ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

史跡コミュの埴原牧跡 附;信濃諸牧牧監庁跡

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 長野県松本市中山古屋敷・千石乾田

 1960年02月11日、長野県が史跡に指定。

 5世紀頃、大和朝廷は科野(シナノ)国へ騎馬に長けた高句麗からの渡来人を多く送り込んで、騎兵養成のための牧を多数造成しましたが、科野国造は6世紀に伊那地方へ本拠を移したため、飛鳥時代の牧は伊那地方を中心に設けられており、この段階では松本平は特に重視されていなかったようです。
 その後、8世紀後半の恵美押勝(エミノオシカツ)の乱直後に馬産地として有名だった信濃国に左右馬寮が所管する皇室用牧場である御牧(ミマキ)が多数造成されました。1牧は100疋(ヒキ)程度と規模は小さかった模様で、恐らく6世紀頃から開かれていた在地豪族の私牧を朝廷が接収した物だと推定されています。延長5(927)年に完成した『延喜式』によると、信濃以東に32牧が設けられていましたが、そのうち信濃の御牧数は16にも及んで半数を占めています。
 筑摩郡内の御牧は埴原牧と大野牧(オオノノマキ)でしたが、当地松本市中山埴原が埴原牧に比定されているのは、地名のみならず、地形的にも牧場経営に適しており、西に接する田川流域に営まれていた平安時代の集落遺跡から「榛原」(ハイバラ)と記された土器が出土している点等が理由になっています。
 中山埴原の千石は、春〜秋に放し飼いにしている馬を冬季に収容した繋飼場(ケイシジョウ)跡と推定されています。
 松本市立考古博物館前には信濃諸牧牧監庁(シナノショマキモクゲンチョウ)跡があります。『類聚三代格』に拠ると、延暦16(797)年に筑摩郡埴原牧の田6町を信濃国監牧に与えたとされており、牧監庁は通常国府近傍にあるため、その頃までに、本来、小県(チイサガタ)郡(現上田市)にあった信濃国府が松本平に移転していた事が確認されます。牧監は信濃国の16牧を統轄する要職で、国府の次官である介と同じに相当する従六位上の官位を持っていました。

◎城下町松本
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=194642&id=80428940
+小笠原氏城跡
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=80816601
・中山古墳群
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=398257&id=80816239
・伊和神社のケヤキ群
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=320240&id=80350935

コメント(2)

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

史跡 更新情報

史跡のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング