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史跡コミュの桜井谷2-19・2-24・2-23窯跡

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 大阪府豊中市北緑丘2丁目1番 2-19・2-24窯跡
 大阪府豊中市永楽荘4丁目3番 2-23窯跡

 1987年09月01日、豊中市が2-19・2-24窯跡を史跡に指定。
 2002年04月01日、豊中市が2-23窯跡を史跡に指定。 

 桜井谷は、豊中市最北部に位置する千里川沿いの幅約500mの大きな谷で、この谷の両岸約3kmに亙って古墳時代における須恵器生産の窯跡群が分布しています。この谷の東側に位置する2-19・2-24窯跡は群内でも北部にあたり、標高65m前後の段丘上にあります。両者とも構造は半地下式のもので、地山を堀りこみ天井部をスサ入り粘土により架設する構築方法を取っています。床面は緩い傾斜を持ち、焚口(タキグチ)から燃焼部・焼成部そして煙道(エンドウ)部へと上方に伸びつつ幅を狭めます。
 須恵器の輸送には千里川の水運が利用されました。
 千里川東岸の2-19窯跡は、残存する主軸長約9.5m、中央部の床面幅約1.8mを測るもので、焚口・天井部・煙道部分は失われていましたが、ほぼ構築当初の規模を推察出来ます。
 2-24窯跡は2-19窯跡の北側に位置し、現状で焚口から後端まで9.5m、最大幅2mを測ります。焚口の前面には幅14mの範囲に灰原(ハイバラ)が分布しており、この中から出土した遺物をみると、この窯の操業期間が古墳時代の後期から末期にかけてである事が知られます。2-19窯も同時期の物ですが、2-24窯が弱干これより遡るものと考えられます。いずれも現在緑地帯として保存されています。
 2-23窯跡は永楽荘窯址とも呼ばれ、千里川西岸に形成された河岸段丘の南東方向に下る斜面上に6世紀前半頃に築かれた物です。昭和52(1977)年に範囲確認調査で、窯の本体は全長約13m、最大幅2.5m、天井部の高さ2m以上の半地下構造の登り窯で、大阪府内で最大級の窯址である事が判明しました。しかし、大規模過ぎて焼成途中で天井が崩れてしまい、土器と共に捨て去られたようです。窯の内部には、土器が窯詰めされたままで残っており、当時の窯詰め方法や一窯あたりの生産量など、古代の窯業生産の実態を解明するうえで貴重な資料となっています。

コメント(3)

 9月30日火曜日に2ー24窯跡を訪れました。
 9月30日に見出せなかった2-19窯跡を10月26日日曜日に再訪して漸く見つける事が出来ました。
 10月26日には2-23窯跡も訪れました。

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