しで、幕府の公式記録・歴史書の「吾妻鏡」等に、こういう記載は全くない。

1981年の日蓮七百遠忌を記念して1979年に製作・公開された映画「日蓮」では、ここの場面について、『光り物』が現れて太刀取りの目がくらんだだけではなく、とつぜん雷が落ちて刀が真っ二つに折れたり、ものすごい竜巻のような突風が吹いて、日蓮の首を切ろうとした兵士たちが吹っ飛ばされる、という超オーバーな脚色・演出が為されていますが、ここまで来ると完全なフィクションになってしまいます。

歴史的な事実として確実に言えることは、日蓮は、判決にない不当な処刑で殺されかかったのだが、何らかの事情で命が助かった、ということです。
その何らかの事情とは、どういう事情なのか、ということですが、江戸時代ののころから、執権・北条時宗の夫人が懐妊中だったので、祟りを避けるために、「坊主殺し」を中止したのではないか、という説が囁かれている。
現代の歴史学者の中でも、この説を支持する学者が多いですね。しかし私はこの説に、いささか懐疑的です。

というのは、そもそも日蓮に対して、鎌倉幕府が下した判決は「佐渡流罪」なのであり、死刑ではありません。それを平頼綱が深夜に日蓮を龍口で誅殺しようとしたわけで、もともとの判決が死刑なら、執権夫人の懐妊を理由に「坊主殺し」を中止したという説は的を得た説になるとは思いますが、そうではなく、元々の判決は死刑ではないわけです。
であるならば、もし仮に執権・北条時宗が、日蓮が誅殺されかかっている、ということを知ったならば、「日蓮は佐渡流罪にはしたが、殺せとは言っていない」として、処刑は中止させるでしょう。
当然です。そうしないと執権の威信が丸つぶれになってしまいます。
1979年に製作・公開された映画「日蓮」では、執権・北条時宗が日蓮の処刑を中止せしめるという場面を入れています。こちらのほうが的を得ている感じがします。

さて日蓮正宗系では、「龍口の法難は発迹顕本だ」として、日蓮はこの時に、「末法の御本仏としての本地を顕した」などと、日蓮本仏論を展開します。
しかし日蓮本仏論なるものは、日蓮や日興とは全く無関係のものであり、室町時代中頃の大石寺9世法主・日有が偽作した教義です。
この詳細については、すでにトピックを立ち上げています。

「日蓮正宗大石寺の『日蓮本仏論』は日蓮・日興の教義ではない。後世の大石寺法主・9世日有の偽作である」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=54501374&comm_id=406970#page






■龍口法難について5(処刑中止の理由を日蓮は知らなかった)

そうすると、日蓮が自らの回想録とも言うべき遺文(御書)「種々御振舞御書」に、
「江のしまのかたより月のごとくひかりたる物まりのやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへ・ひかりわたる、十二日の夜のあけぐれ人の面も・みへざりしが物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ、太刀取目くらみ・たふれ臥し兵共おぢ怖れ・けうさめて一町計りはせのき、或は馬より・をりて・かしこまり或は馬の上にて・うずくまれるもあり」(御書全集p1060)
---江の島の方より『光り物』が現れ、それまで人の顔も見えないほどの暗闇だったのに、『光り物』の光によって月夜のように明るくなり、人々の顔が見えるくらいに明るくなった。太刀取りの目がくらんで倒れて臥し、兵士たちは恐れおののき、馬の上でうずくまってしまう者もいた---
等と書いていることが問題となってくるわけです。
「日蓮はウソを書いたのか」ということです。しかし日蓮が書いた文をよく読んで頂きたい。

「十二日の夜のあけぐれ人の面も・みへざりしが物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ」
---9月12日の夜は人の顔も見えないほどの暗闇だったのに、『光り物』の光によって月夜のように明るくなり、人々の顔が見えるくらいに明るくなった---

草木も眠る丑三つ時の深夜に、空が一面曇りの状態であれば、鎌倉時代は、街灯も蛍光灯もランプも何もなかった時代のことですから、それこそ真っ暗闇になりますねえ。
それが雲が途切れて満月が出たとなると、それこそあっという間に、人の顔が見えるくらいに明るくなります。
真っ暗闇では、人間の瞳孔が開いた状態になっていて、これが急に満月が出て明るくなると、その瞬間、少し目がくらんだ状態になるでしょう。

ところで龍口法難の文永8年9月12日というのは、当然のことながら太陰暦(旧暦)の9月12日です。
主に旧暦8月15日から16日の夜(八月十五夜)と、日本では旧暦9月13日から14日の夜(九月十三夜)には、綺麗な満月が出て、昔から月見が行われることで有名です。
だから私としては、日蓮が言う「光り物」とは、中秋の満月が、その時、雲の割れ目から出てきただけだと思います。

ただし日蓮も「種々御振舞御書」の中では「光り物が出たから処刑が中止になった」とは書いていません。
「『夜が明けてからでは見苦しいから、早く首を切ってくれ』と言ったが、誰も斬らなかった」
と書いているわけです。
なぜ処刑が中止になったのか、その理由を日蓮自身は知らなかった、ということです。
知るはずがないと思います。鎌倉時代の昔は、マスコミもなければ、新聞も週刊誌もない。「どうして処刑を中止したんですか」とのインタビューも記者会見もないわけですから。

よって「光り物が現れたから、処刑が中止になった」「光り物で、太刀取りが目がくらんで処刑中止になった」などという日蓮正宗系の解釈は、全く後世の脚色です。
ましてや「龍口での処刑が中止になったから、佐渡流罪になった」というのは、史実に反しています。元々、評定所で日蓮に下された判決が佐渡流罪だったのですから。

ましてや光り物→処刑中止→発迹顕本→日蓮本仏というふうに、勝手な教義を展開する日蓮正宗系の解釈は、全く以て笑止千万です。




今回も色々ありがとうございました。<(_ _)>ペコ

顕正会の会員達は、日蓮の神懸り的な奇跡を誇張して話しますので、どうしても違和感を感じていましたが、中立的な立場で、歴史観的な解釈、解説分かり易く拝見できました。

後、法華経と他の宗派(?)釈迦との関り(流れ)を解説していただけたらと思います。

“顕正会が言うように法華経だけが云々…”と言ってるところが私は違和感を覚えます。
>マコパパさん

86のご質問については、11月7日(月)に回答いたします。

少々、お待ち下さい。

池田大作の先が長くないようですが、池田大作が死ねば宗門と和解ということはありえるのでしょうか。
総本山塔中のどこかの坊に創価学会を所属させるという形で。
>マコパパさん
>法華経と他の宗派(?)釈迦との関り(流れ)を解説していただけたらと思います。
>“顕正会が言うように法華経だけが云々…”と言ってるところが私は違和感を覚えます。

私個人の立場を申すならば、私は「大乗経典非釈迦仏説」(大乗非仏説)です。
これはまさにその名の通りで、この大乗経典には、法華経の他、阿弥陀経、大日経、華厳経、般若経、勝鬘経等々の他、「立正安国論」に引用されていることでも有名な金光明経、仁王経、大集経なども入ります。
これに入っていないのは、上座部仏教で、日本では「小乗経」と呼ばれますが、この名は大乗仏教側から見た差別的意味を含むとされています。

「大乗経典非釈迦仏説」(大乗非仏説)について、もう少し言いますと、
日本ではじめて、経典を精密に論証して大乗非仏説を唱えたのが、江戸時代の大阪の町人学者・富永仲基(1715〜1746)である。

延享2年(1745年)に刊行された、富永仲基の主著「出定後語」(しゅつじょうごご、しゅつじょうこうご)は、まずヴェーダが先行し、それに対抗して六師外道が、それに対抗しての釈迦・小乗仏教が、それに対抗して大乗仏教が加上されたとし、つまり大乗仏教を後世に作られたものと断じた、「大乗非仏説」を唱えた書として、あまりにも有名である。
この説は本居宣長、後には内藤湖南や、大谷大学学長・村上専精の『仏教統一論』により評価され、服部天游(てんゆう)の『赤裸々』、国学者の平田篤胤の『出定笑語』、等が、富永仲基の主著「出定後語」の大乗非仏説につづいている。
日寛が寛文5年(1665年)〜享保11年(1726年)の人物だから、富永仲基は日蓮正宗大石寺26世法主・日寛よりほんのすこしだけ、後の時代の人ということになる。
この中で面白いのは、大乗経典の宗派である真宗大谷派の僧侶で大谷大学学長もつとめた村上専精氏が、『仏教統一論』を著して大乗非仏説を提起していること。

「法華経を含めた大乗経典はすべて釈迦牟尼とは何の関係もないものである」

歴史学者・井沢元彦氏は、著書「逆説の日本史」で、この富永仲基が日本ではじめて唱えた大乗非仏説は、現在に至るも、誰からも論破されていないものである、と述べています。

なので、私としては、経典の勝劣については、どこにも与しないことにしています。あまりにも、ナンセンスな議論に見えてしまうからです。

もっと言うと、「大乗経典非釈迦仏説」(大乗非仏説)が誰も論破できないということになると、大乗経典のひとつである「法華経」の「文底秘沈」の「南無妙法蓮華経」をはじめとする「三大秘法」を教義の根幹に置く日蓮正宗の教義が根本から崩壊することになる。
もちろん大石寺の「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊も含めて、ということです。



その他の質問には、11月9日に回答しますので、よろしくお願いします。
何時もありがとうございます。<(_ _)>ペコ

歴史的事実を中心にされた解説で、自分なりに消化できる様にがんばってみます。
■日蓮正宗・創価学会の再和解の可能性

>池田大作の先が長くないようですが、池田大作が死ねば宗門と和解ということはありえるのでしょうか。

かつてこのコミュニティで、これとほぼ同じ質問があったように記憶しているのですが、どこだったか忘れました。

和解の可能性は、あるとも言えるし、ないとも言えるし、その時になってみなければわからないでしょう。予言者ではありませんのでねえ。

ただし2009年に、大石寺境内の中にある富士美術館が閉館して大石寺に返還され、ここが「大石寺宝物殿」として新たにオープンしたということがありました。
これにより、日蓮正宗と創価学会の間は「絶縁」しているのではなく、何らかの「話し合いの場」「協議の場」が持たれていることが判明しました。
これは、前々から週刊誌等にうわさとして流れていましたが、両者の間の協議の場があることが、ここで公式に判明したわけです。

注目すべき点は、この日蓮正宗・創価学会の話し合いが、今後、どのようになっていくかということである。今のような状態がつづくのか。それとも両者は「再和解」することになるのか。
協議の場があるから、これが再和解に発展するかどうかは、別問題です。

再和解するかもしれませんし、しないかもしれません。

再和解の形態についても、いろんな話しが流れています。
浄土真宗の10派がつくる「真宗教団連合」のようなものを造るとか、又、かつて安土桃山時代から江戸時代にかけて大石寺と要法寺が通用していたような形とか、…。

創価学会を大石寺の塔中坊に所属させるというのは、聞いたことがありません。





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